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オメルタ小話

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赤いじゅうたんに弦の音が鈍く響く。
大理石の床に壁、豪奢なシャンデリアが見つめるホールには荘厳な老師たちと着飾った娘たちが集っている。
彼女たちは歌を歌い、各々が楽器を手に取り、音を奏でている。
古来から中国では淡い音色が邪気を払い、身心を休ませてくれると言われている。働きすぎが常の現代人にとって音楽とは聞くことに多少なりとも効果があるのだろう。

茅冷冷は、他人に何と言われようと自分が働きすぎの現代人であることを自負していた。
だからこそ、心ばかりでも癒されようとわざわざ足を運んだというのに。
流れていく音に耳を傾けて、ゆっくりと目を閉じる。
冷冷の耳に届いてきたのは、気持ちの感じられない楽器の”音”のみだった。


つい先日のこと。積年の恨みである真老師への復讐を冷冷は見事に果たした。冷冷自身はそこで終わりにさせ、自分は速やかに消えるのが一番だと思っていたのだが、組織とは、世の中というものはそう簡単にことを終わらせてはくれなかった。あれよあれよという間に緋蝴蝶の残党を押し付けられ、気づけば香港の裏社会で自分は「新しい緋蝴蝶のボス」として認識されているようだった。
そんな冷冷のところへ、ある一通の招待状が届いたのだ。
宛名は、香港では有名な音楽の大家、姜(キョウ)一族。
古来から王朝の音楽家として名高いこの家は、裏社会に顔の利く交渉人としても有名であった。
今回の招待状は姜氏が裏社会の各所に声をかけ、新しい緋蝴蝶の門出を祝福するという名目の会だった。となれば此度の主役は自分でありどれだけ気が向かなくとも赴かざるをえないというわけだ。

冷冷個人の感情としては、全てが終わった今裏社会の縮図や残された彼らにも何の感情も要していなかったが、ずっと作戦を手伝ってきてくれた余暉や雅文を無碍にするのもはばかられ、気づけばこんなところに来てしまっている。
お人よしなのか流され体質なのか。どちらも全く身に覚えがないからたちが悪い。
たが、いい加減人にばかり流されるのも飽きてきていた。たまには音楽に流されてみるのも悪くないというものだろう。今回の冷冷の思考は本当にただの気まぐれであったのだ。



「素晴らしい!!!」
品のない拍手の音が鼓膜に突き刺ささり、冷冷は早くも自身の気まぐれに後悔していた。
閉じた目をゆっくりを開けば、腹部にでっぷりと油を貯めた老師が短い手足一生懸命叩きつけている。
この界隈では名の知れた武器商人だが、卸す武器は人を選ばないということなのだろうか。
視線を右にずらせば彼とは真逆に、安い皮を標本に張り付けたような老師が、これまたぽっきりと折れてしまいそうな腕を振るって拍手を送っていた。
香港の闇を牛耳る薬師に闇商人、表にも顔が効くという国の中枢にいる重鎮たち。
その誰もが、拍手や賛辞の言葉の合間に冷冷の様子を伺う素振りを見せる。
口元に微笑を浮かべ、まとわりつく視線を振り払うように眼だけをそらす。
自分がしたことは少なからずここにいる人間の益になっていたのだ、と冷冷はひとりごちた。
表の世界以上に、人ひとりの生き死にが損益に影響を与えてしまうのが自分の生きている世界だった。
だから、余計にくだらないと思ってしまう。


「いかがでしたかな?茅殿」
観客の中から一人の男性が、冷冷に歩み寄る。
一斉に自分の元に集まる視線にため息が漏れたことは、幸い誰にも気づかれなかったようだ。
「とても素晴らしい演奏でした。姜殿」
笑顔と気の利く一言。それだけで周りの老師たちも姜殿も満足をしたらしい。
「それはそれは、なによりでございます。それでは次の曲に参りましょう」
姜氏はうんうんと満足そうに笑って自分の席に戻っていく。
あんな一言で冷冷が満足していると、姜殿には判断できたらしい。
新しい楽器を持った若い女性が皆の前に現れる。
女性は老師たちに一度目をやり、冷冷と目があうと色をはらんだあからさまな視線を投げつけてきた。
その行為にすらうんざりしてしまうのだから末期なのだろう。これ以上はもう気持ちが持たない。
弁解すればあとでどうとでもなると自分に言い聞かせ、冷冷は一小節を待たずに部屋を後にした。



