ヴィルケイss
君が金切り声を上げたあの瞬間、あのどろどろとした想いを吐き出したモヤにオレの想いも霧散して、ヴィルくんへの憧れは死んだ。
「最近ケイトからまとわりつかれなくなったのよね」
世界一の美貌を誇る美しき少年の溜息に金髪の狩人は目を丸くした。常日頃から周りを数多のファンに囲まれて辟易していると愚痴をこぼすこともある芸能人が、まるで傍に人が居ないことを憂いているようだ。それは学園内で一番のヴィルの理解者とも言えるルークからしても意外なことで、まさか監視されるように常に誰かの視線を集めているヴィルが、誰かの存在がないことを惜しむなどとは考えたこともなかった。
「居ないと困るのかい?」
「調子が狂うわ」
「調子が……何故だろうね」
意地悪げに問うと、ヴィルは不機嫌な顔をしてルークから目を逸らした。自分の気持ちは話すつもりがないらしく、それでいて憂いの根幹の情報は欲しいのだと無言を貫く。
「私も最近姿を見ないからどうしたのかと聞いたんだよ。もうヴィルとツーショットを撮ることを諦めたのかい?と。そしたら彼は『神は死んだんだ』と答えたよ」
「何を言ってるのかしら。哲学者じゃあるまいし」
全くわけがわからない。ヴィルはそう言ってティーカップの取っ手を摘んだ。
つい五分ほど前、ヴィルが寮内のサロンで少しばかり休息をと、紅茶とナッツをトレーに準備して本を小脇に抱えてバルコニーの席に向かうとそこには先客のルークが居た。ルークは空いた向かいの席に向かって手を広げ、ヴィルはそれに応えて腰掛ける。そこからこのやりとりは始まった。本がテーブルの隅へ置かれたのを確認して、ルークは話題を提供するために「あれからどうだい?」と聞いたのだ。
彼が放った言葉は文化祭でオーバーブロットをしたことに対しての体調の変化についてだったが、ルークが普段からやれ誰と誰がいい仲だの、誰が恋をしているだのと聞いてもいないのにベラベラと喋るので、てっきりそういった話題なのだと感じたのか、ヴィルもまた自然と気になる人物の姿を思い浮かべた。
しかしここ数週間のその人の姿はおぼろげで、目にしてはいるが嬉しい出来事として記憶に残っていない。そのことがポロッと口から漏れ出たのだ。
沈んだ表情の美麗な寮長を前にルークは絶えず微笑んでいた。恋バナというものに対していつも生返事なヴィルがまさか恋愛の話を投下するとは。これに乗らない手はないと、ルークは向かいに座るヴィルに対して身を乗り出す。
「ヴィルはどういうことだと思うんだい?」
「何がよ」
「神は死んだ。ケイトくんはどういう想いでそう言ったのかな?」
長い睫毛がゆっくりと動き、ヴィルは伏目で黙った。カップに注がれた紅茶の水面に浮いた花弁が水分を吸いきったのか沈み始める。ローズヒップの小さな海に吸い込まれた思考は答えを生み出しはしなかった。
「Gott ist tot……」
普通に考えれば『神は死んだ』という言葉の意味するところは、神という最高の価値が死ぬことにより、この世は神のいないニヒリズム(虚無)の中で創造と破壊を繰り返す円環状の世界となるべきである、というものだ。生きる意味を失いながら何度も同じことを繰り返す無意味な永遠回帰の人生こそがニヒリズムの最高形態だという。それを享受できる人こそが運命愛を得た超人であるという思想だ。神が在るから、神に肯定されているからこそ存在した理想と現実が崩壊すれば、人はただ生きるのみ。そんな意味もなく未来への希望もない世界も肯定すべきと説かれた思想だが、本質は『力への意思』であり、生きている間に虚構へしがみつくことを止め、自分の健康的な人生の為により強くなろうとする意欲であるという。つまりヴィルが持つ信念と重なっている。しかし、ケイトがそれを口にすることの真意などヴィルには理解出来なかった。
ヴィルが目を伏してからおよそ三十秒後、向かいに座ってその様子をじっと見ていたルークはふっと小さく笑う。ヴィルが顔を上げて確認した愛の狩人はしたり顔で、全てを知っていると言わんばかりだった。
「君にとっての神は、おそらく一度死んだ。そしてケイトくんにとっての神もまた死んだんだ。だから彼はヴィルに声を掛けられなくなった。きっとそういうタイプだからだね」
「……は?アタシにとっての神…?」
『認められたい、一番でありたい、主役に選ばれたい、負けたくない、勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい、誰よりも美しくありたい!
