偽りのカンパネラ
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途切れ途切れの雲が天を横断し、星々の輝きが疎らな夜。
月の光を寄せ付けない目映いネオン、客引きの声が深夜まで続く眠らぬ町かぶき町も、数刻前から発生した視界を妨げる霧によって静寂が支配していた。
せせらぎに面したシダレヤナギが風に揺れる様は、不気味さを醸し出し知れず人を遠ざける。
月明かりの届かぬ薄暗い路地。
建物に寄りかかり、沖田はじっと一点を見続けた。
霧の広がる視界先には、灯籠が淡い灯りをちらつかせた小規模ながらも格式ある料亭。
庶民にはまず縁のない高級店だ。
小太鼓や笛の音に加え、男女の笑い声が終始鳴り響いている。
その時、料亭の内部調査を行っていた監察方の山崎が、足音を立てずこちらへと駆け寄って来た。
「ホシの部屋が分かりました。二階、北の菊の間です。一番隊はこれより五分後、裏口より突入との指示です」
「了解」
緊迫感のない返事をする沖田は、引き連れた一番隊士に目配せすると了承の意味を込め頷きあう。
そして、一寸の揺らぎ無く驚くほど冷静なきせを見下ろした。
緊張で強張っているかと思いきや、以外にも肝が据わっているらしい。
巡察で小さな争いを制止し宥めた事はあるが、新人隊士達にとって大きな任務はこれが初となる。
新人は、敵味方が入り乱れる乱闘に突撃すると、生死を目の当たりにしパニックを起こす者が多い。
懸念すべきは、有能と期待されたきせとて例外ではない。
「サド丸は最後尾から着いて来い」
「了解しました」
タレ込みによって判明した過激派攘夷浪士の密会。
幕府に仇なす危険な輩は、事を起こす前に早々芽を摘む必要が有る。
裏を取り付けるなり、真選組は捕縛に動いた。
事前に入手した武器庫の情報にも間違いはなく、先刻、港に積まれたコンテナにガサ入れを行った近藤から連絡が入ったばかり。
浪士達は、武器庫が証拠として押収された事に気付かず料亭内で会合を続けているはず。
今こそ一網打尽にする好機。
軽快な音を鳴らしていた小太鼓の音が止み、笛の音よりも高い悲鳴が上がる。
食器の割れる音が空を割り、男達の怒声が轟く中、刀の交差する耳障りな音が建物の外にまで届く。
先陣をきった土方達が、正面より突入したようだ。
「さて、俺達も行くとするか」
沖田は愛用のバズーカーを肩に背負い、路地から進み出る。
「パニックになるんじゃねえぞ、サド丸」
きせの返事を待たずして、頑なに閉じられた重々しい裏門に向かって標準を定めると、沖田は躊躇無く引き金を引いた。
激しい爆音と煙幕が掻き消えると、木っ端微塵となった門が木屑となって辺りに散乱している。
そこには、真選組の突入に泡を食って逃げ出して来た攘夷浪士の姿。
破壊された裏口の惨状に唖然と立ち尽くしている。
そんな彼等に、沖田は残酷なまでに冷徹な笑みを浮かべた。
「誰一人逃すんじゃねぇぞ!突撃ーっ!!」
勇ましい雄叫びを上げ、沖田を筆頭に隊士達が次々と料亭内へ流れ込む。
最後尾につけたきせは、中に入るなり斬り捨てられた攘夷浪士が、苦悶に満ちた声を上げ床に転がっているのを目にした。
その横では、見覚えある隊士が腕の擦り傷に大袈裟な悲鳴を上げパニックを起こしている。
土方と共に突入した、自分と同じ新人隊士だ。
何とか落ち着かせようと、土方が隊士を庇いながら声を掛けているが、あまり効果は見られない。
沖田が懸念していたのはこの事かと、きせはまるで他人事のようにそれを客観視した。
紛争が勢いを増す一階へと、上階から攘夷浪士がなだれ込んで来る。
その流れを見据え階段の位置を把握すると、最後尾だったがために目を付けられなかったきせが真っ先に駆け上がる事ができた。
しかし、数段も駆け上がった先、きせよりも数倍身の丈が大きい浪士が立ち塞がった。
「幕府の犬めが!ここは通さんぞっ」
「押し通ります」
荒ぶる浪士とは対照的に、きせは冷静沈着。
大振りする浪士の刀を風のようにすり抜けると、背後に回り込み背を力任せに蹴り飛ばした。
「うおわぁぁぁ!?」
身の丈が大きい浪士は、その体で階下から助太刀に上って来た仲間を巻き込みながら落下していく。
