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短編(鉢雷)

僕の親友、鉢屋三郎は愉快な男だ。
いつも誰かの顔に変装していて、本当の顔を僕ら忍たまに見せたことが一度もない。
最近は僕に断りもせず、勝手に親友である僕の顔を常日頃使っている。しかも、それがさも当然だという顔をして「不破雷蔵あるところ鉢屋三郎あり、さ」なんて決め台詞のようなことを言い触らしているのだから困ったものだ。
最初は僕も「勝手に僕の顔を……」だとか何とか文句を言ったけれど、三郎はどこ吹く風で受け流してまうし、そのうちどうでもよくなってきて諦めてしまった。
素顔を見せないのが信条なのに、その癖よく動く表情は見ていて楽しいし、突拍子もない事を言ったりやったりするけれど、それに付き合うのも面白い。彼と出会って、仲良くなって。間違いなく僕の人生はそれまでよりずっと充実している。鉢屋三郎は、本当に愉快で、ちょっぴり困った本当に良い僕の友達だ。

だが、僕は悩んでいた。
本当に、本当に、悩んでいた。
鉢屋三郎が僕の顔に変装していることではない。今日のランチのことでもなければ、同級生の竹谷八左ヱ門が借りっぱなしで返却を忘れている本の取り立てをどうやってするのかということでもない(いや、これはこれで悩ましい)

僕の悩み。
それは、親友である三郎と何故か突然お付き合いをすることになってしまったことである。

◇◇◇◇◇◇◇

あの日は秋晴れが清々しい空模様だった。
 開催が迫った『図書週間』に向けて、僕たち図書委員は慌ただしい日々を送っていた。
 授業が休みだったから、一気に準備を進める予定をしていて、僕は寝不足の目を擦りながら部屋を出る準備をしていた。
 前日に読んだ本が思ったより面白くて、今日はここまでにしようか? いや、もうちょっと。まだ大丈夫……なんて迷いながらズルズルと読み進めた結果、読破するまで夜更かししてしまったから、欠伸が止まらなかったのを覚えている。
 三郎は確か「雷蔵、今日の予定は?」となんでもない様子で確認してきた。
一緒に出かけたいのかな? と思ったけれど、図書委員の仕事で忙しくしていることは三郎も知っているはずだから、簡単に説明して断ってしまった。すると三郎が「君が行くなら私も行くよ」と至極当然の顔で言うものだから、確かにそれなら都合がいいなとふたつ返事で頷いて、僕らは一緒に準備をして図書室に足を踏み入れたのだ。
 
 僕らが到着すると、他のみんなはすでに集合していたから驚いてしまった。いつもなら、少し早めに到着するようにしているのだけれど、思ったより起きるのが遅くなってしまっていたのかもしれない。
慌てて「遅くなって申し訳ありません」と僕は中在家先輩に謝った。先輩が「集合時間には間に合っている。問題ない」といってくれたからほっと胸を撫で下ろすと、背後から「あ、今日は三郎先輩も着いて来たんですね」と、話すきり丸の声が聞こえてきた。
確か、三郎はあの"いつもの"言葉を返していたと思う。「なあ、雷蔵!」と笑いかけられて「はいはい」って返事した記憶が残っている。
 その後、僕らは担当ごとに作業を開始した。僕と三郎は書庫の整理をしながら、良さそうな本を探すように言いつけられたから、一緒に少し薄暗くて埃っぽい書庫の中で話しながら作業をしていた。
 気の合う友達と一緒に慣れた作業をこなしていたからほんの少しだけ気が緩んでいたのかもしれない。あれは僕が高いところにある本を取ろうと台にのぼっていたときに起こった。忍者として全く褒められたことじゃないのでこれは忘れたいくらい情けない記憶なのだが、ついつい身体の均衡を崩して倒れてしまったのだ。
 ――雷蔵、危ない!
 あっと思った瞬間に、焦った三郎の声が聴こえて、手を離れた本がやけにゆっくりと僕に向かって落ちてきていていた。そんなだから、状況はよく分かっていないけれど、気が付けばあっという間に三郎の手が僕を引き寄せ、僕は三郎を下敷きにしていた。驚いたのは、たまたま偶然唇が重なっていたことだ。生まれて初めて触れたそこはやわらかくて、一瞬何が起こったのか頭の中が真っ白になったけど、すぐに事態に気が付いて僕はすぐに三郎から距離を取った。