アタシこそが…………。』
脳内に蔓延る邪神のような自分の姿をかき消すようにヴィルは首を振った。
「アタシはあの舞台の前に生まれ変わったんだわ」
「そうだね。私も疲れたよ」
「悪かったわね。ケイトは……」
「実はあの時、あの場所に居たそうだよ。たまたまね」
ケイトは文化祭での自分のステージが終わって他のステージの手伝いに駆り出されていた。元々顔が広いしユニーク魔法も人海戦術には持って来いのものである。ジュース一本で手伝ってほしいと言われてアンプを運んでいる最中にたまたまヴィルのオーバーブロットを目にしていた。毒ガスにより近寄れはしなかったしその姿も一瞬しか見ることが出来なかったが、離れたところからでもヴィルの声はよく聞こえていた。
醜いと何度も叫びネージュへの恨みを口にしたヴィルに対して、ケイトは長年の憧憬の情を改めた。
キラキラとした世界に生きている美しい芸能人と仲良くなって一緒に写真を撮ってバズりたい。そしたら楽しいだろうなって軽く考えていた自分を叱責した時に小さな恋心が芽生えた。寮長としてもスーパーモデル兼俳優としても隙のない少年の心の弱い部分を知って、それを守ってあげたいと願った。ただ愛しくて、笑った顔を見る度に嬉しくなって、同時に近寄りがたくなる。
「『オレね、好きな人とは上手く話せないみたいなんだぁ』」
「なに?」
「つい先日、ケイトくんから聞いた言葉だよ」
ヴィルはカップに入ったローズヒップティーをがっと飲み干して荒々しくソーサーに戻す。ガチャンと大きな音を立てて戻されたカップの中身は、数多沈んだ筈の花弁が殆ど残っていない。ぎょっとするルークをよそにナッツの小皿を差し出して美少年は立ち上がる。
「アタシ、行くところがあるから」
「ウィ、お戻りは?」
「夕食には戻るわ」
「いってらっしゃい、麗しのヴィル」
ヴィルもまたケイトの心境の変化に薄々気づいていた。明らかに前とは違う態度に寂しさを覚える。話してもどこか余所余所しく、あまりにも視線が合わない。段々と不自然な事態だと疑問に思うようにもなった。どうしてあの子はアタシの横に居ないのかしら、と。
廊下に西日が差し始める。すれ違う度に交わされる寮生達との挨拶もそこそこに、ヴィルは早足で通り過ぎていく。それを合図にするように燭台に明かりが灯され、二人分のトレーを手に乗せたルークが彼とは逆の方向へと歩き始めた。
午後五時、静まり返った鏡舎に天窓からの日が交差する。ヴィルは自寮の鏡を抜けてすぐ左へと歩を進めた。
何故自分はここにいるのか、ここに生きているのか、どこへ向かって、何のために生きていくのか。そんなものの答えはない。ヴィルが自分自身で作り上げた理想との乖離によって生まれた邪神はあの日死んだ。独りよがりで躍起になっていた愚かで幼い自分を破壊して、今のヴィルがある。
そして新たな世界でまた、創造が始まるのだ。
自分が信じた道を進む。同じ苦楽を何度繰り返すことになろうと悔いが残らぬ選択をする為に、己を信じて、ヴィルはハーツラビュル寮へと続く鏡へ手を伸ばした。
「最近ケイトからまとわりつかれなくなったのよね」
世界一の美貌を誇る美しき少年の溜息に金髪の狩人は目を丸くした。常日頃から周りを数多のファンに囲まれて辟易していると愚痴をこぼすこともある芸能人が、まるで傍に人が居ないことを憂いているようだ。それは学園内で一番のヴィルの理解者とも言えるルークからしても意外なことで、まさか監視されるように常に誰かの視線を集めているヴィルが、誰かの存在がないことを惜しむなどとは考えたこともなかった。
「居ないと困るのかい?」
「調子が狂うわ」
「調子が……何故だろうね」
