偽りのカンパネラ
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夏の高湿度から解放された空は青さを増し、入道雲に代わり秋特有の積雲が空に出現すると、ツクツクボウシの鳴き声も心無しか数を減らしていた。
頭を垂れた稲が、直に黄金へと色付く事だろう。
秋の訪れを目で感じるも、相変わらず日差しは肌を焼く暑さ。
屯所の縁側では、団扇を扇ぐ手も重々しく、茹だった土方が冷たい麦茶を一息に飲み干していた所だった。
その傍ら、高速で回転する扇風機の羽が巻き起こす風に向かって「あ”ぁ~」とドップラー現象を起こす近藤も、何処か目が虚ろだ。
「あ”ぁ~……あぁ、そういえば、総悟の奴はどうしたぁ……」
「一番隊は午後一で巡察だ」
昼食後から姿が見えないと、扇風機の風が作る音程の揺らぎを発生させている近藤に、土方はなかなか点火しないライターに苛立った様子で口を開いた。
「あ”ぁ~、だから今日はこんなにも静かなのか」
納得したように頷く近藤は、乾いた笑いを零した。
隙あらば仕事をサボろうとする沖田をきせが追いかけ回すという、屯所内では日常と化した光景。
隠れんぼだったり追いかけっこだったり、やっている事は子供の遊びと何ら変わらないが、誰もきせを咎める者はいない。
沖田がそれを楽しんでいるのは誰の目にも明らかで、むしろ同情されているなどとは本人の知らぬ所。
「……クソ、点きやしねぇ」
幾度と摩擦で火花を散らすも発火しないライターをポケットにしまうと、土方は加えていた煙草を箱に戻そうとし、そして気が付いた。
見れば箱は空で、今手に持っているのが最後の一本のようだ。
炎天下の中、わざわざ買いに行くのはかなり辛い。
だが、煙草を吸えないのはもっと辛いと、土方は渋々立ち上がった。
「ちょっくら出て来る」
「あ”いよぉぉ~…」
気のない返事をする近藤をそのままに、土方は日の下に出た瞬間その暑さに目眩を起こしかける。
歩いて行く気にはとてもなれなかった。
これがレンジでチンされる弁当の気分かと、そんな突拍子も無い事を思う。
「…パトカー出すか」
私情で使う事は職権濫用といえるが、巡察という名目で出動するならば、それは立派な公務だ。
煙草屋に煙草とライターを買いに行くだけの、たかが数十分。
一台くらい拝借しても公務に支障は出ないだろうと、自分に言い聞かせてみる。
誰よりも規律に煩い土方がまともな判断が出来なくなる程、今日の太陽は下界を灼熱に焦がしていた。
思い立って足早に車庫へと向うも、そこには先客が数人。
全身を汗に濡らした山崎が、開けられたボンネットに頭を突っ込んで何やら作業をしている。
「おいおい、冗談だろ…」
嫌な予感がし、近寄ってみればそれは予感的中。
剥き出しとなったエンジンから、僅かに燻った煙が上がっている。
「おい、山崎。これは一体どうした事だ」
ここにきて初めて土方の存在に気がついた山崎は、顔中に煤を付けたまま顔を上げた。
「この暑さでエンジンがやられちゃったみたいです。ニ時間もあれば直せますよ」
「ニ時間…」
今最後の一本を吸ったとして、残り一時間以上煙草を吸わず我慢出来るか問われれば、答えは迷わずノーだ。
暑さとは違う目眩に一瞬体がぐらつく。
「…ん、待てよ。じゃあ、一番隊は徒歩で巡察へ行っているのか?」
「いえ、パトカー組と徒歩組に分かれて行きました」
汗を拭った甲で煤をも顔中に広げながら、山崎は申し訳なさそうにそう口にした。
午後の巡察までに修理を間に合わせたかったが、この暑さの中、修理する側も命がけである。
結局人数分のパトカーは用意出来ず、何人かは徒歩で行かなければならなくなった。
誰だって、汗だくになって日の下を行くより、冷房完備の車で悠々と行きたいに決まっている。
言い争う隊士の光景が眼に浮かび、土方は眉を顰めた。