ドシンと音を響かせ大地を揺らすと、浪士は巻き込んだ仲間を下敷きにそのまま気を失った。
駆け寄って来た沖田は、左手できせの頭を乱暴にぐしゃりと撫で付ける。
「よくやったサド丸。さて、土方さんはあの調子だし、どーすっかな」
高見から見下ろせば分かる。
土方は仲間の援護に手一杯となり、ここまで上がって来るのに相当な時間を費やしそうだ。
やれやれと、沖田はいかにも面倒くさそうに頭を掻きむしる。
「しょーがね、俺が行くとするか。サド丸はここで待ってな」
「一人じゃ危険です!」
自分を置いてさっさと行ってしまう沖田を、きせは慌てて追いかけた。
廊下を埋めるように迫る浪士を、先頭走る沖田が意図も容易く凪ぎ払って行くため、きせは刀を振るう事なく後に着いて走った。
襖の上に立てかけられた木彫りで出来た部屋名を確認しながら、足を緩める事無く進む。
「あった、菊の間だ」
刀の柄を握り直し沖田が襖を勢いよく蹴り飛ばすと、過激派攘夷浪士の幹部と思わしき男達が面食らったように座敷きから腰を浮かした。
「御用改めである!全員、刀を捨ておとなしく投降しろ」
と、言ってはみたものの。
そんな言葉におとなしく従うはずも無い事は百も承知。
沖田は切っ先を突き付けたまま、視線を動かし内部の状況を把握する。
相手はざっと二十人。
援軍も含めれば五十人にはなるだろうか。
一度に相手するには骨が折れるが、自分一人でやってのけない人数ではない。
口髭を蓄えたいかにも人相の悪い浪士が、沖田と追いついたきせを見据え歯ぎしりする。
「幕府の犬が粋がりおって。この人数相手にガキ二人で何が出来ると言うんだ」
「違うね、ガキは一人だ」
「その一人って、まさか僕の事じゃないでしょうね」
ふんと得意気に鼻を鳴らす沖田に、その傍らで刀を構えたきせが眼を細めた。
「あぁ?お前以外誰がいるんだ、サド丸」
「貴方もしつこいですね。僕はもう立派な成人です」
「あちらさんも仰るように、十五歳なんざまだまだガキ扱いされて当然なんだよ」
「自分は棚上げですか!?あの人、さっきガキ二人って言いました!」
「だ~か~ら、そうやってキャンキャン吠える所がガキなんだって」
「そうやって大人げない人の何処がガキじゃないって言うんですか!」
仲間内で言い合いを始めた沖田ときせに、唖然としていた浪士達だったが、はっと我に返り刀を抜く。
「続きはあの世でやりなっ!」
「覚悟しやがれっっ!」
刀を振りかざした浪士が迫ると、沖田ときせは同時に顔を逸らすと、難なく一撃を交わし、返り討ちとばかりに斬り払った。
血飛沫を上げ崩れる浪士に眼もくれず、沖田は再び切っ先を口髭浪士へと向けた。
「下がってな。お前が居ちゃ足手纏いだ」
「足手纏いになんてなりません!僕だって…っ」
「いいから下がってろサド丸。お前の躾は屯所に戻ってからだ」
「ちょ、躾って…」
言い返そうとしたきせの言葉より早く、沖田は刀の柄を握りしめ浪士達の中へと突撃した。
浪士が刀を構える余裕すら与えず、沖田は表情一つ変えず次々に相手の動きを封じて行く。
その内なる気迫を肌で感じたきせは、ぐっと息を詰めた。
(この人、やっぱり強い…)
初めて道場で手合わせした時とはまるで比較にならない。
(あの時、力の半分も出していなかったんだ)
悔しさから、柄を握る拳に力が籠る。
だが、いくら沖田が強くとも多勢に無勢とあっては少々分が悪いように思えた。
さらに、今来た廊下からは殺意剥き出しの浪士の一群。
これ以上この部屋に押し入られてしまえば、沖田は思うように身動きが取れなくなってしまうだろう。
「沖田隊長のお手を煩わせるわけにはいきません。貴方達は僕がお相手しますよ」
「ガキが世迷言をほざきおって!その生意気な口もろとも叩き斬ってやる!!!」
喚き散らしながらきせへと刀を振りかざす浪士を一瞥し、隙だらけの脇を一太刀でなぎ払った。
「がはっっ!!?」
激しく吹き出した血飛沫が、真っ白な壁に飛び散る。
「きっ、きさまーっっ!!」
仲間の負傷に怒り狂った浪士達は、その足を早め突き進んで来る。
その様を小馬鹿にしたように鼻で笑うと、きせは体の軸を固定するようにその場で足を踏ん張った。
「死ねぇぇぇーーっっ!!!」
「無理ですね」
