週刊少年リビドー
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しかし、仗助の密かな期待は早々に打ち砕かれた。
「さすがによおー……真面目すぎるぜ、おまえ」
「えっ?」
窓のそばで埃をかき集めていた彼女が、心外といった表情で振り向く。怒られない範囲で上手くサボろうと考えていた仗助にとって、この展開はまったくの想定外だった。女子というものは、総じて「掃除を真面目にする」本能が遺伝子に刻まれているのだろうか。
「……あとよ、さっきから思ってたんだが、いつもより距離が遠くねーか?」
清掃場所の分担、という観点では正解なのかもしれないが、彼氏としては少々不服だ。一歩踏み出そうとする仗助を見て、ナマエが慌てて後退りする。思わず眉をひそめると、彼女は恥ずかしそうな表情で口早に言った。
「今日、体育でマラソン走ったから汗臭いかも。一応拭いたんだけど……」
「なんだ、そんなことかよ……今さら気にするようなことじゃあねーだろ」
「あ、ひどい! こっちは結構気にしてるのに」
そう言われると、かえって近づきたくなる。
二、三歩と進み出たが、彼女はもう抵抗しなかった。ほうきを動かす手を止め、仗助が来るのを大人しく待っているように見えた。
このまま近づいて——どこまで許されるのだろう。得体の知れない感情が、腹の底から湧き上がってくる。彼女の体を壁際まで追い詰めたところで、ようやく「仗助くん」と困った声で名前を呼ばれた。
甘い匂いがする。
「……全然、汗臭くねーよ」
そんな、当たり障りのない言葉を絞り出すだけで精一杯だった。香水というよりは、シャンプーとか柔軟剤とか……たぶん、そういう類いの香りだろう。脳内で冷静に考察したものの、それを口に出して言うのは変態的な行為に思えて、さすがに憚られた。
小さな声で、彼女が「よかった」と呟く。それから、しばらく悩むそぶりを見せた後、仗助を見上げて口を開いた。
「前から気になってたんだけど、仗助くんは香水とかつけてるの?」
「え? ああ……まあな……」
「やっぱり。オシャレだもんね」
質問に答えながらも、次に何を言われるか、仗助は内心気が気ではなかった。もしかすると、彼女の趣味ではなかっただろうか。こういうのって好みが分かれるからな——そうやって思考を巡らせていたせいで、次の言葉を聞き逃すところだった。
「わたしもつけようかな、同じやつ」
甘やかな声が耳の奥に侵入して、あっという間に仗助の脳を支配していく。
「変な意味じゃないんだけど……なんか仗助くんって、落ち着く匂いがするから」
頬を赤らめてはにかむ姿を見ていると、ふわふわと熱に浮かされたような気分になって、何も考えられなくなる。仗助はさらに身を寄せ、腕の中にナマエの体を閉じ込めた。
「こーやってくっついてればよー……、匂い、移るかもな」
心臓の音がやけにうるさい。制服越しに触れた体はどこもかしこも柔らかくて、これ以上力を入れるのが怖くなるほどだった。低い位置にある彼女の頭に、鼻をすり寄せる。赤く染まっている耳に口づければ、びくりと小さな肩が震えた。
「じょ、仗助くん……」
弱々しい声が仗助の名前を呼ぶ。
ナマエが自分の名を呼ぶ時の響きが、仗助は好きだった。知り合いのほとんどが自分のことを下の名前で呼ぶが、彼女のそれは特別で、どれとも違って聞こえた。
もっと聞きたくて続きを促すと、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「……掃除しないの?」
糸が切れるように。あるいは、風船が割れるように。胸の奥に押し込めていた何かが、その瞬間に弾けるのを感じた。
不可逆的な現象だった。全ての出来事は仗助の中で進行し、彼のクレイジー・ダイヤモンドでも修復することは不可能だった。
