偽りのカンパネラ
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朝靄が江戸街全体を覆う早朝。
明けきらぬ薄暗い世界から襖で隔てられた一室、土方は寝苦しさを紛らわすように幾度目かの寝返りを打っていた。
日中より気温は低いとはいえ、茹だる暑さに変わりはない。
「あークソ…っ」
苛立たし気に半身を起こし、眠る事を諦めた。
外に出て一番に煙草を吹かすと、煙が朝靄に溶け込んだ。
みな眠っているであろう屯所内は、酷く静まり返っている。
しかし、よく耳を澄ませば聞こえて来る風を切る音。
辿るように足を進めてみれば、中庭で竹刀を片手に素振りをしているきせがいた。
「なんだ、神凪。もう起きてたのか」
「おはようございます、副長。早いですね」
肩を上下させ呼吸を繰り返すきせは、全身汗に濡れていた。
その様子からして、随分長い事竹刀を振っていたに違いない。
武を上げようとする心意気は感心すべき所。
だが、蓄積した疲労を取らずに訓練しても、身になるどころか、かえって逆効果といえた。
「お前、あまり寝てねェだろ。訓練も大事だが、体を休める事も大事だぞ」
「はい、分かってはいるんですけど…」
諭して聞かせる土方に対し、なんとも言えない面持ちで口籠るきせ。
歯切れの悪い返事に、土方は怪訝に思い首を傾げる。
「なんだ?」
「えっと、みなさん、寝ている時も…賑やかな方達ばかり、なので……」
「………あ」
きせの言いたい事を脳内で変換し、土方はたまらず吹き出した。
「くっ、ははは!つまり鼾で寝そびれたってわけか」
「えっと、まぁ…はい、そういう事です」
気まずそうに視線を落とすきせは、乾いた笑いを零した。
平隊士に個室は与えらない。
隊事に一室割り当てられ、そこでみな寝起きをする。
入隊したばかりのきせも一番隊の彼等と部屋を同じくしているが、鼾と寝相の悪さに眠つく事が出来なかったのだろう。
仕方なしにこうして素振りをするものの、疲れて眠気を誘うどころかかえって目が覚めてしまったようだ。
「直に慣れる」
「そうだといいです」
土方は煙草の火を携帯灰皿に消すと、きせの持っている竹刀を顎でしゃくった。
「せっかくだ、お前の型を見てやる」
「いいんですか!?ありがとうございます!」
一対一の指導に喜ぶきせは、一礼した後直ぐにも竹刀を構えた。
風の抵抗を受けず滑らかな動きをするきせは、まるで舞でも踊っているかのようだ。
乱雑な動きは無く、品やかで優美なその動きに土方は感嘆と息を漏らした。
「その動き、我流か」
「はい、僕の祖父が武術に多少の心得がありましたので、幼い頃から習っておりました」
我流は、時としてかなりやっかいな相手である。
型にはまらない動きは読みにくく、先読みが困難だからだ。
それを輪に掛けたように、どうやらきせは左利きらしい。
人間の多くは右利きで、そうなれば誰しもが自ずと右利きへの態勢が身に付き対応しようとする。
左利きのきせは、右利きならではの自然かつ無意識の動きが無く、それは意表を突くに適していた。
斉藤も、この意表を突かれたに違いない。
「鍔に近く、両手を付けて刀を握ってみろ」
「こう、ですか?」
言われた通りに握り直すも、どうにもしっくりこない様子。
一般論としては、左右の手に感覚を持たせた握りの方が、相手の刀を受けたり刀をバランス良く持つには優れた握り方とされている。
「江戸の街は家室も含め路地も上下左右幅が狭い。そんな場所じゃ、長い刀は扱いにくくて隙が出来る」