冷静沈着に返し、きせは律儀に一列で襲ってくる浪士を勢力圏内に入った者から容赦なく斬り捨てていった。
鍔に近く、両手を付け刀を振り下ろす無駄の無い動き。
土方より伝授された、江戸ならではの刀の握り方だ。
「お、おい、コイツやばいだろ」
「強すぎる…っ」
次々と負傷した浪士の山がきせの足元に築かれると、次第に彼らが戦き始めた。
身構えるだけで挑んで来る様子のない浪士達に、きせは呆れた様子で息を吐く。
「だから無理だと言ったんです。多勢なれどここは狭い一本道。敵に一対一の有利な状況を与えるなど、実に滑稽ですよ」
言われ気付いたのか、浪士達は言い返す言葉も無く、口惜しいとばかりにぐっと奥歯を噛み締めた。
その時、きせは背後で何か蠢く気配を感じた。
「くっ…せめて、沖田総悟だけでも…っ」
きせに腹を斬られた、あの特攻してきた浪士だ。
朦朧とした意識の浪士は、力を振り絞るように片腕を上げる。
その手には、拳銃が握られていた。
「沖田隊長っっ!!」
きせの緊迫した叫び声に、奮戦していた沖田は振り向き様、己に向けられた銃口と視線が合わさった。
避けるには距離が近すぎる。
一か八か、沖田は咄嗟に刀を盾に身構える。
その刹那、トリガーが引かれ耳を裂くような爆音と共に弾が発射された。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっっっ!!!」
断末魔に似た叫び声。
薬莢が転がり落ちたその直ぐ側に、銃弾が貫いた畳が燻った煙を上げている。
「おい、マジかよ…」
危機を脱した沖田だったが、それよりも目の前の光景に思わず目を見開いた。
拳銃を握っていた浪士の手が、刀によって床に貫かれてる。
突き刺さった刀の切り口から脈打つように血が流れ出し、床にじわじわと円を作るように広がっていく。
「たっ頼む!刀を抜いてくれっっっ!!」
激痛に自ら刀を抜く事が叶わず、浪士がなり振り構わず懇願した。
その視線の先には、柄をにぎったままのきせの姿。
その目は、まるで虫螻でも見るかのように冷たい。
「駄目です。いま刀を抜いたら出血死しますよ」
「ひぃぃ!!」
口調こそ丁寧だが、涙目の浪士を容赦なく突き離すきせは、まさに無慈悲。
強烈過ぎる残忍な様に、その場にいた誰もが戦意を失い立ち尽くした。
沖田は徐に、沈静と化した部屋を見渡す。
自分が斬った浪士と同数はいるだろうか。
きせが斬った浪士が、廊下を埋め尽くさんばかりに呻き声を上げている。
「はっ、誰が足手纏いだって?」
数分前、自分が発した言葉を嘲笑うように呟く。
火薬の匂いが部屋に充満すると時を同じく、一階を制圧し駆けつけた土方も、その惨状に人知れず息を呑んだ。
パトカーの赤色警光灯が暗闇に点灯し、料亭の周囲は何事かと集まった野次馬でざわめきだっている。
江戸を覆っていた霧もいつの間にか晴れ渡り、スズムシの合唱が草むらから聞こえて来た。
手錠を掛けられた浪士達が次々と護送車へ収容されていく。
そんな彼等から背を向け、この場で待機を言い渡されたきせは、せせらぎの緩やかな川の流れを見下ろしていた。
高揚した心を宥めるように息をつくと、火照った体に涼し気な風が触れる。
「待たせたな」
煙草を加えた土方が、薄雲のように煙を立ち昇らせながらきせの元に歩み寄ってきた。
黙って指示を待つきせの傍に立ち、一息ついたところでようやく口を開く。
「筋が良いとは思っていたが、これほどまでとはな」
「え?」
思わず小首を傾げるきせの柔らかな頭をポンと叩く。
その衝撃に肩をすくめるきせに、土方はふと笑みを浮かべる。
「新米にしては上出来だ。良くやったな」
「あ、有り難うございます」
真選組副長からお褒めの言葉を頂戴したのだと分かると、きせは頬を綻ばせ頭を下げた。
そして顔を上げると、先程とは違い射抜くような視線を向けている土方と目が合う。
きせは思わず口を噤む。
「お前、こういった場は初めてじゃねぇな」
きせの僅かな動揺を見逃さなかった土方は、眉を上げさらに視線を鋭くする。
恐れを諸共せず突き進み、阻む者には躊躇なく振り下ろされた刀。
初陣にしては完璧すぎた。
沈黙していたきせだったが、しばらくして乾いた笑いを零すと、肯定するように頷いた。
