赤司くんください
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一夜明けて、私は自分の身体のあまりの変化に絶望していた。
まず目が覚めると2階の自室にいるのに、1階の台所で母が何を作っているのか匂いでわかってしまった。
(今日は目玉焼きとワカメの味噌汁…だよね、この匂い…)
それだけならまだいいとして、問題はお隣りの朝食まで嗅ぎとれてしまうことだ。
(多分、いや確実に鮭の塩焼きだ…)
やけに色々な音が聞こえると思えば、お隣りのお家のおばさんの話し声が割と聞き取れる程度には聞こえる。
五感すべてが今までの10倍20倍くらいに精度が増したような体感だ。
全身で今までにない情報量を受け取り続けて情報過多で気持ち悪くなるけれど、頭の回転も少し速くなったようで少し気分が悪い程度で抑えられた。
(全身が大幅アップデートしている…)
情報の処理速度は速くなったようだけれど考えていること感じていることに差はなく、どうやら自分の心というか、精神的な部分だけは変化を免れているようだった。
魂だけが抜き取られて新しい肉体に無理やり入れられたような感覚で、最新最先端のスパコンで時代遅れの性能のよくないOSを採用するようなアンバランスさに人間のままの精神が付いていけていなかった。
心身のバランスが取れず平衡感覚を失ったような状態ではあるがとりあえず今日は鍵当番で1番最初に部室に行かなければならないので、呆然としている訳にもいかない。
平々凡々だった私が初めて掴んだ帝光中バスケ部一軍マネージャーという大切なポジション。
(皆には迷惑かけられないし、頑張らないと…)
とても抱えきれそうにない問題から目を逸らして、気分の悪さを少し頑丈になった頭で押し潰しながら私は学校に向かった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「や、やっと着いた…」
押し寄せる五感からの情報の暴力にジリジリと体力を奪われ、朝7時だというのに既にヘトヘトだった。
加えて通学中、太陽光を浴びた素肌がキリキリと痛み、悪夢のような相乗効果が働き私を苦しめた。
肌の痛みは耐えきれないものではないが慣れるまでは晴れやかな表情で太陽光の下を歩くことは難しそうだ。
部室には辿り着いたが、今日の朝練中は部室で休ませてもらわなければどうしようもなさそうだ。
元々朝練は希望者のみで大会の2週間前だけなので来る人は少ない。
一軍の人くらいしか来ないし、いつも来るのは桃井さんと黒子くんと緑間くん、あとたまに青峰くん。そしていつも1番早く来るのは…
「須山おはよう」
「赤司くん、おはよう」
いつも赤司くんは部室の鍵を私が開けるとすぐにやって来る。
鍵当番がいつ学校に着くかも計算して来ているのだとしたらやっぱり赤司くんはちょっと怖い。
「須山はいつも時間を守るから君が鍵当番の日はとても安心感があるよ」
「皆みたいにすごいこと出来ないから、時間くらいは守らないと。」
「ただいつもそうやって謙遜しすぎるのはお前の悪い癖だ。」
(怒られた…)
私が一軍のマネージャーになれたのは赤司くんの推薦があったからだ。
虹村先輩から赤司くんにキャプテンが変わったとき、ずっと一軍のマネージャーをしていた先輩も引退してしまった。
そこで新キャプテンの赤司くんから私は何故か推薦をもらって今はこのポジションにいる。
最初は嬉しさよりも何故選ばれたのかがわからず戸惑いが大きかったけれど、自分なりに努力してきたのは間違いなかったのでやっぱり嬉しかった。
そして一軍のマネージャーになってからも赤司くんは何かと私を助けてくれていた。
「あっ、そうだ。日誌渡すね。」
バッグを開けて日誌を取り出す。
変に焦って取り出してしまったからか、日誌の紙で指を切ってしまった。
「まったく…焦る必要はなかっただろう。とりあえず血の出ているところを見せてみろ。」
赤司くんはすぐに救急箱とってきて血が出ている私の手をとるために手を伸ばしてくる。
傷口から血が流れて、指先をつたう。
指先からつたう赤い血が、雫になり今にも部室の床に零れ落ちようとしている。
赤司くんの手が、私の手を掴もうとしている。
私の 血で 汚れた 手を 赤司くん の 手が 触 れ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
いや。触れられてはいけない。触れるべきではない。接触するべきではない。接触させてはいけない。血に触れられてはいけない。血を触らせてはいけない。
離れなくてはいけない。離れなくてはいけない。離れなくてはいけない。離れなきゃ、駄目。
爆発的したように頭の中に大量の感情が溢れ出し、私は反射的に赤司くんから大きく離れた。
自分の身体が変わってしまったことは認識していたのに。私は何故かもうひとつの絶対に忘れるべきではない約束を忘れていた。
まるでその記憶に蓋をされていたように。
そう、私は吸血鬼になってしまった。
そしてこの学校の誰かから血をもらわなきゃいけないんだ。
次の満月までに協力者を見つけなきゃ、あの女にここの誰かが食べられてしまう。
(どうして一番忘れちゃいけないことを忘れていたの…)
過剰な対応をとって急に距離をとった私に赤司くんは虚をつかれた顔で見ている。
赤司くんのこんな表情は初めて見た。
でも私は血を見て記憶を取り戻してから急に五感の感じ方までおかしくなってしまって、なにかいわなくてはいけないのにとても正常な反応や動きをとれる状況になかった。
(どうして…なんで…私、赤司くんのこと…)
とても認められない。認めたくはない。
でも私は、最早取り繕うこともできない程に、どうしようもなく、紛れもなく、赤司くんを美味しそうと感じてしまっていた。
先程反射的に距離を取れたことに今猛烈に感謝しつつ、突然ふつふつと沸き起こった今まで経験したことのないような形容しがたい歪な食欲をどうしたら収めることができるのだろうか。
早急にフォローを入れなければいけないことはわかっていたけれど、おかしな感覚をどうにか鎮めるのに手一杯でその場でうずくまってただ歯を食いしばることしか出来なかった。
しかし、そんな尋常ではない様子の私を赤司くんが放って置く訳もなく、すぐにこちらに向かって来る。
「須山、どうしたんだ。顔色が普通じゃない。どこが痛むんだ。」
「赤司くん…私は、大丈夫だから…少しだけ部室で休んでから…行くから…先に…練習…」
「どう見ても大丈夫ではないだろう。ゆっくりでいいからどこが痛むのか教えるんだ。」
恐る恐る顔を上げるとすぐ近くの赤司くんの顔がある。
真剣な表情に胸が竦む。
あぁ、この表情は見た事がある。
いつも試合中ベンチでただ眺めることしか出来ない、あの、私がどうしようもなく惹かれるあの、横顔。
「赤司くん……」
こんなに近くに、あの、赤司くんが。
真っ直ぐ私を見つめる眼差しはまるで全てを見通しているようで、その全能感に包まれて、私はその眼差しの前に、むしろ救われた気持ちになった。
彼の赤い瞳に写るちっぽけな自分の眼もまた血のように紅かった。
この人に、隠し事なんて出来ない。
心を支配していた忌々しい食欲はいつの間にか抑えられ。
その赤い瞳の頼もしさに、安心して張りつめた気持ちがぐたりと弛んで思わず涙が溢れてきてくる。
「赤司くん、助けて。
わたし、バケモノにされちゃった。」
結局また私は、彼に助けを求めてしまった。
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