その他cp
ただ、川の氾濫を止めたいだけだった。
親父も兄貴も数多居る大臣達も、慌てた様子で廊下を走り去っていく。
夕焼けの草原に降りしきる雨。珍しいなんてもんじゃない。幼かった俺は王宮の中庭に出て無邪気に走り回った。雨が肌に落ちて、服に染みていくのが心地良いとさえ感じた。
豪雨が二週間続いた。国にある主要な川が溢れて堤防は決壊し、町を飲み込んだ。半分沈んだ町の向こう、寂れた貧民街 が見えていた。
「それで?スラムはどうなったのよ」
サバナクロー寮の談話室を訪れていたヴィルがチェス盤から目を逸らすことなく問い掛ける。寮に流れ込むザバザバと落ちる小さな滝が彼らの言葉を飲み込むように煩い。ヴィルは答えのないレオナに視線を向けて、肘掛けに腕を乗せて頬杖をついた。
彼は今日恋人と共にこの寮まで足を運んだ。ヴィルの恋人であるケイトはラギーとドーナツを作ると言ってキッチンに籠もって早二時間。ただ待っているだけでは退屈だと、昼寝に興じていたレオナを掴まえてチェスの相手をさせたのだ。
お陰でレオナはわざわざ談話室で学園一美麗だともてはやされるポムフィオーレ寮長と顔を突き合わせる羽目となり、おまけにチェスの合間にユニーク魔法の話題が飛び出して、渋い顔をすることとなった。
「スラムは助かった」
「へえ、雨がやんだの?」
「あぁ。干上がるほどにな」
苦虫を噛み潰したような顔を前に言葉を詰まらせたヴィルは何かを察したのか、「ふーん」と漏らしてナイトを手に取る。
「アタシは自分を認めない奴らを見返したかったから毒の魔法に目覚めたのだと思うの。アタシという存在に中毒にしたいというか…。お祖母様が薬学に詳しくてね、幼い頃から薬草や毒が身近にあって、それの有用性も耳に入ってた。こうなるべくしてなったんだと思うわ」
「そうかよ……チェック」
絶えず動く盤面から視線を逸らさず手を動かすレオナが、ヴィルのキングを指差す。盤上を見渡すヴィルは眉を顰めて唇を噛んだ。
「チェックメイトだな」
はぁ、と息を吐いて座面に深く沈み込んだヴィルはザバザバと煩い滝に目を向けた。透き通る水の飛沫を感じるかのように瞼を閉じた彼に、後ろから抱き着いた人物のオレンジの髪が頬を撫でる。
「ヴィルくん、負けちゃったんだねー」
「ケイト、終ったのね」
「うん。ベーグル焼いてた」
座っているヴィルを後ろから抱き締めるケイトは恋人の首元に鼻先を寄せて擦り擦りと戯れる。そんな相手の頭を撫でて対面に座すレオナへとふと視線をやると、無感情な双眸が彼らをじっと見入っていた。
「ここでベタベタとするな」
「あら、愛が溢れててごめんなさいね。目に毒だったかしら?」
「うぜぇ」
「まぁまぁ、仲良くしてくださいよ」
チェス盤の乗ったテーブルの空いたスペースにラギーがどんっと音をたててドーナツを乗せた。大皿に山のように重なる揚げ菓子に、ヴィルは吐き気を堪えるようにそっぽを向く。対するレオナは一番上のドーナツを摘み上げて大口でかぶりついた。
「ケイト、気が済んだなら帰りましょ?」
「そうだね!じゃあねレオナくん、ラギーくん」
すっと立ち上がったヴィルは裾をはらってさっさと出入り口に向かって歩き出す。ケイトは慌ててその背中を追いつつ、サバナクロー寮生の二人に手を振り駆けていった。ケイトが手に持つ紙袋のガサガサとした音が耳に残る。中には彼が先程まで拵えていたベーグルが入っているが、それを名残り惜しそうな目で見つめていたラギーは、暫くして諦めたのかヴィルが腰掛けていた椅子に座ってレオナの視界に納まった。真っ直ぐ見据えるラギーの視線に、何が目的かと同じ熱量で睨み返す。
「昔、スラムを水害から救ってくれたのはあんただったんスね、レオナさん」
「……聞いてたのか」
「増水してた川があっという間に干涸らびて黄色い砂塵が舞ったのをよく覚えてますよ。本当、凄い力っス」
「それが原因で周りは俺を畏怖するようになったんだぞ。強力過ぎて、幼心に自分でも恐ろしくなった」
「でも、小さなレオナさんがスラムの人たちのこと助けたいって思ってくれてなかったら、オレも死んでたかもしれないし。オレらが出会って今こうしてドーナツ食ってるんだから、結果オーライなんじゃねーかなって思うんスよね。それとも、レオナさんはやっぱりオレと居るより王様になることの方が重要っスか?」
絶えず流れ落ちる水を溜めるプールは眩い日光を反射して煌めく。褐色の王子が目線を水面からラギーに戻すと、相手の目はその輝きに劣らず爛々としていた。
「違いねぇな。あの時お前を助けてなければ、俺の心も救われない……ってこれは卵が先か鶏が先かってやつに近いかもな。答えの出ねぇ話だ」
「答えは……今晩は親子丼食いたい、ってことでいいっしょ」
ニシシと笑う鋭い歯にもまた光が当たって白く輝く。レオナはそれを目を細めて、穏やかな表情で眺めていた。
