偽りのカンパネラ
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暗灰色をした乱層雲が空全体を覆い、太陽の日差しが届かない江戸の町は、日中だというのに薄暗く身の凍る寒い日となっていた。
横殴りの北風が、立て付けの悪い襖をガタガタと揺さぶる。
「その後どうだ?」
吹かしていた煙草を消すと、土方は偵察から戻ったばかりの山崎を部屋に呼んだ。
連日春雨の動向を探る為に駆け回っていた山崎は、疲労から少し窶れた顔でこくりと頷く。
「港に停泊していた不審船ですが、昨夜動きがあり、大量の積荷が運び込まれました」
「中身は?」
「おそらく、武器や非合法の薬物ではないかと」
「やっぱりな。このタイミングからして、春雨の船とみて間違いなさそうだ」
「でも、確証は得てません。これといって、大きな動きも無いですし」
数日前から、江戸の港には一隻の古びた船が停泊していた。
無気味さを醸し出すその船は、まるで絵に描いた幽霊船のようで、港を利用する者達は誰も近づこうとはしない。
置き捨てられたのではないかと、巷では噂されている。
通報を受け真選組も現場を訪れたが、国籍も所有者も不明で八方塞がり。
一旦保留にされた一件だったのだが。
港から人気の無くなる深夜、甲板に武装した天人の姿を見かけたと、偶然通りがかった船乗りから再び通報を受けた。
辺りを見回ってすぐにも船室へと戻ってしまったらしいが。
「このまま張り込みを続けろ。必ず何か動きがあるはずだ」
「了解しました……あの、入院中の隊士二人、どうですか?」
「昼過ぎに総悟が様子を見に行って来たが、容態に何ら変わりはないそうだ」
「…じゃあ、神凪君の様子は?」
そこで土方は口籠ると、首を横に振った。
「食事はおろか口すら利いてない」
「そうですか……」
隊士二人が襲撃を受けた明朝、沖田に連れられ屯所へと戻って来たきせは、たった一晩で別人のように変わり果てていた。
瞳は生気を失い、笑みの絶えなかった顔からは感情が消え失せていた。
常に駆けていた脚は、自ら歩む事を忘れてしまったのか、沖田に手を引かれなければ歩みを止めてしまうほど。
まるで壊れた人形のようだと、誰しもがそう思った。
何かあったとすれば、二人の隊士を瀕死に追いやったあの晩。
意識の無い二人に聴取を取るわけにもいかず、かといってきせはあの調子。
沖田や土方が幾ら声をかけようと、きせは俯いたまま何も語ろうとはしなかった。
「あの夜の事がよほどショックだったんですね」
「だが、アイツが口を割ってくれない事には、こっちも動きの取りようがねぇ」
早くも煙草を欲した体の望むままに、土方は襖を開け煙草に火を付けた。
そこから見えた庭に、思わず手を止める。
奇麗に掃き掃除された庭の中央に、焚き火をした形跡が微かに残っていた。
燃える落ち葉を囲み、楽し気に笑っていた沖田とのきせ。
しかし、それも遠い記憶のように、屯所は静まり返っていた。
北風の吹き荒れる縁側で、きせは一人膝を抱えていた。
沖田から借りたままの襟巻をキツめに巻き上げ、そこに顔を埋め込む。
“真選組局長、近藤勲の首を献上せよ”
真選組隊士である自分は、屯所の中を自由に行き来出来る。
その気になれば、近藤と二人で対峙する事もそう難しくはない。
深夜に奇襲をかける事も。
好条件が揃った中で、近藤の暗殺など実に容易い仕事だった。
命令に従わなければ、老父は自分を見限るだろう。
そして、春雨に属する老父とは敵対する仲となり、二度と家族には戻れない。
(そんなの、嫌だ……)
そして、きせが抱えるもう一つの問題。
幕府の要人を暗殺した、罪人である自分。
このまま真選組に居座るわけにはいかなかった。
彼等に火の粉が降り掛かる前に、このまま姿を晦ましてしまおう。
そう思えど、きせの意志とは裏腹にその足はまったく動こうとはしなかった。
出て行かなければと思う度に、真選組で過ごした時間が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、決意を揺るがすのだ。
(ここに居たい……一緒にいたい)
我儘だって分かっている。