「んで、どう収集付けたんだ?」
「ジャンケン対決に決まりました。ちなみに、沖田隊長は負け組です」
沖田は隊長の権限をフルに活用し、不戦勝で冷房完備の車で行く気満々だった。
が、隊長がそんなでは他の隊士に示しがつかないと、きせに叱咤され正々堂々の勝負を行ったそうだ。
「総悟の奴、ざまーねぇな」
「そういえば副長、何か御用だったんじゃないんですか?」
「えっ!?いやっ…ち、ちょっと通りがかっただけだ」
一秒でも早く煙草を吸いたいが為に、私情でパトカーを拝借しようとした等と言えるわけもない。
思わず引き攣った笑みを浮かべ、手が空いていたばかりにパトカーの修理に勤しまなければならなくなった隊士達に激励を述べ、その場を後にした。
屯所の門を潜れば、容赦なく日差しが照りつけて来る。
吹き出て来た汗を甲で拭いながら、土方は日陰を捜して歩き始めた。
燦々と照りつける太陽から逃れるように、きせはシダレヤナギの下に出来た木陰を見つけるなり潜り込んだ。
額に浮かんだ玉のような汗を拭い、疎まし気に空を見上げる。
ごろつきの仲裁をしている間に沖田を見失い、この暑さから捜す気力も失せ、こうして一人で巡察しているのだが。
乾いた喉に、暑さにやられたか先程から頭痛もする。
「少し休憩しようかな…」
何処かで涼もうと木陰から出た瞬間、世界がぐらりと揺れる。
まずいと思った時には、体が平衡感覚を失っていた。
「おっと!」
ふらついた足取りのきせを、通りがかりの男が両肩を支え転倒を防いだ。
様子を伺うように顔を覗き込んで来る。
「おい、大丈夫か?」
「すみません、急に目眩がして……」
額に手をあて、ぼやけた視界のまま男を見上げるも、閃光のように突き刺さる太陽の日差しに頭がズキリと傷み再び俯く。
「あ、もしかして熱中症?」
苦悶するきせに、男は今朝テレビで見たばかりだという病名を口にした。
「となると、ここじゃ駄目だな。ちょっとこっち来い」
「え、うわっ!?」
言うなり、男はきせの腰に腕を差し入れ、軽々と小脇に抱え上げる。
そのまま小走りに走り始めると、状況を理解出来ないきせは抵抗とばかりに手足をばたつかせた。
「ちょっ、降ろして下さい!」
「静かにしてろって。悪化すんぞ」
確かに、少し暴れただけで頭を割るような痛みが襲う。
脈打つように痛む頭を抑え、身体に思うように力が入らない。
(悪い人に見えないし、いざって時は…)
きせは脇差を目で確認すると、ひとまず男に従うことにした。
男は、きせを路地裏にある小さな甘味処へと連れて来た。
古びた外観とは違い、店内は和の趣を感じさせるレトロな作り。
刺繍の美しい手鞠やお手玉等がそれと無く店内を飾り付け、背丈の違うこけしが一様に男ときせを出迎えた。
「こんな店、あったんですね」
「知る人ぞ知る隠れ名所ってやつだ」
店内をぐるりと見渡すきせは、男に抱えられたまま奥の座敷へと上がった。
そこで思いがけない人物と再会した。
「あぁ!沖田隊長!!!」
声を荒げたきせの視線の先、そこには氷山のようなかき氷を涼し気に貪っている沖田が居た。
怒りに顔を強張らせるきせに、沖田は眼を丸くして口に運びかけたスプーンを一時停止させる。
「サド丸?」
「誰がサド丸ですかっっ!!!こんな所でサボってたんですね!!今日という今日は副長に告げ口してやります!!」
「おいおい、あまり興奮すんなって。また具合悪くなるぞ」
拳をブンブン振り回し怒りを捲し立てるきせに、男が流れ弾を食らわないよう身を避ける。
はぁはぁと肩で息をし、言われ思い出したのか顔を青ざめさせた。
ぐったりとしたきせに、沖田はスプーンを置き腰を上げる。
「旦那、“また”って何の事ですかぃ」
「こいつ、熱中症になりかけてるんだよ」
ぴくっと眉尻を跳ね上げさせた沖田は、ほんの一瞬表情に翳りを見せるも、すぐに何事も無かったように頭を下げた。
