週刊少年リビドー
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
東方仗助の朝は早い。
ヘアブラシを置いて、洗面所の鏡を覗き込む。早起きしてセットした髪型は、どの角度から見ても惚れ惚れするほど完璧な仕上がりだ。鼻歌をうたいながら「最終調整」していると、開いた扉の向こうから、自分の母親——朋子がひょっこり顔を出した。
「仗助……」
「ン? なんだよ?」
訝しげな目が仗助を捉えている。何か叱られるようなことでもしでかしただろうか。記憶の中を軽く探ってみたが、心当たりはない。
「あんた、最近いいことあった?」
危うく声が出そうになった。
「べっ、別に……何にもねーけど……?」
「そう? でも、なんか機嫌よさそうじゃない。今も鼻歌なんかうたっちゃってさ」
「……」
「そういえば、ちょっと前に『宝くじ』当てて黙ってたことあったわよね……。あんた、また何か隠し事してないでしょーね?」
何ヶ月前の話だよ。そう反論したくなるのをぐっと堪えて、もう一度「何にもねえって」と返す。
朋子はまだ疑っている様子だったが、出勤前だからか、それ以上問い詰めることはしなかった。台所に戻っていく背中を見届けた後、仗助は大きく息を吐き出した。
図星だった。
彼女の言う通り、近ごろ仗助の脳内は浮かれきっていた。
心。目には見えない、さまざまな感情。国語教師の退屈な授業を聞き流しながら、ぼんやり考える。
恋愛なんて、自分とは縁遠いものだと思っていた。
彼女を作るより、気の合う友人と馬鹿やっている方がよっぽど楽しい。女性に興味がないわけではなかったが、同年代の男子学生に比べれば、明らかに関心は薄い方だった。
そのことには、仗助自身の生い立ちも少なからず関係しているだろう。若くして未婚の母となり、苦労しながら自分を育ててくれた母親の存在は、彼にとって限りなく大きい。
そんな彼女を間近で見てきたからこそ、恋愛には人一倍慎重だった。——ヘタレではない。「慎重」なのだ。
もしも、いつか好きな人ができたら、自分はそのたったひとりを一生かけて愛し続けるはずだ。絶対に誰にも傷つけさせないし、おれが守ってみせる。
おぼろげだが、仗助はそんな理想をもっていた。実際に、ナマエと付き合い始めるまでは。
「……」
机に頬杖をついて、ちらりと彼女の方を見る。感心なことに、真面目な表情で板書をノートに写していた。授業に全く集中できていない自分とは大違いだ。
そして、この違いを目にするたび、仗助の胸はざわついた。いま彼女の頭の中は、国語教師の話と、黒板の文字と、教科書に載っている小説の文章で埋め尽くされていて、そこに自分が入る隙間など存在しないのだと思わされる。
少しだけでも、こっちを見てくれたらいいのに。無駄だと思いながらも念じていると——ナマエの視線が、ふいに黒板から外れた。
目が合う。彼女の視界に、自分の姿が映る。それは本当に一瞬の出来事だったが、健康優良児である仗助の視力は、彼女の口元に浮かんだ笑みを見逃さなかった。
(今のは)
彼女が自分だけに見せてくれた笑顔だ。他の誰も知ることのかなわない、おれだけのナマエだ。
たったそれだけのことで、さっきまで頭の中に渦巻いていた、みっともない考えが全て吹き飛んでしまった。あまりに単純すぎる思考回路だと、自分でも思う。
だけど、満足にはほど遠い。もっと知りたい。さらに特権を与えてほしい。身勝手な欲求はエスカレートしていき、とうとう押さえつけることができないほど限界まで膨らんでいた。
現実とは、得てして理想通りにいかないものだ。
仗助は既に理解していた。——最も彼女を傷つけるおそれがあるのは、他でもない自分自身だということを。
「東方……おい、東方!」
「はい?」
教師の鋭い声に、思考が引き戻される。そこでようやく、自分が周囲の注目を浴びていることに気がついた。中年の国語教師は苛立ちを隠そうともせず、高圧的な口調で仗助に命令した。
「さっき指示した段落から読んでみろ」
「えーっと……すみません、どこっスか?」
怒られた。
その上、なぜか準備室の清掃まで命じられた。
明らかに私怨まじりの叱責だったが、仗助は大人しく従った。この格好のせいで、教師に目をつけられるのには慣れている。こんな時、相手の怒りを収めるにはどの対応が一番「効果的」なのか、彼はこれまでの経験から心得ていた。
「クッソ〜……めんどくせーなあ〜……」
放課後——ぶつぶつと文句を言いながら、埃臭い部屋に足を踏み入れる。準備室には初めて入ったが、ただの倉庫という感じで、新鮮な驚きはない。ろくに換気をされていないのか、室内の空気はよどんでいた。
適当に床を掃いて、さっさと帰ろう。教室で待たせている彼女の顔を思い浮かべ、仗助は掃除に取り掛かった。
「お疲れさま〜……」
聞き慣れた声と共に、準備室の扉が開く。まるでテレパシーが通じたみたいに完璧なタイミングだった。現れた彼女の片手にほうきが握られているのを見て、仗助は目を丸くした。
「あ! おれ一人でいいって言ったのによー」
「うん。でもやっぱり、二人でやった方が効率的だと思ったから」
何となく、どこかで聞いたことのある言い回しだ。しかし、今の仗助に、違和感の正体を突き止める余裕はなかった。
男女二人、放課後、人気のない準備室。またとないシチュエーションだ。こんなの……何も起きないはずがない。
(ぐ、グレートだぜ……!)
