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短編(鉢雷)

――バレンタインデーはあんまり好きじゃない

なんて口に出してしまったら僻みだと思われそうで絶対に言わないけれど、これは僕の本心だ。

繁華街に入ってすぐそこにあるハンバーガーショップは、今日もいつも通り混雑していた。
片田舎にある唯一のファストフード店であるこの店は、僕らが通う高校の生徒たちの放課後のたまり場だ。
僕、三郎、八左ヱ門、兵助、勘右衛門の5人は例のごとく部活終わりにこの店に集まって帰宅までの短い時間を過ごしていた。
きっかけは何だったか。甘い物が好きな勘右衛門が、期間限定の『いちごチョコシェイク』と『とろーり甘いチョコポテト』を注文したことだった気がする。そうだ。その見るからに甘そうな商品を見て、僕らはもうすぐバレンタインデーがやってくることを思い出したのだ。

「チョコレートより、豆腐の方が嬉しいけど」

斜め上の発言を、至極真面目に発言した兵助に僕らの注目が集まる。この優等生は、何がどうしてそうなったか、"前世"も"今世"も大の豆腐好き、豆腐小僧だ。

そう前世。
僕には前世の記憶がある。

忍者のたまごとして修行を積み、戦国の世を駆け、そして一度目の生をまっとうした記憶がぼんやりと残っていた。

そして、僕の親友である彼らもまた、同じ時代を駆け抜け戦友たちだ。

残念ながら僕以外のみんなはあの頃の記憶を失っている。時々寂しくはなるけれど、記憶の中には思い出したくなかったものも少なくはないから、出来ればみんなには辛い記憶は思い出して欲しくはないとも思う。

そんなことよりも、今は僕らがこうして偶然にも再会し、こうして笑いあっているだけで、僕は嬉しかった。中でも三郎に至っては、家が隣同士の幼なじみ。前世と変わらず僕とおんなじ顔なのだから驚いたものだ。

――そう、三郎。鉢屋三郎。

「おほー! いいよなあ、兵助は。 いっぱいチョコがもらえるからこそ言える台詞だぞ、それ!」
「ほーんと、男前はやっぱり違うよな」
「とかいって、三郎も毎年そこそこもらってるんだろ? いいなー、俺にちょうだい!」
「嫌だね」
「えー、三郎のケチ!」
「ケチで結構だ」

僕とおんなじ顔をして、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら相槌を打つ三郎を横目に、僕は胸の中にモヤモヤとした影を感じてしまう。慌てて口に含んだバニラシェイクは、甘いはずなのにどこか苦く感じてしまった。

三郎は、前世の僕の一番の親友だった。
でも、本当はそれだけじゃない。

――僕と彼は前世で恋仲だった。

学生時代に想いを通わせ、卒業してからは同じ城に仕えた。そうして、ずっと一緒に生きていた。最後の瞬間まで、僕と三郎は一緒だった。来世でもまた……僕らはそう誓いあって、一度目の人生を終えたのだ。

だから、三郎に再会した幼いあの日。記憶を思い出した僕は、嬉しくて堪らなかった。約束を果たせたのだ。しかも、三郎は僕とおんなじ顔をしていた。その事実は、紛れもない彼の想いを僕に伝えてくれた。
だから、あの日涙を流す三郎が記憶を持っていないことに気がついても、僕は何も言わなかった。言葉がなくても、僕らがまた一緒にいられることに感謝しようと思った。

でも、最近の僕は欲張りになっている。
今世でも、彼がいつだって僕を特別扱いしてくれていることも、僕のことを信頼してくれていることも、僕は全部分かっていた。
でも、その上で僕は三郎に対して抑えきれない気持ちを抱えてしまっている。

でも、三郎には記憶がない。
だから毎年、バレンタインデーの時期になると僕は憂鬱だ。三郎が女の子からチョコをもらって照れくさそうにしている様子を見るのも、もしかしたら誰かと付き合うことになるんじゃないかと思ってしまうことも、全部全部嫌だった。何より、一番嫌なのは、三郎の幸せを心の底から願えない自分の心に気付いてしまうことだった。

