あなたがほしい(キセキシリーズ)
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その女の人と出会ったのは夜、私の家の前の路地だった。
帝光中学バスケ部のマネージャーは中々に多忙でただでさえ通学に1時間以上かかる私は暗くなってから帰宅することがほとんどだった。
(流石に今日は遅くなりすぎたな、早く帰らないと…)
やっと自宅のある路の角を曲がったとき、少し先の電柱に寄りかかって震えている女性に気づいた。
(あの人…もしかして急に具合が悪くなったのかな)
女性は動けないようでずっと電柱に寄りかかっている。
(大変、助けなきゃ。)
部活で急病人が出ることもしばしばあったので慣れているのと、後は自分の性格的にも見過ごすことは出来ず須山はその女性に駆け寄った。
「あの、すみません。大丈夫ですか?」
須山の声に女性は電柱に縋ったままゆっくりと振り返った。
須山はその女性の姿に思わず息を呑んだ。
あまりにも、美しかったからだ。
新雪のように白い肌に、ルージュをひいたように赤い艶やかな唇、全てのパーツが美しく整い須山は今まで見てきたどんな人より美しい人だと瞬時に感じとり、そしてただただ圧倒された。
そしてそんな完璧な美しさの中でも一際強く心を惹かれたのは、現実のものとは思えない程に輝く紅い瞳だった。
(なんて…、綺麗な人なの。こんな人見たことない。)
須山はすっかり自分が女性を助けるために声をかけたことを忘れていた。
「あぁ、親切なお嬢さん。こんな夜更けに助けに声を掛けてくれたのはあなただけよ。本当に親切なお嬢さん。」
女性の返答で須山はようやく本来の目的を思い出した。
「あっ、私ごめんなさい。こんなときにぼーっとして…。あのお身体は大丈夫でしょうか?救急車を呼びますか?」
「いえ、少し立ちくらみがしてしまっただけ。それには及びません。親切なお嬢さん。少し手を貸して下さる?」
(あぁ…声まで綺麗…。ずっと聴いていたくなるような綺麗な声…)
須山は言われるがままに手を差し出した。
「本当に、親切なお嬢さん。ごめんなさい。私、あなたを待っていたの。」
「えっ」
一瞬だった。
さっき迄目の前の電柱で震えていたはずの女性はいつの間にか自分の背後に居て、背後から肩を抱かれた私は女の人の唇が自分の首筋に触れるのを感じた。
(あぁ…髪も綺麗だな…)
あまりの急展開なのに何故か抵抗する意思は全く起きず私はされるがままに美しい女の人の唇を、そしてその奥の牙を受け入れてしまった。
牙で噛まれたのは把握できたのに首筋はただただ温かいだけで痛みはなく、しかし首筋から何か得体の知れないものが自分の中にじわじわと拡がっていく感覚があった。きっともう後戻りは出来ないんだなという非情で到底受け入れ難い結論を感じながらも私は女の人にされることを粛々と受け入れることしか出来なかった。
女の人の唇が離れた。
「親切なお嬢さん、思った通り、とても素敵よ。これであなたと私はお友達。食べてしまおうかと思ったけれど、お友達にしてよかった。」
女の人はこの世のものとは思えない程に綺麗な笑みを浮かべて力無くへたりこんだ私を見下ろした。
「お友達…?」
「お名前を聞いてもいいかしら?」
「奈子です…」
「奈子。いい名前。いい?奈子。あなたは今日から私のお友達。こっちの言葉で言うと吸血鬼とか言ったかしら。」
「そんな…わたし…」
信じ難いことを言われているのにも関わらず、そうなのだろうなとすぐに納得も出来てしまった。
「私はヨルハ。困った時は助けてあげるからいつでも呼んでね。」
ヨルハと名乗る女の人は倒れた私の手をとってしっかりと立たせると制服についた土汚れを綺麗に払った。
倒れていた時は全く力が入らず脱力していたのにヨルハに手を引かれると何故か力は戻り普通に動くことが出来た。
それからヨルハはこれから私に起こる変化を淡々と話した。
しかし意外なことに太陽の下でも普通に歩けるし、にんにくや十字架も平気だと言う。
「まぁでも直射日光は前よりも少し嫌な感じはするかもしれないわ。」
後は肌が白くなる、顔付きが少し変わってくる、力が強くなるようだ。
「あなたは今でも可愛らしいけどもっと美しくなっていくわ。まぁここはあまり成長しないけれど。」
