天野家長女と日影の少女

 ◆◇◆


「それで、お前たちは何者なんだ?」

 有星家の屋敷の中にある大広間。
 部屋と部屋を隔てていた襖を取っ払ってもらい、全員が一堂に会したところで話し合いがスタート。初っ端から質問を投げかけてきたのは我らが妖怪探偵団の団長・アキノリだった。
 もちろん、私たちの正体を伏せる必要はない。
 ここまで来たのなら情報を開示しても構わないだろう。とはいえ酒呑童子が鬼姫の生まれ変わりであるナツメに傅いていない辺り、物語の根幹に関わってくる情報は秘匿するべきか。
 
「結論からいえば、私たちは平行世界の住人よ」

 「平行世界?」と呟きながらケースケが首を傾げる。
 平行世界。妖怪探偵団の面々にも分かりやすく言い換えるのであれば、パラレルワールドのことである。

「とりあえず質問云々は後にして、最初に自己紹介をした方がいいでしょうね。あなたたち含め、私たちの正体が気になって仕方ない人たちが何人かいるみたいだから」

 そう言いながら酒呑童子たちを一瞥する。
 それから酒呑童子の隣に座っている黒髪の女の子にも。にしてもあの子、やっぱり気配が──まぁ、今はいいか。
 
「私の名前は天野夏菜。平行世界の天野ナツメの双子の姉よ」

 僅かな静寂の後。

「「「 えええええええーーーーっ!!? 」」」

 大広間に驚愕の絶叫が響き渡った。
 酒呑童子たちもこの答えは想像していなかったのだろう、表面上は冷静を取り繕いつつも目は狼狽しまくっている。

「平行世界のナツメの双子の姉ぇぇぇ!!?」
「わ、私のお姉ちゃん……!?」
「ってことは、俺のもう一人の姉ちゃんってこと!?」
「そういうことになるわね。で、こっちが……」

 隣にいる茨木童子を見遣る。
 自分の番が回っていることに気付いた茨木童子は「あぁ、俺か」と呟き、続いて口を開いた。

「知っているかもしれないが、俺の名前は茨木童子。もちろん、この世界じゃなくて平行世界の茨木童子だけどな。一応、兄者……酒呑童子の盃兄弟でもある。まぁ、よろしく頼むぜ」
「いや落差ッ!!?」
「酒呑くんと戦ってる時はあんなに怖かったのに……」
「メチャクチャ話通じるじゃん……」
「あの悪名高い大悪鬼とは思えないでうぃす……」

 などなど茨木童子に散々な言葉を向ける面々。
 あまりにも散々な言われように途中で耐えきれなくなり、机に突っ伏しながら笑い転げてしまった。
 
「悪鬼が悪鬼(笑)になってんの面白すぎる」
《扱いに涙を禁じ得ませんね》
「無機物、それ文字起こししたら『涙を禁じ得ませんねwww』なの分かってるからな?」
《これが大草原ですか》
「張り倒すぞテメェ」
《除草剤要ります?》
「いらねぇよ!?」
「そろそろ私が笑い死んじゃうからアンタたち黙ってて」

 空気感だけなら普通にシリアスなのに。
 真面目に馬鹿な掛け合いをしている二人のせいで、どう頑張ってもシリアスがシリアルになるの本当に面白すぎる。

「え〜っ……で、最後にこっちが」
《妖怪パッドのIと申します。どうぞお見知り置きを》
「今さらだけどさ……なんで妖怪パッドが浮いて喋ってんだ!?」
「そういえば考えたことなかったわね」
「出会った時から浮いてたからな」
「その辺りどうなってんの? Iちゃん」
《そういうものとして理解するのが手っ取り早いです、というかそんなことに脳のリソースを割くこと自体が馬鹿らしいですよ》

 一通り自己紹介も終わり、今度は質問タイム。
 とはいえ質問を受け付け続けててもキリがないので、質問は一人につき一度というルールを設けさせてもらった。

「それじゃあ、俺から質問していいか?」

 真っ先に手を挙げたのは、やはりアキノリだった。

「なんで夏菜はこの世界に来たんだ?」
「実のところ、原因は私たちもよく分かっていないのよ」
「そうなのか!?」
「うん。ここに来る直前で怪奇事件の調査をしてたんだけど……あるトンネルを調査する途中であのトビラが現れて、入れそうだったから入ったらここに来てたって感じで」
「その怪奇事件の内容も聞いてもいいか?」
「まぁ、話の流れだから別に構わないわ。簡単に説明すると、ケマモト村っていう私たち天野家の祖父の実家がある村……その村に住んでいる十六歳以下の女の子たちが軒並み体調不良になってるっていう事件よ。私たちが調査に行った時点で村に瘴気が蔓延してて、その瘴気の出所が私たちの通ってきたあのトビラだったのよ」

 ケマモト村全体に広がっていた瘴気。
 あれは何だったのだろうか。とはいえ平行世界に来てしまった以上は私たちの世界の事件のことを考えていたって仕方がないから、今は思考の片隅にでも追いやっておこうかな。
 
「じゃあ、次は僕が質問してもいいかな」

 続けて、トウマが手を挙げて質問をする。

「夏菜さんの通ってきたトビラから瘴気が出てたって言っていたよね。ということは、夏菜さんの世界で起きている怪奇事件の原因は僕たちの世界にあるのかな」
「でしょうね。そもそも、あのトビラを妖魔レーダーで調べてみたけど反応がなかったし……ただ、あのトビラは誰かが意図的にこの世界に繋げたものだと思うわ」
「意図的に……?」
「その意図までは流石に把握できなかったけどね」
「ってか夏菜も妖魔レーダー持ってんのか!?」
「いや、アキノリのやつを借りてるわ」