だが、この幸せを捨て去る事が出来ない。
もうどれだけの涙が流れたか。
瞳からは、湧き上がる泉のように涙が流れ落ちた。
そんなきせを、少し離れた柱の影から伺っていた沖田は、同じく様子を見に来た土方に出くわした。
沖田の様子を見て察した土方は、訊くまでもないかと頭を掻き毟った。
手持ち無沙汰の土方が、ポケットの煙草に手を伸ばした時。
「土方さん。俺、自分が情けねェよ」
こちらに背を向けぼそぼそ話し出した沖田に、土方は取り出したばかりの煙草をポケットに戻した。
「あんなに泣きじゃくって苦しんでるアイツに、何をしてやればいいのか分からないんでさァ……」
言葉を探しては声をかけ、優しく抱きしめて背を撫でても、きせは何も言わず泣き続けるばかりだった。
「俺、アイツの笑った顔が好きなんだ」
頬を膨らませ怒っていたと思いきや、姿が見えないだけで必死に探しまわったり。
頭を撫でれば、嫌々言いながらも嬉しそうに笑った。
自分の一言一言に反応するきせが、可愛くて仕方がなかった。
裏表なく、素直な感情を体いっぱいにぶつけてくるきせが、沖田は好きだったのだ。
だからこそ、許せない。
きせの心を苦しめる物全てが。
だが、それを突き止める術が今の沖田には何一つ思い浮かばない。
「教えてくれ土方さん。どうすれば、アイツの笑った顔を取り戻せるんだ」
爪が食い込み血が滲み出そうな程強く握られた拳が、行き場の無い気持ちを表しているかのよう。
沖田の背からも伝わる苦悩に、土方はポケットに手を突っ込み床へと視線を落とした。
「そんなん、知ってたらとっくに実行してら」
襲撃事件について、春雨が関与している可能性を危惧し、上から早く報告をするよう急かされている。
それでも、あの状態のきせから無理強いして聴取を取る気になれずにいた。
負けん気が強く、いつだって真っ正面から向かって来たきせの塞ぎ込んだ姿は、土方も見ていて辛い。
そっとしておく優しさもあるが、今のきせにそれは少し違う気もする。
が、話を訊いてやりたくても、本人にその意志がない。
どうする事も出来ず、沖田と土方は遠くきせを見据えたまま手を拱くしかなかった。
そんな二人の肩に、ポンと重く伸し掛かった温かく大きな手。
振り返ると、薄ら笑みを浮かべた近藤が立っていた。
「近藤さん…」
どちらともなくその名を呼ぶと、 近藤はそのまま二人の間をすり抜け、真っ直ぐきせの元へと歩いて行った。
「よっこいせっと」
掛け声を上げ腰掛けた近藤に、きせが少しだけ顔を上げる。
胡座をかき、閑散とした庭を見据える近藤の姿を目にするなり、頭が割れそうに傷んだ。
“真選組局長、近藤勲の首を献上せよ”
殺せ殺せと、老父の声が煩いくらい頭の中で木霊す。
まっすぐ近藤の目を見る事が出来ず、きせは視線を落とし奥歯を噛みしめた。
チリンー……。
鬼灯の描かれた風鈴が、小さくも美しくその音色を奏でさせた。
「この風鈴が吊るされた日だったな、神凪君が真選組へとやって来たのは」
程なくして口を開いた近藤に、きせがそっと視線を上げる。
応えるようにして、風鈴がもう一度だけ音を響かせた。
「俺はな神凪君、真選組の隊士を家族だと思ってる。無鉄砲で馬鹿な奴らばかりだが、みんな俺の大事な家族なんだ」
「…」
「良い行いをすれば目一杯褒めてやるし、間違った行いをするならば、それを叱咤し正してやる。それが家族ってもんだ」
「…」
「だから、俺は家族を代表して神凪君にお説教をしに来た」
「……ぇ…?」
近藤は、コツンと、まるで力の籠っていない鉄拳をきせの頭に下ろした。
目をパチクリするきせの瞳を捉えると、その両肩に手を置く。
「もっと俺達を頼れ。たくさん甘えて、信頼してくれ。俺達は家族なんだから」
「かぞ、く……僕も?」
「当たり前だろう」
近藤はその頭を優しく撫で、力強く頷いた。
老父とも沖田とも違った大きく骨太な手。
「局長…僕、は…」
泣き腫らした重い目蓋を下ろすと、涙が頬を伝い流れた。
「大丈夫。何があっても、俺達が神凪君を守る」
「局長…」
男気の中に深い愛情を込めた眼差しは、まるで太陽のように温かい。
闇の中に捕らえられていたきせの心に、一筋の光となって差し込んだ。
「……僕、みんなの事だいすきなんです」
