ヴィルケイss
「ねぇ、ヴィルくん。オレが死んだら棺桶にオレンジ色のカレンデュラを詰めてよ」
「なんてことを言ってきたのよ!?信じられる!?」
輝石の国に存在する小さなレストランの個室で、ヴィルはテーブルにビールのジョッキを叩き付けた。軽く上に散った白い飛沫を目で追う青年二人は顔を見合わせ苦笑する。
「そう気を荒くするなよ」
「オーララ、それは寂しいね」
学園を卒業して早十年。社会の荒波に揉まれてより逞しい顔付きになった元サイエンス部の二人は、自身らの目の前に置かれたグラスに口を付けつつヴィルを宥める。
久々に集まって食事でもと誘われたのが一週間前、まさか愚痴を吐き出す為に呼び出されたとは思うまい。しかし彼らも年に数回は顔を合わせておしゃべりに興じる相手の珍しく荒れた姿に困惑していた。まさかヴィルともあろう人の口から恋人の愚痴を聞くことになるとは。
ヴィルはケイトと在学中から交際しており、それはもう相手を溺愛していた。誰の目にも明らかな程メロメロでそれがもう十年以上続いていたのだが、遂に愛想を尽かしたのか。
とも思えばどうやらそうではないらしい。
急にしょぼんと肩を落として、下唇を噛んでジョッキの取っ手を握り締め直す。
「寂しいなんてもんじゃないわ……。ケイトと離れるなんて考えられない。例え死が二人を分かつとも共にと考えていたのに……」
必死で涙を堪える表情を目の当たりにしてルークはポケットからハンカチを出して彼に差し出す。
「元気を出しておくれ、ヴィル」
しかしヴィルはこぼれそうな涙を指で弾き、ハンカチをルークに押し戻す。そのままの勢いで彼に向かって身を乗り出して声を荒らげた。
「おまけにアタシが先に死んだら棺桶に赤いアルストロメリアを詰めるって言うのよ!?何で赤なの!?せめてアタシのイメージに合った色にしないかしら!」
上品とはお世辞にも言えない作法のヴィルの、唾が飛びそうな勢いの言葉をルークは姿勢を正して聞いていた。そして頬杖をついて傍観をきめていたトレイをちらりと見てにこりと微笑むと、その笑顔のままにヴィルへと向き直る。
「ケイトくんは自分が先に死んだらヴィルに悲しんでもらいたいのかもしれないね」
「え?」
「花言葉だよ。彼はハーツラビュル寮所属だったろう?あそこは薔薇の花が咲き乱れているが、花について詳しい生徒が多かったんだ」
「よく知ってるわね?」
「私の愛しい人も同じ寮だったからね」
左側に座るトレイに手を伸ばしてルークは彼の頬に優しく触れた。それを受けて小さく笑ったトレイの表情は柔らかで幸せに満ちている。彼らもまた恋人同士だった。ヴィルとケイト程長い交際期間というわけではないが、それでも気心の知れた間柄である期間は長い。
「俺が何処の寮の所属だったか忘れたのか?」
「勿論覚えてるわ。ケイトと仲良しこよしだったトレイ・クローバー。アタシの天敵よ」
「俺はそんなふうには思ったことないがな」
眉と肩とを下げてやれやれと溜息を吐くトレイにヴィルは苛立ちが収まらないのか腕を組んで指で二の腕をトントンと叩き始める。何を思い返しているのか眼光が鋭く、威圧的な輝きを増した。
「それで?花言葉がなんですって?」
「オレンジ色のカレンデュラの花言葉は別れの悲しみ。ケイトの周りをカレンデュラで満たして自分のために泣いてほしいんじゃないか?」
「なんて勝手なの!?アタシを置いていって自分のために泣けって!?酷い……そんな辛い目に遭わせるなんて」
「そしてアルストロメリアは幸せって花言葉なんだ」
「幸せ……?何故?アタシが死んでるのに?」
「それから赤いアルストロメリアはケイトって呼ばれてるんだぞ」
「そうなの!?」
この時期は春の息吹がそこかしこに感じられる心地いい季節のはずが、毎日がどんよりと沈んでいる雷雨のようで、雨に打たれて風邪を引いて高熱を出したみたいにヴィルは心が疲弊していた。そして彼は件の話をケイトに聞かされた日から毎日花屋の前を通る度に、カレンデュラとアルストロメリアを見ては全て燃やし尽くしたいと思うようになった。こんなものが無ければケイトは自分が死んだら、などというふざけたことは言わなくなるだろう。死を意識させどちらかが孤独に苛まれる悲しい未来を考えさせようとはしなくなるだろう。あんな花など全てなくなってしまえば良い、と憎悪を向けていた。
だからこそ、ヴィルがルークとトレイに聞かされた情報は彼にとっては目から鱗が落ちたようであった。
「ケイトがヴィルの棺桶に一緒に入れて幸せってことだろうな、多分」
「熱烈だね、エクセレン!」
「アタシは抱き合って眠りにつきたいわ……願わくば同じ瞬間に死にたい」
「難しいね。だから彼は取り決めをしたいのではないのかな?納得のいく最期を迎えて君と共に生きたことを喜びたいんだよ」
「……」
ヴィルは愛する人の死を想像したことの悲観で堪えていた涙をこぼした。ただし先程までとは違った意味でだ。一筋の音もなく流れた涙を向かいに座っていたルークがヴィルの顎にハンカチを宛てがい拭う。
ヴィルは遠い未来を想像した。自分の亡骸を囲むように真っ赤なアルストロメリアを詰め込むケイトが最期に何と言うかを。
愛してる?