「なるほど…」
江戸ならではの戦い方と言えよう。
きせは竹刀を正面に構え頭上から一気に振り下ろした。
半径が狭まっただけでなく、振り下ろしも素早い。
「すごい、接近戦には最適です」
「それを物にしろ」
「はい!」
気付けば朝靄は晴れ、屯所を囲む壁の向こうからは眩しいばかりの太陽が昇っていた。
晴々しい夏の一日が、今日もまた始まる。
真選組に新人隊士が入隊して一週間が経った。
意気揚々と真新しい隊服を身につけ、真選組の一員として新たな門出を切り意気込んでいた新人隊士達。
しかし、そんな活気もわずか一日で打ち砕かれる事となった。
鬼副長の名に偽りは無く、土方指導の元行われた訓練は想像を絶するほど厳しかった。
あまりの厳しさに、倒れて動けなくなる者も数多く。
加えて任務である担当区域の巡察、過激派による騒乱の鎮圧など、目紛しい日々に食事すら喉を通らない隊士もいる。
そんな中、鬼副長の早朝訓練を終えたばかりだというのに、疲労を感じさせない走りを見せる隊士がいた。
「沖田隊長ー!どこですかーっ!!」
照りつける夏の日差しを諸共せず、一番隊に配属されたばかりのきせが、沖田の名を叫びながら広い屯所内を右往左往している。
そんなきせの声を耳にした隊士達は、またかと同情を抱かざる負えない。
仕事を放り出し、手合わせできせの足下を掬ったアイマスクを着用しては悠々と昼寝にしゃれ込む沖田を、こうして身動きが可能なきせが一人探しまわる姿が度々目撃されていたからだ。
「もうーっ!沖田隊長ーーっっ!!」
声を張り上げながら中庭を走り去って行く。
それを見送る近藤は、憤怒のあまりプンプンと頭から蒸気が上がるのではと冗談めいた言葉を発し、それを想像して一人爆笑した。
「朝から元気だな、神凪君は。いや、若者はこうでなくちゃいかん」
「総悟のヤロー…隠れん坊させるために、神凪を一番隊にくれてやったわけじゃねぇぞ」
早朝訓練でかいた汗を簡単な湯浴みで流した土方は、濡れた髪をタオルで拭きながら眉間に皺を寄せる。
なにせ、きせは今回採用した隊士の中で一番の有能者だ。
自分でもなかなか厳しいと思う訓練に、不満一つ漏らさずしっかりと着いて来る。
朝も明けきらぬ頃から一人訓練していたにも関わらず、疲労は一切見せなかった。
そうなればこそ、これほどまでに育て甲斐のある隊士を沖田に任せるのが益々不満に思えてならない。
「面倒見れねぇなら、監察にまわしちまうぞ………聞いてんのか総悟」
土方は、低く唸る声を上げ縁の下を睨みつける。
「そいつぁ困りますわ、土方さん」
縁の下から声がすると思えば、沖田がひょっこりと這い出て来た。
愛用のアイマスクを外し、縁側にどっかりと腰をかける。
「サド丸9号は俺の大事な下僕…じゃなかった部下ですから」
「誰がサド丸9号だ。つーか今下僕って言ったよな」
「しかし、総悟。トシの言う事にも一理あるぞ」
眉間の皺をさらに刻みいきり立つ土方を宥め、近藤は沖田へと向き直る。
小柄な体格に身軽な動き、加えてきせの容姿は変装に打って付けとあり、監察として望まれる人材である事は確かだ。
現に、監察である山崎は一番隊に配属された今も、きせを監察への配属を熱望している。
「お前が神凪君を気に入っているのは分かるが、如何せん真選組も人手不足だ。面倒見切れんと言うなれば……」
「見つけました!!!」
「ぅわぉっ!?」
近藤の言葉を遮るようにして、きせが息急き切って駆け込んできた。