 次に手を挙げるのは誰だろうか。
 酒呑童子たちは質問する内容を考えているのか未だに手を挙げる様子はない。黒髪の女の子も同様にそう……というか、私としてはあの子に関して聞きたいことがあるんだけども。
 あの子、本当に何者なんだろう。
 人間の身でありながら妖怪と渡り合える剣の使い手。しかも、スキルで全ステータスが底上げされていた茨木童子に真正面から攻撃できるだけの実力を持っているときた。

(……ねぇ、茨)

 脳内会話を通じて茨木童子に話しかける。
 当然、脳内会話なので向こうには会話は聞こえていない。こういう時にこの能力があって本当によかったと心から思う。

『ん?』
(あの子、何者だと思う?)
『夏菜も知らない奴なのか?』
(原作知識の中にあの子と一致する子はいないわね)
《マスターと同じ存在である可能性は?》
『アイツも転生者ってことか?』
(可能性としては捨てきれないわね)
『にしても……戦闘してる時も思ってたんだが、アイツ気配がエンマに似てないか?』
《確かにそうですね》

 だとしたら、彼女は何者なんだろう。
 人間じゃなくて妖怪が化けている可能性──エンマの親戚の可能性も考えたけど、エンマの親戚に当たる人たちは九十年前の空亡襲来の事件の際に軒並み亡くなっていたみたいだし。
 本家ミカドの生き残りは片手で数える程度だったはず。
 原作でぬらりひょん議長が反逆できたのも、カイラ様がクーデターを成功させていたのも、エンマ以外の本家ミカド出身者がほぼ全滅してたから……って考えるとわりと妥当な気がするのよね。

(……もしかして)

 あの子、ミカド族の姫の生まれ変わりじゃ──?

(……茨。戦ってる時に何か感じたことはあった?)
『一撃自体は軽かったな。人間だから当然っちゃ当然だが、剣流に迷いがなかった。一度相手のことを敵と認識したら迷いなく屠れるタイプだな、それと怪我をさせないように一応剣を狙ってたんだが途中で俺の思惑も見抜いていたように思える。まぁ、受け身を取りやすくするために露骨に剣を狙った点に関しちゃ否めんが』
(だとしてもよく茨の攻撃を防げたわね、あの子……)
《おそらく妖術で筋力を強化しているのでは?》
『だろうな。ただ妖術はあんま得意じゃないみたいだ』
(そうなの?)
『あぁ。だから消耗戦には向いてない』
《もしも得意なら妖術で戦闘を仕掛けるでしょうね》
(確かにそうだわ)

 なんて、茨木童子たちと脳内会話をしていたところ。

「ねぇ。次、私から質問してもいい?」

 そっと、ナツメが手を挙げた。

「もちろん」
「それじゃあ聞きたいんだけど……え〜っと、夏菜さんの──」
「あ゛?」

 ──ピシッ。

《これは……》
「やっちまったな……」
「え、えっ?」
「平行世界のナツメだから私の知っているナツメとは別人なのは分かっているけれど『天野ナツメ』という存在に他人行儀な反応をされるくらいなら今ここで腹掻っ捌いて死んだ方がマシ」
「一息で言い切った!!」
「おい待て早まるんじゃない馬鹿夏菜!!!」
《マスターが死んだら白髪も死にますね》
「それは諸々と困る!!!」
「じ、じゃあ、夏菜ちゃんって呼んでいい?」
「それならいいや」
「それならいいんだ……」
「言葉にできない狂気を感じた……」
「こんのシスコンめ……」

 失敬な、シスコンで何が悪い。
 というか実の妹に他人行儀な反応をされたら腹掻っ捌いて死にたくもなるでしょ。

「で、聞きたいことは?」
「え〜っと……夏菜ちゃんの世界にも私たちがいるのに、その私たちがこの世界に来てない理由について教えてほしいんだけど……」
「あぁ。向こうのナツメたち、今テスト期間の真っ只中なのよ」
「テスト期間!?」
「こっちはまだ十月とかそこらの時期でしょ? 私たちの世界とこの世界、そこそこ時間のズレが起きてるみたいで……私たちの世界だともう三月手前なのよ、今」

 その時。ケースケがおずおずと手を挙げた。

「ちょっと気になったんだけどさ……いい?」
「もちろん」
「姉ちゃんと同じ時期にテストがあるんなら、夏菜さ……夏菜姉ちゃんは何で勉強してないの?」
「あ〜っ……その話をするには、前提から説明する必要があるわね。そもそも私、ナツメたちと同じ中学に通ってなくってね」
「そうなの!?」
「Y学園っていう中高一貫校に通ってるんだけど、ちょっと諸々の事情があって暫く休学してて……まぁ、単位は二学期の時点で足りてるから進級自体はできるんだけども」
「Y学園って、あの名門校の……!?」
「メッチャ頭いいじゃんか!?」
「ちなみに夏菜は入試首席だ」
「ウッソだろマジで!?」
「どうも、首席です」

 案の定、大広間に再び驚愕のどよめきが響き渡った。
 こっちの世界にもY学園があるのか分からなかったから通じるか不安だったけど、ちゃんとこっちにも存在しているらしい。そういえばちょっと前に蒼が木衛から何かの相談を受けてたって話が来てたけど……あれ、結局何の話だったんだろう。
 なんて関係のないことを考えていたところ。
 考えがまとまったのか、酒呑童子が質問を投げかける。ただし、それは私ではなく茨木童子に向けられたものだった。

