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ワンライ参加


鉢屋くんが怒っている。
さっき声をかけたら、なぜだかいつもよりちょっとだけ声が冷たかったし、素っ気なかった。

別に、喧嘩したわけじゃない。
別に、ぼくが怒らせるようなことをしたわけじゃない……と思う。
確かに今日もランチを決める時にちょっとだけ迷ってしまったけど、それはちゃんと謝ったし、鉢屋くんはいつも通り「不破くんはしょうがないなあ」と言って笑ってくれた。

ついさっきまでは普通だったのに。
いつものように夕食をみんなで食べて、お風呂に入って、明日は初めて変装の授業があるから鉢屋くんに少しだけ極意を教えてもらって、そして変装を見せてもらった。

ヘムヘム、山田先生、学園長先生。
食堂のおばちゃんに、久々知くんと尾浜くん。

鉢屋くんはすごかった。
そっくりそのままそこに本人がいるようにすぐに次々と顔を変えて、本当にすごかった。
だからすごいね!って伝えたら、鉢屋くんは嬉しそうに笑ってくれた。それがほんとうに嬉しくて、もっともっととねだったのが本当は迷惑だったのだろうか。

「ねえ、鉢屋くん」

八左ヱ門の顔をした鉢屋くんの肩がビクッと跳ねるから、聞こえてるってことは分かった。

でも、こっちを向いてくれない。
返事もくれない。

「鉢屋くん、ぼく何かした?」

ふるふると首が横に振られる。
何もしてないって。
じゃあ、一体何なんだ。

「鉢屋くん、怒ってるの?」

今度は何も返してくれない。
なんで?どうして?頭の中で繰り返しても答えが分からず、ぼくは頭の中が真っ白になった。
自然と目から涙が出てきて、悲しい気持ちが抑えられなくなる。
泣いてることが鉢屋くんにバレたら、きっとなんて弱虫なんだって思われるかもしれない。
それはぼくの矜恃に関わるし、鉢屋くんに呆れられてしまうかもしれない。
だからぼくは堪えたけれど、ボロボロと流れる大粒の涙はぼくの気持ちに反して止められないし、泣けば泣くほど悲しくなってついに声まで出てしまった。

「不破くん!」

さっきまでダンマリだった鉢屋くんが、ビックリした顔をしてぼくの方にやってきた。

「は、はちやくん、ごめ」

慌てふためく鉢屋くんを見て、ぼくは何とか泣くのをやめようと頑張ったけど、上手くいかない。

「不破くん、ごめん。私のせいで」
「はちやく、おこって」
「怒ってない。怒ってないよ。だから泣き止んで」
「ほんと? ほんとに?」
「ほんとだよ、ほんとだから泣き止んで」
「怒ってない?」
「怒ってない」

なんだ、怒ってなかったんだ。
ぼくの勘違いだったんだ。

「よかったあ!」

そう思うと同時にほっとして、今度はまた別の意味で涙がぽとぽとと溢れ出した。

そうしたら、そんなぼくを見て今度は鉢屋くんが泣き出した。だからぼくはビックリして、涙が止まってしまった。

「鉢屋くん、どうしたの?」
「らいぞーが」
「ぼくが?」
「らいぞーがずっと泣いてるから」

今度はぼくが慌てて謝った。

「ぼくのせいで、ごめんね」
「違う、雷蔵は悪くない」
「ぼく、もう泣いてないよ。悲しくないよ。だから、三郎も泣き止んで」

そう言った途端、三郎が驚いた顔をして涙をひっこめていた。

「…………今、なんて?」
「え?」
「雷蔵、今なんて言った?」
「え? 三郎、泣き止んで?」

三郎の言うことがよく分からず、ぼくはぼんやりと三郎の目を見つめた。三郎もこっちをポカンとした顔で見つめてくる。

「三郎、仲直りしよう」
「雷蔵、仲直りしよう」

涙で真っ赤になった目を合わせて、ぼくらは笑いあった。

◇◇◇◇◇◇

――そういえば、そんなこともあったなあ

明日は1年は組の変装の授業を手伝うんだ!と張り切る三郎を眺めながら、雷蔵は懐かしい記憶を思い出していた。

「ねえ、三郎」
「どうした、雷蔵?」

どっちの面にしようかとやけに楽しそうに準備する三郎が顔もあげずに返事を返してくる。その顔は、いつもの雷蔵の顔ではなくしんベヱの顔だ。
一緒にいるのに、もう三郎の心は明日の授業にあるみたいな気がして雷蔵は少しだけ面白くない気持ちになる。

「1年生のときのこと、覚えてる?」
「1年生の?」

三郎がやっと顔をあげてこちらを見たから、雷蔵はほんの少しだけ心のモヤモヤが晴れたような心持ちになった。

「うん。 ほら、はじめての変装の授業の前の日」
「あー、あの日か」
「そう、あの日さ。三郎、なんで怒ってたの?」
「……怒ってないよ」
「嘘だ。絶対、機嫌が悪かったじゃないか」

三郎が手を止めて、黙っている。
このまま誤魔化すつもりかもしれないけど、そうは問屋が卸さない。雷蔵はじっと三郎を見つめ続けた。すると、こちらは見ずに三郎がポツリと呟いた。

「……笑わない?」

見ると首が真っ赤に染まっている。

「うん、笑わない」

だから、雷蔵は神妙にうなづいた。
すると、三郎はしばらく考える素振りを見せてから本当に本当に小さな蚊の鳴くような声で呟いた。

「……嫉妬してたんだ」

君が、八左ヱ門のことを名前で呼ぶから。

今度は、雷蔵が顔を真っ赤に染める番だった。何だそんなことで、と思う気持ちとああ何となく分かるかもしれないという気持ちが混じり合う。

「あのさ、三郎」
「……何?」
「僕も今ちょっとだけ嫉妬してるって言ったら、どうする?」
「…………え!?」

――雷蔵、どういうこと

三郎の大きな声が響いたその少しあと。
ガタっと立ち上がる部屋の中で音が響いて、ふたつの影が重なった。
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