驚きのあまり裏返った声をあげる近藤に、傍らにいた土方も思わず釣られて肩を跳ね上げる。
「おぅサド丸9号。今日は遅かったじゃねェか」
「だ、誰がサド丸9号ですか…っ……もう…毎日毎日っ!」
「よしよし、どーどー」
沖田は相変わらずの調子で、沸き上がる怒りに体を震わせたきせの頭を勇めるように撫でた。
しかし、きせは顔をしかめ口を尖らせると、その手を払いのける。
「子供扱いは止めて下さいってば」
「十五歳なんざ、俺に言わせりゃ穴の青いガキだね」
「失礼な!僕の居た村では十五にもなれば立派な成人男子です!」
「都会じゃ十五はまだまだガキなんだよ、覚えておけサド丸」
「モラハラは止めねェか!」
「痛っ!」
ふんと鼻を鳴らし意地の悪い笑みを浮かべる沖田の頭を、土方は拳骨で一喝した。
容赦なく振り落とされた拳骨により、激痛の走る頭部を抑える沖田。
一方、言い合っていたはずのきせは沖田を気遣って心配そうにおろおろしている。
そんな三人のやり取りを一人穏やかな面持ちで見守っていた近藤は、ついに吹き出し豪快に笑い出した。
「そういえば神凪君、総悟を探していたのだろう?」
一頻り笑い終えた近藤は、大袈裟に痛がりきせの不安を煽る沖田の名を挙げる。
言われ思い出したのか、きせは慌てた様子で沖田の腕を引いた。
「午前の巡察は僕たちの班ですよ。早く行きましょう」
「しょうがねェ、サド丸の散歩に行くとするか」
気怠気に前髪を掻き上げると、沖田は渋々といった様子で歩き出した。
「巡察ですってば。それから、サド丸って呼ぶの止めて下さい」
「ヤダ」
連行されて行く沖田ときせの言い合いは、姿が見えなくなるまで土方達の耳に届いた。
ようやく静けさを取り戻すと、土方は高ぶった感情を沈める為に煙草を口にくわえる。
「ったく、どっちが面倒みてんだか分かりゃしねェ」
「なかなかいいコンビになりそうだな」
「そうか?」
終始笑みの絶えない近藤とは裏腹に、白い煙を空へと吐き出しながら、土方は朝から疲労困憊といった様子で重々しい溜息をついた。
何事もなく午前の巡察を終えると、きせは縁側に腰掛け一時の休息をとった。
ぶらぶらと足をぶらつかせていると、さわやかな風が汗に濡れた額を優しく撫でて行く。
太陽の日差しが入道雲によって軽減されると、途端に辺りが薄暗くなった。
それに顔をあげたきせは、風の訪れと共に軒下で鳴った風鈴に目を止める。
「なんでぇ、サド丸もそいつが気に入ったのか?」
沖田は大きな欠伸をしながらきせの隣に座ると、そのままごろりと横になった。
「あれ、沖田隊長が吊るしたんですか?」
「ちょっとした気まぐれってやつだよ」
「そうですか」
きせは再び風鈴へと視線を戻した。
風に弄ばれくるくると回る風鈴の中では、鬼灯が太陽の日差しを受け煌めいている。
「鬼灯か……」
ぽつりと呟くきせを盗み見る沖田は、寝そべったまま肘をつき半身を起こす。
「“偽り”」
「え?」
「コイツを買う時、聞きもしないのに店の店主が教えてくれた。鬼灯の花言葉だとさ」
語尾を欠伸で濁しながら、沖田はあのふざけたアイマスクを装着する。
「鬼灯の花言葉は“心の平安”とも言うんですよ」
「へぇ、そうかい」
くすりと笑う沖田は、もうこの話に興味はないといったふうで、きせに背を向け寝入る体勢に入った。
風鈴の鳴る音が、二人を遮る沈黙を緩和するように響く。
しばらくして、沖田の寝息が聞こえて来る。
硝子で出来た風鈴の一角に太陽が反射し、眩しさに眼を細めたきせは、促されるままに瞼を閉じた。