だから、
僕はバレンタインデーがあんまり好きじゃない。

「でもさあ。結局は数より誰にもらうか、だろ! なあ、雷蔵」

八左ヱ門に同意を求められて、僕は慌ててうなづいた。正直、心ここにあらずな状態になっていたから話の流れを把握しておらず、頭の中はパニックだ。

「な! 雷蔵も言ってるだろ~」

八左ヱ門が満足気に笑うと、まあ確かにそうだよなとみんなもそれぞれうなづいている。
どうやら、この話はここで終わってくれそうで、僕は密かにそっと胸をなで下ろした。

◇◇◇◇◇◇

その日は、もう遅いからそこでお開きになった。店を出た僕らは、途中まではみんな一緒に帰ったが、勘右衛門と兵助は、反対方向に向かう電車に乗るから改札で別れた。八左ヱ門とは同じ電車に乗るけれど、彼は一駅隣で降りるから「また明日!」と元気に去っていく背中を見送った。そうして、いつも僕と三郎は最後はふたりきりで帰ることになる。

「雷蔵」

三郎が僕を呼びかけてきたのは、電車を降りて、街頭すらほとんど無い薄暗い田舎の畦道を歩いていたときだった。
さっきまでは明日のテストのことだとか、先生への愚痴だとかたわいも無い話で盛り上がっていたのに、急に視線を逸らして明後日の方向を向きながら言うものだから僕はピンときてしまった。

「なあに、三郎」

その、いつもとほんの少し違う空気に気が付かないフリをして、僕は平然と答えを返す。三郎は、何でもないように振る舞いながら、僕を伺うような眼差しで聞いてきた。

「雷蔵は、誰からチョコが欲しいんだ?」
「えー、そんなの照れるじゃないか。いくら三郎でも、言わないよ」

どくん、と心臓が跳ねる。

「なんだ? その答えを返すってことはまさか雷蔵、意中の誰かがいるのか?」
「そういう三郎こそ、誰か目当ての人でもいるんじゃないの」

揶揄うように笑顔を作ってみたけれど、上手くいっているのか自信がなかった。夕方の薄寒い風が身体を凍えさせているにも関わらず、僕の手は汗ばんでいる。

「いるよ」

背中から冷や汗が伝った。

「え? 僕が知ってる人?」
「うん、雷蔵も知ってる」
「誰?」
「秘密」
「……どんな人? 同級生?」
「同級生。でも、これ以上は言わない」
「何でさ、教えてよ」
「雷蔵だって言わないくせに」

知りたくもないくせに僕の口は止まらなかった。次から次へと言葉が滑り出していくのに、頭の中は真っ白になっていく。ケラケラと笑う三郎が恨めしいのに、返す言葉が思いつかなくて僕は不自然に相槌をうった。

「いや、まあそうだけど……」

そんな僕を、三郎は黙って見ていた。
僕が悩んでいる時、彼はそうやって待ってくれるか、好きなことをして過ごして待ってくれる。だから、今も悩んでいると思われているのだと思った。だが、今日は少し違った。三郎はほんの少し考える素振りを見せたあと、イタズラっぽく笑ってこんなことを言ってきた。

「雷蔵からのチョコ、欲しいな」
「えっ……!?」

驚く僕を見て、三郎がどんな反応を返したのか、何となく気まずくて僕はその表情を見ることが出来なかった。
一体なんだって言うんだ。もしかして三郎はおかしなものでも食べたんじゃないか。もしくは、僕をからかっている? それとも、前世の記憶を思い出したのか……?

「ほら、友チョコ。流行ってるだろ?」
「ああ、なるほど……?」

確かに、女の子たちは仲良し同士で毎年チョコレートやクッキーを交換しているような気がする。もしかしたら僕が知らないだけで、最近はみんなでお菓子を交換するブームなのだろうか。それとも、三郎はまた何か新しい"楽しみ"を思いついたのだろうか。

考えれば考えるほど分からなくなって、僕は頭を抱えたくなった。

「ごめん、雷蔵。そんなに悩むと思わなくて」

気がつけば、三郎がいつものように僕を見ていた。

「冗談、だよ」

目が覚めるような冷たい風が、僕らの間を吹き抜けた。

◇◇◇◇◇◇

あっという間に、バレンタインデー当日がやってきた。学校全体がいつもよりもどこか浮き足立っていて、気のせいか先生たちまでそわそわと落ち着かないように見える。
僕らの学校は自由な校風がウリだから、授業中に食べないならお菓子の受け渡しは公に認められていた。だから、教室の扉を開けた瞬間目の前に飛び込んできたのは、クラスの女子たちが黄色い声をあげながらお互いのチョコレートを交換していた光景だ。