気づけば、仗助はナマエの唇を塞いでいた。
驚きで見開かれた瞳に、自分の姿が映し出される。その表情を目に焼きつけながら、以前に一度だけ、彼女の部屋でキスしたことを思い出した。あの時も、彼女は漫画に没頭して、仗助のことなんて気にも留めていないようだった。
最も皮肉なのは、彼女と初めて会話をしたのも、初めてキスをしたのも——全てのきっかけは「漫画」だということだ。本来ならば、仗助は感謝するべきだろう。
「漫画に嫉妬している」なんて、口が裂けても言えない。
もしもうっかり口を滑らせて、億泰の耳にでも入ったら、やつはきっと大笑いして自分を馬鹿にするはずだ。
本当はナマエに、おれのことだけを考えていてほしい。おれが、四六時中ナマエのことばかり考えているのと同じように。
彼女が笑顔を向ける先は、いつだって自分がいい。
「……あっ、」
角度を変えながら、唇を何度も重ね合わせる。薄く開いた隙間から舌を差し入れると、うわずった声を上げて、ナマエがぎゅっと目を瞑った。
かわいい。照れ臭くて言えなかった言葉が、喉元まで出かかる。だけど、唇の柔らかな感触を手放すのが惜しくて、結局今回も諦めざるを得なかった。
あたたかくて滑らかな感覚。誰も立ち入ることのなかった場所に侵入を許されている。その事実だけで、仗助の頭はどうにかなりそうだった。
奥で縮こまっていた可愛らしい舌を絡め取る。静かな部屋の中、二人の息遣いと水音だけが絶え間なく響いていた。唾液が混ざり合い、唇の端から溢れて、彼女の口元を汚していく。
「——!」
がしゃん、という大きな音が聞こえて、仗助は唇を離した。ナマエがほうきを床に落とした音だった。
普段の彼女ならすぐさま拾いに行くはずだが、この時ばかりは違った。頬を上気させたまま、呼吸を整えながら仗助を見上げている。濡れた唇が、制服と不釣り合いなほど艶っぽく光っていた。
「おれが拾う」
「……、ありがとう」
ほうきを受け取ったナマエが、ふう、と小さな溜め息をつく。仗助の方も、だんだんと冷静な思考を取り戻してきていた。
——やってしまった。
自分の中で守ってきた一線を、とうとう踏み越えてしまったという実感があった。もう後戻りはできない。唇に残る余韻を噛み締めながら、仗助は何も言えないでいた。
しばらくして、ナマエが口を開いた。
「仗助くんのせいで、どこまで掃いたか忘れちゃった」
「わ、悪かったよ……」
非難するような口調だが、本気で怒っているわけではなさそうだ。しかし、こちらに非があるのは明らかなので、とりあえず素直に謝っておく。
「嫌だったのなら、もうしねーからよ」
そう宣言したものの、正直言って我慢できる自信はない。
(ヤベーよ、マジに「二度とするな」とか言われちまったら、どうすりゃあいいんだよーッ!)
最悪の想像が脳裏をよぎったが、幸い、現実にはならなかった。斜め上に視線を外しながら、ナマエがぽつぽつと答える。
「別に、嫌とかでは……ないけど。一応、ここ学校だし」
「学校じゃなきゃいいのかよ?」
「うーん……あっ、仗助くん、塵取り持ってて」
話を逸らされた。塵取りを片手に、しぶしぶその場でしゃがみ込む。彼女がゴミを掃き入れてくれるのを大人しく待っていると、頭上から声が降ってきた。
「そういえばこの前、わたしの家に来てもいいよって話、したよね。……覚えてる?」
「ああ、そういや言ってたな」
「うん。そのことなんだけど……明日、親戚の家に行くとかで、親が夜遅くまで帰ってこないんだ」
そこまで聞いて、やっと気づいた。彼女は話を逸らしたわけではなかったのだ。
「明日。うち来ない?」
端的な一言。
その誘いには明らかに言外の意味が含まれていて、仗助の心臓は再び騒ぎ始める。彼女は一体どういうつもりなのだろう。この先の「何か」を期待してもいいものなのか——それとも、自分が自惚れているだけなのか?