さようなら?
幸せだったよ?
そうだったら良いなと考えるも答えなど出てこない。せめて残される方が残りの人生を歩む時に寂しくないように愛した人の最高の記憶として残るようにしたい、そう感じたら自然と涙が流れた。
丁度その時、ケイトが個室のドアを軽くノックして入室した。
「おまたせ~。もうできあがっちゃってる感じ?」
「ケイト!」
グラスの酒の量を見ただけで軽く声を掛けたケイトは、座るや否や涙ながらに抱き着いてきた恋人の顔を見て驚愕した。
「何で泣いてるの?この二人に泣かされたの?大丈夫?」
恋人の目元を指で拭い、慌ててハンカチを出そうとバッグの中に入れたケイトの手をヴィルは掴む。涙は既に止まっていた。彼は艷やかなシャンパンゴールドの前髪を耳に掛けてから、唇が付きそうな距離まで顔を近付けて真剣に告げる。その真っ直ぐな目に胸が高鳴るケイトは急な接近に驚き少し仰け反りながらも、熱く燃える紫の眼に釘付けだ。
「ケイト、アンタが死んだら悲しい。だから、アンタの棺には収まりきらないくらい沢山の花を詰めるわ。カレンデュラだけじゃない。ケイトが亡くなってもアタシがケイトだけを愛してるってことが一目でわかるくらいに色んな愛の花を詰めるから!……だから、安心して」
「ヴィルくん、ありがとね。まだまだ死ぬまでよろしくお願いします」
顔をほころばせヴィルの首に抱き着いたケイトの姿を向かい側に座る青年達はやれやれといった表情で見つめる。全く人騒がせな。想い合ってるのだからきちんと発言の意図を説明して、いつも通りにいちゃいちゃしていたら平和なものを、とでも言いたげだ。
ルークは満足げに頷くとぱっとにこやかになり、飲みかけのワイングラスを手に持つ。
「ケイトくんも来たことだし、とりあえずまた乾杯しよう」
「そうだね、それぞれが楽しい最期を迎えられるように願ってさ」
「縁起でもないな」
「誰が一番長く生きるかしら。ふふ、全員看取ってやるわ」
「美人薄命って言うからなぁ。不毛……」
「ケイト、何でそこで俺の頭を見るんだ。別に禿げてないだろ?」
「ソンナコトイッテナイヨー」
「ほらグラスを持ってくれたまえ」
「オレまだ頼んでない」
「アタシの頼んだ二杯目用のビールをあげるわ」
「いつもはそんなに飲まないのに頼んだの?ぬるそう……」
憎まれ口を含んだ和気藹々とした会話から、いつもの彼らの食事会の雰囲気に戻っていた。普段は集まっても近況の報告やどうでもいい話しかしていない。たまに集まっては親しい相手と酒を酌み交わしたいだけなのだ。
結露したジョッキを渋々持ち上げたケイトに合わせて三人はグラスを寄せる。
「「乾杯!」」
カチン、とガラスのぶつかる音に続いてビールを半分近くまで飲み干したケイトはぶはーっと息を吐いてから、今日仕事中に出会した美形な猫の話を始めた。
「なんてことを言ってきたのよ!?信じられる!?」
輝石の国に存在する小さなレストランの個室で、ヴィルはテーブルにビールのジョッキを叩き付けた。軽く上に散った白い飛沫を目で追う青年二人は顔を見合わせ苦笑する。
「そう気を荒くするなよ」
「オーララ、それは寂しいね」
学園を卒業して早十年。社会の荒波に揉まれてより逞しい顔付きになった元サイエンス部の二人は、自身らの目の前に置かれたグラスに口を付けつつヴィルを宥める。
久々に集まって食事でもと誘われたのが一週間前、まさか愚痴を吐き出す為に呼び出されたとは思うまい。しかし彼らも年に数回は顔を合わせておしゃべりに興じる相手の珍しく荒れた姿に困惑していた。まさかヴィルともあろう人の口から恋人の愚痴を聞くことになるとは。
ヴィルはケイトと在学中から交際しており、それはもう相手を溺愛していた。誰の目にも明らかな程メロメロでそれがもう十年以上続いていたのだが、遂に愛想を尽かしたのか。
とも思えばどうやらそうではないらしい。
急にしょぼんと肩を落として、下唇を噛んでジョッキの取っ手を握り締め直す。