心の平安……その為に、僕は今ここに居るんだ。
明けきらぬ薄暗い世界から襖で隔てられた一室、土方は寝苦しさを紛らわすように幾度目かの寝返りを打っていた。
日中より気温は低いとはいえ、茹だる暑さに変わりはない。
「あークソ…っ」
苛立たし気に半身を起こし、眠る事を諦めた。
外に出て一番に煙草を吹かすと、煙が朝靄に溶け込んだ。
みな眠っているであろう屯所内は、酷く静まり返っている。
しかし、よく耳を澄ませば聞こえて来る風を切る音。
辿るように足を進めてみれば、中庭で竹刀を片手に素振りをしているきせがいた。
「なんだ、神凪。もう起きてたのか」
「おはようございます、副長。早いですね」
肩を上下させ呼吸を繰り返すきせは、全身汗に濡れていた。
その様子からして、随分長い事竹刀を振っていたに違いない。
武を上げようとする心意気は感心すべき所。
だが、蓄積した疲労を取らずに訓練しても、身になるどころか、かえって逆効果といえた。
「お前、あまり寝てねェだろ。訓練も大事だが、体を休める事も大事だぞ」
「はい、分かってはいるんですけど…」
諭して聞かせる土方に対し、なんとも言えない面持ちで口籠るきせ。
歯切れの悪い返事に、土方は怪訝に思い首を傾げる。
「なんだ?」
「えっと、みなさん、寝ている時も…賑やかな方達ばかり、なので……」
「………あ」
きせの言いたい事を脳内で変換し、土方はたまらず吹き出した。
「くっ、ははは!つまり鼾で寝そびれたってわけか」
「えっと、まぁ…はい、そういう事です」
気まずそうに視線を落とすきせは、乾いた笑いを零した。
平隊士に個室は与えらない。
隊事に一室割り当てられ、そこでみな寝起きをする。
入隊したばかりのきせも一番隊の彼等と部屋を同じくしているが、鼾と寝相の悪さに眠つく事が出来なかったのだろう。
仕方なしにこうして素振りをするものの、疲れて眠気を誘うどころかかえって目が覚めてしまったようだ。
「直に慣れる」
「そうだといいです」
土方は煙草の火を携帯灰皿に消すと、きせの持っている竹刀を顎でしゃくった。
「せっかくだ、お前の型を見てやる」
「いいんですか!?ありがとうございます!」
一対一の指導に喜ぶきせは、一礼した後直ぐにも竹刀を構えた。
風の抵抗を受けず滑らかな動きをするきせは、まるで舞でも踊っているかのようだ。
乱雑な動きは無く、品やかで優美なその動きに土方は感嘆と息を漏らした。
「その動き、我流か」
「はい、僕の祖父が武術に多少の心得がありましたので、幼い頃から習っておりました」
我流は、時としてかなりやっかいな相手である。
型にはまらない動きは読みにくく、先読みが困難だからだ。
それを輪に掛けたように、どうやらきせは左利きらしい。
人間の多くは右利きで、そうなれば誰しもが自ずと右利きへの態勢が身に付き対応しようとする。
左利きのきせは、右利きならではの自然かつ無意識の動きが無く、それは意表を突くに適していた。
斉藤も、この意表を突かれたに違いない。
「鍔に近く、両手を付けて刀を握ってみろ」
「こう、ですか?」
言われた通りに握り直すも、どうにもしっくりこない様子。
一般論としては、左右の手に感覚を持たせた握りの方が、相手の刀を受けたり刀をバランス良く持つには優れた握り方とされている。
「江戸の街は家室も含め路地も上下左右幅が狭い。そんな場所じゃ、長い刀は扱いにくくて隙が出来る」
「なるほど…」
江戸ならではの戦い方と言えよう。