「初めてではないですね。人が斬られるのを見るのも、この手で人を斬るのも」
土方は煙草の灰が崩れ落ちるのもそのままに、何処か空虚な瞳のきせを見下ろす。
「神凪、お前……」
「サド丸〜」
息の詰まる空気を掻き消すように、沖田が大きな欠伸をしながらこちらへと向かって来た。
土方は咄嗟に言い掛けた言葉を飲み込みと、平静を装って沖田に向き直る。
「あれ、土方さんも……二人で何話してるんですかィ」
何やら気まずい雰囲気の二人を見比べ、沖田の目が僅かに細まった。
そんな沖田の表情に目敏く気付いた土方は、唐突に不機嫌になったその理由を察して、張り詰めていた肩の力が抜け落ちるのを感じた。
大事な玩具を取られまいとする子供のような独占欲を発する沖田に、土方は何でもないと顔を逸らした。
「ちょっと世間話してただけだ」
「ふ~ん」
土方は携帯灰皿に煙草を押し付け火を消すと、きせの背を押し沖田の元へと向かわせる。
これ以上変な疑りをかけられ沖田の機嫌を損ねて面倒くさい事になるのは御免だ。
「後は俺らで片付けるから、先に屯所へ戻ってろ」
「了解しやした。行くぞサド丸」
「あ、はい」
すたすた歩き始めた沖田の後に続くきせは足を止め、新しい煙草に火を付ける土方に振り返った。
それに気付いた土方は、加え煙草もそのまま目を瞬く。
「なんだ?」
「僕が刀を握る時は、今も昔も正義の名の下です」
言い切ると、きせは土方の言葉を待たずに頭を下げてその場を去って行った。
屯所へと向かう車内で、沖田ときせは並んで後部座席に座った。
足早に過ぎ去る景色を見据えながら、きせは途端に疲れが押し寄せ、大きく息を吐いた。
体が酷く重く感じるのは、久々に血生臭い場に立ち合ったからだろうか。
否、感じるのはではない、実際やけに体が重い。
不信に思ったきせが窓から視線を戻しかけた時、とすんと、肩にさらなる重みがかかった。
ぎょっと顔を反らせば、隣に座っていたはずの沖田が、きせの肩に頭を凭れかけさせ眠っていた。
「お、沖田隊長?」
声を掛けるも、ぐっすり寝入っているのか返事は無い。
押し退けるわけにもいかず、緊張から妙に強張った体は知らず背筋が伸びる。
車が右へ左へ曲がる度に、沖田が崩れ落ちないよう肩に力を入れた。
(つ、疲れる!)
この状態が屯所まで続くのだと考えると、耐え抜く自信はない。
何とか起きてくれないものかと、きせは寝息をたてる沖田の顔をそっと伺う。
(長い睫毛。髪もサラサラして何だかくすぐったい)
すっと通った鼻に、小さく突き出た唇。
年上ぶっているが、こうして眠る姿はまるで子供の寝顔。
黙っていればいい男なのにと、きせは気付かぬうちに食い入るように沖田の顔を覗き込んでいたようだ。
「そんなに見つめられたら、さすがの俺も照れるんだけど」
「おっ、起きてたんですか!?」
「いや、今から寝る所」
「……」
きせが呆れ顔なのは眼を閉じたままでも分かる。
沖田はくすりと鼻で笑うと、すり寄るようにしてその肩に頭を乗せ直した。
「お前の刀、誰に教わった?」
「祖父です。あと、副長から江戸の町で長刀は振るいにくい場所が多いと、状況に応じた柄の握り方を教わりました」
「土方さん、ねぇ。いつ頃教わった?」
「入隊して一週間もした頃ですね。それがどうかしましたか?」
「別に、どうもしねぇさ」
「?」
相変わらず食えないお人だと、きせは背凭れに身を預ける。
再び外の景色に目を向ければ、既に目映いネオン街を抜けていた。
今何時だろうと考えながら、小さく遠慮がちに欠伸を零す。
「訂正だ」
「はい?」
「お前は足手纏いなんかじゃねぇ」
ぼそりと、聞こえるか否かの小さな呟きに、きせは欠伸で瞳に溜まった涙もそのままに視線だけ動かし沖田を見下ろす。
「これからは、俺の左腕として使ってやるよ」
「…それを言うなら、右腕じゃないですか?」
「サド丸は左利きだろ。だから左腕で間違ってねぇさ」
背凭れに寄りかかってしまい、加えて沖田の頭で体を固定されてしまった為にその表情は伺えない。
だがきっと笑っていると、きせは認められた嬉しさから顔の筋肉が緩んでしまうのをひた隠すように瞳を閉じた。
そして、その瞼は屯所に帰り着くまで開かれる事は無かった。
「……なんか、いいなぁ」
