週刊少年リビドー
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「漫画入門」として、わたしはスポーツ漫画の名作をチョイスした。数年前にテレビアニメも放送されていた、有名な作品だ。
ファンタジーものは設定が複雑だし、カタカナの名前がたくさん出てきて覚えづらい。その点、スポーツものはルールがわかっていれば誰でも楽しめる。
わたしの本棚から選び抜いた珠玉の一作だ。これなら仗助くんも楽しんでくれるだろう。
つい数分前までは、そう思っていた。
一話目を読み終わったあたりで、わたしはとうとう我慢できなくなって声を上げた。
「仗助くん……ちょっと、くっつきすぎかも。暑い……」
今、わたしの背中と仗助くんの体はぴったりと密着している。
最初にいろいろと試行錯誤した結果、わたしが漫画のページをめくり、その背後から仗助くんが覗き込むような体勢になった。二人で読んでいるため距離が近くなるのは当然だが、それにしたって限度というものがある。
さっきは「暑い」と言ったが、離れてほしい理由はそれだけではない。彼の吐息が耳を掠めるたび、背中がぞわぞわしてくすぐったい気持ちになる。
「だ……だがよォー、文字が米粒みてーに小さくて、これくれー近づかなきゃあ読めねーんだよ。やっぱし最近ゲームのやりすぎで視力下がっちまったかなあ」
「そうなの? 仗助くん、視力いくつだっけ」
健康優良児のイメージがあったので、目が悪いというのは意外な事実だ。純粋な興味から質問したのだが、なぜか仗助くんはさっと視線を逸らした。
「前測った時は、に……いや、1・5? だったかな」
「……それって一番良い数字じゃない?」
「そ、そっから下がったっつーことだよ」
……怪しい。
ハハハ、と乾いた声で笑う仗助くんを半目で見つめる。彼も暑いのだろうか。心なしか、いつもより顔の血色がいい。
わたしは溜め息をついた後、手元の漫画に視線を落とした。彼に気を取られていたせいで、どの台詞を読んでいたか忘れてしまった。
目が忙しなく同じ箇所を往復する。何度も読み返した台詞が、今は単なる文字の羅列にしか見えない。……このページはいったん諦めることにして、わたしは仗助くんに軽く尋ねた。
「ここ、読み終わったなら次にいっても——ひゃっ」
突然、うなじを指でなぞられ、肩が跳ねる。
ひそかに抱いていた疑念が確信に変わり、わたしは首を手で押さえながら勢いよく振り返った。
「〜〜っ、やっぱり仗助くん、漫画に集中してないでしょ!」
「ちょっ、ちょっと待て、誤解だ! 髪の毛にゴミがくっついてたから取ってやろーとしただけなんだって」
顔を引きつらせた仗助くんが両手を上げ、降参を示すポーズを取る。殊勝な態度だが、二度も騙されると思ったら大間違いだ。
「ふ〜ん……ずいぶんと都合のいい目なんだね」
わたしは漫画をパタンと閉じて、机の上に置いた。
「仗助くん。ちょっと簡単な問題を出させてもらうね。……この漫画の主人公の名前、言える?」
「え!?」
半笑いのまま、仗助くんの表情が固まる。数秒後、彼は顔を片手で覆い、汗をダラダラと流しながら悩み始めた。
「……えーっと、なんだったかな……漢字なのは覚えてっけど読み方が自信ねーなあ〜……」
「数撃ちゃ当たる」戦法なのか、仗助くんは手当たり次第に適当な名前を挙げていった。
しかし、残念ながらどれも正解に掠ってすらいない。「違います」「不正解」「ブブー」とばっさり答えていくうちに、彼の表情が絶望に染まっていく。正解しないと部屋を追い出されるとでも思っているのかもしれない。
「もういいよ。……よくわかったから」
でも——正直に言うと、わたしは全く怒っていなかった。
わたしが怒っていると思って慌てふためく仗助くんの姿が可愛くて、ついクールぶった態度を続けてしまう。本人にバレたら、きっと怒られてしまうだろう。
「ま、待て、おれにも事情がだな……」
「事情?」
「……は……」
口元を引き締め、目の前の彼をじろりと見る。あさっての方を向きながら、真っ赤な顔で、仗助くんはボソボソと「事情」を告白した。
「初めて入った『彼女の部屋』で、漫画に集中できるわけねーだろ……」