ヨルハはそう言って残念そうに私の胸を撫でた。
「そんなに怒らないで。美しくなればそんなことは小さな問題でしょ?最後はお食事のお話。」
問題はやっぱりそこだ。
「そう構えないで。お食事だって今まで通りで構わないのよ。」
「ほんと…ですか?」
吸血鬼なのにそんなことがあるのだろうか。
「ふふっ。用心深い子。でもそう。食事と捕食は別のお話。今のあなたの身体には捕食が必要なの。」
「捕食……」
「でもあなたはそこまで深くないから、そうね。満月になるまでに誰か1人に分けてもらうくらいで平気なはずよ。」
簡単でしょ?とヨルハは微笑んだ。
月の周期は約29.5日。つまり大体ひと月に1人から血を貰わなきゃいけないということだ。
それは…
「そんなこと…出来ません。無理です、そんな…」
どんなに信頼している仲間にでも家族でも吸血鬼になりましたなんて言える訳がないし、言った所で信じてもらえるはずがない。しかも万が一信じてもらえたとして、そんな相手に牙を向けることは出来ない。
「知り合いに手を付けるのには抵抗がある?けれどあなたは私と違って人間の記憶を操作する力はないから協力者を見つけるのが1番いいのだけど。」
「協力者…」
こちらが一方的に血を奪うだけなのにそれを協力というのだろうか。
黙り込む私にヨルハは微笑みながら続けた。
「でも、次の満月までに見つけられなかったら私の食べる前のものをお裾分けしてあげる。」
「た、食べる前…?」
嫌な汗が額から流れ落ちる。
「私はあなたと違って分けてもらうくらいじゃ足りないの。でも自分で食べる前にあなたに分けるくらいは平気よ。」
だってお友達だもの、と彼女はまた微笑む。
「食べるって…食べてしまった人は死んじゃうんですか?」
「そう。でも人間だって牛や羊を食べるでしょ?」
言葉を失う私を無視して彼女は淡々と話し続ける。
「でも奈子は人間だったからそういうの嫌でしょ?でもあなたは分けてもらうくらいで大丈夫。それくらいの深さにしてあげたから。」
彼女はまるで私の1番の理解者は自分だと信じて疑わないような様子でそう言った。
慈愛に満ちた表情で恐ろしいことを語り続けるヨルハを、私は改めて人間ではない生物なんだと強く認識した。
「なんで…私を食べなかったんですか?」
恐ろしいと思ったけれど、聞かずにはいられなかった。
「ふふっ、そうね。気になるわよね。」
彼女の紅い瞳が私を真っ直ぐに捉える。
「それは、あなたの血がとっても美味しかったから。私ってグルメなタイプだから、中々好みの子に出会えないの。でもあなたの血は最高。」
紅い瞳に舐めるように全身を撫でられる。
「でもほら、人間って簡単に死んでしまうでしょ?貴重な血が無為に消えるなんて、私。耐え難くて。
だから、そんな貴重な可愛らしい子達はみんな私のお友達にして、頑丈にしてあげているのよ。」
ヨルハはまるでそれが私の為でもあるというように話していた。
「でも奈子は特別に良い子だったから。他の子みたいに飽きたら食べる、なんてことしないわ。ただ、全然好みの子に出会えないときは少しあなたの血を分けてね。」
(もう私、一生この女から逃げられないんだ…)
「奈子の血の好みは私に似るはずだから、少し捕食が大変かもしれないわ。」
するとヨルハは何故か部活のバッグを真っ直ぐと見つめた。
「でも、さっきから奈子以外のいい香りがするわ。」
部活用のバッグにはちょうど担当が回ってきた部日誌が入っていた。
日誌は私と桃井さん、そして部の一軍メンバーが順番に記入していた。
「私はあなたの活動圏内で捕食はしないから、きっとひと月の間に協力者をその場所から見つけてね。」
ヨルハはバッグを指差し、まるで楽しいゲームの話をするように言った。
「それが出来なければ、そのいい香りの子。私が食べるわ。」
「それは絶対にダメです!」
あまりに恐ろしいことを言う彼女に堪らず噛み付いてしまった。
「ふふっ。でも私、約束は守るの。じゃあ次の満月に、また会いましょうね。」
瞬きの間に彼女は消えた。
不穏な約束を残して、満月の月明かりは電柱と変わり果てた私の影を冷たいアスファルトの上にはっきりと映していた。
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