「ささささ三郎」
「ら、雷蔵」

 三郎の顔は真っ赤だった。
 見えないけれど、僕も顔が熱かったからきっと同じ顔をしていたのだろう。三郎はしばらくの間目を白黒させていた。僕もそうだ。先に動いたのは三郎だった。

「今、私たち……口吸いしたよな?」
「う、うん」
「私の夢じゃない?」
「僕の夢でもないよね?」
「頭をぶつけて見た幻覚とでも?」
「そう言われると自信が……」

 お互いに意味の無い言葉を交わしあったのは、完全に混乱していたからだろうか。
 三郎は何かを考えるように眉を忙しなく動かしていた。あまりに自然な動きだから、三郎のマスクは凄いなあと思ったのを覚えている。
 そして、三郎は僕の手を取ると、とんでもないことを言ったのだ。

「雷蔵!! 君の唇を奪った責任をとらせてくれ!」
「…………え?」
「私たち、付き合おうじゃないか!」
「え!?」
「雷蔵は嫌?」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ、いいんだな!」
「う、うん?」
「念の為に確認するけど、一緒にどこかに行こうって意味じゃないからな?」
「そのくらい僕でも分かる!」
「聞いたぞ、雷蔵」
「えっ……?」
「ありがとう、雷蔵!」

 やけに眩しく輝く三郎の笑顔を前に、いいのかな?と僕は困惑していたけれど、本当に三郎がにこにこと弾んだ声で楽しそうにしているから、何も言えなかった。
 差し伸べられた手を取って、身を起こせばいつもと変わらぬ景色がそこには広がっている。書庫のホコリっぽくて古くてほんの少しかび臭い巻物の匂いに包まれているというのに、目の前にいる三郎だけがいつもとは違って見えた。

「雷蔵! 責任をもって責任をとらせてもらうから安心してくれ!」

責任をもって責任をとる?その独特の言い回しが耳に残るが、それにツッコミを入れる余裕がその時の僕にはなかった。
こうして、僕らの"お付き合い"は始まったのだ。

◇◇◇◇◇◇
 
 戸惑う僕の気持ちとは裏腹に、三郎の機嫌はやけに良くて、書庫の整理を終えて図書室に集合したとき、後輩から「三郎先輩、やけにニコニコしてますけど何かあったんですか?」と耳打ちされて苦笑いしか出来なかった。

 三郎がご機嫌なのはあの日だけではなかった。
何も知らない八左ヱ門にやたらと上機嫌で絡みながら課題の解き方を教えてやっていたし、兵助が開く豆腐パーティに喜んで参加していた。(ちなみに僕と勘右衛門は、最初は逃げた。探しに来た八左ヱ門が今日は大丈夫だと必死に説得してきたから戻って、その日は美味しく豆腐を食べた。ごめん、兵助)
勘右衛門たち学級委員長委員会の皆には、団子を奢ってやったらしい。
 
 とにかく、三郎はあの日から毎日楽しそうにしている。
 
 一方の僕はと言うと、あれから三郎のことを変に意識してしまって困ってしまっていた。
 これまで三郎が隣にいるのは当たり前だったから特に意識していなかったけれど、隣に座る距離の近さや食事のときに僕が選ばなかった方のランチを一口くれるときの優しい眼差しにドギマギした。
 授業中だってさり気なく助けを出してくれるし、僕が困っていると何でもない顔をして知恵を貸してくれる。