熱を帯びた青い瞳が、ぐらぐらと揺れている。心臓に甘い痛みが走って、ずっと胸に閉じこめていた言葉が、唇の隙間から自然とこぼれ落ちた。
「……かわいい」
小さな呟きだったが、仗助くんの耳はしっかりとわたしの声を拾っていたらしい。
「あーっ、からかってたのかよ!」
目をぎゅっと吊り上げて文句を言う彼に慌てて謝罪する。これが男の子にあまり喜んでもらえない言葉だということくらい、わたしにもわかる。
この「可愛い」という気持ちは、もっと別の感情に言いかえられるはずだ。でも、それを面と向かって口にする勇気を、わたしはまだ持ち合わせていなかった。
「……前から思ってたことだがよー、今改めて確信したぜ。やっぱりナマエ、おれのこと『彼氏』だと思ってねーだろ」
「ええ? そんなことないよ」
「いーや、ある」
伸びてきた両手がわたしの頬を包み込む。気づけば、真剣な眼差しが至近距離にあった。呆気に取られたまま、彼の唇が動き出すのをただ見つめる。
「次はおれが問題を出す番だ」
「も、問題?」
やっとのことで声は出せたものの、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
全身の血がかけめぐり、心臓が激しく脈打っている。何もかも、ひたすらに熱かった。彼の手が熱いのか、わたしの顔が熱いのか、もはや判別をつけることすらできない。
仗助くんは深く息を吸って、わたしと目を合わせた。
「おれはいま、何をしようとしてるでしょうか」
それはある意味、何よりも難しい問題だった。でも、わたしは一度で正解することができるし——正解しなくてはいけないと感じた。
仗助くんの「彼女」だから。
「……チュー?」
「正解」と嬉しそうな声が答えて、一気に彼のまつ毛が近づいた。整髪料の爽やかな香りが鼻先をくすぐる。一瞬の出来事だったから、目を瞑ることもできなかった。ふにっとした柔らかい感触を残して、それはすぐに離れていった。
「……あー……」
「……」
「わ、悪かったな……漫画、全然読めなくてよ」
長い沈黙の後、仗助くんが取り繕うようにそう言った。返す言葉が見つからなくて、わたしは首を横に振ることしかできない。
実はわたしも、漫画の内容なんて全く頭に入っていなかった。
ファンタジーものは設定が複雑だし、カタカナの名前がたくさん出てきて覚えづらい。その点、スポーツものはルールがわかっていれば誰でも楽しめる。
わたしの本棚から選び抜いた珠玉の一作だ。これなら仗助くんも楽しんでくれるだろう。
つい数分前までは、そう思っていた。
一話目を読み終わったあたりで、わたしはとうとう我慢できなくなって声を上げた。
「仗助くん……ちょっと、くっつきすぎかも。暑い……」
今、わたしの背中と仗助くんの体はぴったりと密着している。
最初にいろいろと試行錯誤した結果、わたしが漫画のページをめくり、その背後から仗助くんが覗き込むような体勢になった。二人で読んでいるため距離が近くなるのは当然だが、それにしたって限度というものがある。
さっきは「暑い」と言ったが、離れてほしい理由はそれだけではない。彼の吐息が耳を掠めるたび、背中がぞわぞわしてくすぐったい気持ちになる。
「だ……だがよォー、文字が米粒みてーに小さくて、これくれー近づかなきゃあ読めねーんだよ。やっぱし最近ゲームのやりすぎで視力下がっちまったかなあ」
「そうなの? 仗助くん、視力いくつだっけ」
健康優良児のイメージがあったので、目が悪いというのは意外な事実だ。純粋な興味から質問したのだが、なぜか仗助くんはさっと視線を逸らした。
「前測った時は、に……いや、1・5? だったかな」
「……それって一番良い数字じゃない?」
「そ、そっから下がったっつーことだよ」
……怪しい。
ハハハ、と乾いた声で笑う仗助くんを半目で見つめる。彼も暑いのだろうか。心なしか、いつもより顔の血色がいい。
わたしは溜め息をついた後、手元の漫画に視線を落とした。彼に気を取られていたせいで、どの台詞を読んでいたか忘れてしまった。
目が忙しなく同じ箇所を往復する。何度も読み返した台詞が、今は単なる文字の羅列にしか見えない。……このページはいったん諦めることにして、わたしは仗助くんに軽く尋ねた。