「…………なぜ、お前は生きて人間の元にいる?」

 淡々とした口調で酒呑童子は問いかける。
 この場にいる全員が気になっていたということもあり、各々固唾を飲みながら茨木童子の返事を待っていた。
 質問を投げかけられた茨木童子は静かに息を吐く。
 「どこから話せばいいんだろうな……」と呟き、そのまま私の方を一瞥する。好きなように話せばいいんじゃないの? という意思を込めて見遣れば、茨木童子も素直に口を開いた。

「あれは……夏菜がまだ三歳くらいの頃だったか」

 茨木童子が語り始めたのは、私たちの出会い。
 大江山の決戦時、安倍晴明の率いる陰陽師の軍勢を前に敗れてしまった茨木童子。しかし、ちょうど持ち歩いていたマキモド石が偶然にも誤作動を起こし千年近く先の未来にタイムトリップ。
 そのトリップ先がさくら総合病院の病室だった。
 当時の私はトラック事故の影響でリハビリの真っ只中、それを終えて帰ってきたら部屋のど真ん中にデカい鬼が転がっていたものだからメチャクチャ驚いたことだけはよく覚えている。

「晴明に呪詛をかけられていたせいで瀕死になっていたんだが……飛ばされた先にいた夏菜が呪詛を祓い、渡辺綱に切り落とされた右腕をよみがえらせてくれたんだよ」

 そういえば茨って右腕なかったわ。
 もう十年以上前のことだから出会った頃のことは何気にうろ覚えだったけど、あれ渡辺綱に切り落とされてたのね。

「人間が、安倍晴明の呪詛を……?」

 話を聞いていた黒髪の女の子が疑問の声を上げる。

「夏菜は特殊体質でな。神妖の血の持ち主って言えば分かるか?」

 途端、酒呑童子たちの目の色が変わる。
 黒髪の女の子も同様に。聞き馴染みのない単語にナツメたちが耳を傾げている一方で、唯一アキノリだけは反応を示していた。

「それ、おばばから聞いたことあるぞ!」
「アキノリ知ってるの?」
「『一雫飲めば傷を癒やし、二雫飲めば欠損した四肢を蘇らせ、三雫飲めば不治の病すら治す』っていう言い伝えがあるくらい凄い血だけど、あまりにもレアだからその血の持ち主は妖怪にことごとく食べられてきたって聞いたことがある……!」
「そうね。ストレートに表現するのなら妖怪の餌よ」
「ストレートすぎない??」
「そんな軽い感じでいいの!? 食べられるんだよね!?」
「ま、俺たちがいるしな」
《マスターを狙う外敵は我々が駆除していますから》

 実に頼りになる相棒たちである。
 ドン引きしているナツメたちをよそに、酒呑童子に続けて質問を投げかけてきたのは部下である洞潔。

「……経緯は分かりました。ですが、それだけで茨木童子様が人間の元にいる理由にはならないでしょう。別世界のあなたとて、根本はこの世界にいた茨木童子様と同じ……!」

 洞潔は語気を強めながら続ける。

「だとすれば、なぜ」

 なぜ茨木童子は天野夏菜の元に居続けているのか。

「夏菜を守る。ただ、そのためだ」

 私の頭を撫でながら、茨木童子は宣った。
 目の前に座っている酒呑童子たちは、まるで信じられないものを見るような目を向けている。
 
「……『マスターが死んだら白髪も死にますね』……」

 その時。不意に、黒髪の女の子が呟いた。
 さっきのIちゃんの発言だ。その言葉を聞いた酒呑童子たちは、ハッと目を見開き茨木童子の方を振り返る。

「さっき言っただろ? 夏菜に助けられたってな。まだ三歳だった夏菜が、与える血の調整なんかできるわけない……夏菜は瀕死の俺の譫言に従って血を分け与えてくれたんだが、晴明の呪詛で弱っていたこともあって強制的に眷属の契約を結んじまったんだよ。ま、俺自身眷属になったこと自体は全く後悔してないけどな」

 酒呑童子たちは言葉を失っていた。
 茨木童子が生きているという事実は嬉しいが、人間の眷属に成り下がったことに対しては複雑な感情を抱いているのだろう。もちろん鬼族にも鬼族なりの事情があり、どういう経緯で誇りを抱くに至ったか知っているからその誇りを否定するつもりはない。
 けれど、私たちにも私たちなりの想いがある。
 茨木童子が眷属になったことを後悔していないように、私も茨木童子を眷属にしたことを後悔したことはない。

「眷属……?」
「ともだち契約と違い強制力のある契約で、対象となる妖怪に命令をしながら血を与え繋がりを作ることで成立する絶対服従の契約のことです。基本的に主が死なない限り契約は解けません」
「何それ怖っ!?」
「眷属となることで大きなメリットを得ることができますが、当然デメリットも大きいです。それこそ、主である夏菜さんが亡くなれば眷属である茨木童子も亡くなってしまいます」

 眷属の概要を聞いた妖怪探偵団から驚愕の声が上がる。
 にしてもあの黒髪の女の子。原作に出てきていない眷属の概要まで詳細に知っているところから察してはいたけれど、原作知識を持って異世界転生したタイプの子じゃなさそうね。

「……まぁ、夏菜の側にいる理由はそれだけじゃないけどな」

 私の方を見ながら、そっと笑いかける茨木童子。
 よく見る茨木童子の表情だ。けれど酒呑童子たちにとっては馴染みのない表情だったのか、唖然とした様子でこちらを見ていて……ちょっと陰湿かもしれないけれど、茨のこの表情が自分だけに向けられていることに優越感を覚えている私がいることも否めない。