まるで「待て」をされた犬のような気分だった。目の前にぶら下げられた餌に、今すぐにでも飛びつきたい気持ちを抑え込んで、じっと床を見つめる。
「先に言っとくが、おれに漫画読ませようとするのは諦めた方がいいぜ。集中できねーってことは前回でよくわかったからな……」
「……」
「おめーがそれでもいいっつーんなら、行く」
許可してくれ、と心の底から願った。「うん」でも、「いいよ」でもいい。なんでもいいから、ただ頷いてくれ。
そうすれば……。
聞こえてきた返事は、仗助の想像をはるかに超えるものだった。
「……わたし、今回は、漫画を読むために誘ったわけじゃないよ」
顔を上げると、思いのほか、彼女がずっと近くにいたことに気がついた。制服のスカートから伸びる脚が、いつもより生白く見えて、なんだか落ち着かない。胸の下で暴れ回る鼓動を感じながらも、そろそろと視線を動かしていく。
ついにナマエと目が合った瞬間、体中が燃えるように熱くなった。
喉がカラカラに渇いて、今すぐ何かを飲み干したいという衝動に駆られる。
ナマエが欲しい。
たとえば、干からびた人間が砂漠の真ん中で水を求めるのは当たり前のことだ。そういったふうに——限りなく生存本能に等しい、仗助自身の意思ではどうにもならない欲求だった。
それは、
「さすがによおー……真面目すぎるぜ、おまえ」
「えっ?」
窓のそばで埃をかき集めていた彼女が、心外といった表情で振り向く。怒られない範囲で上手くサボろうと考えていた仗助にとって、この展開はまったくの想定外だった。女子というものは、総じて「掃除を真面目にする」本能が遺伝子に刻まれているのだろうか。
「……あとよ、さっきから思ってたんだが、いつもより距離が遠くねーか?」
清掃場所の分担、という観点では正解なのかもしれないが、彼氏としては少々不服だ。一歩踏み出そうとする仗助を見て、ナマエが慌てて後退りする。思わず眉をひそめると、彼女は恥ずかしそうな表情で口早に言った。
「今日、体育でマラソン走ったから汗臭いかも。一応拭いたんだけど……」
「なんだ、そんなことかよ……今さら気にするようなことじゃあねーだろ」
「あ、ひどい! こっちは結構気にしてるのに」
そう言われると、かえって近づきたくなる。
二、三歩と進み出たが、彼女はもう抵抗しなかった。ほうきを動かす手を止め、仗助が来るのを大人しく待っているように見えた。
このまま近づいて——どこまで許されるのだろう。得体の知れない感情が、腹の底から湧き上がってくる。彼女の体を壁際まで追い詰めたところで、ようやく「仗助くん」と困った声で名前を呼ばれた。
甘い匂いがする。
「……全然、汗臭くねーよ」
そんな、当たり障りのない言葉を絞り出すだけで精一杯だった。香水というよりは、シャンプーとか柔軟剤とか……たぶん、そういう類いの香りだろう。脳内で冷静に考察したものの、それを口に出して言うのは変態的な行為に思えて、さすがに憚られた。
小さな声で、彼女が「よかった」と呟く。それから、しばらく悩むそぶりを見せた後、仗助を見上げて口を開いた。
「前から気になってたんだけど、仗助くんは香水とかつけてるの?」
「え? ああ……まあな……」
「やっぱり。オシャレだもんね」
質問に答えながらも、次に何を言われるか、仗助は内心気が気ではなかった。もしかすると、彼女の趣味ではなかっただろうか。こういうのって好みが分かれるからな——そうやって思考を巡らせていたせいで、次の言葉を聞き逃すところだった。
「わたしもつけようかな、同じやつ」
甘やかな声が耳の奥に侵入して、あっという間に仗助の脳を支配していく。
「変な意味じゃないんだけど……なんか仗助くんって、落ち着く匂いがするから」
頬を赤らめてはにかむ姿を見ていると、ふわふわと熱に浮かされたような気分になって、何も考えられなくなる。仗助はさらに身を寄せ、腕の中にナマエの体を閉じ込めた。
「こーやってくっついてればよー……、匂い、移るかもな」
心臓の音がやけにうるさい。制服越しに触れた体はどこもかしこも柔らかくて、これ以上力を入れるのが怖くなるほどだった。低い位置にある彼女の頭に、鼻をすり寄せる。赤く染まっている耳に口づければ、びくりと小さな肩が震えた。
「じょ、仗助くん……」
弱々しい声が仗助の名前を呼ぶ。
ナマエが自分の名を呼ぶ時の響きが、仗助は好きだった。知り合いのほとんどが自分のことを下の名前で呼ぶが、彼女のそれは特別で、どれとも違って聞こえた。
もっと聞きたくて続きを促すと、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「……掃除しないの?」
糸が切れるように。あるいは、風船が割れるように。胸の奥に押し込めていた何かが、その瞬間に弾けるのを感じた。
不可逆的な現象だった。全ての出来事は仗助の中で進行し、彼のクレイジー・ダイヤモンドでも修復することは不可能だった。
気づけば、仗助はナマエの唇を塞いでいた。