「ここ、読み終わったなら次にいっても——ひゃっ」
突然、うなじを指でなぞられ、肩が跳ねる。
ひそかに抱いていた疑念が確信に変わり、わたしは首を手で押さえながら勢いよく振り返った。
「〜〜っ、やっぱり仗助くん、漫画に集中してないでしょ!」
「ちょっ、ちょっと待て、誤解だ! 髪の毛にゴミがくっついてたから取ってやろーとしただけなんだって」
顔を引きつらせた仗助くんが両手を上げ、降参を示すポーズを取る。殊勝な態度だが、二度も騙されると思ったら大間違いだ。
「ふ〜ん……ずいぶんと都合のいい目なんだね」
わたしは漫画をパタンと閉じて、机の上に置いた。
「仗助くん。ちょっと簡単な問題を出させてもらうね。……この漫画の主人公の名前、言える?」
「え!?」
半笑いのまま、仗助くんの表情が固まる。数秒後、彼は顔を片手で覆い、汗をダラダラと流しながら悩み始めた。
「……えーっと、なんだったかな……漢字なのは覚えてっけど読み方が自信ねーなあ〜……」
「数撃ちゃ当たる」戦法なのか、仗助くんは手当たり次第に適当な名前を挙げていった。
しかし、残念ながらどれも正解に掠ってすらいない。「違います」「不正解」「ブブー」とばっさり答えていくうちに、彼の表情が絶望に染まっていく。正解しないと部屋を追い出されるとでも思っているのかもしれない。
「もういいよ。……よくわかったから」
でも——正直に言うと、わたしは全く怒っていなかった。
わたしが怒っていると思って慌てふためく仗助くんの姿が可愛くて、ついクールぶった態度を続けてしまう。本人にバレたら、きっと怒られてしまうだろう。
「ま、待て、おれにも事情がだな……」
「事情?」
「……は……」
口元を引き締め、目の前の彼をじろりと見る。あさっての方を向きながら、真っ赤な顔で、仗助くんはボソボソと「事情」を告白した。
「初めて入った『彼女の部屋』で、漫画に集中できるわけねーだろ……」
熱を帯びた青い瞳が、ぐらぐらと揺れている。心臓に甘い痛みが走って、ずっと胸に閉じこめていた言葉が、唇の隙間から自然とこぼれ落ちた。
「……かわいい」
小さな呟きだったが、仗助くんの耳はしっかりとわたしの声を拾っていたらしい。
「あーっ、からかってたのかよ!」
目をぎゅっと吊り上げて文句を言う彼に慌てて謝罪する。これが男の子にあまり喜んでもらえない言葉だということくらい、わたしにもわかる。
この「可愛い」という気持ちは、もっと別の感情に言いかえられるはずだ。でも、それを面と向かって口にする勇気を、わたしはまだ持ち合わせていなかった。
「……前から思ってたことだがよー、今改めて確信したぜ。やっぱりナマエ、おれのこと『彼氏』だと思ってねーだろ」
「ええ? そんなことないよ」
「いーや、ある」
伸びてきた両手がわたしの頬を包み込む。気づけば、真剣な眼差しが至近距離にあった。呆気に取られたまま、彼の唇が動き出すのをただ見つめる。
「次はおれが問題を出す番だ」
「も、問題?」
やっとのことで声は出せたものの、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
全身の血がかけめぐり、心臓が激しく脈打っている。何もかも、ひたすらに熱かった。彼の手が熱いのか、わたしの顔が熱いのか、もはや判別をつけることすらできない。
仗助くんは深く息を吸って、わたしと目を合わせた。
「おれはいま、何をしようとしてるでしょうか」
それはある意味、何よりも難しい問題だった。でも、わたしは一度で正解することができるし——正解しなくてはいけないと感じた。
仗助くんの「彼女」だから。
「……チュー?」
「正解」と嬉しそうな声が答えて、一気に彼のまつ毛が近づいた。整髪料の爽やかな香りが鼻先をくすぐる。一瞬の出来事だったから、目を瞑ることもできなかった。ふにっとした柔らかい感触を残して、それはすぐに離れていった。
「……あー……」
「……」
「わ、悪かったな……漫画、全然読めなくてよ」
長い沈黙の後、仗助くんが取り繕うようにそう言った。返す言葉が見つからなくて、わたしは首を横に振ることしかできない。
実はわたしも、漫画の内容なんて全く頭に入っていなかった。