きせは竹刀を正面に構え頭上から一気に振り下ろした。
半径が狭まっただけでなく、振り下ろしも素早い。
「すごい、接近戦には最適です」
「それを物にしろ」
「はい!」
気付けば朝靄は晴れ、屯所を囲む壁の向こうからは眩しいばかりの太陽が昇っていた。
晴々しい夏の一日が、今日もまた始まる。
真選組に新人隊士が入隊して一週間が経った。
意気揚々と真新しい隊服を身につけ、真選組の一員として新たな門出を切り意気込んでいた新人隊士達。
しかし、そんな活気もわずか一日で打ち砕かれる事となった。
鬼副長の名に偽りは無く、土方指導の元行われた訓練は想像を絶するほど厳しかった。
あまりの厳しさに、倒れて動けなくなる者も数多く。
加えて任務である担当区域の巡察、過激派による騒乱の鎮圧など、目紛しい日々に食事すら喉を通らない隊士もいる。
そんな中、鬼副長の早朝訓練を終えたばかりだというのに、疲労を感じさせない走りを見せる隊士がいた。
「沖田隊長ー!どこですかーっ!!」
照りつける夏の日差しを諸共せず、一番隊に配属されたばかりのきせが、沖田の名を叫びながら広い屯所内を右往左往している。
そんなきせの声を耳にした隊士達は、またかと同情を抱かざる負えない。
仕事を放り出し、手合わせできせの足下を掬ったアイマスクを着用しては悠々と昼寝にしゃれ込む沖田を、こうして身動きが可能なきせが一人探しまわる姿が度々目撃されていたからだ。
「もうーっ!沖田隊長ーーっっ!!」
声を張り上げながら中庭を走り去って行く。
それを見送る近藤は、憤怒のあまりプンプンと頭から蒸気が上がるのではと冗談めいた言葉を発し、それを想像して一人爆笑した。
「朝から元気だな、神凪君は。いや、若者はこうでなくちゃいかん」
「総悟のヤロー…隠れん坊させるために、神凪を一番隊にくれてやったわけじゃねぇぞ」
早朝訓練でかいた汗を簡単な湯浴みで流した土方は、濡れた髪をタオルで拭きながら眉間に皺を寄せる。
なにせ、きせは今回採用した隊士の中で一番の有能者だ。
自分でもなかなか厳しいと思う訓練に、不満一つ漏らさずしっかりと着いて来る。
朝も明けきらぬ頃から一人訓練していたにも関わらず、疲労は一切見せなかった。
そうなればこそ、これほどまでに育て甲斐のある隊士を沖田に任せるのが益々不満に思えてならない。
「面倒見れねぇなら、監察にまわしちまうぞ………聞いてんのか総悟」
土方は、低く唸る声を上げ縁の下を睨みつける。
「そいつぁ困りますわ、土方さん」
縁の下から声がすると思えば、沖田がひょっこりと這い出て来た。
愛用のアイマスクを外し、縁側にどっかりと腰をかける。
「サド丸9号は俺の大事な下僕…じゃなかった部下ですから」
「誰がサド丸9号だ。つーか今下僕って言ったよな」
「しかし、総悟。トシの言う事にも一理あるぞ」
眉間の皺をさらに刻みいきり立つ土方を宥め、近藤は沖田へと向き直る。
小柄な体格に身軽な動き、加えてきせの容姿は変装に打って付けとあり、監察として望まれる人材である事は確かだ。
現に、監察である山崎は一番隊に配属された今も、きせを監察への配属を熱望している。
「お前が神凪君を気に入っているのは分かるが、如何せん真選組も人手不足だ。面倒見切れんと言うなれば……」
「見つけました!!!」
「ぅわぉっ!?」
近藤の言葉を遮るようにして、きせが息急き切って駆け込んできた。
驚きのあまり裏返った声をあげる近藤に、傍らにいた土方も思わず釣られて肩を跳ね上げる。