 ――そう、三郎は優しかった
 まるで、僕のことを本当に好きなんじゃないかと錯覚してしまうくらいに、三郎が僕を見つめる眼差しは穏やかで、温かくて、心地が良かった。

別に、これは僕と三郎が付き合い始めたから変わった訳ではない。思えば、これはいつもの三郎なのだ。
問題は、僕らの関係は変わったけれども、僕らの生活は何一つ変わらず、僕だけが戸惑っているということだ。

──なんて、ひとりで木陰で物思いに耽っていた僕の傍に今日もまた三郎がやってきた。
ランチの後、先生に呼び出されていたから別行動をしていたのだけれど、きっと僕を探していたのだろう。目があった瞬間、彼の相貌が緩んでまばゆいばかりの笑顔を向けられたものだから僕の胸がザワりとむず痒くなる。

「雷蔵、ここにいたのか」
「……三郎」
「隣に座っても?」
「いいよ」

三郎が僕の隣に腰を下ろす。
特に、何かを話すわけではなく僕らは隣にいた。遠くから賑やかな声が聞こえてきて、ぽかぽかと暖かな日差しが差し込むいつもの昼下がりだ。
気がつけば、三郎がどこからか用紙を取り出して、写生をはじめていた。三郎は、時々こうして絵を描いている。相手は人だったり、動物だったり、学園の景色だったり。観察力を磨くために描くのだと聞いたことがある。
ぼんやりとその様子を眺めながら、僕はまた思案する。三郎の真剣な眼差しがいつもよりまぶしく見えて、ちょっとだけ戸惑った。

――三郎が、まぶしく見えるなんてそんな

しばらく眺めて、今度は彼がちっともこっちを見ないことにモヤモヤし始めた。集中しているんだから、こっちを見ないのは当たり前なのに。別に、いつものことなのに。
そう、いつも通り。ずっとずっといつも通りだ。
僕は今、はじめて気がついた。
あの日僕らの関係は変わったのに。僕はこんなに戸惑ってるのに。三郎はいつもと何にも変わらない。
――なあ、僕ら付き合ってるんだろう?
そこまで考えて、僕は慌ててかぶりを振る。
いやいや何にもおかしくない。だって、僕と三郎は本当の恋仲って訳ではないのだ。あれ、本当の恋仲って?

「雷蔵、ため息ばっか吐いてると幸せが逃げるぞ?」

沼の底に嵌ってもがいている気持ちになっていた僕を、三郎の声が引き上げた。

「……僕、そんなにため息ついてた?」
「うん、すごく」
「そんなに?」
「表情がくるくる変わって面白かったよ。私には真似出来ないなあ」
「三郎にも?」
「うん。もっと修行が必要だな。雷蔵と一緒にいると飽きないよ」
「それって褒めてる?」
「褒めてる、褒めてる」

僕からすると、三郎の方が表情がくるくる変わって面白い。なんなら顔そのものがくるくる変わって面白い。いや、最近は僕の顔をしていることが多いから以前と比べてそれを見る機会は減ったのだけど。って、そんなことはどうでもいい。三郎が言葉を続けた。

「また何か悩みごとか?」
「うーん、大したことじゃあないよ」
「大したことじゃないのに、あんなに唸ってたってこと?」
「僕、そんなに顔に出てたのか……」

それって忍者としてどうなんだろう?
こっそり凹んだその時だった。

「そういう親しみやすさ、私は君の持ち味になると思うよ」

すっと胸の中に自然と染み渡っていくような優しさに、僕の気持ちは軽くなる。

「そうかな?」
「そりゃあそうさ。君が何か企んでるだなんて、普段の様子を見てたら思わないだろ?」
「言われてみれば、そうかもしれない」
「機会があれば試してみればいいさ。私も手伝わせてもらうよ」