終始無言で二人の会話を耳にしていた山崎は、バックミラー越しにすっかり寝入ってしまった二人を見据え、静かにハンドルを切った。
月の光を寄せ付けない目映いネオン、客引きの声が深夜まで続く眠らぬ町かぶき町も、数刻前から発生した視界を妨げる霧によって静寂が支配していた。
せせらぎに面したシダレヤナギが風に揺れる様は、不気味さを醸し出し知れず人を遠ざける。
月明かりの届かぬ薄暗い路地。
建物に寄りかかり、沖田はじっと一点を見続けた。
霧の広がる視界先には、灯籠が淡い灯りをちらつかせた小規模ながらも格式ある料亭。
庶民にはまず縁のない高級店だ。
小太鼓や笛の音に加え、男女の笑い声が終始鳴り響いている。
その時、料亭の内部調査を行っていた監察方の山崎が、足音を立てずこちらへと駆け寄って来た。
「ホシの部屋が分かりました。二階、北の菊の間です。一番隊はこれより五分後、裏口より突入との指示です」
「了解」
緊迫感のない返事をする沖田は、引き連れた一番隊士に目配せすると了承の意味を込め頷きあう。
そして、一寸の揺らぎ無く驚くほど冷静なきせを見下ろした。
緊張で強張っているかと思いきや、以外にも肝が据わっているらしい。
巡察で小さな争いを制止し宥めた事はあるが、新人隊士達にとって大きな任務はこれが初となる。
新人は、敵味方が入り乱れる乱闘に突撃すると、生死を目の当たりにしパニックを起こす者が多い。
懸念すべきは、有能と期待されたきせとて例外ではない。
「サド丸は最後尾から着いて来い」
「了解しました」
タレ込みによって判明した過激派攘夷浪士の密会。
幕府に仇なす危険な輩は、事を起こす前に早々芽を摘む必要が有る。
裏を取り付けるなり、真選組は捕縛に動いた。
事前に入手した武器庫の情報にも間違いはなく、先刻、港に積まれたコンテナにガサ入れを行った近藤から連絡が入ったばかり。
浪士達は、武器庫が証拠として押収された事に気付かず料亭内で会合を続けているはず。
今こそ一網打尽にする好機。
軽快な音を鳴らしていた小太鼓の音が止み、笛の音よりも高い悲鳴が上がる。
食器の割れる音が空を割り、男達の怒声が轟く中、刀の交差する耳障りな音が建物の外にまで届く。
先陣をきった土方達が、正面より突入したようだ。
「さて、俺達も行くとするか」
沖田は愛用のバズーカーを肩に背負い、路地から進み出る。
「パニックになるんじゃねえぞ、サド丸」
きせの返事を待たずして、頑なに閉じられた重々しい裏門に向かって標準を定めると、沖田は躊躇無く引き金を引いた。
激しい爆音と煙幕が掻き消えると、木っ端微塵となった門が木屑となって辺りに散乱している。
そこには、真選組の突入に泡を食って逃げ出して来た攘夷浪士の姿。
破壊された裏口の惨状に唖然と立ち尽くしている。
そんな彼等に、沖田は残酷なまでに冷徹な笑みを浮かべた。
「誰一人逃すんじゃねぇぞ!突撃ーっ!!」
勇ましい雄叫びを上げ、沖田を筆頭に隊士達が次々と料亭内へ流れ込む。
最後尾につけたきせは、中に入るなり斬り捨てられた攘夷浪士が、苦悶に満ちた声を上げ床に転がっているのを目にした。
その横では、見覚えある隊士が腕の擦り傷に大袈裟な悲鳴を上げパニックを起こしている。
土方と共に突入した、自分と同じ新人隊士だ。
何とか落ち着かせようと、土方が隊士を庇いながら声を掛けているが、あまり効果は見られない。
沖田が懸念していたのはこの事かと、きせはまるで他人事のようにそれを客観視した。
紛争が勢いを増す一階へと、上階から攘夷浪士がなだれ込んで来る。
その流れを見据え階段の位置を把握すると、最後尾だったがために目を付けられなかったきせが真っ先に駆け上がる事ができた。
しかし、数段も駆け上がった先、きせよりも数倍身の丈が大きい浪士が立ち塞がった。
「幕府の犬めが!ここは通さんぞっ」
「押し通ります」
荒ぶる浪士とは対照的に、きせは冷静沈着。
大振りする浪士の刀を風のようにすり抜けると、背後に回り込み背を力任せに蹴り飛ばした。
「うおわぁぁぁ!?」
身の丈が大きい浪士は、その体で階下から助太刀に上って来た仲間を巻き込みながら落下していく。
ドシンと音を響かせ大地を揺らすと、浪士は巻き込んだ仲間を下敷きにそのまま気を失った。