「そいつぁ、俺のペットがとんだご迷惑をおかけしやした」
「誰がペットですか…って……ぁぅ…」
下僕からペットに格上げされたのか格下げされたのか、そんなどうでもいい事を考えながら、はきせうっと息を詰めた。
怒鳴る度に頭痛が激しさを増すならば、これ以上感情を高ぶらせるのは止めようと心に決める。
「まぁ、立ち話もなんですし旦那も座って下せぇ。サド丸、こっち来い」
沖田は両手を差し出して、まだ息の荒いきせを男の手から取り上げる。
そのまま座敷きに降ろされたきせは、沖田と男を交互に見上げ首を傾げた。
「もしかして、お二人はお知り合いですか?」
「この人は万事屋家業を営む、坂田銀時の旦那でっさ」
「万事屋って、あの局中法度第四十六条の?」
「なんだよ、局中法度第四十六条ってのは」
どうせろくな法度ではないと舌打ちする銀時は、沖田達の向かいに座る。
きせも古びた座布団を引き寄せ、沖田の横に座り直した。
「んでサド丸、お前具合悪いのか?」
テーブルに肘をつき、沖田はきせの顔色をそれとなく伺う。
店内が薄暗い照明なせいもあって確かではないが、何処と無く顔色は青白く見える。
「少し休めば大丈夫です」
今更気丈に振る舞う必要もないのにと、沖田は小さく鼻をならす。
そんな沖田の心境など知らぬきせは、改めて銀時に向かって深々と頭を下げた。
「一番隊隊士、神凪きせと申します。ご迷惑おかけして申し訳有りませんでした」
「いや、大した事してないし。そんなご丁寧に謝らなくていいから」
「蝦夷地は夏でももう少し爽やかな気候だったので、こちらの暑さに対して油断してました」
へぇと、銀時は注文を取りに来た女将にあれこれ頼みながら眼を丸くした。
「極寒の地だな。なんでまたこっちに?」
「祖父の死を機にこちらへ仕事を探しに来ました。向こうは職難で仕事が見つかりにくいので」
「なるほどな」
きせの身の上を横耳に、沖田はスプーンで氷山を崩し黄色い海の中に沈めると、レモン漬けとなった氷山を一口分すくい上げた。
「サド丸、こっち向け」
「はい、何で…むぐっ?」
振り向き様、開かれた口にスプーンを差し込まれきせは噎せ返りそうになる。
「……っっっ!!!!」
「熱中症には塩分と水分補給が大事だそうだ」
「いやいや、間違ってはないけどね。レモン味とはいえかき氷のシロップは砂糖慢性だぞ。意味ないって」
「安心して下せぇ旦那。俺のかき氷は百パーセントレモン汁でっさ」
「ひゃく…!?」
つぅと冷たい汗が頬を伝う銀時は恐る恐るきせを見やると、思った通り彼はあまりの酸っぱさに口を窄め悶絶していた。
「ほらサド丸。もっと食え」
「い、いらないです」
「遠慮すんなって、ほら」
「ちが、遠慮なんて…」
ブンブンと必死に首を振るきせの抵抗虚しく、沖田は雛の餌付けの如く次々とレモンたっぷりのかき氷を寄越した。
そんな沖田の顔が酷く残酷な笑みを浮かべている事に気付き、銀時は失笑する。
(さすがドS。介抱しながらも遊ぶ事は忘れない)
熱中症に効果あるのは塩分と水分と、あながち間違ってはいない。
強過ぎる酸味に悶えるきせから目を逸らし、自分にはどうしようもないと銀時は顳かみに手を当て俯く。
荒療法とはいえ沖田の百パーセントレモンかき氷を食し、銀時が注文してくれた冷梅茶で水分と塩分を補給したせいか、きせの頭痛はだいぶ和らいだ。
日も暮れ始め、気温も正午に比べ落ち着いて来ただろう。
「んじゃ、そろそろ帰るとしますか」
膝に手を付き立ち上がると、沖田は腰を折ってささっと靴を履き始める。
そして、そのままきせへと顔を背けると、促すように手招いた。
「ほらサド丸、乗れ」
「またサド丸って呼ぶ……だいたい、乗れって何処にですか?パトカーは屯所ですよ」
「何処って、見れば分かるだろ。おんぶだよ、おんぶ」
「おっ、おんぶぅ!?」
「具合悪いってのに、歩かせるわけいかねぇだろ」