意地悪げに問うと、ヴィルは不機嫌な顔をしてルークから目を逸らした。自分の気持ちは話すつもりがないらしく、それでいて憂いの根幹の情報は欲しいのだと無言を貫く。
「私も最近姿を見ないからどうしたのかと聞いたんだよ。もうヴィルとツーショットを撮ることを諦めたのかい?と。そしたら彼は『神は死んだんだ』と答えたよ」
「何を言ってるのかしら。哲学者じゃあるまいし」
全くわけがわからない。ヴィルはそう言ってティーカップの取っ手を摘んだ。
つい五分ほど前、ヴィルが寮内のサロンで少しばかり休息をと、紅茶とナッツをトレーに準備して本を小脇に抱えてバルコニーの席に向かうとそこには先客のルークが居た。ルークは空いた向かいの席に向かって手を広げ、ヴィルはそれに応えて腰掛ける。そこからこのやりとりは始まった。本がテーブルの隅へ置かれたのを確認して、ルークは話題を提供するために「あれからどうだい?」と聞いたのだ。
彼が放った言葉は文化祭でオーバーブロットをしたことに対しての体調の変化についてだったが、ルークが普段からやれ誰と誰がいい仲だの、誰が恋をしているだのと聞いてもいないのにベラベラと喋るので、てっきりそういった話題なのだと感じたのか、ヴィルもまた自然と気になる人物の姿を思い浮かべた。
しかしここ数週間のその人の姿はおぼろげで、目にしてはいるが嬉しい出来事として記憶に残っていない。そのことがポロッと口から漏れ出たのだ。
沈んだ表情の美麗な寮長を前にルークは絶えず微笑んでいた。恋バナというものに対していつも生返事なヴィルがまさか恋愛の話を投下するとは。これに乗らない手はないと、ルークは向かいに座るヴィルに対して身を乗り出す。
「ヴィルはどういうことだと思うんだい?」
「何がよ」
「神は死んだ。ケイトくんはどういう想いでそう言ったのかな?」
長い睫毛がゆっくりと動き、ヴィルは伏目で黙った。カップに注がれた紅茶の水面に浮いた花弁が水分を吸いきったのか沈み始める。ローズヒップの小さな海に吸い込まれた思考は答えを生み出しはしなかった。
「Gott ist tot……」
普通に考えれば『神は死んだ』という言葉の意味するところは、神という最高の価値が死ぬことにより、この世は神のいないニヒリズム(虚無)の中で創造と破壊を繰り返す円環状の世界となるべきである、というものだ。生きる意味を失いながら何度も同じことを繰り返す無意味な永遠回帰の人生こそがニヒリズムの最高形態だという。それを享受できる人こそが運命愛を得た超人であるという思想だ。神が在るから、神に肯定されているからこそ存在した理想と現実が崩壊すれば、人はただ生きるのみ。そんな意味もなく未来への希望もない世界も肯定すべきと説かれた思想だが、本質は『力への意思』であり、生きている間に虚構へしがみつくことを止め、自分の健康的な人生の為により強くなろうとする意欲であるという。つまりヴィルが持つ信念と重なっている。しかし、ケイトがそれを口にすることの真意などヴィルには理解出来なかった。
ヴィルが目を伏してからおよそ三十秒後、向かいに座ってその様子をじっと見ていたルークはふっと小さく笑う。ヴィルが顔を上げて確認した愛の狩人はしたり顔で、全てを知っていると言わんばかりだった。
「君にとっての神は、おそらく一度死んだ。そしてケイトくんにとっての神もまた死んだんだ。だから彼はヴィルに声を掛けられなくなった。きっとそういうタイプだからだね」
「……は?アタシにとっての神…?」
『認められたい、一番でありたい、主役に選ばれたい、負けたくない、勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい、誰よりも美しくありたい!