女装実習の時なんかいいんじゃないか?だとか何とか三郎は楽しそうに計画を話し始めた。僕も適当に相槌を打ってふたりでああでもない、こうでもないといつものように話していると悩んでいたことがあっさりどこかへ吹っ飛んでしまった。僕が考えすぎていただけなのかもしれない。三郎は、あの時ああ言ってしまっただけで何も変えるつもりがないのかもしれない。そんなことを思い始めた矢先だ。

「そうだ、雷蔵。次の休みの予定は空いてる?」
「空いてるけど、どうかした?」

どうせ一緒に過ごすことになるだろうに、こんなに早くに何だろう。身構える僕に、三郎はほんの少し躊躇った様子を見せてから一気に言った。

「一緒に町まで出かけないか?」
「なんだ、そんなこと? もちろん、いいよ」
「よかった。断られたらどうしようか緊張してしまったよ」
「どこに緊張する場面があるのさ。断るわけないじゃないか」

拍子抜けする答えにほっと胸を撫で下ろして僕は二つ返事でうなづけば、三郎は照れくさそうに笑ってそんなことを言った。
変な三郎、と思ったけれど僕はそこには触れずに話を続ける。だが、次の三郎の言葉にまたも悩みの渦に飲み込まれてしまうことになったのだ。

――私たちの初デートだな!

◇◇◇◇◇◇

――初デート
その言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐるまわっている。ご飯の時も、授業中も、風呂でも布団でもどこにいても僕の脳裏には晴れやかな笑顔の三郎とその言葉がこびり付いて離れない。
今もそうだ。耐えかねて、僕はちょうどいいところに通りかかった同級生に声をかけた。

「あのさ、八左ヱ門」
「雷蔵! ごめん、借りてた本はすぐに返すから!」

八左ヱ門も僕に視線を寄越すと、慌ててそんなことを言ってきた。言われてから、そういえばそのことも悩みの種だったなと思い出したが、今の僕はそれどころではなかった。

「それもお願いしたいんだけど、今はその事じゃないんだ」
「えっ? じゃあ何だ? 何か悩み事?」

八左ヱ門が驚いた顔をしてこっちを見る。手元へチラチラと視線を感じるから、僕はそこでようやく巻物を抱えていることを思い出した。僕は図書委員会の仕事中で、書庫から図書室へ巻物を運んでいる最中だったんだから、八左ヱ門が慌てて弁解してきたのも無理は無い。
そんなことを考えていると、八左ヱ門が今度はいきなり大きな声で叫んだ。

「って雷蔵、ほんとに何があったんだよ!」
「なんのこと?」
「雷蔵、その顔! 斜堂先生みたいだぞ!」

このところ悩みすぎてあまり眠れないからだろうか。さすがに斜堂先生みたい、は言い過ぎじゃないだろうか。それとも、今なら僕も存在感を消したり出来るんだろうか。

「三郎は? なんて言ってるんだ?」
「三郎なら、勘右衛門たちと学園長先生のお使いに行ってるよ」
「だから、騒いでないのか……」

ひとりで納得したかと思えば、また騒ぎ始める。八左ヱ門は大袈裟だなあと僕は変に落ち着いてその姿を眺めていた。

「気にしないで。あんまりよく眠れてないだけだから」
「眠れないって、十分に問題だろ。善法寺先輩に相談した方がいいよ」
「うん、検討してみる。それで、話があるんだけど……」
「そうだった。で、何?」
「これは僕の話じゃなくて、僕の知り合いの話なんだけどね。あのさ。デートって、どうしたらいいのかな?」
「で、デート!?!?」

寝不足の頭に、八左ヱ門の大声が反響した。もうちょっと声を抑えて欲しい。今日の彼は落ち着きがない。

「デートって、雷蔵が!?」
「僕じゃなくて、僕の知り合いがだよ。実は……」

本当は僕のことだけど、それは照れくさいから隠しておく。僕は簡単に、僕と三郎のことだという事実は伏せて事情を説明した。
最初は真剣に聞いてくれていた八左ヱ門だったが、途中からは変に百面相し始めた。今日の八左ヱ門は本当に落ち着きがない。一緒に善法寺先生のところへ行った方がいいかもしれないな、と思いながら、僕は説明し終えた。