「ご、ご心配には及びませんっ!自分で歩けますから!!」
顔を赤らめ嫌々と顔を振り続けるきせに、沖田は面倒くさそうにあからさまな溜息をついた。
「さっさとしねぇと、帰りが遅いって土方さんにどやされるぞ」
「そ、それは困ります、けど…」
体調を気遣っての事だと分かりながらも、羞恥が勝り厚意に甘えられない。
そんな二人のやり取りを黙って見ていた銀時は、カリっと髪を掻きむしる。
「ったく、どこまでも世話が焼ける」
銀時は、困惑したきせの両脇の下に手を差し入れ持ち上げた。
「さ、坂田さんっ!?」
「ほら、しっかり掴まらないと落ちるぞ」
慌てふためくきせを、問答無用で沖田の背に凭れかけさせる。
噴火しそうな程真っ赤なきせの顔など知りもしない沖田は、しっかりと背負い直し銀時にぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ旦那、何から何まで世話になりやした」
「ちゃんとこまめに水分補給しろよ」
「はい。今度、改めて御礼に伺いますから」
「いいっていいって、気にするな」
ひらひらと手を振る銀時に頭を下げ、沖田達は甘味所を後にした。
冷房の効いた世界とは一転、夕暮れ迫る時間とはいえやはり暑いに変わりない。
「あの、沖田隊長、そろそろ降ろして下さい。僕、自分で歩けますから」
周囲の眼が恥ずかしいとモジモジするきせに、沖田は聞く耳持たずといった様子で口を訊かなかった。
懇願するだけ無駄と分かると、きせもようやくおとなしく背負われた。
無言で帰路に着く二人の周囲に、たくさんのトンボが浮遊している。
壮大な夕焼け雲に見え隠れする太陽に眼を細め、きせはくすりと笑った。
「なんだか、懐かしいです」
「何がだ?」
「祖父が元気だった頃は、こうしてよく背負ってもらいました」
「へぇ」
思い出し笑いすると、きせはいつもより少し高い視界を楽しむ。
「父ちゃん母ちゃんは蝦夷地にいるのか?」
「父は僕が産まれる前に他界しました。母も僕が小さい時に亡くなってます」
「あぁ、なんだその、悪い…」
余計な事を訊いたと珍しくバツの悪そうな沖田に、きせは気にするどころか可笑しそうに笑った。
「僕、五人兄弟の末っ子なんですよ。兄一人、姉三人の大兄弟なんです」
「へぇ、賑やかだな。俺は姉ちゃんが一人だ」
「じゃあ、僕たち末っ子同士ですね」
「だな」
笑い合う二つの影が、夕日に照らされ河川敷を真っ直ぐ伸びて行く。
その先で、二人の影がもう一つの影とぶつかり重なった。
「あれ、土方さんじゃないっすか」
「おぅ総悟…と神凪か。こんな時間まで巡察か?」
「そうです、仕事熱心でしょ」
さらっと言ってのけた沖田とは対照的に、きせは申し訳なさそうにその背で縮こまる。
「このくそ暑い中ご苦労さん」
バレバレ過ぎる嘘に、土方は胡散臭そうに目を細めるだけ。
いつものお咎めは無く、盛大な溜息を吐き出すだけだった。
あっさり見抜かれると思いきや、労いの言葉をかけられるなど想定外。
沖田ときせは目を瞬き顔を見合わせる。
「土方さん、何か悪い物でも食ったんじゃねぇですかぃ」
「あ”ぁ?張り倒すぞコラ」
しかしよく見れば、煙草を加える口が力なく開かれ、肩で大きく息を繰り返す土方は全身汗に濡れていた。
先程までの誰かさんと同じように顔が青白い。
「もしかして土方さん、目眩と頭痛がしやせんか?」
「ん?ああ、よく分かったな」
「………」
再び顔を見合わせた沖田ときせは、思わず吹き出した。
そんな二人に、土方は怪訝な面持ちで首を傾げる。
「何だよ、お前ら」
「知ってますか土方さん、その頭痛と目眩はそこの川に飛び込むと治りやすゼ」
「知らねぇよ!馬鹿かテメェは。んな事で治るかっつーの!」
隙あらば川に蹴り落とそうとする沖田との攻防の末、ふらつく足で屯所に戻ってみれば