「不破くん、鉢屋くん! はい、チョコレート!」
到着した僕たちに、待ってましたとばかりに近寄ってきて小さなチョコを数個渡してきた女子は、僕らの後に到着した同級生にもチョコを手渡しに行っている。みんなに配っているのだろう。

(ほんとに、友チョコって流行ってるんだ)

もしかしたら僕が無関心だっただけで、ずっと前からそうだったのかもしれないけれど、正直なところ昔ながらのバレンタインデーを楽しんでいる人よりも友チョコを楽しんでいる人の方が多いんじゃないかと思った。

「雷蔵! 三郎!」
「はっ、八左ヱ門!?」

席に着くと同時に、先に学校に到着していた八左ヱ門がやけに笑顔で声をかけてきたので僕はビックリしてしまった。

「見てくれよ~、ほら!」

八左ヱ門の手に握られている紙袋の中には、小さな包み紙に入ったチョコが見えた。

「ほら、クラスの女子に声掛けたらもらえたんだ!」
「どうせ義理チョコだろ」
「何だよ、三郎! 義理だって立派なチョコだろ。な、雷蔵」
「うん、美味しそうだね」

三郎と八左ヱ門が楽しそうに話している。僕は相槌を打ちながら、こっそり制服のポケットを触る。いつもより膨らんだポケットがカサリ、と音を立てた。

――雷蔵からのチョコ、欲しいな

あの日の三郎の声が脳に響く。
冗談だと言った三郎の言葉が忘れられず、僕はあの日から悩んで悩んで悩み尽くした。

スーパーの催事コーナーでチョコを眺めていたら近所のおばちゃんに声をかけられて気まずかったし、通販のチョコ特集をひたすら眺めてお小遣いを数えたりした。
友チョコに便乗して、三郎にあげてみようかなと魔が差したのだ。

秘密にしてはいるけれど、三郎とは前世恋仲だったわけで。三郎は分からないけど、僕は今も三郎が好きなわけで。バレンタインデーに、興味がなかったわけではないのだ。

結局、迷いと照れが災いして、僕が用意できたのはワンコインでたくさん買える懐かしの小さな四角形のチョコだけだった。見るからに友チョコだと分かるそれをお母さんからお使いを頼まれて買いに来た醤油と豆腐に紛れ込ませるだけで、僕はこの人生の一生分のドキドキを経験しているかもしれないとその時は思った。

だが、今はもっとドキドキしていた。
ポケットに入れたのはいいけれど、いつ渡せばいいんだろう。このまま、この話に便乗してふたりに渡してしまえば目標は達成出来るんじゃないか。思考がグルグルして、僕はまた悩んでいた。迷い癖は前世から変わらない僕の悪癖だった。

「おーい、お菓子は片付けろ~! HRの時間だ!」

そうしているうちに、担任が教室に入ってきて大きな声でそう告げた。三郎と八左ヱ門が席へと戻っていく。
ガッカリする気持ちが半分、どこかほっとする気持ちが半分。僕も自分の座席に着いて、教科書を準備し始めた。

◇◇◇◇◇◇

まずい。このままじゃ、いつまでも渡せない。
僕は内心焦っていた。

一限目の数学のあとは、体育の授業だったから着替えと移動に時間がかかってしまって、渡すチャンスがなかった(と言い訳させて欲しい)

3限目から4限目の間も同じで、昼休みの今ようやくそのチャンスがやってくるかと思ったのに、僕はお昼の授業に向けて教材を運ぶように先生に言いつけられてしまった。
たまには日直に頼もうと言った先生が恨めしい。

いつもなら三郎が着いてくるけれど、僕はこんな日にお弁当を忘れてしまったことにさっき気付いたから、彼は八左ヱ門と一緒に僕の代わりに購買にパンを買いに行ってくれた。
今朝はチョコの事ばかり考えていて、ウッカリしてしまったのだ。せっかく作ってくれたお弁当を忘れてしまうなんて、お母さんに悪いことをしてしまった。帰ったらちゃんと食べようと僕は心に誓いながら、荷物を運ぶ。
こういう仕事は学級委員長である三郎がすることが多いから、僕はちょっと新鮮な気持ちだった。

「は、鉢屋くん!」

呼び止められたのは、その時だった。
思わず振り返って、後悔する。

真っ赤に染った顔。潤んだ瞳。
そして手にはラッピングされた綺麗な箱。
それだけで、何が目的かなんて誰でも分かる。

彼女は、少し照れ屋なようだ。
僕が振り返っても、なかなか次の行動に移さなかった。心臓が嫌な音をたてる。

早く、言わなきゃ。
僕は鉢屋三郎じゃなくて、不破雷蔵。

でも、言ったら彼女はどうする?
きっと、三郎の所に向かうだろう。
チョコをもらった三郎はどう思う?