「質問はこれで全部? アヤメちゃんたちはいいの?」
「私は余裕がある時でいいかな。アカネちゃんは?」
「私も余裕がある時で大丈夫です」

 あの黒髪の女の子、アカネって名前だったのね。
 そういえば、茨木童子に吹っ飛ばされた時にナツメが名前言ってたような……衝撃音のせいで聞こえていなかったのかな。

「それで、これから夏菜たちはどうするつもりなんだ?」
「こっちの世界とあっちの世界がリンクしているのなら、こっちで事件を解決すればあっちの事件も解決できると思うんだけど……アキノリ、うすらぬらに怪奇案件の通知が来てたりしてない?」
「流石にそんな都合よく怪奇案件なんて……ん??」

 ちょうどその時、アキノリの懐から通知音が鳴った。
 
「……いや、マジで起きてるじゃんか!!?」

 通知音の正体は、新着の怪奇案件のお知らせだった。
 アキノリは周りに急かされながらポケットに入っていたスマホを取り出して、怪奇サイト・うすらぬらを開いた。
 
「え〜っと……なになに、禁忌の屋敷に肝試しへ行った友達がおかしくなってしまった……?」
「禁忌の屋敷?」
「えらく物騒な名前の屋敷だな」
《危なそうな雰囲気が出てますね》
「アキノリ、読み上げてもらってもいい?」
「あ、あぁ」

 :
 :
 :

 数日前、私の友人とその妹が肝試しに行きました。
 私も招待されたのですが、私は昔からそういった類のものが苦手だったので肝試しには参加しませんでした。ですが、その肝試しから帰ってきた友人の様子がおかしくなってしまったんです。
 以下、肝試しに参加した人から伝え聞いた話になります。
 友人たちが向かった肝試し場所──その場所は、昔から決して近付いてはいけないという言い伝えが残っている禁忌の屋敷でした。禁忌の屋敷は出入口が存在しないため、友人たちは窓を割って屋敷の中に侵入し様々な部屋を探索していたそうです。
 この屋敷に置かれていたものが問題でした。
 屋敷の奥の部屋には引き出し付きの鏡台と、髪の毛の立てかけられた棒があったそうです。あまりにも異様な光景に友人たちは足を止めていたらしいのですが、直後、連れてきていた妹がいなくなっていたことに気付き慌てて屋敷を探し回ったそうです。
 結局、友人の妹は二階で見つかったようで。
 見つかったはいいものの、同時に友人の妹が見つかった部屋には一階に置かれていたものと同じ鏡台が置かれてあったらしいです。友人の妹はとても好奇心旺盛な性格だったこともあり、鏡台の一番目と二番目の引き出しを開けて引き出しの中に入っていた『禁后』と書かれた半紙を友人たちに見せてきたそうです。妹を連れ戻しに来た友人は半泣きになりながら妹の手を引き持っていた半紙を元の引き出しに戻してすぐに引き返そうとしたらしいのですが。
 おそらく、恐怖で動揺していたのでしょう。
 友人は半紙の入っていた二番目の引き出しではなく、三番目の引き出しを開けてしまったそうで。三番目の引き出しの中身を見た友人は──直後、正気を失ってしまったと聞いております。

 この件以降、私は友人の姿を見かけておりません。
 この事件はさくら元町で起きた事件ではなくさくら元町から離れた田園村の隣村で起きた事件なのですが、友人を助けたいと思いこのように怪奇サイトに投稿させていただきました。
 この投稿を見ているどなたか、友人を助けてください。

 :
 :
 :

「……これ、どう考えたってあかん類の案件でしょ……」

 私の言葉を聞いた茨木童子が無言で頷く。
 話だけ聞いていた酒呑童子たちも「うわぁ……」と言わんばかりの表情をしている。こういう行っちゃいけない場所に行った人間に何かしら起きる話は昔から定番だけど、まさかパラレルワールドに来てまで見ることになろうとは流石に思っていなかった。

「にしても発生場所が田園村の隣、ねぇ……」
「心当たりあるのか?」
「私たちがここに来た時にえんえんトンネルまで来たでしょ? 田園村に行くにはやまびこ線の電車に乗ってたぞの駅っていう駅で降りる必要があるんだけど……そのたぞの駅にもあるのよ、えんえんトンネルと全く同じ性質を持ったえんえんあぜみちが」
《となると、関連性がないとは言い切れなさそうですね》
「ここまで来たら、行って調査するしかないな」

 にしても、この禁忌の屋敷──。
 どこかで似たような話を聞いたことがあるような……まぁ、怪奇事件なんて大体似たような話ばかりだし気にしなくてもいいか。

「それなら、俺たちも一緒に調査させてくれないか?」
「……危険だから本当は連れて行きたくないんだけど、そう言ったところでどうせ着いてくるでしょ?」
「もちろんだ。ってか、元々こっちの世界で起きてた怪奇案件なんだから俺たちが解決しなきゃいけない案件だしな」

 そう言うだろうとは思っていた。
 けれど、平行世界とはいえナツメたちを危険に晒したくはない。何より今回の案件は私の経験則──今まで生きている中で培ってきた危険察知能力が赤信号を発するほどにヤバい案件なのよね。

「分かったわ。ただし、条件付きよ」
「条件?」
「前衛は茨と……アカネちゃんに任せること」
「な、なんでだよ!?」
「さっきの戦闘を見た上での判断よ。飛んできた流れ弾を咄嗟に自衛できなかった辺り、もしものことがあったとしてもまともに対処できないでしょ?」
「それは、確かにそうだけど……」
「足手纏いだから引っ込んでなさいって言ってるんじゃないの。剣を得意とする者が剣士になるように、術を得意とするものが術士となるように、適材適所に基いて役割を割り振っているだけ」