音楽の出来はともかく、姜氏の家が古来から続くというのは本当のことのようだ。木造りの壁や扉は見事な装飾が施され、所々かけられた絵画はどれも年代物だということは伝わってくる。自分に芸術を楽しむ目が合ったのなら、この場所はもう少し楽しかったのかもしれない。

「こう面倒ごとばかり増えるようなら、やはり考えなくてはいけませんね…」

芸術品の数々を眺めながら冷冷は呟く。

結果とはいえ、緋蝴蝶の進退を握ってしまったということは事実でありどうにもならないことだった。
本音を言えば、それすら冷冷にはどうでもいいことなのだが、やはりずっと手伝ってくれた余暉や雅文の今後が気になるというのも事実だった。
自分が気にかけずとも、あの二人はあの二人でどうとも生きていけそうな気もするが。


そんなことを考えていると、不意に冷冷の耳に”歌”が響いてきた。
高いながらも、不快感を覚えない優しい旋律。
それは先ほどまでの、感情も何も感じられない音とは違う優しい歌声だった。

思わず、冷冷は声の方へ視線を向ける。
視線の先にあるのは冷たそうな鈍色をした扉だった。
周りにあるどの扉とも違うシンプルな作りのその扉は、一見すると倉庫などにつけられている普通の扉のようにも見える。
だが、扉の取っ手に巻かれた鎖がそれを否定していた。隙間なく巻かれた鎖の終わりは大きめの錠前で止められており、その錠前には鍵が付いたままになっている。

仮にこの中がただの倉庫であったとして、なぜ鍵を付けたままにしておく必要があるのか。
そもそも倉庫の扉に、ここまで頑丈に鎖を巻く必要があるのか。
先ほどの歌声は。

全ての要因が、冷冷の興味を引くには十分な要素を持っていた。

冷冷は辺りを軽く確認すると、ためらいなく鍵に手を伸ばす。ゆっくりと回してみるも、錠は長いこと開かれた様子がなくさび付いてしまっていて鍵がうまく回らない。
ふと、冷冷の頭を一つの言葉が過る。「開かない扉は壊して通れ」誰の言葉だっただろうか。ともかく、先人の教えには従うのが冷冷なりの長生きのコツだった。

鍵から一度手をはなし、小さく深呼吸を一つ。扉から十分な距離を取って足を頭上近くまで持ち上げる。
上段から振り下ろされた蹴りは真っ直ぐに錠へと吸い込まれ、ガァンという鈍い音を立てる。
そして、一瞬の後にそれは錠前からひしゃげた鉄の塊へと変貌を遂げた。

鉄の塊をぽいと床に投げ捨て、同じくさび付いた鎖を解いていく。ガチャガチャと音を鳴らしながらも汗と手についた錆を袖で拭えば、何とか鎖を解き終えることができた。

扉は音こそならなかったものの、開く拙さとほこりのような匂いがこの扉がしばらくの間、開かれていなかったことを実感させた。
薄暗い部屋の中に廊下からの月あかりが入り込み、冷冷は中へと目を凝らした。


コンクリートがむき出しになった、殺風景な灰色の壁と冷たい床。本当に倉庫を想定して作られていたのか、中は必要最低限の簡素な作りをしている。
だが、中にいたのは高そうな美術品でもほこりをかぶった楽器でもなかった。

そこにいたのは、一人の少女だった。
埃で汚れてしまった服、髪も、肌も、全てが白い少女。年の頃はまだ10にも満たないくらいだろうか。肉のない身体は少しでも力を加えれば折れてしまいそうだ。そんな白の中に映える大きな赤い瞳を真ん丸に見開いて、少女はまっすぐに冷冷を見つめている。

「…先ほどの歌は、貴方が?」

冷冷の言葉に少女はこくんと頷いた。

奴隷か、人身売買か。
冷冷の頭に即座に浮かんだのはその二つだった。
自分が詳しくなかったがために目にすることは少ないが、今でも商売人たちの間ではアルビノ体質は観賞用として高値で取引をされているらしい。
だが、そこまで考えて冷冷は自身の考えを否定する。
そのどちらかであるならば、扉が長く開かれていなかった説明がつかない。
ならば、彼女は姜氏の娘ということか。
しかし、冷冷は今まで姜氏に娘がいたという話をただの一度も聞いたことがなかった。
それは、つまり。
冷冷の思考が明後日の方向へ向かい始めたところで、ふと少女が口を開いた。