「……ということなんだ。どうしたらいいと思う?」
「あのさ、もう一回聞くけどそれって雷蔵の知り合いの話なんだよな?」
「そうだよ」
「雷蔵のことじゃなくって?」
「…………うん。僕の知り合いの話」

八左ヱ門が考え込むように腕組みをした。

「雷蔵は……じゃなくて、その知り合いは相手のことが好きなのか?」
「うーん、それが分からないから困ってるんだよね」
「でも、さぶろ……じゃなかった。その人がいつも通りなのにモヤモヤしてるんだろ?それって好きってことじゃないのか?」
「だから、僕にも分からないんだって。分からないから悩んでるのさ」
「"雷蔵の知り合い"が、悩んでるんだな。うーん……」
腕組みしたまましばらく考え込んで、八左ヱ門は困ったように眉を下げて苦笑いした。
「ごめん、俺にもさっぱりだ」
「だよね」

期待していたわけではなかったけれど、どこか落胆する気持ちを隠せない。でも、同級生の八左ヱ門もこういうことに慣れてなさそうで少し安心した。僕だけ置いてけぼりだったら、それはそれで悩んでしまうかもしれない。

「だよねって、雷蔵~!」
「ごめん、ごめん」

慌てて頭を下げると、「いいよ」と八左ヱ門はすぐに許してくれた。しかもあろうことか、「力になれなくてごめんな」なんて言葉までくれて、また悩む僕に言葉をくれた。

「正直、俺もデートしたことないし、誰かと付き合ったこともないから分かんないんだけどさ」

僕もそれに合わせて真剣に相槌を打つ。

「その、友達だったんだろ? じゃあ、いつも通り楽しんできたらいいんじゃないか?」
「楽しんできたら……?」

オウム返しする僕に、八左ヱ門は言葉を続ける。

「そう。難しいことは抜きに楽しんできたらいいって俺は思うよ」
「そっか。そうだね、八左ヱ門。ありがとう。そうしてみるよ!」

じゃあ、善法寺先輩のところに行ってくる!そう言って僕は八左ヱ門に手を振って歩き出した。とりあえず、この寝不足をどうにかしなければ。次の悩みはそれだ。
色々考えすぎていて、八左ヱ門がやけに生暖かい目で僕を見守っていてくれていたことに、僕はその時気が付いていなかった。

◇◇◇◇◇◇

ついにデート当日を迎えてしまった。
とはいっても、友達だった頃と何も変わらない。一緒に町に出て、並んで座って評判のうどんを食べている。
 でも、三郎が言うには付き合っているふたりが一緒に出かけることは"デート"というらしい。よく分からないけれど、きっとそうなんだろう。ちょっと拍子抜けしたけれど、やっぱりデートだということを意識すると少し照れくさくて、せっかく出かけているのに僕は朝からちょっとしたことでも三郎を意識してしまって、心臓の音がドクドクとうるさかった。
 今もそうだ。
 見慣れているはずの三郎の横顔が、僕の顔をしているはずなのに何だかやけに眩しく見える。
 僕は別に自分の顔に見惚れるような趣味はない。顔を洗う時や風呂に入る時に自分の顔を見るけれど、別に何とも思わない。三郎を見る時だけこうなるんだから、一体僕はどうしてしまったというんだ。この間から、僕はどこかおかしかった。

「なに、雷蔵?」

 三郎が視線を向けてくる。
 慌てて顔を逸らして、僕は冷静を装ってお茶を飲んでから「何でもないよ、美味しいね」と返事をした。三郎は「そうだな」と言って、僕と同じようにお茶を飲んだ。
 その様子を何となしに眺めていると、三郎の唇が動くのが見えて、吸い寄せられるようにそこに視線を向けてしまう。ついあの口吸いを思い出して頭が沸騰しそうになった。照れくさいのに、視線をそらせず、僕はどうしたらいいのか分からなくなってしまう。