嫌な汗が背中を伝う。

ほら、頑張れ!
一緒に来た別の女の子の励ましに、遂に彼女は行動に移した。

「あの、これ! 受け取ってください!」
「あ、でも……」

打算的な考えが、僕の心に囁きかける。
――このまま黙っていれば、三郎はこのチョコを知らないままだ

僕の良心が、僕の心に待ったをかける
――彼女の気持ちを踏みにじるなんて、ダメだ

「……ありがとう」

空いた片方の手で、紙袋を受け取る。
バタバタと慌ただしく走り去る彼女たちを見送って、僕は教室に歩みを進めた。

魔の囁きに、負けてしまった。
心臓がスっと冷えて、やけに紙袋が重く感じた。今朝から感じていた浮かれた気持ちはどこかに吹っ飛んでしまって、苦い気持ちに支配される。

――気付けば、僕は走っていた。
教室の扉を開けて、教卓の上に教材を置くと、ラッピングされた紙袋を三郎の机の上に置く。
三郎の隣の席の子がチラリと視線を寄越したけれど、大丈夫。三郎だと思ったはずだ。

そうして、慌てて僕は教室を出た。
急がないと、皆が待っている。
食堂のいつもの場所。
僕ら5人はそこがランチの定位置だった。

「雷蔵! こっち!」

僕の姿を確認するや否や、三郎が席を立って手を振ってくる。その姿に、僕の胸が熱くなる。そして、ズキンと小さな痛みが走る。

「お待たせ! みんな!」



――結局、その日
僕は三郎にチョコを渡すことが出来なかった。

カバンの中にはいつ誰が入れたのか分からないチョコと手紙が忍び込んでいて、僕は泣きたくなった。

これが、僕のほろ苦いバレンタインデーの思い出だ。

◇◇◇◇◇◇

そんなこともあったなあ、とほろ苦い思い出を振り返りながら、僕は三郎の部屋のブザーを鳴らした。

僕と三郎は、大学進学を機に地元の田舎町からこのほんの少し都会の港町に引っ越してきた。僕らは同じアパートの隣同士に部屋を借りていて、八左ヱ門や兵助、勘右衛門もこっちに出てきたから、高校時代ほど毎日ではないけれど、定期的に交流を続けている。

三郎とは、去年の夏に付き合いはじめた。
結局、僕があれこれ考えすぎていただけで僕らはずっと長い間両思いだったらしい。
前世だとか、今世だとか。
そんなことを考えるより先に今の三郎に向き合うことが正解だったのだと、今なら分かった。

インターホンから三郎の声が聞こえて、僕だよ、と一言返す。すぐ開ける!と三郎が答えると、本当にすぐ扉が開くのはいつもの事だ。
勝手知ったる他人の部屋。いや、恋人の部屋。僕は遠慮なく手に持った紙袋と一緒に扉をくぐる。ガタン、と扉が閉まって前を向くと、そこには三郎がいた。

「雷蔵、受け取ってくれ♡」

満面の笑みを浮かべながら洒落た箱を差し出す三郎に、僕は思わず頬が緩む。ぽっと胸が温かくなって、僕も持っていた紙袋を差し出した。

「僕からも。三郎、受け取ってくれる?」
「もちろんさ!! 一生、大事にする!!」
「いや、チョコだから食べてね」
「もちろんだよ、雷蔵」

まだ靴も脱いでいないのに、三郎が僕を抱きしめた。そっと背中に手をまわすと、三郎がもっと強く僕の背を抱いて全身で喜びを示してくる。じゃれるように頬を寄せ合っていると頬に柔らかな唇が触れるのを感じ、そのくすぐったさに僕は思わず声が漏れる。そしたら、三郎キスしたいと囁いてくるものだから、僕は、焦った。

「三郎、ここまだ玄関だよ!」
「俺の部屋だし、誰も見てないし大丈夫だって」
「大丈夫だとか、大丈夫じゃないとかじゃないって!」

慌てて靴を脱いで、部屋に上がると三郎は大人しく僕に続いた。勝手知ったるソファに腰掛け、僕は告げる。

「ほら、今日は部屋探しするんだろ!」

目の前の机にはいくつかの資料が置いてあった。恋人同士のバレンタインデー‪が何だか照れくさくて、僕は慌てて資料を手に取って見比べる。

去年のクリスマス。
僕らは一緒の部屋に住む約束をした。
それからはあっという間に時間が過ぎて、両親にルームシェアの説明をしたり(なんだ、やっぱりするの?と予想外の返事をされた)、大学のテストを受けたり、なんだかんだ忙しい日々を過ごし、ようやく休みになった今、本格的に準備をはじめていた。