高速回転する扇風機の前で、青白い顔をした近藤が全身カサカサに乾涸びていた。
その日の夕餉には、真選組全員に沖田特性の百パーセントレモン汁のかき氷が振る舞われたとか。
頭を垂れた稲が、直に黄金へと色付く事だろう。
秋の訪れを目で感じるも、相変わらず日差しは肌を焼く暑さ。
屯所の縁側では、団扇を扇ぐ手も重々しく、茹だった土方が冷たい麦茶を一息に飲み干していた所だった。
その傍ら、高速で回転する扇風機の羽が巻き起こす風に向かって「あ”ぁ~」とドップラー現象を起こす近藤も、何処か目が虚ろだ。
「あ”ぁ~……あぁ、そういえば、総悟の奴はどうしたぁ……」
「一番隊は午後一で巡察だ」
昼食後から姿が見えないと、扇風機の風が作る音程の揺らぎを発生させている近藤に、土方はなかなか点火しないライターに苛立った様子で口を開いた。
「あ”ぁ~、だから今日はこんなにも静かなのか」
納得したように頷く近藤は、乾いた笑いを零した。
隙あらば仕事をサボろうとする沖田をきせが追いかけ回すという、屯所内では日常と化した光景。
隠れんぼだったり追いかけっこだったり、やっている事は子供の遊びと何ら変わらないが、誰もきせを咎める者はいない。
沖田がそれを楽しんでいるのは誰の目にも明らかで、むしろ同情されているなどとは本人の知らぬ所。
「……クソ、点きやしねぇ」
幾度と摩擦で火花を散らすも発火しないライターをポケットにしまうと、土方は加えていた煙草を箱に戻そうとし、そして気が付いた。
見れば箱は空で、今手に持っているのが最後の一本のようだ。
炎天下の中、わざわざ買いに行くのはかなり辛い。
だが、煙草を吸えないのはもっと辛いと、土方は渋々立ち上がった。
「ちょっくら出て来る」
「あ”いよぉぉ~…」
気のない返事をする近藤をそのままに、土方は日の下に出た瞬間その暑さに目眩を起こしかける。
歩いて行く気にはとてもなれなかった。
これがレンジでチンされる弁当の気分かと、そんな突拍子も無い事を思う。
「…パトカー出すか」
私情で使う事は職権濫用といえるが、巡察という名目で出動するならば、それは立派な公務だ。
煙草屋に煙草とライターを買いに行くだけの、たかが数十分。
一台くらい拝借しても公務に支障は出ないだろうと、自分に言い聞かせてみる。
誰よりも規律に煩い土方がまともな判断が出来なくなる程、今日の太陽は下界を灼熱に焦がしていた。
思い立って足早に車庫へと向うも、そこには先客が数人。
全身を汗に濡らした山崎が、開けられたボンネットに頭を突っ込んで何やら作業をしている。
「おいおい、冗談だろ…」
嫌な予感がし、近寄ってみればそれは予感的中。
剥き出しとなったエンジンから、僅かに燻った煙が上がっている。
「おい、山崎。これは一体どうした事だ」
ここにきて初めて土方の存在に気がついた山崎は、顔中に煤を付けたまま顔を上げた。
「この暑さでエンジンがやられちゃったみたいです。ニ時間もあれば直せますよ」
「ニ時間…」
今最後の一本を吸ったとして、残り一時間以上煙草を吸わず我慢出来るか問われれば、答えは迷わずノーだ。
暑さとは違う目眩に一瞬体がぐらつく。
「…ん、待てよ。じゃあ、一番隊は徒歩で巡察へ行っているのか?」
「いえ、パトカー組と徒歩組に分かれて行きました」
汗を拭った甲で煤をも顔中に広げながら、山崎は申し訳なさそうにそう口にした。
午後の巡察までに修理を間に合わせたかったが、この暑さの中、修理する側も命がけである。
結局人数分のパトカーは用意出来ず、何人かは徒歩で行かなければならなくなった。
誰だって、汗だくになって日の下を行くより、冷房完備の車で悠々と行きたいに決まっている。
言い争う隊士の光景が眼に浮かび、土方は眉を顰めた。
「んで、どう収集付けたんだ?」
「ジャンケン対決に決まりました。ちなみに、沖田隊長は負け組です」
沖田は隊長の権限をフルに活用し、不戦勝で冷房完備の車で行く気満々だった。