駆け寄って来た沖田は、左手できせの頭を乱暴にぐしゃりと撫で付ける。
「よくやったサド丸。さて、土方さんはあの調子だし、どーすっかな」
高見から見下ろせば分かる。
土方は仲間の援護に手一杯となり、ここまで上がって来るのに相当な時間を費やしそうだ。
やれやれと、沖田はいかにも面倒くさそうに頭を掻きむしる。
「しょーがね、俺が行くとするか。サド丸はここで待ってな」
「一人じゃ危険です!」
自分を置いてさっさと行ってしまう沖田を、きせは慌てて追いかけた。
廊下を埋めるように迫る浪士を、先頭走る沖田が意図も容易く凪ぎ払って行くため、きせは刀を振るう事なく後に着いて走った。
襖の上に立てかけられた木彫りで出来た部屋名を確認しながら、足を緩める事無く進む。
「あった、菊の間だ」
刀の柄を握り直し沖田が襖を勢いよく蹴り飛ばすと、過激派攘夷浪士の幹部と思わしき男達が面食らったように座敷きから腰を浮かした。
「御用改めである!全員、刀を捨ておとなしく投降しろ」
と、言ってはみたものの。
そんな言葉におとなしく従うはずも無い事は百も承知。
沖田は切っ先を突き付けたまま、視線を動かし内部の状況を把握する。
相手はざっと二十人。
援軍も含めれば五十人にはなるだろうか。
一度に相手するには骨が折れるが、自分一人でやってのけない人数ではない。
口髭を蓄えたいかにも人相の悪い浪士が、沖田と追いついたきせを見据え歯ぎしりする。
「幕府の犬が粋がりおって。この人数相手にガキ二人で何が出来ると言うんだ」
「違うね、ガキは一人だ」
「その一人って、まさか僕の事じゃないでしょうね」
ふんと得意気に鼻を鳴らす沖田に、その傍らで刀を構えたきせが眼を細めた。
「あぁ?お前以外誰がいるんだ、サド丸」
「貴方もしつこいですね。僕はもう立派な成人です」
「あちらさんも仰るように、十五歳なんざまだまだガキ扱いされて当然なんだよ」
「自分は棚上げですか!?あの人、さっきガキ二人って言いました!」
「だ~か~ら、そうやってキャンキャン吠える所がガキなんだって」
「そうやって大人げない人の何処がガキじゃないって言うんですか!」
仲間内で言い合いを始めた沖田ときせに、唖然としていた浪士達だったが、はっと我に返り刀を抜く。
「続きはあの世でやりなっ!」
「覚悟しやがれっっ!」
刀を振りかざした浪士が迫ると、沖田ときせは同時に顔を逸らすと、難なく一撃を交わし、返り討ちとばかりに斬り払った。
血飛沫を上げ崩れる浪士に眼もくれず、沖田は再び切っ先を口髭浪士へと向けた。
「下がってな。お前が居ちゃ足手纏いだ」
「足手纏いになんてなりません!僕だって…っ」
「いいから下がってろサド丸。お前の躾は屯所に戻ってからだ」
「ちょ、躾って…」
言い返そうとしたきせの言葉より早く、沖田は刀の柄を握りしめ浪士達の中へと突撃した。
浪士が刀を構える余裕すら与えず、沖田は表情一つ変えず次々に相手の動きを封じて行く。
その内なる気迫を肌で感じたきせは、ぐっと息を詰めた。
(この人、やっぱり強い…)
初めて道場で手合わせした時とはまるで比較にならない。
(あの時、力の半分も出していなかったんだ)
悔しさから、柄を握る拳に力が籠る。
だが、いくら沖田が強くとも多勢に無勢とあっては少々分が悪いように思えた。
さらに、今来た廊下からは殺意剥き出しの浪士の一群。
これ以上この部屋に押し入られてしまえば、沖田は思うように身動きが取れなくなってしまうだろう。
「沖田隊長のお手を煩わせるわけにはいきません。貴方達は僕がお相手しますよ」
「ガキが世迷言をほざきおって!その生意気な口もろとも叩き斬ってやる!!!」
喚き散らしながらきせへと刀を振りかざす浪士を一瞥し、隙だらけの脇を一太刀でなぎ払った。
「がはっっ!!?」
激しく吹き出した血飛沫が、真っ白な壁に飛び散る。
「きっ、きさまーっっ!!」
仲間の負傷に怒り狂った浪士達は、その足を早め突き進んで来る。
その様を小馬鹿にしたように鼻で笑うと、きせは体の軸を固定するようにその場で足を踏ん張った。
「死ねぇぇぇーーっっ!!!」
「無理ですね」
冷静沈着に返し、きせは律儀に一列で襲ってくる浪士を勢力圏内に入った者から容赦なく斬り捨てていった。
