花を知らぬ者
指名変更
この小説の夢小説設定1章はくノ一「緋華」で統一しています。
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村を発って、緩やかな山道を下りながら、緋華と利吉は中継地となる宿場町を目指していた。
その道中、山の分かれ道に設けられた仮の伝令所で、ふたりは足を止めることになる。
「緋華殿、山田殿。
お二人に追加任務の通達です」
若い伝令忍が差し出した巻物は、封が焔の印だった。
だが、緋華が封を切って目を通すと、その文面に微かな違和感があった。
城下の商家・橘屋。
情報漏洩の疑い。
抵抗の有無を問わず、速やかに処理を。
詳細不要。報告のみ。
緋華が視線を落としたまま言う。
「……処理任務。対象は非戦闘者」
「加えて“詳細不要”の文言まで。従来の焔殿の書式ではありません」
利吉も巻物の端をなぞるように見つめながら、低く言った。
「おそらく、命令の構成を組んだのは……蒼蓮」
言葉を飲み込むように、緋華は静かに目を閉じた。
(私の“変化”を、見ている)
蒼蓮なら空白に気づかないはずがない。
そして、彼は空白を“見逃さない”性質だった。
任務を与えるのではなく、“試す”ように。
感情を持ったまま、刃であり続けられるのか―
「指示には従うわ」
緋華は短く答えた。
「……私も同行します」
利吉の返事も同じく簡潔だった。
だが、彼の声音には、わずかな違和感を察知している気配があった。
そして、それをあえて口にしない優しさもまた。
ーーーーーー
城下の路地裏、夕暮れの影がゆっくりと家並みに沈み込んでいく時間。
人通りの少ない通りに建つ商家・橘屋の裏口に、緋華と利吉は静かに立っていた。
「こちらの入りは、私が確認します」
利吉が合図を送り、先に敷地内へ滑り込む。
緋華は気配を押し殺しながら、間を置いて続いた。
家の中は静かだった。
人の気配は、ひとつ。
帳簿の音。息遣い。焦りも、警戒もない。
まるで、自分が狙われていることなど、知らぬままの人間だった。
(……私が、これから殺すのは)
扉を滑らせると、男がひとり、帳面を手に座っていた。
五十前後。
眼鏡の奥の目は、疲れと不安を抱えながら、それでも家の灯を守ろうとする者のものだった。
緋華が足音を立てぬまま近づいても、男は背中を向けたまま気づかない。
(……)
一歩、また一歩。
刀の柄に手をかける。
“問わず、殺せ”――それが任務だった。
迷うな。
遅れるな。
感情は、毒だ。
けれど――
「お願いだ。うちの者には、手を出さないでくれ」
その声は、振り返ることなく、ぽつりと響いた。
緋華の足が、止まった。
男はゆっくりと帳面を閉じ、息を吐いた。
「どうせ、私はもう長くはない。
でも、うちにはまだ、娘がいる。……妻も、年寄りも。
誰かがここに、残らなければ」
声は震えていなかった。
だが、恐怖がなかったわけではない。
ただ、その男は、家族のために、静かに覚悟を固めているだけだった。
(……私は、何をしに来た?)
脳裏に、あの夜の焚き火。
そして、かつて処刑された部下の、涙声がよぎる。
『あの子だけは、生きてほしいって……だから、逃がしました』
あの子の命は、刃ではなく、“迷った感情”が救った
今、自分の手は誰を裁こうとしている…?
答えを出す前に、緋華は刃を抜いた。
そして、振り下ろした。
音は、極めて静かだった。
男の首筋に血が滲み、ゆっくりと体が前に崩れた。
目を閉じたまま、男は何も言わなかった。
血の匂いが、室内に広がっていく。
刃は、確かに命を断った。
(私は“殺せた”のか?)
刀を鞘に納めながら、緋華は自問していた。
自分の中に、何かがこびりついていた。
それは、後悔でも、恐怖でもなく。
ただ、痛みだけが、静かに胸にあった。
⸻
外で待っていた利吉が、気配を察して振り返る。
「……終わりましたか?」
緋華は頷いた。
「任務は完了した」
そう言う自分の声が、どこか遠く感じられた。
ーーーーー
任務を終え、緋華と利吉は連れ立って城へ戻った。
足取りは迷いなく、けれど胸の奥には、それぞれに重みが沈んでいた。
報告のために通されたのは、城の奥の書院。
焔が執務を行う、決して広くはないが落ち着いた空間だった。
「任務ご苦労だった」
焔はいつも通りの調子で迎え入れた。
緋華と利吉が並んで膝をつき、簡潔に報告を始めた。部屋の一角に、もうひとつの気配があった。
視線を向けると、薄い光の差す障子の前に、蒼蓮が立っていた。
焔は何も言わず、蒼蓮もまた沈黙を守っていたが、彼がそこにいるだけで室内の空気が明らかに変わった。
緋華は感情を動かさぬまま、任務の内容と結果を述べた。
利吉も、必要最小限の補足のみを加える。
報告が終わり、焔が頷きを返した直後だった。
「──鈍っていないな」
蒼蓮の声が、静かに落ちた。
その言葉に感情はなかった。
まるで、道具の状態を確認するような響きだった。
緋華の視線が、一瞬だけ蒼蓮を捉えた。
「……当然です」
そう返した声は、揺れていなかった。
けれど、その胸の奥では何かが冷たく張り詰めていた。
蒼蓮はそれ以上何も言わなかった。
だが、その沈黙が何より雄弁だった。
“見られていた”
それは、ただの評価ではない。
警告でも、裁きでもない。
あくまで“確認”
──まだ、命令に従えるかどうかの。
報告を終えて書院を出たあとも
緋華の背中には、蒼蓮の視線の残滓が確かに張りついていた。
それを利吉は何も言わず、ただ隣で歩き続けていた。