 「二人もそれでいいでしょ?」と尋ねる。
 茨木童子は当然のことのように頷き、静かに話を聞いていたアカネちゃんも「構いません」と返してくれた。

「…………待て」

 不意に、酒呑童子が呼び止めてきた。

「ならば俺たちも前衛として同行させろ」
「それはいいけど……なんでまた?」
「…………借りを作るのは好きじゃないだけだ」

 そう言いながら、茨木童子の方を見遣る酒呑童子。
 この世界の茨木童子じゃないことは分かっているけれど、たとえ平行世界の茨木童子であろうと自身と盃を交わした弟に攻撃を仕掛けてしまったことを悔いているのかもしれない。
 当然、酒呑童子が来るとなれば洞潔も来る。
 酒呑童子の言葉を聞いた茨木童子は僅かに目を見開き、それから「ありがとな、兄者」と静かに返していた。

「さて、それじゃあ早速準備を始めましょうか」


 ◆◇◆


「こんにちは。隣、お邪魔してもいい?」

 各々が田園村に向かうための支度を進める最中。
 アカネは有星家の屋敷の縁側に座りながら、先程の戦闘で消耗してしまった剣の手入れをしていた。時折ナツメたちの様子を伺いながら剣の手入れを進めていたところ、不意に影が落ちる。
 影の正体は平行世界の招かれざる客人・天野夏菜だった。
 無駄に警戒心を抱かせないよう気を遣っているのか、茨木童子は縁側から離れた位置で煙管を吹かしながら佇んでいる。
 
「お好きにどうぞ」

 アカネとしては断る理由もない。
 夏菜は嬉しそうに表情を綻ばせながら「それじゃあ遠慮なく」と言ってアカネの隣にゆっくりと腰掛けた。

「さっきはごめんね」

 すると突然、夏菜が謝罪の言葉を口にする。

「前衛のこと。突然頼んじゃったりしてごめん」

 何を謝る必要があるのか。
 そう思ってアカネが問いかけるよりも前に夏菜は理由を口にしたものだから、思わず面食らいそうになってしまった。

「……いえ。こちらこそ、先程はすみませんでした」
「え?」
「茨木童子に敵意を向けてしまった件です」
「あぁ。あれくらい大丈夫よ、よくあることだから」
「よくあることなんですか?」
「あれで茨は元悪鬼だからね。私も昔、茨のせいで燃やされかけたことあったな〜」

 それは果たして大丈夫と言えるのか。
 別の意味で心配になっていたところ、遠くから夏菜たちの様子を伺っていた茨木童子が地面に崩れ落ちた。盗み聞きでもしていたのだろうか。否、鬼は人間よりも聴力が優れているため普通にアカネたちの会話が耳に届いていたのかもしれない。

「おに、ぶざま!」
「ちょっ!?」
「ジーたん!?」
 
 すると、ちょうどその時。
 偶然にも通りがかったジュニアが地面に崩れ落ちている茨木童子を見るなり命知らずな発言を放ったものだから、妖怪探偵団の面々は揃って顔を青褪めさせていたのだが。

「お? 言ったな赤風船」
「赤風船ちがう! ジーたんはジーたん、だぜ!」
「赤風船でいいだろ」

 茨木童子は寛容な態度でジュニアの言葉を受け流していた。
 どころかジュニアのことを揶揄って遊んでいる。煙管を持っている手とは逆の手でジュニアに構っていて、まだまだ妖怪として生まれたてのジュニアは楽しそうに戯れていた。

「……面倒見がいいですね」
「あれで立派な教員だしね、茨って」
「……教員!?」

 思わず声を上げるアカネ。
 教員──果たして聞き間違いではなかろうか。そう思って夏菜のことを見てみるも、夏菜は平然とした様子で答えた。

「うちの学校で教員やってるの」
「茨木童子が教員……」
「あ、ちゃんと免許も持ってる正式な教員だから安心して」
「それどうやって免許取ったんですか」
「教育系に強い大学に行って、教育実習とかも真面目にやって正規ルートで取ってきたって言ってたような……まぁ、うちの学校で教師をするんなら免許くらい持ってないとボロが出るからね〜」
「…………妖魔界に名を馳せる大悪鬼が教育実習……」

 あれが鬼族の大妖怪だなんて誰も信じないだろう。
 「初見の時の私と同じ反応してる」なんて言いながら笑い転げている夏菜を横目に、アカネは脳裏によぎった疑問を口に出した。

「ところで、夏菜さんは何か御用があって来たのでは?」
「あぁ、うん。ちょっと聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと?」
 
 僅かな間を置いてから、そっと口を開いた夏菜。

「アカネちゃんって──もしかして転生者?」

 途端、剣の手入れをしていたアカネの手が一瞬止まる。
 ほんの一瞬のことではあったものの、目敏い夏菜はそれに気付いたのだろう。アカネの反応を見るなり「やっぱりそうだったのね」と静かに呟いて、そのままアカネの様子を伺っていた。
 アカネは暫く逡巡した後、そっと首肯する。
 平行世界の招かれざる客人である夏菜。流れ弾からナツメたちのことを救ってくれた辺り、信頼はできないものの一定の信用に足る人物であることはアカネも察していた。

