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短編(鉢雷)

僕には前世の記憶がある。
 とはいってもそれはぼんやりとしたものでしかなく、何から何まで全てを覚えているわけではない。
 修学旅行で訪れた時代劇の世界を見学できる施設で、手裏剣を体験したのがきっかけだった。
 ――あれ? この感覚知ってる気がする
 そう思って投げた手裏剣は的の真ん中に百発百中で、係の人や友達にびっくりされて、ちょっと照れくさかった。
 あの時は何がなんだか分からなかったけれど、落ち着いて記憶を整理してみて、前世の僕はどうやら忍者になりたかったみたいで、そのための学校に通っていたことを思い出した。僕の前世の記憶はその頃のものが大半だ。
 授業を受けたり、食堂で美味しいランチを食べたり、時には実習に行ったり。今より物騒で、今より不自由な時代だったのにそれなりに楽しく充実した生活を送っていたんだと思う。
 正直、現世を生きる上で前世の記憶は少し厄介な時がある。あの頃みたいに鍛えているわけじゃないから身体がついてこないのに、ついついあの頃みたいに身体を動かしてみちゃったり、うっかり口を滑らせて誤魔化すのが大変だったこともある。
 自分じゃない自分が心の中にもう一人いるみたいな不思議な感覚がそこにはあった。
 それでも、僕はこの記憶を忘れたくないと思っている。
 断片的な記憶の中ではっきり覚えていることがあった。僕には僕とおんなじ姿をした変装名人な〝相棒〟がいて、彼とは気持ちを通わせる仲だったこと。卒業してからもおそらくずっと隣にいたこと。そして、彼との〝別れ〟の日。いつかの再会を約束したのだ。
 
 その記憶を思い出してから僕は彼〝鉢屋三郎〟の姿をずっとずっと探している。
 
 ◇◇◇◇◇
 
 ――と、カッコつけてみたけれど……
 僕は今日も朝から鏡の前で睨めっこ状態だ。
「雷蔵ー! 早くしなさーい」
「はーい! すぐ行く!」
 寝癖で跳ね上がった前髪を梳かして、セットし終えると次は慌てて歯ブラシを目にとる。ゴシゴシと磨きながらもう一度鏡の中をじっと見つめるとそこには今日も〝僕〟がいた。
 鏡に映る自分にほんの少し違和感を感じてしまうのも前世の記憶のせいだ。
 前世の僕は頑固な癖毛だった。梅雨の時期なんか最悪で、もうこのままでいいか、なんて横着をしようものなら、嬉々として三郎がお揃いの髢を用意するもんだから、仕方なく悪戦苦闘していた。
 なのに今ではこのサラサラストレート。どんなに寝癖がついてもほんの少しで元通り!
 正直、すごく助かる。すごく助かるけれど、なんとも言い難い気持ちになる。
 紛れもなく僕なのに、僕じゃない感覚になるのが不思議な心地だった。そもそも顔立ちだって違うし、全くの別人である。
 いや、いくら前世とはいえ現世の僕とは正確には違う存在だし、これは当たり前なのかもしれない。
 それはそうだけど、マンガや小説の世界では、前世と現世の姿はそっくりなことが多いし、これは一体どう言うことなんだろう。
 歯を磨き終えて、スッキリしたはずなのにモヤモヤが止まらない。一度考え始めると悩んでしまうのが僕の悪い癖だ。
「雷蔵! 今日は入学式でしょ!」
 ハッと我に返って慌てて洗面台から飛び出し、リビングに入ると朝食を食べる家族がすでに揃っていた。慌てて自分の席につくと同時に
「いちごとブドウ、どっちのジャムにする?」
 そう声をかけられて、僕は再び頭を抱えることになってしまった。
 
 ◇◇◇◇◇
 
 結局、時間いっぱいまで悩んで、トーストにはいちごとブドウのジャムを半分ずつ塗って食べた。
 そのせいで僕は入学式早々に小走りで坂道をかけ登っていく羽目になってしまったけれど、このペースだと何とか間に合いそうで、ほっと歩く速度を緩める。
 心地よい日差しが、薄桃色の絨毯をやわらかく照らし、まだ肌寒い春の風が花びらを運んでいる。それが、今日というハレの日を祝ってくれているようで何だか嬉しかった。
 高校へと続く坂道には、僕以外にも多くの新入生が歩いていた。この中に、もしかしたら三郎がいるかもしれない。そう気がついて、なんだか胸が苦しくなる。
 再会したら、まず何を伝えよう。彼は僕のことを覚えているだろうか。三郎は僕のことが分かるだろうか。前世と今じゃ全く違う僕の姿を見て、どう思うんだろう。前の方がよかったなんて言われたらどうしよう。
 そもそも、僕は?
 僕は三郎のことが分かるのだろうか。
 彼の素顔を、僕は多分ついぞ知ることなく人生を終えた。僕の顔をした、僕がよく覚えている三郎は、僕の変装をした姿だ。彼が素顔で現世を生きていたら、そもそも僕のように全く違う姿で生まれていたら、僕は三郎が分かるのか。 
「何をそんなに悩んでるんだ?」
 堂々巡りの思考は、突然の声に遮られた。
 振り向いて、僕は目を見開いて呆然と立ち尽くす。驚いて声が出なかった。だって、そこに〝前世の僕〟がいたのだ。
「雷蔵は変わらないな」
 言いたいことがたくさんあるのに、言葉が出てこない僕に〝前世の僕の姿をした人物〟はニコリと僕とは違う彼らしい笑みを浮かべて立っていた。
「でもまさか、雷蔵がその顔をしてるとは思わなかったよ」
 ああ、そういうことだったのだ。全部、僕の杞憂だった。最初から、僕らは巡り会うことが決まっていたのだ。
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