懺悔でもするかのように、きせはぽつぽつと話し出した。
「……だか…ら……っ…みんなを悲しませる事…したく…ない…」
近藤はその頭を撫でながら、相槌を打ち耳を傾ける。
「ずっと、ずっと、一緒に居たい…」
胸の内を吐き出すように泣きながら言葉を紡ぐきせの背を、近藤は母が子にするように慈しみを持って優しく撫でた。
お気に入りのキャバ嬢に、悪質極まりないストーカー行為を繰り返すような呆れた男だが、熱い心意気に絶大な慈愛は、頑なに閉じられた扉を開く力を持っている。
だからこそ近藤の元には人が集まり、慕われるのだと、今再確認させられた気がした。
近藤に縋るきせの姿に、土方の顔にも安堵の笑みが浮かぶ。
「もう大丈夫そうだな」
「やっぱ、近藤さんには敵わねェや」
微笑する沖田の顔が、安堵で笑っているというより、敗北感から泣いているように思えた土方は、あからさまな溜息をついて見せた。
「ありゃ近藤さんの専売特許だ。真似しようったって、そう簡単にいかねェよ」
「……」
「そん時が来たら、誰に訊かなくとも気付くもんだろ。自分にしか出来ない事はコレだ、てな」
土方は煙草を口に銜えると、沖田を残し部屋へと戻っていく。
「俺にしか出来ない事、か」
置き土産のように残された言葉を噛みしめ、沖田はしばらくその場で佇んでいた。
屯所の隊士達が寝静まった深夜。
少しだけ開けられた浴室窓から、白い湯気が溢れ出ている。
中からは、叩き付けるシャワーの音がかれこれ数十分と続いていた。
熱いお湯を頭から被ったきせは、瞳を閉じ心を沈ませている。
(大丈夫、もう迷わない)
汚れと共に、心にぶら下がっていた鉛も一緒に流れ落ちていくよう。
眼を開けたきせの瞳は、以前の強い光が戻って来ていた。
火照った体に下ろしたての隊服を纏う。
すっかり板についた真選組姿の自分を鏡に映し、思わず微笑が漏れた。
老父の形見である刀を腰に差すと、物音一つ立てず外へと抜け出す。
たった一度だけ振り返り、親しんだ屯所をその目に焼き付けた。
「長い間、お世話になりました」
姿勢を正し、深々と頭を下げる。
そして、再び振り返る事はなく、闇の中を走り出したのだった。
横殴りの北風が、立て付けの悪い襖をガタガタと揺さぶる。
「その後どうだ?」
吹かしていた煙草を消すと、土方は偵察から戻ったばかりの山崎を部屋に呼んだ。
連日春雨の動向を探る為に駆け回っていた山崎は、疲労から少し窶れた顔でこくりと頷く。
「港に停泊していた不審船ですが、昨夜動きがあり、大量の積荷が運び込まれました」
「中身は?」
「おそらく、武器や非合法の薬物ではないかと」
「やっぱりな。このタイミングからして、春雨の船とみて間違いなさそうだ」
「でも、確証は得てません。これといって、大きな動きも無いですし」
数日前から、江戸の港には一隻の古びた船が停泊していた。
無気味さを醸し出すその船は、まるで絵に描いた幽霊船のようで、港を利用する者達は誰も近づこうとはしない。
置き捨てられたのではないかと、巷では噂されている。
通報を受け真選組も現場を訪れたが、国籍も所有者も不明で八方塞がり。
一旦保留にされた一件だったのだが。
港から人気の無くなる深夜、甲板に武装した天人の姿を見かけたと、偶然通りがかった船乗りから再び通報を受けた。
辺りを見回ってすぐにも船室へと戻ってしまったらしいが。
「このまま張り込みを続けろ。必ず何か動きがあるはずだ」
「了解しました……あの、入院中の隊士二人、どうですか?」
「昼過ぎに総悟が様子を見に行って来たが、容態に何ら変わりはないそうだ」
「…じゃあ、神凪君の様子は?」
そこで土方は口籠ると、首を横に振った。
「食事はおろか口すら利いてない」
「そうですか……」
隊士二人が襲撃を受けた明朝、沖田に連れられ屯所へと戻って来たきせは、たった一晩で別人のように変わり果てていた。
瞳は生気を失い、笑みの絶えなかった顔からは感情が消え失せていた。
常に駆けていた脚は、自ら歩む事を忘れてしまったのか、沖田に手を引かれなければ歩みを止めてしまうほど。
まるで壊れた人形のようだと、誰しもがそう思った。
何かあったとすれば、二人の隊士を瀕死に追いやったあの晩。