「……前世の私は、閻魔大王の娘でした。名は、紅蘭」

 アカネの返事を聞いた夏菜。
 初めてアカネの正体を知った時のナツメたちのように騒ぎ立てるでもなく、どこか納得したような様子を見せていた。

「やっぱり、ミカド族の生まれ変わりだったのね」
「気付いていたんですか?」
「エンマに気配が似てたからね。ミカド族の男児だけが継承できる覇王の力がしなかった辺り、もしかしてミカド族のお姫様の生まれ変わりなんじゃないかなぁ〜とは予想してたけど」
「……そこまで分かっていたのなら、なぜ改めて?」
「確信がなかったからね」

 こともなげに宣った夏菜。
 しかし、夏菜の発言を聞いている辺りエンマ大王……否、元・エンマ大王とも面識があるらしい。それも、未だに敬称を付けているナツメたちと違って敬称を付けずに接することができる程度には。
 なんて、アカネは他人事のように考えていたのだが。
 そこであることに気付いてしまった。言い知れない嫌な感覚を覚えたアカネは僅かに視線を伏せながら問いかける。

「……夏菜さんの世界に、『私』は存在してないんですね」

 アカネの言葉を聞いた夏菜は、驚くほど素直に頷いた。

「まぁ、それは私も同じだから」
「……そうですね」
「平行世界なんだから、多少の相違点くらいあるわよね」

 「間違い探しみたいなもんでしょ」と口にする夏菜。
 宇宙に無数の星々があるように、この世には想像もつかないくらい無数の平行世界が存在しているという。
 どこか同じようでどこか違っている世界。
 その平行世界の中には、いつか夢で見たように紫炎が閻魔大王になる世界があるのかもしれない。あるいは、あの夢で見た筋書き通り自身が閻魔大王になる世界もあるのかもしれない──なんて。

「……くだらない」

 そこまで考えて、アカネは考えることをやめた。
 不意に口から溢れていた呟きは夏菜の耳にも入っていただろう、しかし夏菜はそれに言及することはなかった。

「……すみません、夏菜さんの発言を貶したわけでは」
「何のことかしら? 私の耳にはな〜んにも届いちゃないわ」

 お茶目にウィンクをしながらそう言ってのける夏菜。
 隣にいる夏菜が聞こえていないはずがない。それでも聞こえなかったフリをしているのは、夏菜なりの優しさだろうか。

「あぁ、そうだ。もうひとつ聞きたいことがあったのよ」

 不意に話題を切り替える夏菜。
 なんだか暗くなってしまった雰囲気を吹き飛ばすような笑みを見せる夏菜につられてか、アカネもまた僅かに口元を緩めながら「お答えできる範囲であれば」と返す。
 アカネの承諾を得た夏菜は僅かに目の奥を輝かせた。
 そっとアカネの耳元に口を寄せ、読唇術などで会話の内容が他者に読み取られないように口元を覆いながらアカネに問いかける。
 
「アカネちゃんさ、酒呑童子とどういう関係なの?」

 再度、剣の手入れをしていたアカネの手が止まる。

「最初に会った時、『アカネ様』って呼ばれてたから」

 ご丁寧に理由まで付けてきたものだから逃れようがない。
 そもそも今さら夏菜に隠し事をしたところで何の意味もないので、アカネは早々に諦めて全て説明することにした。

「……酒呑は、前世の兄に仕えていたので」
「あ〜っ……? 確かに、アカネちゃんの前世がミカド族の姫なら繋がりがあってもおかしくないか……にしてもいいの? 元とはいえミカドの姫なのに。その様子を見る限り、酒呑童子たちの目的が鬼姫の生まれ変わりだってことも把握してるんでしょ?」
「今の私は人間なので、政権を握る者がエンマでも鬼族でも、私が異議を唱える資格はありませんから。ですが、朱夏女王の生まれ変わりが支配を望んでいないのに対し無理に妖魔界に連れて行く……なんてことがあれば、私も反旗を翻すつもりでいます」

 そう言い切ったアカネ。
 けれど質問を投げかけた張本人である夏菜の反応がない。不意に疑問を抱いたアカネが隣に座っている夏菜に視線を遣れば、まるで見たこともないくらい愉快気な笑みを浮かべているではないか。

「…………へぇ?」

 直後、夏菜の手がアカネの頬に伸びる。
 ナツメと同じ黒瑪瑙の瞳に見据えられていたこともあるだろう。否、最初から逃げ場なんてなかったのかもしれない。拒む理由なんていくらでもあったのに、その手を拒むことができなかった。
 互いの視線が交わる。
 夏菜の手が逃がさないと言わんばかりにアカネの顎に添えられ、そして、その瞳を視線で射抜いた。

「そっか。じゃ……その時が来たら、頑張ってね?」

 夏菜は朱夏の生まれ変わりが誰なのか知っている。
 知っている上での発言だった。妖怪探偵団を守るために戦っていたアカネなら、鬼姫の生まれ変わりである酒呑童子がどれだけ権謀術数を巡らせたところでその野望を止めてくれるだろう。

「おーい! 準備終わったぞー!」

 ちょうどその時。
 境内の向こうからアキノリの声が響き渡ってくる。そっと地面に降り立った夏菜は、背後にいるアカネに目を向けた。

「アカネちゃん、行ける?」

 夏菜の問いに対して、アカネは手元の剣に目を向ける。
 ここまで手入れすればもう十分だろう。そう判断したアカネは静かに頷いてから、夏菜に続いて縁側から立ち上がった。

「……ところで、アカネちゃんの名字ってなんだっけ?」

 道中、自然な流れで質問を投げかける夏菜。
 同じ神社の境内に向かうだけとはいえ、会話もなく歩き続けるには無理がある距離。とはいえアカネと話している限り、自分から話しかけるような性格でもなさそうなので自分から話題を振った方がいいだろうと思った次第である。