僕の手から、資料が取り上げられる。
あっと思った時には三郎が隣に座っていた。

「部屋探しは後でも出来るぞ、雷蔵」

机の上に資料と僕からのプレゼントを置いて、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべるこの顔は、悪巧みをしている顔だ。しかも、ちょっとえっちな方の。長い付き合いなのだから、僕には分かる。

恋人同士、な雰囲気は待ち望んでいたはずなのに何度遭遇しても慣れない。どくん、どくんとうるさいくらいに高鳴る鼓動を抑え込もうとするが、きっと顔に出てしまっているだろう。でも、僕は悪あがきをする。

「さ、三郎! ほら、チョコ!! 僕すっごく迷ったんだよ。見てくれると嬉しいな」
「その姿、目に浮かぶよ」

三郎が楽しそうに紙袋の中を覗き込んだ。
中には、散々悩んで悩んで悩みまくって選んだちょっと良いチョコの箱とあの日渡せなかった小さな四角形のチョコと同じものを詰めた小さな透明のラッピング袋が入っている。

「雷蔵、ふたつもくれるの?」

ぱっと三郎の顔が輝いた。

「うん。ずっと渡したいと思ってたから」
「それって、俺に? バレンタインのチョコを?」
「そうだよ」
「……雷蔵が?」
「失礼だな。僕だってそりゃ、好きな人にチョコをあげたいなってくらい考えるよ」

三郎の顔がみるみると真っ赤に染まっていく。熟れたトマトのようなその様を見て、僕の頬にも熱があつまる気配がした。

「あけてもいい?」
「どうぞ」

三郎が、小さなラッピング袋のリボンを外してひとつだけチョコを手に取る。彼はそれをマジマジと見つめて、きらきらとした少年のような顔をしている。

「これが、雷蔵が俺のために選んでくれたチョコ……」
「三郎、大袈裟だよ。それにそれ、どこにでもある普通のチョコだし」
「いや、雷蔵が俺のことを考えて、俺のために選んでくれたことが既に尊い。ありがとう! 一生大事にする!!」

三郎がスマートフォンを取り出してパシャリと撮影した。今世の彼は、写真を撮るのが好きだ。どうして?と聞いたら、雷蔵との思い出は記憶の中にも形にも残したいんだ、と返されてドギマギさせられた覚えがある。

「ちゃんと食べてね」

こどものようにはしゃぐ彼が何だか可愛くて、僕は笑いながらついさっき言った言葉をもう一度三郎に言った。だが、僕が余裕でいられたのはそこまでだった。

「雷蔵」

三郎の声が耳に届いた頃には、彼の顔は僕の上にあった。見慣れた天井が視界にうつる。突然。でも優しくソファに押し倒された僕はその事実を認識するまで呆然と三郎の顔をただ見つめていた。三郎が、チョコの包み紙を開けてこちらに差し出してくる。

「雷蔵。口、開けて」

咄嗟に言われた通りに口を開けると、甘いチョコの味が口いっぱいに広がった。訳が分からず、三郎を見ると彼は満足そうにうなづいて、今度は僕の手にチョコを握らせる。

「らいぞ、食べさせてよ」
「な、なんでぼくが」
「雷蔵からもらったチョコを、雷蔵に食べさせて欲しい。ほら」

少し悩んだあと、僕は彼に押し倒さたまま手だけを伸ばして言われるがままにした。三郎の唇が開いて、僕とチョコをつかまえる。ほんの少し触れた彼のやわらかな唇に、痺れるような感覚が僕の身体を走った。

「……三郎」

名を呼べば、その声に熱が含まれていることに僕は気がついてしまう。それは、三郎も同じだろう。

「雷蔵」

三郎の声が、僕がこれまで食べてきたどんなチョコレートよりも甘く感じる。
バレンタインデーの思い出が、甘く塗り替えられていく。

引き寄せられて、三郎の唇が僕のそれに重なった。甘ったるい味がする口付けに、僕は夢中になってしまう。

――あとはもう、なすがままだ。

ふたりの身体が、ソファに沈んだ。
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