意識の無い二人に聴取を取るわけにもいかず、かといってきせはあの調子。
沖田や土方が幾ら声をかけようと、きせは俯いたまま何も語ろうとはしなかった。
「あの夜の事がよほどショックだったんですね」
「だが、アイツが口を割ってくれない事には、こっちも動きの取りようがねぇ」
早くも煙草を欲した体の望むままに、土方は襖を開け煙草に火を付けた。
そこから見えた庭に、思わず手を止める。
奇麗に掃き掃除された庭の中央に、焚き火をした形跡が微かに残っていた。
燃える落ち葉を囲み、楽し気に笑っていた沖田とのきせ。
しかし、それも遠い記憶のように、屯所は静まり返っていた。
北風の吹き荒れる縁側で、きせは一人膝を抱えていた。
沖田から借りたままの襟巻をキツめに巻き上げ、そこに顔を埋め込む。
“真選組局長、近藤勲の首を献上せよ”
真選組隊士である自分は、屯所の中を自由に行き来出来る。
その気になれば、近藤と二人で対峙する事もそう難しくはない。
深夜に奇襲をかける事も。
好条件が揃った中で、近藤の暗殺など実に容易い仕事だった。
命令に従わなければ、老父は自分を見限るだろう。
そして、春雨に属する老父とは敵対する仲となり、二度と家族には戻れない。
(そんなの、嫌だ……)
そして、きせが抱えるもう一つの問題。
幕府の要人を暗殺した、罪人である自分。
このまま真選組に居座るわけにはいかなかった。
彼等に火の粉が降り掛かる前に、このまま姿を晦ましてしまおう。
そう思えど、きせの意志とは裏腹にその足はまったく動こうとはしなかった。
出て行かなければと思う度に、真選組で過ごした時間が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、決意を揺るがすのだ。
(ここに居たい……一緒にいたい)
我儘だって分かっている。
だが、この幸せを捨て去る事が出来ない。
もうどれだけの涙が流れたか。
瞳からは、湧き上がる泉のように涙が流れ落ちた。
そんなきせを、少し離れた柱の影から伺っていた沖田は、同じく様子を見に来た土方に出くわした。
沖田の様子を見て察した土方は、訊くまでもないかと頭を掻き毟った。
手持ち無沙汰の土方が、ポケットの煙草に手を伸ばした時。
「土方さん。俺、自分が情けねェよ」
こちらに背を向けぼそぼそ話し出した沖田に、土方は取り出したばかりの煙草をポケットに戻した。
「あんなに泣きじゃくって苦しんでるアイツに、何をしてやればいいのか分からないんでさァ……」
言葉を探しては声をかけ、優しく抱きしめて背を撫でても、きせは何も言わず泣き続けるばかりだった。
「俺、アイツの笑った顔が好きなんだ」
頬を膨らませ怒っていたと思いきや、姿が見えないだけで必死に探しまわったり。
頭を撫でれば、嫌々言いながらも嬉しそうに笑った。
自分の一言一言に反応するきせが、可愛くて仕方がなかった。
裏表なく、素直な感情を体いっぱいにぶつけてくるきせが、沖田は好きだったのだ。
だからこそ、許せない。
きせの心を苦しめる物全てが。
だが、それを突き止める術が今の沖田には何一つ思い浮かばない。
「教えてくれ土方さん。どうすれば、アイツの笑った顔を取り戻せるんだ」
爪が食い込み血が滲み出そうな程強く握られた拳が、行き場の無い気持ちを表しているかのよう。
沖田の背からも伝わる苦悩に、土方はポケットに手を突っ込み床へと視線を落とした。
「そんなん、知ってたらとっくに実行してら」
襲撃事件について、春雨が関与している可能性を危惧し、上から早く報告をするよう急かされている。
それでも、あの状態のきせから無理強いして聴取を取る気になれずにいた。
負けん気が強く、いつだって真っ正面から向かって来たきせの塞ぎ込んだ姿は、土方も見ていて辛い。
そっとしておく優しさもあるが、今のきせにそれは少し違う気もする。
が、話を訊いてやりたくても、本人にその意志がない。
どうする事も出来ず、沖田と土方は遠くきせを見据えたまま手を拱くしかなかった。
そんな二人の肩に、ポンと重く伸し掛かった温かく大きな手。
振り返ると、薄ら笑みを浮かべた近藤が立っていた。
「近藤さん…」