「日影ですが……言っていませんでしたか?」

 アカネの名字を聞いた夏菜。

「あぁ、日影ね…………日影ェ!!?」

 見事に聞き覚えしかない名字である。
 当然アカネの名字を叫んだ夏菜に反応してか、境内にいたアキノリたちの視線までもこちらに向けられる始末。

「ちょっと聞きたいんだけど……!」
「は、はい」
「アカネちゃんのヒカゲって、もしかして日光の『日』に影響の『影』で日影って書いたり……?」
「そうですが……」
「……ちなみに父親の名前は?」
「マオ。日影真生です」
「ダウト!!!」

 今度こそ夏菜は頭を抱えた。
 どこがただの人間だよ思いっきりミカド族の血縁じゃん……と、夏菜は心の中で叫び散らかした。つまり、アカネは兄である紫炎の魂の片割れである悪き心──その転生体である日影マオの娘として生まれ変わっているということになる。

「父と面識が?」
「……うちの父さんとアカネちゃんのお父さんが同級生なの」
「え……!?」
「こっちの世界じゃどうか知らないけどね……あっちの世界のマオおじさんに子供はいなかったけど……あぁ、成程……」

 どこまでアカネが真実を知っているか分からない。
 ただ反応を見る限り、少なくとも自身の父親が前世の兄の生まれ変わりという事実までは掴んでいないように思える。とはいえ今になって発言の撤回なんてもちろんできるわけがないので、当たり障りない答えだけ教えておくことにした。
 
「そっちの父は未婚なんですか?」
「た〜〜〜ぶん独り身だったはず。確か今はさくらニュータウンにあるチョーシ堂っていう時計のお店の二代目店主をしているって聞いたけど……でも、最近はお店をお休みしてるらしいわ」
「お休み?」
「なんか京都に用事があるとか。詳しいことは聞いてないから分からないんだけど、一年くらい店を空けるって話をしてたからよっぽどの用事なんじゃないかしら」
「そうなんですか」

 :
 :
 :

 夏菜はまだ知らない。
 日影マオが京都に行った本当の理由。それは、夏菜の世界で起きている連続失踪事件の首謀者──そして、その事件の闇の中に潜む
人間界・妖魔界を蝕む闇の全貌を掴むためであるということを。
 夏菜はまだ、知らない。

 
 ◆◇◆


(成程、あの女の正体はミカド族の姫の生まれ変わりか)

 ジュニアと戯れながら、そっと煙管を吹かす。
 夏菜たちの話している内容は当然ながら俺の耳にも入っていた。そのせいで流れ弾も受けちまったが……確かに人間と比べりゃ五感に自信はあったが、それが仇となる日が来るとはな。
 しかし、話を聞いているうちに違和感を覚えた。
 日影アカネの存在に対してじゃない。そもそも、それで言ったら天野夏菜と茨木童子だって原作に存在していないのだから日影アカネのような存在がいたっておかしくはないだろう。

(……問題は……)

 あの女に対する兄者の態度。
 兄者が一時期紫炎に仕えていたことは、夏菜の原作知識により裏取りができているため間違いない。あっちの世界とこっちの世界に相違が発生しているように、こっちの世界では兄者と日影アカネの前世──紅蘭の間に何かがあったのかもしれない。
 ただ、それにしたって違和感がありすぎる。
 日影アカネがミカド族の血を引く子であるということは、原作知識を知っている俺たち以外は誰も把握していないだろう。言い方は悪いが、日影アカネは今の兄者にしてみれば何の価値もない。

(だが、兄者のあの態度は──)

 そんなことを考えていたところ。
 
「茨木童子」

 ちょうど、兄者と洞潔が揃ってやってきた。
 
「兄者、洞潔」

 誰かが来た時は火を消す癖がついちまってるせいか。
 反射的に煙管の中の火を妖術で消しちまった。まぁ、どのみち話を聞くんなら消しておいた方がいいのか……そもそも口寂しくて吹かしてるわけでもねぇし、消しちまう分には構わないんだが。
 ちなみにジュニアは俺の背後に隠れていた。
 ただ申し訳ないところだが、ジュニアがいても話の邪魔になりそうな気がしたため妖術でナツメたちのところに飛ばしてやった。これで心置き無く本題に入ることができる。

「…………聞きたいことがある」
「あぁ、いいぜ。こっちも聞きたいことがあったしな……久々にゆっくり酒でも交わしながら話そうじゃねぇか」

 盃は兄者が用意したものを使用することになった。
 メインの日本酒は俺の酒瓢箪の中に入っている。この前の給料日に勢い余って買った高級日本酒だが、こういう機会じゃなきゃ中々飲む機会もねぇし思い切って開けることにした。
 三人分、なみなみと注いでやる。
 最後に懐から取り出した真っ赤な小瓶の中身、それを隠し味とばかりに盃の中に垂らしてやった。

「それは……」
「夏菜の血だ。神妖の血なんて飲んだことないだろ?」
「いいのか? 仮にも主の血だろう」
「血の一滴でどうこう言うほど小さい器じゃねぇしなぁ。安心してくれよ、血のせいで理性を失って夏菜を食い尽くそうとするってんなら殺してでも止めてやるからさ」
「言うようになったな」
「実際、今の俺は兄者よりも強いからな」

 血を混ぜた盃を掲げながら、兄者に言ってやる。
 兄者は呆れたような表情を見せながら盃を取り、それに続いて洞潔も盃を手に取った。互いに言葉を交わすこともなく、しかし全く同じタイミングで酒を飲み始めるものだから面白い。