驚きで見開かれた瞳に、自分の姿が映し出される。その表情を目に焼きつけながら、以前に一度だけ、彼女の部屋でキスしたことを思い出した。あの時も、彼女は漫画に没頭して、仗助のことなんて気にも留めていないようだった。
最も皮肉なのは、彼女と初めて会話をしたのも、初めてキスをしたのも——全てのきっかけは「漫画」だということだ。本来ならば、仗助は感謝するべきだろう。
「漫画に嫉妬している」なんて、口が裂けても言えない。
もしもうっかり口を滑らせて、億泰の耳にでも入ったら、やつはきっと大笑いして自分を馬鹿にするはずだ。
本当はナマエに、おれのことだけを考えていてほしい。おれが、四六時中ナマエのことばかり考えているのと同じように。
彼女が笑顔を向ける先は、いつだって自分がいい。
「……あっ、」
角度を変えながら、唇を何度も重ね合わせる。薄く開いた隙間から舌を差し入れると、うわずった声を上げて、ナマエがぎゅっと目を瞑った。
かわいい。照れ臭くて言えなかった言葉が、喉元まで出かかる。だけど、唇の柔らかな感触を手放すのが惜しくて、結局今回も諦めざるを得なかった。
あたたかくて滑らかな感覚。誰も立ち入ることのなかった場所に侵入を許されている。その事実だけで、仗助の頭はどうにかなりそうだった。
奥で縮こまっていた可愛らしい舌を絡め取る。静かな部屋の中、二人の息遣いと水音だけが絶え間なく響いていた。唾液が混ざり合い、唇の端から溢れて、彼女の口元を汚していく。
「——!」
がしゃん、という大きな音が聞こえて、仗助は唇を離した。ナマエがほうきを床に落とした音だった。
普段の彼女ならすぐさま拾いに行くはずだが、この時ばかりは違った。頬を上気させたまま、呼吸を整えながら仗助を見上げている。濡れた唇が、制服と不釣り合いなほど艶っぽく光っていた。
「おれが拾う」
「……、ありがとう」
ほうきを受け取ったナマエが、ふう、と小さな溜め息をつく。仗助の方も、だんだんと冷静な思考を取り戻してきていた。
——やってしまった。
自分の中で守ってきた一線を、とうとう踏み越えてしまったという実感があった。もう後戻りはできない。唇に残る余韻を噛み締めながら、仗助は何も言えないでいた。
しばらくして、ナマエが口を開いた。
「仗助くんのせいで、どこまで掃いたか忘れちゃった」
「わ、悪かったよ……」
非難するような口調だが、本気で怒っているわけではなさそうだ。しかし、こちらに非があるのは明らかなので、とりあえず素直に謝っておく。
「嫌だったのなら、もうしねーからよ」
そう宣言したものの、正直言って我慢できる自信はない。
(ヤベーよ、マジに「二度とするな」とか言われちまったら、どうすりゃあいいんだよーッ!)
最悪の想像が脳裏をよぎったが、幸い、現実にはならなかった。斜め上に視線を外しながら、ナマエがぽつぽつと答える。
「別に、嫌とかでは……ないけど。一応、ここ学校だし」
「学校じゃなきゃいいのかよ?」
「うーん……あっ、仗助くん、塵取り持ってて」
話を逸らされた。塵取りを片手に、しぶしぶその場でしゃがみ込む。彼女がゴミを掃き入れてくれるのを大人しく待っていると、頭上から声が降ってきた。
「そういえばこの前、わたしの家に来てもいいよって話、したよね。……覚えてる?」
「ああ、そういや言ってたな」
「うん。そのことなんだけど……明日、親戚の家に行くとかで、親が夜遅くまで帰ってこないんだ」
そこまで聞いて、やっと気づいた。彼女は話を逸らしたわけではなかったのだ。
「明日。うち来ない?」
端的な一言。
その誘いには明らかに言外の意味が含まれていて、仗助の心臓は再び騒ぎ始める。彼女は一体どういうつもりなのだろう。この先の「何か」を期待してもいいものなのか——それとも、自分が自惚れているだけなのか?
まるで「待て」をされた犬のような気分だった。目の前にぶら下げられた餌に、今すぐにでも飛びつきたい気持ちを抑え込んで、じっと床を見つめる。
「先に言っとくが、おれに漫画読ませようとするのは諦めた方がいいぜ。集中できねーってことは前回でよくわかったからな……」
「……」
「おめーがそれでもいいっつーんなら、行く」
許可してくれ、と心の底から願った。「うん」でも、「いいよ」でもいい。なんでもいいから、ただ頷いてくれ。
そうすれば……。
聞こえてきた返事は、仗助の想像をはるかに超えるものだった。
「……わたし、今回は、漫画を読むために誘ったわけじゃないよ」
顔を上げると、思いのほか、彼女がずっと近くにいたことに気がついた。制服のスカートから伸びる脚が、いつもより生白く見えて、なんだか落ち着かない。胸の下で暴れ回る鼓動を感じながらも、そろそろと視線を動かしていく。
ついにナマエと目が合った瞬間、体中が燃えるように熱くなった。
喉がカラカラに渇いて、今すぐ何かを飲み干したいという衝動に駆られる。
ナマエが欲しい。
たとえば、干からびた人間が砂漠の真ん中で水を求めるのは当たり前のことだ。そういったふうに——限りなく生存本能に等しい、仗助自身の意思ではどうにもならない欲求だった。
それは、