アタシこそが…………。』
脳内に蔓延る邪神のような自分の姿をかき消すようにヴィルは首を振った。
「アタシはあの舞台の前に生まれ変わったんだわ」
「そうだね。私も疲れたよ」
「悪かったわね。ケイトは……」
「実はあの時、あの場所に居たそうだよ。たまたまね」
ケイトは文化祭での自分のステージが終わって他のステージの手伝いに駆り出されていた。元々顔が広いしユニーク魔法も人海戦術には持って来いのものである。ジュース一本で手伝ってほしいと言われてアンプを運んでいる最中にたまたまヴィルのオーバーブロットを目にしていた。毒ガスにより近寄れはしなかったしその姿も一瞬しか見ることが出来なかったが、離れたところからでもヴィルの声はよく聞こえていた。
醜いと何度も叫びネージュへの恨みを口にしたヴィルに対して、ケイトは長年の憧憬の情を改めた。
キラキラとした世界に生きている美しい芸能人と仲良くなって一緒に写真を撮ってバズりたい。そしたら楽しいだろうなって軽く考えていた自分を叱責した時に小さな恋心が芽生えた。寮長としてもスーパーモデル兼俳優としても隙のない少年の心の弱い部分を知って、それを守ってあげたいと願った。ただ愛しくて、笑った顔を見る度に嬉しくなって、同時に近寄りがたくなる。
「『オレね、好きな人とは上手く話せないみたいなんだぁ』」
「なに?」
「つい先日、ケイトくんから聞いた言葉だよ」
ヴィルはカップに入ったローズヒップティーをがっと飲み干して荒々しくソーサーに戻す。ガチャンと大きな音を立てて戻されたカップの中身は、数多沈んだ筈の花弁が殆ど残っていない。ぎょっとするルークをよそにナッツの小皿を差し出して美少年は立ち上がる。
「アタシ、行くところがあるから」
「ウィ、お戻りは?」
「夕食には戻るわ」
「いってらっしゃい、麗しのヴィル」
ヴィルもまたケイトの心境の変化に薄々気づいていた。明らかに前とは違う態度に寂しさを覚える。話してもどこか余所余所しく、あまりにも視線が合わない。段々と不自然な事態だと疑問に思うようにもなった。どうしてあの子はアタシの横に居ないのかしら、と。
廊下に西日が差し始める。すれ違う度に交わされる寮生達との挨拶もそこそこに、ヴィルは早足で通り過ぎていく。それを合図にするように燭台に明かりが灯され、二人分のトレーを手に乗せたルークが彼とは逆の方向へと歩き始めた。
午後五時、静まり返った鏡舎に天窓からの日が交差する。ヴィルは自寮の鏡を抜けてすぐ左へと歩を進めた。
何故自分はここにいるのか、ここに生きているのか、どこへ向かって、何のために生きていくのか。そんなものの答えはない。ヴィルが自分自身で作り上げた理想との乖離によって生まれた邪神はあの日死んだ。独りよがりで躍起になっていた愚かで幼い自分を破壊して、今のヴィルがある。
そして新たな世界でまた、創造が始まるのだ。
自分が信じた道を進む。同じ苦楽を何度繰り返すことになろうと悔いが残らぬ選択をする為に、己を信じて、ヴィルはハーツラビュル寮へと続く鏡へ手を伸ばした。