が、隊長がそんなでは他の隊士に示しがつかないと、きせに叱咤され正々堂々の勝負を行ったそうだ。
「総悟の奴、ざまーねぇな」
「そういえば副長、何か御用だったんじゃないんですか?」
「えっ!?いやっ…ち、ちょっと通りがかっただけだ」
一秒でも早く煙草を吸いたいが為に、私情でパトカーを拝借しようとした等と言えるわけもない。
思わず引き攣った笑みを浮かべ、手が空いていたばかりにパトカーの修理に勤しまなければならなくなった隊士達に激励を述べ、その場を後にした。
屯所の門を潜れば、容赦なく日差しが照りつけて来る。
吹き出て来た汗を甲で拭いながら、土方は日陰を捜して歩き始めた。
燦々と照りつける太陽から逃れるように、きせはシダレヤナギの下に出来た木陰を見つけるなり潜り込んだ。
額に浮かんだ玉のような汗を拭い、疎まし気に空を見上げる。
ごろつきの仲裁をしている間に沖田を見失い、この暑さから捜す気力も失せ、こうして一人で巡察しているのだが。
乾いた喉に、暑さにやられたか先程から頭痛もする。
「少し休憩しようかな…」
何処かで涼もうと木陰から出た瞬間、世界がぐらりと揺れる。
まずいと思った時には、体が平衡感覚を失っていた。
「おっと!」
ふらついた足取りのきせを、通りがかりの男が両肩を支え転倒を防いだ。
様子を伺うように顔を覗き込んで来る。
「おい、大丈夫か?」
「すみません、急に目眩がして……」
額に手をあて、ぼやけた視界のまま男を見上げるも、閃光のように突き刺さる太陽の日差しに頭がズキリと傷み再び俯く。
「あ、もしかして熱中症?」
苦悶するきせに、男は今朝テレビで見たばかりだという病名を口にした。
「となると、ここじゃ駄目だな。ちょっとこっち来い」
「え、うわっ!?」
言うなり、男はきせの腰に腕を差し入れ、軽々と小脇に抱え上げる。
そのまま小走りに走り始めると、状況を理解出来ないきせは抵抗とばかりに手足をばたつかせた。
「ちょっ、降ろして下さい!」
「静かにしてろって。悪化すんぞ」
確かに、少し暴れただけで頭を割るような痛みが襲う。
脈打つように痛む頭を抑え、身体に思うように力が入らない。
(悪い人に見えないし、いざって時は…)
きせは脇差を目で確認すると、ひとまず男に従うことにした。
男は、きせを路地裏にある小さな甘味処へと連れて来た。
古びた外観とは違い、店内は和の趣を感じさせるレトロな作り。
刺繍の美しい手鞠やお手玉等がそれと無く店内を飾り付け、背丈の違うこけしが一様に男ときせを出迎えた。
「こんな店、あったんですね」
「知る人ぞ知る隠れ名所ってやつだ」
店内をぐるりと見渡すきせは、男に抱えられたまま奥の座敷へと上がった。
そこで思いがけない人物と再会した。
「あぁ!沖田隊長!!!」
声を荒げたきせの視線の先、そこには氷山のようなかき氷を涼し気に貪っている沖田が居た。
怒りに顔を強張らせるきせに、沖田は眼を丸くして口に運びかけたスプーンを一時停止させる。
「サド丸?」
「誰がサド丸ですかっっ!!!こんな所でサボってたんですね!!今日という今日は副長に告げ口してやります!!」
「おいおい、あまり興奮すんなって。また具合悪くなるぞ」
拳をブンブン振り回し怒りを捲し立てるきせに、男が流れ弾を食らわないよう身を避ける。
はぁはぁと肩で息をし、言われ思い出したのか顔を青ざめさせた。
ぐったりとしたきせに、沖田はスプーンを置き腰を上げる。
「旦那、“また”って何の事ですかぃ」
「こいつ、熱中症になりかけてるんだよ」
ぴくっと眉尻を跳ね上げさせた沖田は、ほんの一瞬表情に翳りを見せるも、すぐに何事も無かったように頭を下げた。
「そいつぁ、俺のペットがとんだご迷惑をおかけしやした」
「誰がペットですか…って……ぁぅ…」