親父も兄貴も数多居る大臣達も、慌てた様子で廊下を走り去っていく。
夕焼けの草原に降りしきる雨。珍しいなんてもんじゃない。幼かった俺は王宮の中庭に出て無邪気に走り回った。雨が肌に落ちて、服に染みていくのが心地良いとさえ感じた。
豪雨が二週間続いた。国にある主要な川が溢れて堤防は決壊し、町を飲み込んだ。半分沈んだ町の向こう、寂れた
「それで?スラムはどうなったのよ」
サバナクロー寮の談話室を訪れていたヴィルがチェス盤から目を逸らすことなく問い掛ける。寮に流れ込むザバザバと落ちる小さな滝が彼らの言葉を飲み込むように煩い。ヴィルは答えのないレオナに視線を向けて、肘掛けに腕を乗せて頬杖をついた。
彼は今日恋人と共にこの寮まで足を運んだ。ヴィルの恋人であるケイトはラギーとドーナツを作ると言ってキッチンに籠もって早二時間。ただ待っているだけでは退屈だと、昼寝に興じていたレオナを掴まえてチェスの相手をさせたのだ。
お陰でレオナはわざわざ談話室で学園一美麗だともてはやされるポムフィオーレ寮長と顔を突き合わせる羽目となり、おまけにチェスの合間にユニーク魔法の話題が飛び出して、渋い顔をすることとなった。
「スラムは助かった」
「へえ、雨がやんだの?」
「あぁ。干上がるほどにな」
苦虫を噛み潰したような顔を前に言葉を詰まらせたヴィルは何かを察したのか、「ふーん」と漏らしてナイトを手に取る。
「アタシは自分を認めない奴らを見返したかったから毒の魔法に目覚めたのだと思うの。アタシという存在に中毒にしたいというか…。お祖母様が薬学に詳しくてね、幼い頃から薬草や毒が身近にあって、それの有用性も耳に入ってた。こうなるべくしてなったんだと思うわ」
「そうかよ……チェック」
絶えず動く盤面から視線を逸らさず手を動かすレオナが、ヴィルのキングを指差す。盤上を見渡すヴィルは眉を顰めて唇を噛んだ。
「チェックメイトだな」
はぁ、と息を吐いて座面に深く沈み込んだヴィルはザバザバと煩い滝に目を向けた。透き通る水の飛沫を感じるかのように瞼を閉じた彼に、後ろから抱き着いた人物のオレンジの髪が頬を撫でる。
「ヴィルくん、負けちゃったんだねー」
「ケイト、終ったのね」
「うん。ベーグル焼いてた」
座っているヴィルを後ろから抱き締めるケイトは恋人の首元に鼻先を寄せて擦り擦りと戯れる。そんな相手の頭を撫でて対面に座すレオナへとふと視線をやると、無感情な双眸が彼らをじっと見入っていた。
「ここでベタベタとするな」
「あら、愛が溢れててごめんなさいね。目に毒だったかしら?」
「うぜぇ」
「まぁまぁ、仲良くしてくださいよ」
チェス盤の乗ったテーブルの空いたスペースにラギーがどんっと音をたててドーナツを乗せた。大皿に山のように重なる揚げ菓子に、ヴィルは吐き気を堪えるようにそっぽを向く。対するレオナは一番上のドーナツを摘み上げて大口でかぶりついた。
「ケイト、気が済んだなら帰りましょ?」
「そうだね!じゃあねレオナくん、ラギーくん」
すっと立ち上がったヴィルは裾をはらってさっさと出入り口に向かって歩き出す。ケイトは慌ててその背中を追いつつ、サバナクロー寮生の二人に手を振り駆けていった。ケイトが手に持つ紙袋のガサガサとした音が耳に残る。中には彼が先程まで拵えていたベーグルが入っているが、それを名残り惜しそうな目で見つめていたラギーは、暫くして諦めたのかヴィルが腰掛けていた椅子に座ってレオナの視界に納まった。真っ直ぐ見据えるラギーの視線に、何が目的かと同じ熱量で睨み返す。
「昔、スラムを水害から救ってくれたのはあんただったんスね、レオナさん」
「……聞いてたのか」
「増水してた川があっという間に干涸らびて黄色い砂塵が舞ったのをよく覚えてますよ。本当、凄い力っス」
「それが原因で周りは俺を畏怖するようになったんだぞ。強力過ぎて、幼心に自分でも恐ろしくなった」
「でも、小さなレオナさんがスラムの人たちのこと助けたいって思ってくれてなかったら、オレも死んでたかもしれないし。オレらが出会って今こうしてドーナツ食ってるんだから、結果オーライなんじゃねーかなって思うんスよね。それとも、レオナさんはやっぱりオレと居るより王様になることの方が重要っスか?」
絶えず流れ落ちる水を溜めるプールは眩い日光を反射して煌めく。褐色の王子が目線を水面からラギーに戻すと、相手の目はその輝きに劣らず爛々としていた。
「違いねぇな。あの時お前を助けてなければ、俺の心も救われない……ってこれは卵が先か鶏が先かってやつに近いかもな。答えの出ねぇ話だ」
「答えは……今晩は親子丼食いたい、ってことでいいっしょ」
ニシシと笑う鋭い歯にもまた光が当たって白く輝く。レオナはそれを目を細めて、穏やかな表情で眺めていた。
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