「もしかして、しにがみさん?」

そう言って、彼女はこてんっと首を傾げる。
しゃがみこむ彼女に視線を合わせるように、冷冷も冷たい床に腰を下ろす。

「おや、よくわかりましたね。確かに私のことをそう呼ぶ人もいます」

念のためにと扉は閉めてきたが、窓の格子から入り込む光はあまりにも少なく、光を映し返す白い髪と浮かび上がる赤い瞳が妙に神秘的に映っている。

彼女は冷冷と目を合わせたまま、先ほどと変わらぬトーンで冷冷に問いかけた。

「じゃあ、わたしのこところしてくれるの?」

至極当たり前のことを言うかのように、あまりにも普通に彼女はそう言ったのだ。



「貴方は、死にたいのですか?」

少女から目をそらさずに、冷冷はそう聞き返した。

冷冷にしてみれば、ここで真面目に受け答えせずとも踵を返し扉を再び閉めることもできただろう。少女の不可思議な問いに真面目に答えるような労力を割かなくともよかったのだろう。

だが、冷冷はそうしなかった。
なぜかと言われれば気まぐれにとしか答えられないが、少なくとも冷冷は彼女がふざけてその質問をしたとは思えなかったのだ。
あくまでも純粋に、冷冷のことを本当に死神だとでも思っているかのような口調だった。
冷冷の返答に少女はうん、と一つ首を縦に振った。

「わたしは、あくまだから」

少女の答えに、冷冷はたまらず眉を顰める。

「…貴方が、悪魔ですか?」

「そう、あくまはしにがみさんじゃなきゃたおせないってほんでよんだの。わたしがいきていたら、おとうさまとおかあさまがかなしいっていってたから」

これ以上、父親と母親を悲しませたくない。
だから、自分を殺してくれる死神に会いたかった。
私に、会いたかったとそう彼女はまっすぐな瞳で語った。


冗談でもそんなことをいうものではないと、笑い飛ばすことも叱ることもできただろう。
しかし、冷冷はそれをすることはしなかった。
彼女の言葉が冗談だとは、やはり冷冷には思えなかったのだ。

「わかりました。ではお望み通りあなたの命は私がいただきましょう」

冷冷の答えに、彼女は満面の笑顔で答えた。誰が見ても、彼女がこれから死地に向かうとは思わないだろう。冷冷自身も、そんなことを考えてはいなかった。

「では、行きましょうか」

立ち上がった冷冷に、今度は彼女が首を傾げる番だった。状況が呑み込めていないのか、座り込んだまま、冷冷の方を見つめている。

「……どこに行くの?」

「もちろん、外にですよ。いつまでもこんな汚い所にはいたくありませんから」

少女の目が悲しさをまとったような色を見せる。

「…ころして、くれないの?」

「何を言ってるんですか。貴方も一緒に行くのでしょう?」

「…わたしも?」

えぇ。そう言って、冷冷はもう一度しゃがみこみ少女と目線を合わせる。
膝に乗ったままになった少女の手に自身の手を重ねると、小さな手は冷冷の手の中で震えていた。

「この部屋にいた悪魔は私に自分の命を渡して、死んでしまいました。貴方はもう悪魔ではありません」

赤い瞳が、ゆらりと揺れる。映し出された冷冷の顔が、溢れた雫と共に零れていく。

「…わたしも、いっしょに…いってもいいの…?」

「構いませんよ。折角ですからまた貴方の歌を聞かせてください」

「…うん」

少女が零した雫を軽く拭い、冷冷は再び立ち上がる。
手を伸ばせば、今度は少女も冷冷と同じように立ち上がった。

「そうですね…まずはお洋服でも買いに行きましょうか」

「…うん!」

少女は冷冷の手を握り返し、満面の笑顔で頷いた。
それは”彼女”が生まれ変わって初めての、心からの笑顔だった。

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オマケ
「そういえば」

「…どうしたの?」

「まだ、名前も名乗っていませんでしたね。私は茅冷冷といいます」

「りーん?」

「えぇ。貴方は?」

「…わかんない。ずっとあくまっていわれてたから」

「ふむ。…では榎というのはいかがでしょう?」

「えのき?」

「えぇ。いかがですか?」

「わたしのなまえ!エノっていうのどうかな?」

「良いと思いますの。ではエノ、行きましょうか」

「うん!りーん」

「なんですか?」

「ありがとうね」

榎の木には協力するという花言葉があるそうです。茅様の新たな協力者の誕生ということで、ひとつ。
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