下僕からペットに格上げされたのか格下げされたのか、そんなどうでもいい事を考えながら、はきせうっと息を詰めた。
怒鳴る度に頭痛が激しさを増すならば、これ以上感情を高ぶらせるのは止めようと心に決める。
「まぁ、立ち話もなんですし旦那も座って下せぇ。サド丸、こっち来い」
沖田は両手を差し出して、まだ息の荒いきせを男の手から取り上げる。
そのまま座敷きに降ろされたきせは、沖田と男を交互に見上げ首を傾げた。
「もしかして、お二人はお知り合いですか?」
「この人は万事屋家業を営む、坂田銀時の旦那でっさ」
「万事屋って、あの局中法度第四十六条の?」
「なんだよ、局中法度第四十六条ってのは」
どうせろくな法度ではないと舌打ちする銀時は、沖田達の向かいに座る。
きせも古びた座布団を引き寄せ、沖田の横に座り直した。
「んでサド丸、お前具合悪いのか?」
テーブルに肘をつき、沖田はきせの顔色をそれとなく伺う。
店内が薄暗い照明なせいもあって確かではないが、何処と無く顔色は青白く見える。
「少し休めば大丈夫です」
今更気丈に振る舞う必要もないのにと、沖田は小さく鼻をならす。
そんな沖田の心境など知らぬきせは、改めて銀時に向かって深々と頭を下げた。
「一番隊隊士、神凪きせと申します。ご迷惑おかけして申し訳有りませんでした」
「いや、大した事してないし。そんなご丁寧に謝らなくていいから」
「蝦夷地は夏でももう少し爽やかな気候だったので、こちらの暑さに対して油断してました」
へぇと、銀時は注文を取りに来た女将にあれこれ頼みながら眼を丸くした。
「極寒の地だな。なんでまたこっちに?」
「祖父の死を機にこちらへ仕事を探しに来ました。向こうは職難で仕事が見つかりにくいので」
「なるほどな」
きせの身の上を横耳に、沖田はスプーンで氷山を崩し黄色い海の中に沈めると、レモン漬けとなった氷山を一口分すくい上げた。
「サド丸、こっち向け」
「はい、何で…むぐっ?」
振り向き様、開かれた口にスプーンを差し込まれきせは噎せ返りそうになる。
「……っっっ!!!!」
「熱中症には塩分と水分補給が大事だそうだ」
「いやいや、間違ってはないけどね。レモン味とはいえかき氷のシロップは砂糖慢性だぞ。意味ないって」
「安心して下せぇ旦那。俺のかき氷は百パーセントレモン汁でっさ」
「ひゃく…!?」
つぅと冷たい汗が頬を伝う銀時は恐る恐るきせを見やると、思った通り彼はあまりの酸っぱさに口を窄め悶絶していた。
「ほらサド丸。もっと食え」
「い、いらないです」
「遠慮すんなって、ほら」
「ちが、遠慮なんて…」
ブンブンと必死に首を振るきせの抵抗虚しく、沖田は雛の餌付けの如く次々とレモンたっぷりのかき氷を寄越した。
そんな沖田の顔が酷く残酷な笑みを浮かべている事に気付き、銀時は失笑する。
(さすがドS。介抱しながらも遊ぶ事は忘れない)
熱中症に効果あるのは塩分と水分と、あながち間違ってはいない。
強過ぎる酸味に悶えるきせから目を逸らし、自分にはどうしようもないと銀時は顳かみに手を当て俯く。
荒療法とはいえ沖田の百パーセントレモンかき氷を食し、銀時が注文してくれた冷梅茶で水分と塩分を補給したせいか、きせの頭痛はだいぶ和らいだ。
日も暮れ始め、気温も正午に比べ落ち着いて来ただろう。
「んじゃ、そろそろ帰るとしますか」
膝に手を付き立ち上がると、沖田は腰を折ってささっと靴を履き始める。
そして、そのままきせへと顔を背けると、促すように手招いた。
「ほらサド丸、乗れ」
「またサド丸って呼ぶ……だいたい、乗れって何処にですか?パトカーは屯所ですよ」
「何処って、見れば分かるだろ。おんぶだよ、おんぶ」
「おっ、おんぶぅ!?」
「具合悪いってのに、歩かせるわけいかねぇだろ」
「ご、ご心配には及びませんっ!自分で歩けますから!!」
顔を赤らめ嫌々と顔を振り続けるきせに、沖田は面倒くさそうにあからさまな溜息をついた。