鍔に近く、両手を付け刀を振り下ろす無駄の無い動き。
土方より伝授された、江戸ならではの刀の握り方だ。
「お、おい、コイツやばいだろ」
「強すぎる…っ」
次々と負傷した浪士の山がきせの足元に築かれると、次第に彼らが戦き始めた。
身構えるだけで挑んで来る様子のない浪士達に、きせは呆れた様子で息を吐く。
「だから無理だと言ったんです。多勢なれどここは狭い一本道。敵に一対一の有利な状況を与えるなど、実に滑稽ですよ」
言われ気付いたのか、浪士達は言い返す言葉も無く、口惜しいとばかりにぐっと奥歯を噛み締めた。
その時、きせは背後で何か蠢く気配を感じた。
「くっ…せめて、沖田総悟だけでも…っ」
きせに腹を斬られた、あの特攻してきた浪士だ。
朦朧とした意識の浪士は、力を振り絞るように片腕を上げる。
その手には、拳銃が握られていた。
「沖田隊長っっ!!」
きせの緊迫した叫び声に、奮戦していた沖田は振り向き様、己に向けられた銃口と視線が合わさった。
避けるには距離が近すぎる。
一か八か、沖田は咄嗟に刀を盾に身構える。
その刹那、トリガーが引かれ耳を裂くような爆音と共に弾が発射された。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっっっ!!!」
断末魔に似た叫び声。
薬莢が転がり落ちたその直ぐ側に、銃弾が貫いた畳が燻った煙を上げている。
「おい、マジかよ…」
危機を脱した沖田だったが、それよりも目の前の光景に思わず目を見開いた。
拳銃を握っていた浪士の手が、刀によって床に貫かれてる。
突き刺さった刀の切り口から脈打つように血が流れ出し、床にじわじわと円を作るように広がっていく。
「たっ頼む!刀を抜いてくれっっっ!!」
激痛に自ら刀を抜く事が叶わず、浪士がなり振り構わず懇願した。
その視線の先には、柄をにぎったままのきせの姿。
その目は、まるで虫螻でも見るかのように冷たい。
「駄目です。いま刀を抜いたら出血死しますよ」
「ひぃぃ!!」
口調こそ丁寧だが、涙目の浪士を容赦なく突き離すきせは、まさに無慈悲。
強烈過ぎる残忍な様に、その場にいた誰もが戦意を失い立ち尽くした。
沖田は徐に、沈静と化した部屋を見渡す。
自分が斬った浪士と同数はいるだろうか。
きせが斬った浪士が、廊下を埋め尽くさんばかりに呻き声を上げている。
「はっ、誰が足手纏いだって?」
数分前、自分が発した言葉を嘲笑うように呟く。
火薬の匂いが部屋に充満すると時を同じく、一階を制圧し駆けつけた土方も、その惨状に人知れず息を呑んだ。
パトカーの赤色警光灯が暗闇に点灯し、料亭の周囲は何事かと集まった野次馬でざわめきだっている。
江戸を覆っていた霧もいつの間にか晴れ渡り、スズムシの合唱が草むらから聞こえて来た。
手錠を掛けられた浪士達が次々と護送車へ収容されていく。
そんな彼等から背を向け、この場で待機を言い渡されたきせは、せせらぎの緩やかな川の流れを見下ろしていた。
高揚した心を宥めるように息をつくと、火照った体に涼し気な風が触れる。
「待たせたな」
煙草を加えた土方が、薄雲のように煙を立ち昇らせながらきせの元に歩み寄ってきた。
黙って指示を待つきせの傍に立ち、一息ついたところでようやく口を開く。
「筋が良いとは思っていたが、これほどまでとはな」
「え?」
思わず小首を傾げるきせの柔らかな頭をポンと叩く。
その衝撃に肩をすくめるきせに、土方はふと笑みを浮かべる。
「新米にしては上出来だ。良くやったな」
「あ、有り難うございます」
真選組副長からお褒めの言葉を頂戴したのだと分かると、きせは頬を綻ばせ頭を下げた。
そして顔を上げると、先程とは違い射抜くような視線を向けている土方と目が合う。
きせは思わず口を噤む。
「お前、こういった場は初めてじゃねぇな」
きせの僅かな動揺を見逃さなかった土方は、眉を上げさらに視線を鋭くする。
恐れを諸共せず突き進み、阻む者には躊躇なく振り下ろされた刀。
初陣にしては完璧すぎた。
沈黙していたきせだったが、しばらくして乾いた笑いを零すと、肯定するように頷いた。
「初めてではないですね。人が斬られるのを見るのも、この手で人を斬るのも」
土方は煙草の灰が崩れ落ちるのもそのままに、何処か空虚な瞳のきせを見下ろす。