「寂しいなんてもんじゃないわ……。ケイトと離れるなんて考えられない。例え死が二人を分かつとも共にと考えていたのに……」
必死で涙を堪える表情を目の当たりにしてルークはポケットからハンカチを出して彼に差し出す。
「元気を出しておくれ、ヴィル」
しかしヴィルはこぼれそうな涙を指で弾き、ハンカチをルークに押し戻す。そのままの勢いで彼に向かって身を乗り出して声を荒らげた。
「おまけにアタシが先に死んだら棺桶に赤いアルストロメリアを詰めるって言うのよ!?何で赤なの!?せめてアタシのイメージに合った色にしないかしら!」
上品とはお世辞にも言えない作法のヴィルの、唾が飛びそうな勢いの言葉をルークは姿勢を正して聞いていた。そして頬杖をついて傍観をきめていたトレイをちらりと見てにこりと微笑むと、その笑顔のままにヴィルへと向き直る。
「ケイトくんは自分が先に死んだらヴィルに悲しんでもらいたいのかもしれないね」
「え?」
「花言葉だよ。彼はハーツラビュル寮所属だったろう?あそこは薔薇の花が咲き乱れているが、花について詳しい生徒が多かったんだ」
「よく知ってるわね?」
「私の愛しい人も同じ寮だったからね」
左側に座るトレイに手を伸ばしてルークは彼の頬に優しく触れた。それを受けて小さく笑ったトレイの表情は柔らかで幸せに満ちている。彼らもまた恋人同士だった。ヴィルとケイト程長い交際期間というわけではないが、それでも気心の知れた間柄である期間は長い。
「俺が何処の寮の所属だったか忘れたのか?」
「勿論覚えてるわ。ケイトと仲良しこよしだったトレイ・クローバー。アタシの天敵よ」
「俺はそんなふうには思ったことないがな」
眉と肩とを下げてやれやれと溜息を吐くトレイにヴィルは苛立ちが収まらないのか腕を組んで指で二の腕をトントンと叩き始める。何を思い返しているのか眼光が鋭く、威圧的な輝きを増した。
「それで?花言葉がなんですって?」
「オレンジ色のカレンデュラの花言葉は別れの悲しみ。ケイトの周りをカレンデュラで満たして自分のために泣いてほしいんじゃないか?」
「なんて勝手なの!?アタシを置いていって自分のために泣けって!?酷い……そんな辛い目に遭わせるなんて」
「そしてアルストロメリアは幸せって花言葉なんだ」
「幸せ……?何故?アタシが死んでるのに?」
「それから赤いアルストロメリアはケイトって呼ばれてるんだぞ」
「そうなの!?」
この時期は春の息吹がそこかしこに感じられる心地いい季節のはずが、毎日がどんよりと沈んでいる雷雨のようで、雨に打たれて風邪を引いて高熱を出したみたいにヴィルは心が疲弊していた。そして彼は件の話をケイトに聞かされた日から毎日花屋の前を通る度に、カレンデュラとアルストロメリアを見ては全て燃やし尽くしたいと思うようになった。こんなものが無ければケイトは自分が死んだら、などというふざけたことは言わなくなるだろう。死を意識させどちらかが孤独に苛まれる悲しい未来を考えさせようとはしなくなるだろう。あんな花など全てなくなってしまえば良い、と憎悪を向けていた。
だからこそ、ヴィルがルークとトレイに聞かされた情報は彼にとっては目から鱗が落ちたようであった。
「ケイトがヴィルの棺桶に一緒に入れて幸せってことだろうな、多分」
「熱烈だね、エクセレン!」
「アタシは抱き合って眠りにつきたいわ……願わくば同じ瞬間に死にたい」
「難しいね。だから彼は取り決めをしたいのではないのかな?納得のいく最期を迎えて君と共に生きたことを喜びたいんだよ」
「……」
ヴィルは愛する人の死を想像したことの悲観で堪えていた涙をこぼした。ただし先程までとは違った意味でだ。一筋の音もなく流れた涙を向かいに座っていたルークがヴィルの顎にハンカチを宛てがい拭う。
ヴィルは遠い未来を想像した。自分の亡骸を囲むように真っ赤なアルストロメリアを詰め込むケイトが最期に何と言うかを。
愛してる?