「…………美味い……」
「これが、神妖の血……」
「だろ? 特に夏菜の血は鬼族と相性がいいからな」
「鬼族と相性がいい?」
「あぁ。ま、詳しいことは話せないが」

 あまり知られていない──。
 というか夏菜も知らないであろう話にはなるが、実のところ夏菜の神妖の血は鬼族と相性がいい。おそらく夏菜の双子の妹であるナツメが鬼姫の生まれ変わりだってのが影響してるんだろうが、まだ兄者は鬼姫の正体を掴めてないみたいだしな。
 
「で、兄者たちは何を聞きに来たんだ?」

 話を切り替えて、兄者に問う。
 建前として『兄者たち』とは言っているものの、実質その質問は兄者だけに投げかけられたものだ。

「…………今のお前は、何のために生きている?」

 ただ、その一言だけが向けられる。

(やっぱ兄者にはバレるか)
 
 おそらく兄者は分かっているのだろう。
 否、兄者だからこそ。大江山で悪事を働くよりも以前から盃兄弟として苦楽を共にしてきたからこそ、酒呑童子という妖怪は茨木童子という妖怪の本性をよく理解できている。
 夏菜に救われた際に眷属になったから。
 ただそれだけの理由で夏菜の元に居続けるような妖怪ではない。まぁ、さっき流れで夏菜の側にいる理由は他にもあるって言っちまったからそれを追求しているものとも思えるが。いずれにしても、この質問に対する俺の答えはもう十年前から決まりきっている。

「俺は夏菜の創り上げる『未来』のために生きている」

 それが、俺の答えだった。

「…………未来?」
「あぁ。鬼族の、妖魔界の未来を創るってな」
「あの小娘に……鬼族の未来を語る資格があるとでも?」

 資格か。

「馬鹿にしてくれる。あるに決まってるだろ?」

 僅かな殺気を乗せ、語気を強めながら言ってやる。
 兄者たちは一瞬怯んだものの、さっき夏菜の殺気を浴びていたせいか思ったより早く平静を取り戻していた。

「約束してくれたからな」

 ──私が鬼族を復興してみせるから──

 神話の向こうに辿り着いたあの日。
 およそ三年に渡る夏菜たちの恋物語にも終止符が打たれた。年齢が年齢なのでまだ婚約者という立場に留まっているものの、いずれ夏菜が王妃になれば眷属である俺の地位も名誉あるものになる。
 夏菜はそれを狙っているらしい。
 十年以上夏菜のことを守り続けた功績を理由に、俺を鬼族の大使として矢面に立たせて自身は閻魔宮殿で裏から鬼族に手を回すことで鬼族の復興をする──それが、夏菜の計画だった。

「そもそもな。確かに一時期は妖魔界の政局も不安定だったが、カイラのヤツが大王になったことで今は安定してる……そんな状況下でクーデターを起こしたところで民心はついてこないだろ」
「それは……」
「争いは争いしか生み出さん。鬼族を復興させるにしても姫の力を過信して盲目になることはやめた方がいい、つーか何やるにしてもリスクに対してリターンが少なすぎるんだよ」

 こう考えるようになれたのも夏菜のおかげだな。
 まぁ、現実が見えてきたって言った方がいいのかもしれねぇが。どのみち今の衰退した鬼族が全面戦争を起こしたところで返り討ちにされるのが関の山。要である朱夏様の生まれ変わりはお山の大将を気取れるような性格をしていない。

「鬼族の悲願と鬼族の未来。それを天秤にかけて、後者を取った方がいいと判断したまでだ……それ以上もそれ以下もない。まぁ、そこに多少夏菜の存在が入ってきたことは否定できないが」

 とうとう兄者は黙り込んでしまった。
 だが兄者の気持ちは分からないでもない。何百年……否、兄者は千年近い歳月を姫のために捧げてきた。その途中で俺という存在を失ったことで、引き際を失ってしまったんじゃなかろうか。

「喋りすぎちまったな。まぁ……あくまでも俺はあっちの世界の茨木童子であってこっちの世界の茨木童子じゃねぇからな、ごちゃごちゃ言う権利はない。好きなようにやればいいさ」

 俺から兄者に言えるのは、それだけだった。
 無責任にも取れる一言だが所詮は平行世界、結局は目の前にいる兄者も俺の知っている兄者ではない。

(『俺』が求めているのは、夏菜の創る世界だ)

 妖魔界を支配する一族が鬼族じゃなくたっていい。
 夢物語のように平和な世界が見たい──子供の我儘のようなその夢のために先行きの見えない闇の中をもがき、文字通り茨の道を歩んできた夏菜の努力を否定したくはない。
 同時に鬼族の復興は果たしたいという思いもある。
 だから、最も現実的な夏菜の案に乗った。夏菜が王妃になるまでに多少の時間は要するかもしれないが、夏菜が妃として立妃した時点で鬼族復興の目処は立てることができる。

「……あの小娘の何が、お前を突き動かしている?」
「見てりゃ分かる。夏菜の側にいる理由も、夏菜のために動いている理由も……ま、百聞は一見にしかずって言うだろ?」

 つーか、俺のことはいいとして。

「そういう兄者は日影アカネとどういう関係なんだ?」

 そう問いかけたものの、兄者から返事はない。

「…………ん?」

 いや待った。これフリーズしてないか?

「おい、洞潔」
「……聞かないでください」
「…………マジか」

 成程、この上なく面倒なことになっているらしい。

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