「さっさとしねぇと、帰りが遅いって土方さんにどやされるぞ」
「そ、それは困ります、けど…」
体調を気遣っての事だと分かりながらも、羞恥が勝り厚意に甘えられない。
そんな二人のやり取りを黙って見ていた銀時は、カリっと髪を掻きむしる。
「ったく、どこまでも世話が焼ける」
銀時は、困惑したきせの両脇の下に手を差し入れ持ち上げた。
「さ、坂田さんっ!?」
「ほら、しっかり掴まらないと落ちるぞ」
慌てふためくきせを、問答無用で沖田の背に凭れかけさせる。
噴火しそうな程真っ赤なきせの顔など知りもしない沖田は、しっかりと背負い直し銀時にぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ旦那、何から何まで世話になりやした」
「ちゃんとこまめに水分補給しろよ」
「はい。今度、改めて御礼に伺いますから」
「いいっていいって、気にするな」
ひらひらと手を振る銀時に頭を下げ、沖田達は甘味所を後にした。
冷房の効いた世界とは一転、夕暮れ迫る時間とはいえやはり暑いに変わりない。
「あの、沖田隊長、そろそろ降ろして下さい。僕、自分で歩けますから」
周囲の眼が恥ずかしいとモジモジするきせに、沖田は聞く耳持たずといった様子で口を訊かなかった。
懇願するだけ無駄と分かると、きせもようやくおとなしく背負われた。
無言で帰路に着く二人の周囲に、たくさんのトンボが浮遊している。
壮大な夕焼け雲に見え隠れする太陽に眼を細め、きせはくすりと笑った。
「なんだか、懐かしいです」
「何がだ?」
「祖父が元気だった頃は、こうしてよく背負ってもらいました」
「へぇ」
思い出し笑いすると、きせはいつもより少し高い視界を楽しむ。
「父ちゃん母ちゃんは蝦夷地にいるのか?」
「父は僕が産まれる前に他界しました。母も僕が小さい時に亡くなってます」
「あぁ、なんだその、悪い…」
余計な事を訊いたと珍しくバツの悪そうな沖田に、きせは気にするどころか可笑しそうに笑った。
「僕、五人兄弟の末っ子なんですよ。兄一人、姉三人の大兄弟なんです」
「へぇ、賑やかだな。俺は姉ちゃんが一人だ」
「じゃあ、僕たち末っ子同士ですね」
「だな」
笑い合う二つの影が、夕日に照らされ河川敷を真っ直ぐ伸びて行く。
その先で、二人の影がもう一つの影とぶつかり重なった。
「あれ、土方さんじゃないっすか」
「おぅ総悟…と神凪か。こんな時間まで巡察か?」
「そうです、仕事熱心でしょ」
さらっと言ってのけた沖田とは対照的に、きせは申し訳なさそうにその背で縮こまる。
「このくそ暑い中ご苦労さん」
バレバレ過ぎる嘘に、土方は胡散臭そうに目を細めるだけ。
いつものお咎めは無く、盛大な溜息を吐き出すだけだった。
あっさり見抜かれると思いきや、労いの言葉をかけられるなど想定外。
沖田ときせは目を瞬き顔を見合わせる。
「土方さん、何か悪い物でも食ったんじゃねぇですかぃ」
「あ”ぁ?張り倒すぞコラ」
しかしよく見れば、煙草を加える口が力なく開かれ、肩で大きく息を繰り返す土方は全身汗に濡れていた。
先程までの誰かさんと同じように顔が青白い。
「もしかして土方さん、目眩と頭痛がしやせんか?」
「ん?ああ、よく分かったな」
「………」
再び顔を見合わせた沖田ときせは、思わず吹き出した。
そんな二人に、土方は怪訝な面持ちで首を傾げる。
「何だよ、お前ら」
「知ってますか土方さん、その頭痛と目眩はそこの川に飛び込むと治りやすゼ」
「知らねぇよ!馬鹿かテメェは。んな事で治るかっつーの!」
隙あらば川に蹴り落とそうとする沖田との攻防の末、ふらつく足で屯所に戻ってみれば
高速回転する扇風機の前で、青白い顔をした近藤が全身カサカサに乾涸びていた。
その日の夕餉には、真選組全員に沖田特性の百パーセントレモン汁のかき氷が振る舞われたとか。