さようなら?
幸せだったよ?
そうだったら良いなと考えるも答えなど出てこない。せめて残される方が残りの人生を歩む時に寂しくないように愛した人の最高の記憶として残るようにしたい、そう感じたら自然と涙が流れた。
丁度その時、ケイトが個室のドアを軽くノックして入室した。
「おまたせ~。もうできあがっちゃってる感じ?」
「ケイト!」
グラスの酒の量を見ただけで軽く声を掛けたケイトは、座るや否や涙ながらに抱き着いてきた恋人の顔を見て驚愕した。
「何で泣いてるの?この二人に泣かされたの?大丈夫?」
恋人の目元を指で拭い、慌ててハンカチを出そうとバッグの中に入れたケイトの手をヴィルは掴む。涙は既に止まっていた。彼は艷やかなシャンパンゴールドの前髪を耳に掛けてから、唇が付きそうな距離まで顔を近付けて真剣に告げる。その真っ直ぐな目に胸が高鳴るケイトは急な接近に驚き少し仰け反りながらも、熱く燃える紫の眼に釘付けだ。
「ケイト、アンタが死んだら悲しい。だから、アンタの棺には収まりきらないくらい沢山の花を詰めるわ。カレンデュラだけじゃない。ケイトが亡くなってもアタシがケイトだけを愛してるってことが一目でわかるくらいに色んな愛の花を詰めるから!……だから、安心して」
「ヴィルくん、ありがとね。まだまだ死ぬまでよろしくお願いします」
顔をほころばせヴィルの首に抱き着いたケイトの姿を向かい側に座る青年達はやれやれといった表情で見つめる。全く人騒がせな。想い合ってるのだからきちんと発言の意図を説明して、いつも通りにいちゃいちゃしていたら平和なものを、とでも言いたげだ。
ルークは満足げに頷くとぱっとにこやかになり、飲みかけのワイングラスを手に持つ。
「ケイトくんも来たことだし、とりあえずまた乾杯しよう」
「そうだね、それぞれが楽しい最期を迎えられるように願ってさ」
「縁起でもないな」
「誰が一番長く生きるかしら。ふふ、全員看取ってやるわ」
「美人薄命って言うからなぁ。不毛……」
「ケイト、何でそこで俺の頭を見るんだ。別に禿げてないだろ?」
「ソンナコトイッテナイヨー」
「ほらグラスを持ってくれたまえ」
「オレまだ頼んでない」
「アタシの頼んだ二杯目用のビールをあげるわ」
「いつもはそんなに飲まないのに頼んだの?ぬるそう……」
憎まれ口を含んだ和気藹々とした会話から、いつもの彼らの食事会の雰囲気に戻っていた。普段は集まっても近況の報告やどうでもいい話しかしていない。たまに集まっては親しい相手と酒を酌み交わしたいだけなのだ。
結露したジョッキを渋々持ち上げたケイトに合わせて三人はグラスを寄せる。
「「乾杯!」」
カチン、とガラスのぶつかる音に続いてビールを半分近くまで飲み干したケイトはぶはーっと息を吐いてから、今日仕事中に出会した美形な猫の話を始めた。
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