「雷蔵」
「ななな、何?」

 動揺して声が裏返ってしまった。
 それがまた恥ずかしくて、顔に熱が集中して堪らない。

「どうした? 真っ赤になってる」
「そ、そうかな?」
「うん」

 三郎の手が伸びてきて、僕の額に触れる。

「熱じゃないな」
「今日暑いからじゃないかな?」
「……今日はすずしいくらいだよ」
「ほら、うどんが熱いから」

 苦しい言い訳で頭の中がぐるぐるしてきた。そんな僕の熱を沈めようとでもするかのように、秋風がヒンヤリと吹き付けてして、先程の発言と相まって僕はまた焦ってしまう。
 三郎は、そんな僕の様子にニヤリと笑った。

「雷蔵、そろそろ苦しいぞ」

 返す言葉が見つからず、僕は言葉を濁す。

「その反応、私のことを意識してくれてるって思っていいこと?」

 熱のこもった眼差しに見つめられ、反射的にうなづいた。三郎が満足そうに笑って、「そろそろ行こう」と立ち上がるから、僕はそれにならって歩き始める。三郎がたわいも無い話を投げかけてくれるから、それに何とか返事をしながらも心ここにあらずだった。
 ずっとずっと、僕の隣には三郎がいたのに、生まれてから今一番彼のことを考えていた。
 
 ――意識している
 それは、間違いない。
 僕は、あの日から三郎のことが気になって気になって仕方ない。これまで考えたこともなかったのに、三郎の一挙一動に振り回されている。
 
 ――もしや、僕は三郎が好きなのだろうか?
 
 そんな考えが頭の中に浮かんでは消えた。
 三郎を好きなのは確かだ。
 だって彼は僕が忍術学園に入って出来た一番の友なのだから、好きに決まってる。そう、僕は三郎が好きに決まってる。
 だけど、この感情が恋かと言われると自信がなかった。友愛と恋愛は何が違うのだろう。物語の中の人物たちはそれを直感的に分かっているみたいだけど、僕にはそれがどうにも分からない。だから、迷ってしまって心が定まらない。

「雷蔵、少し散策しないか?」

 気が付けば、僕らは学園の近くの山に来ていた。三郎曰く、ここは穴場で学園の生徒はあまり来ないとそうだ。紅葉が綺麗に色付いていて、秋の深まりを感じさせてくれる。近くの川のせせらぎが、澄んだ空気を運んできていた。
 
 そっと手が触れ、優しく握られる。
 驚いて肩を跳ねさせてしまったけど、僕もその手を握り返した。三郎の手は温かかった。

「雷蔵、今日は何を悩んでるんだ?」
「三郎、気付いてるんだろ」

 三郎の声に、いたずらっぽい響きが混ざっていることには気が付いている。
 きっと、三郎は僕が彼に振り回されているこの状況を楽しんでいるのだ。
 そう思えば、ちょっとだけ腹が立った。僕がこんなに悩んでいるのに三郎は何なんだ。責任を取るって一体全体どういうことなんだ。
 そこで僕は気がついた。
 僕の気持ちは一旦置いておくとして、三郎は僕をどう思ってるんだ? 責任をとるっていってたけど、三郎は僕のことが好きなのか?
 
 じっ、と三郎を見つめればふっと表情が和らいだ。ドクン、と僕の心臓が音をたてる。

「雷蔵」

 聞きなれた声が、やけに甘く僕の耳を蕩けさせる。全身が三郎の声を聴き逃すまいと神経を研ぎ澄まさせていた。

「君が好きだよ」
 ――だから、私を好きになってくれないか?
 
とくん、と胸が高鳴って、目に映るものすべてが輝いて見える。僕の直感が、何かが芽吹き、色付く気配を告げていた……ような気がした。
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