彼女が後ろ手で扉を閉めると、そこは誰にも邪魔されない、二人だけの空間になった。
ヘアブラシを置いて、洗面所の鏡を覗き込む。早起きしてセットした髪型は、どの角度から見ても惚れ惚れするほど完璧な仕上がりだ。鼻歌をうたいながら「最終調整」していると、開いた扉の向こうから、自分の母親——朋子がひょっこり顔を出した。
「仗助……」
「ン? なんだよ?」
訝しげな目が仗助を捉えている。何か叱られるようなことでもしでかしただろうか。記憶の中を軽く探ってみたが、心当たりはない。
「あんた、最近いいことあった?」
危うく声が出そうになった。
「べっ、別に……何にもねーけど……?」
「そう? でも、なんか機嫌よさそうじゃない。今も鼻歌なんかうたっちゃってさ」
「……」
「そういえば、ちょっと前に『宝くじ』当てて黙ってたことあったわよね……。あんた、また何か隠し事してないでしょーね?」
何ヶ月前の話だよ。そう反論したくなるのをぐっと堪えて、もう一度「何にもねえって」と返す。
朋子はまだ疑っている様子だったが、出勤前だからか、それ以上問い詰めることはしなかった。台所に戻っていく背中を見届けた後、仗助は大きく息を吐き出した。
図星だった。
彼女の言う通り、近ごろ仗助の脳内は浮かれきっていた。
心。目には見えない、さまざまな感情。国語教師の退屈な授業を聞き流しながら、ぼんやり考える。
恋愛なんて、自分とは縁遠いものだと思っていた。
彼女を作るより、気の合う友人と馬鹿やっている方がよっぽど楽しい。女性に興味がないわけではなかったが、同年代の男子学生に比べれば、明らかに関心は薄い方だった。
そのことには、仗助自身の生い立ちも少なからず関係しているだろう。若くして未婚の母となり、苦労しながら自分を育ててくれた母親の存在は、彼にとって限りなく大きい。
そんな彼女を間近で見てきたからこそ、恋愛には人一倍慎重だった。——ヘタレではない。「慎重」なのだ。
もしも、いつか好きな人ができたら、自分はそのたったひとりを一生かけて愛し続けるはずだ。絶対に誰にも傷つけさせないし、おれが守ってみせる。
おぼろげだが、仗助はそんな理想をもっていた。実際に、ナマエと付き合い始めるまでは。
「……」
机に頬杖をついて、ちらりと彼女の方を見る。感心なことに、真面目な表情で板書をノートに写していた。授業に全く集中できていない自分とは大違いだ。
そして、この違いを目にするたび、仗助の胸はざわついた。いま彼女の頭の中は、国語教師の話と、黒板の文字と、教科書に載っている小説の文章で埋め尽くされていて、そこに自分が入る隙間など存在しないのだと思わされる。
少しだけでも、こっちを見てくれたらいいのに。無駄だと思いながらも念じていると——ナマエの視線が、ふいに黒板から外れた。
目が合う。彼女の視界に、自分の姿が映る。それは本当に一瞬の出来事だったが、健康優良児である仗助の視力は、彼女の口元に浮かんだ笑みを見逃さなかった。
(今のは)
彼女が自分だけに見せてくれた笑顔だ。他の誰も知ることのかなわない、おれだけのナマエだ。
たったそれだけのことで、さっきまで頭の中に渦巻いていた、みっともない考えが全て吹き飛んでしまった。あまりに単純すぎる思考回路だと、自分でも思う。
だけど、満足にはほど遠い。もっと知りたい。さらに特権を与えてほしい。身勝手な欲求はエスカレートしていき、とうとう押さえつけることができないほど限界まで膨らんでいた。
現実とは、得てして理想通りにいかないものだ。
仗助は既に理解していた。——最も彼女を傷つけるおそれがあるのは、他でもない自分自身だということを。
「東方……おい、東方!」
「はい?」
教師の鋭い声に、思考が引き戻される。そこでようやく、自分が周囲の注目を浴びていることに気がついた。中年の国語教師は苛立ちを隠そうともせず、高圧的な口調で仗助に命令した。
「さっき指示した段落から読んでみろ」
「えーっと……すみません、どこっスか?」
怒られた。
その上、なぜか準備室の清掃まで命じられた。
明らかに私怨まじりの叱責だったが、仗助は大人しく従った。この格好のせいで、教師に目をつけられるのには慣れている。こんな時、相手の怒りを収めるにはどの対応が一番「効果的」なのか、彼はこれまでの経験から心得ていた。
「クッソ〜……めんどくせーなあ〜……」
放課後——ぶつぶつと文句を言いながら、埃臭い部屋に足を踏み入れる。準備室には初めて入ったが、ただの倉庫という感じで、新鮮な驚きはない。ろくに換気をされていないのか、室内の空気はよどんでいた。
適当に床を掃いて、さっさと帰ろう。教室で待たせている彼女の顔を思い浮かべ、仗助は掃除に取り掛かった。
「お疲れさま〜……」
聞き慣れた声と共に、準備室の扉が開く。まるでテレパシーが通じたみたいに完璧なタイミングだった。現れた彼女の片手にほうきが握られているのを見て、仗助は目を丸くした。
「あ! おれ一人でいいって言ったのによー」
「うん。でもやっぱり、二人でやった方が効率的だと思ったから」
何となく、どこかで聞いたことのある言い回しだ。しかし、今の仗助に、違和感の正体を突き止める余裕はなかった。
男女二人、放課後、人気のない準備室。またとないシチュエーションだ。こんなの……何も起きないはずがない。
(ぐ、グレートだぜ……!)
彼女が後ろ手で扉を閉めると、そこは誰にも邪魔されない、二人だけの空間になった。