「おぅサド丸9号。今日は遅かったじゃねェか」
「だ、誰がサド丸9号ですか…っ……もう…毎日毎日っ!」
「よしよし、どーどー」
沖田は相変わらずの調子で、沸き上がる怒りに体を震わせたきせの頭を勇めるように撫でた。
しかし、きせは顔をしかめ口を尖らせると、その手を払いのける。
「子供扱いは止めて下さいってば」
「十五歳なんざ、俺に言わせりゃ穴の青いガキだね」
「失礼な!僕の居た村では十五にもなれば立派な成人男子です!」
「都会じゃ十五はまだまだガキなんだよ、覚えておけサド丸」
「モラハラは止めねェか!」
「痛っ!」
ふんと鼻を鳴らし意地の悪い笑みを浮かべる沖田の頭を、土方は拳骨で一喝した。
容赦なく振り落とされた拳骨により、激痛の走る頭部を抑える沖田。
一方、言い合っていたはずのきせは沖田を気遣って心配そうにおろおろしている。
そんな三人のやり取りを一人穏やかな面持ちで見守っていた近藤は、ついに吹き出し豪快に笑い出した。
「そういえば神凪君、総悟を探していたのだろう?」
一頻り笑い終えた近藤は、大袈裟に痛がりきせの不安を煽る沖田の名を挙げる。
言われ思い出したのか、きせは慌てた様子で沖田の腕を引いた。
「午前の巡察は僕たちの班ですよ。早く行きましょう」
「しょうがねェ、サド丸の散歩に行くとするか」
気怠気に前髪を掻き上げると、沖田は渋々といった様子で歩き出した。
「巡察ですってば。それから、サド丸って呼ぶの止めて下さい」
「ヤダ」
連行されて行く沖田ときせの言い合いは、姿が見えなくなるまで土方達の耳に届いた。
ようやく静けさを取り戻すと、土方は高ぶった感情を沈める為に煙草を口にくわえる。
「ったく、どっちが面倒みてんだか分かりゃしねェ」
「なかなかいいコンビになりそうだな」
「そうか?」
終始笑みの絶えない近藤とは裏腹に、白い煙を空へと吐き出しながら、土方は朝から疲労困憊といった様子で重々しい溜息をついた。
何事もなく午前の巡察を終えると、きせは縁側に腰掛け一時の休息をとった。
ぶらぶらと足をぶらつかせていると、さわやかな風が汗に濡れた額を優しく撫でて行く。
太陽の日差しが入道雲によって軽減されると、途端に辺りが薄暗くなった。
それに顔をあげたきせは、風の訪れと共に軒下で鳴った風鈴に目を止める。
「なんでぇ、サド丸もそいつが気に入ったのか?」
沖田は大きな欠伸をしながらきせの隣に座ると、そのままごろりと横になった。
「あれ、沖田隊長が吊るしたんですか?」
「ちょっとした気まぐれってやつだよ」
「そうですか」
きせは再び風鈴へと視線を戻した。
風に弄ばれくるくると回る風鈴の中では、鬼灯が太陽の日差しを受け煌めいている。
「鬼灯か……」
ぽつりと呟くきせを盗み見る沖田は、寝そべったまま肘をつき半身を起こす。
「“偽り”」
「え?」
「コイツを買う時、聞きもしないのに店の店主が教えてくれた。鬼灯の花言葉だとさ」
語尾を欠伸で濁しながら、沖田はあのふざけたアイマスクを装着する。
「鬼灯の花言葉は“心の平安”とも言うんですよ」
「へぇ、そうかい」
くすりと笑う沖田は、もうこの話に興味はないといったふうで、きせに背を向け寝入る体勢に入った。
風鈴の鳴る音が、二人を遮る沈黙を緩和するように響く。
しばらくして、沖田の寝息が聞こえて来る。
硝子で出来た風鈴の一角に太陽が反射し、眩しさに眼を細めたきせは、促されるままに瞼を閉じた。
心の平安……その為に、僕は今ここに居るんだ。