「神凪、お前……」
「サド丸〜」
息の詰まる空気を掻き消すように、沖田が大きな欠伸をしながらこちらへと向かって来た。
土方は咄嗟に言い掛けた言葉を飲み込みと、平静を装って沖田に向き直る。
「あれ、土方さんも……二人で何話してるんですかィ」
何やら気まずい雰囲気の二人を見比べ、沖田の目が僅かに細まった。
そんな沖田の表情に目敏く気付いた土方は、唐突に不機嫌になったその理由を察して、張り詰めていた肩の力が抜け落ちるのを感じた。
大事な玩具を取られまいとする子供のような独占欲を発する沖田に、土方は何でもないと顔を逸らした。
「ちょっと世間話してただけだ」
「ふ~ん」
土方は携帯灰皿に煙草を押し付け火を消すと、きせの背を押し沖田の元へと向かわせる。
これ以上変な疑りをかけられ沖田の機嫌を損ねて面倒くさい事になるのは御免だ。
「後は俺らで片付けるから、先に屯所へ戻ってろ」
「了解しやした。行くぞサド丸」
「あ、はい」
すたすた歩き始めた沖田の後に続くきせは足を止め、新しい煙草に火を付ける土方に振り返った。
それに気付いた土方は、加え煙草もそのまま目を瞬く。
「なんだ?」
「僕が刀を握る時は、今も昔も正義の名の下です」
言い切ると、きせは土方の言葉を待たずに頭を下げてその場を去って行った。
屯所へと向かう車内で、沖田ときせは並んで後部座席に座った。
足早に過ぎ去る景色を見据えながら、きせは途端に疲れが押し寄せ、大きく息を吐いた。
体が酷く重く感じるのは、久々に血生臭い場に立ち合ったからだろうか。
否、感じるのはではない、実際やけに体が重い。
不信に思ったきせが窓から視線を戻しかけた時、とすんと、肩にさらなる重みがかかった。
ぎょっと顔を反らせば、隣に座っていたはずの沖田が、きせの肩に頭を凭れかけさせ眠っていた。
「お、沖田隊長?」
声を掛けるも、ぐっすり寝入っているのか返事は無い。
押し退けるわけにもいかず、緊張から妙に強張った体は知らず背筋が伸びる。
車が右へ左へ曲がる度に、沖田が崩れ落ちないよう肩に力を入れた。
(つ、疲れる!)
この状態が屯所まで続くのだと考えると、耐え抜く自信はない。
何とか起きてくれないものかと、きせは寝息をたてる沖田の顔をそっと伺う。
(長い睫毛。髪もサラサラして何だかくすぐったい)
すっと通った鼻に、小さく突き出た唇。
年上ぶっているが、こうして眠る姿はまるで子供の寝顔。
黙っていればいい男なのにと、きせは気付かぬうちに食い入るように沖田の顔を覗き込んでいたようだ。
「そんなに見つめられたら、さすがの俺も照れるんだけど」
「おっ、起きてたんですか!?」
「いや、今から寝る所」
「……」
きせが呆れ顔なのは眼を閉じたままでも分かる。
沖田はくすりと鼻で笑うと、すり寄るようにしてその肩に頭を乗せ直した。
「お前の刀、誰に教わった?」
「祖父です。あと、副長から江戸の町で長刀は振るいにくい場所が多いと、状況に応じた柄の握り方を教わりました」
「土方さん、ねぇ。いつ頃教わった?」
「入隊して一週間もした頃ですね。それがどうかしましたか?」
「別に、どうもしねぇさ」
「?」
相変わらず食えないお人だと、きせは背凭れに身を預ける。
再び外の景色に目を向ければ、既に目映いネオン街を抜けていた。
今何時だろうと考えながら、小さく遠慮がちに欠伸を零す。
「訂正だ」
「はい?」
「お前は足手纏いなんかじゃねぇ」
ぼそりと、聞こえるか否かの小さな呟きに、きせは欠伸で瞳に溜まった涙もそのままに視線だけ動かし沖田を見下ろす。
「これからは、俺の左腕として使ってやるよ」
「…それを言うなら、右腕じゃないですか?」
「サド丸は左利きだろ。だから左腕で間違ってねぇさ」
背凭れに寄りかかってしまい、加えて沖田の頭で体を固定されてしまった為にその表情は伺えない。
だがきっと笑っていると、きせは認められた嬉しさから顔の筋肉が緩んでしまうのをひた隠すように瞳を閉じた。
そして、その瞼は屯所に帰り着くまで開かれる事は無かった。
「……なんか、いいなぁ」
終始無言で二人の会話を耳にしていた山崎は、バックミラー越しにすっかり寝入ってしまった二人を見据え、静かにハンドルを切った。