どちらともなくその名を呼ぶと、 近藤はそのまま二人の間をすり抜け、真っ直ぐきせの元へと歩いて行った。
「よっこいせっと」
掛け声を上げ腰掛けた近藤に、きせが少しだけ顔を上げる。
胡座をかき、閑散とした庭を見据える近藤の姿を目にするなり、頭が割れそうに傷んだ。
“真選組局長、近藤勲の首を献上せよ”
殺せ殺せと、老父の声が煩いくらい頭の中で木霊す。
まっすぐ近藤の目を見る事が出来ず、きせは視線を落とし奥歯を噛みしめた。
チリンー……。
鬼灯の描かれた風鈴が、小さくも美しくその音色を奏でさせた。
「この風鈴が吊るされた日だったな、神凪君が真選組へとやって来たのは」
程なくして口を開いた近藤に、きせがそっと視線を上げる。
応えるようにして、風鈴がもう一度だけ音を響かせた。
「俺はな神凪君、真選組の隊士を家族だと思ってる。無鉄砲で馬鹿な奴らばかりだが、みんな俺の大事な家族なんだ」
「…」
「良い行いをすれば目一杯褒めてやるし、間違った行いをするならば、それを叱咤し正してやる。それが家族ってもんだ」
「…」
「だから、俺は家族を代表して神凪君にお説教をしに来た」
「……ぇ…?」
近藤は、コツンと、まるで力の籠っていない鉄拳をきせの頭に下ろした。
目をパチクリするきせの瞳を捉えると、その両肩に手を置く。
「もっと俺達を頼れ。たくさん甘えて、信頼してくれ。俺達は家族なんだから」
「かぞ、く……僕も?」
「当たり前だろう」
近藤はその頭を優しく撫で、力強く頷いた。
老父とも沖田とも違った大きく骨太な手。
「局長…僕、は…」
泣き腫らした重い目蓋を下ろすと、涙が頬を伝い流れた。
「大丈夫。何があっても、俺達が神凪君を守る」
「局長…」
男気の中に深い愛情を込めた眼差しは、まるで太陽のように温かい。
闇の中に捕らえられていたきせの心に、一筋の光となって差し込んだ。
「……僕、みんなの事だいすきなんです」
懺悔でもするかのように、きせはぽつぽつと話し出した。
「……だか…ら……っ…みんなを悲しませる事…したく…ない…」
近藤はその頭を撫でながら、相槌を打ち耳を傾ける。
「ずっと、ずっと、一緒に居たい…」
胸の内を吐き出すように泣きながら言葉を紡ぐきせの背を、近藤は母が子にするように慈しみを持って優しく撫でた。
お気に入りのキャバ嬢に、悪質極まりないストーカー行為を繰り返すような呆れた男だが、熱い心意気に絶大な慈愛は、頑なに閉じられた扉を開く力を持っている。
だからこそ近藤の元には人が集まり、慕われるのだと、今再確認させられた気がした。
近藤に縋るきせの姿に、土方の顔にも安堵の笑みが浮かぶ。
「もう大丈夫そうだな」
「やっぱ、近藤さんには敵わねェや」
微笑する沖田の顔が、安堵で笑っているというより、敗北感から泣いているように思えた土方は、あからさまな溜息をついて見せた。
「ありゃ近藤さんの専売特許だ。真似しようったって、そう簡単にいかねェよ」
「……」
「そん時が来たら、誰に訊かなくとも気付くもんだろ。自分にしか出来ない事はコレだ、てな」
土方は煙草を口に銜えると、沖田を残し部屋へと戻っていく。
「俺にしか出来ない事、か」
置き土産のように残された言葉を噛みしめ、沖田はしばらくその場で佇んでいた。
屯所の隊士達が寝静まった深夜。
少しだけ開けられた浴室窓から、白い湯気が溢れ出ている。
中からは、叩き付けるシャワーの音がかれこれ数十分と続いていた。
熱いお湯を頭から被ったきせは、瞳を閉じ心を沈ませている。
(大丈夫、もう迷わない)
汚れと共に、心にぶら下がっていた鉛も一緒に流れ落ちていくよう。
眼を開けたきせの瞳は、以前の強い光が戻って来ていた。
火照った体に下ろしたての隊服を纏う。
すっかり板についた真選組姿の自分を鏡に映し、思わず微笑が漏れた。
老父の形見である刀を腰に差すと、物音一つ立てず外へと抜け出す。
たった一度だけ振り返り、親しんだ屯所をその目に焼き付けた。
「長い間、お世話になりました」
姿勢を正し、深々と頭を下げる。
そして、再び振り返る事はなく、闇の中を走り出したのだった。
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