なにも知らない君たち(黄瀬長編)
名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
6月に入り、関東も例年通り梅雨入りして運動部は練習場所の調整に苦慮していた。
「笠松くんごめん!今日1時間だけ育館半面使わせて!」
須山先輩はだいぶ笠松先輩と話す時のしどろもどろは解消されてきたけど、緊張するから無理と折角交換した連絡先を有効活用できていないようだった。
部室が隣同士で練習場所も時々シェアするということもあってオレと須山先輩も顔を合わせると軽く話すくらいの仲にはなった。
もっとも先輩の興味はもっぱら笠松先輩のことばかりで完全に「笠松くんの後輩の」黄瀬くんという感じの扱いだ。
なんだか面白くはないけどオレにとっても須山先輩は「笠松先輩が好きな」須山先輩なので人のことは言えない。
「半面だけでも助かるよ。ほら、あのユニフォームで濡れるとすぐ風邪引いちゃうからさ。大会前に1回ユニフォームで練習しときたいんだ。」
「確かにアレで濡れるとキツいよな。1時間でいいのか?」
「後は筋トレとかだから廊下とかでも出来るんだ。ごめんほんと助かるよ、じゃあ16時から17時までよろしくー!」
須山先輩は最後まで言い終わらないくらいの慌ただしさで出て行った。
陸上部が関東大会に進んだのは須山先輩の個人短距離と男子リレーだけだ。
男子リレーの方は運良く予選を突破したけれど実力的に言ってインターハイ出場は難しそうな様子だった。
練習を見掛けたときも、正直須山先輩以外の部員はモブかモブ以下にしか見えなかった。
それは単に実力差だけではなくて意識の差によるところが大きくみえた。
割と怠惰なタイプが目立つ陸上部部員の中で、須山先輩の陸上競技へのモチベーションは抜きん出て高く、そのモチベーションの差から須山先輩の空回る姿をよく見掛けた。
しかしあのゆるい部活と部員の空気の中で、1人マッキンリー並の高さのモチベーションを保ち続けている須山先輩の方がはっきり言って異常なんだ。
その姿勢にはもはや執念の様なものまで感じる。
「なんか須山先輩、また1人で頑張ってる感じっスね…」
「あぁ…まぁ今に始まったことじゃないけどな。」
「どういうことっスか、それ?」
「うちの陸上部はアイツが来る前まで同好会レベルだったらしい。
それなのにアイツはそんな周りの空気なんて読まずに1年のときから1人で遅くまで自主練しまくって、ほぼ自分の力だけで去年全国制覇を達成しちまった。
3年で部長になっても周りはアイツを凄いと言うだけで同じ所まで上がろうとはしない。意識的にも技術的にもレベルが違いすぎるんだ。」
「なんか…ちょっとシンパシー感じるっス。」
「まぁお前も一応キセキの世代だからな」
「一応ってなんスか!」
「まぁ孤立はしていても嫌われてはいないからな。大丈夫だろ。」
「ならいいんスけど…」
-----
「お邪魔します!じゃあ17時まで借ります!ありがとう!」
体育館の時計が16時を指し示した瞬間、ユニフォーム姿の須山先輩が颯爽と1人で体育館に入ってきた。
笠松先輩に挨拶したり練習の準備をせかせかと1人で進めているところでやっと男子リレーメンバーらしき4人がのろのろと入ってきた。
「あれ?女子メンバーはまだ来なそう?」
「あぁ、なんか~教室で大会用のお守り作ってくれてるみたいっすよ~いいですよね~」
気だるそうな男子部員は須山先輩の問いかけに適当に答えてすぐ他の部員と誰から貰いたいだのどこに付けるかだのわーわー話し出し、すっかり話題はお守り一色だった。
「あー…そうかぁ…、まぁとりあえずペア柔軟つくってやろっか」
男子リレーの選手は4人なのでぴったり2ペアつくることができる。残された須山先輩は明らかな困り顔でうろうろ悩んでいた。
そしてオレがなんでこんなに事細かに須山先輩の様子をキャッチ出来ているのかと言うと、バスケ部の練習は陸上部の練習開始に合わせて小休憩中だからだ。うん仕方ない。
「須山セーンパイ。何かお困りっスか?」
「わっ、黄瀬くん。女子部員が教室だから私の柔軟の相手が居なくて、呼びに行くのもなんかね、皆盛り上がってるからなぁ…」
先輩はまいったよと困り顔で笑った。
「なんか先輩、大変そうっスね…色々。あっ、今ならこっち休憩中なんで部長に頼んでみたらどうっスか?」
「えぇっ!!い、いや悪いよ休憩中に…それに、ユニフォームだとちょっとは、恥ずかしいから…」
須山先輩は急に女の子の顔になり、どんどん小声になりながら顔を赤くした。
照れ出すと長いので適当にあしらいつつ、オレは改めてユニフォーム姿の須山先輩の全身をくまなく眺めた。
確かに陸上部のユニフォームはかなり露出度が高い。ピチッとした素材で身体のラインがまるわかりだ。これは…
「うーん、確かにその格好の須山先輩はエロ…」
「はぁー!?エロとか!!ほんとエロとか言わないでくれるかなぁ!?考えないようにしてるんだから!!もうじゃあいいから黄瀬くんが付き合ってよ!!」
須山先輩はオレの言葉勢いよく遮って笠松先輩に聞かれると困るという感じでぷりぷり怒って詰め寄ってきた。
(真っ赤な顔していちいち反応が可愛いっスねこの人は。)
その勢いのままオレは強引に先輩に陸上部側のスペースにすごい速さで引っ張られ笠松先輩と距離を取らされた。
「笠松くーん!ちょっとお宅のエース借りますよー!」
「ははっ返さなくてもいいぞー!」
「ってなんでっスか!!」
キャプテンの薄情な返事には微妙に凹むけど、ユニフォームの須山先輩と柔軟ペアは正直結構嬉しかった。
大体ついさっきユニフォーム姿がエロいって言った男に柔軟頼むとか須山先輩も大胆なとこあるっスよね。
ん?…いや、もしかしてオレ、オトコとして意識されてなさすぎ系っスか?
オレだけテンション上がってるとかちょっと悲しいんスけど…。
…というか折角こんな格好で、更にその上身体を密着させまくる柔軟運動を男女で出来るマジでヤバい千載一遇のシチュエーションなのに、そこでもたついちゃう須山先輩は一生笠松先輩をモノになんて出来ないと思うっス。あぁもう本当に陸上以外は全然ダメっスよね…須山先輩。
……まぁでも、笠松先輩に頼めたとしても笠松先輩はさっきからユニフォーム姿の先輩と接しても全く普段と変わらない感じだったんで、特に進展はなかったかもなぁ。残念ながら。
なんで須山先輩に対しては逆にあんな超自然体なんスかね。可哀想に。
あーあ、須山先輩ってばほんと不憫っス。
こんなに1人で頑張ってるのに、好きな人にも他の部員にも全然意識してもらえないなんて。
なんかオレにしとけばもっと、須山先輩ってもっと報われるんじゃないスかね。
なんかこんな須山先輩かわいそすぎて見てられないっスよ。
はぁーあ、というか部長はなんでこんな格好見て平常心でいられるんスかね。てか勘弁してほしいんスけど、さっきから須山先輩からめちゃめちゃいい匂いするしなんか普通に可愛いし、肌とかも柔らかくて女の子って感じなんスけど!!
「はいっこれで終わり!悪いね休憩中だったのに。ありがとね、黄瀬くん!」
オレの失礼な心の声とは裏腹に、須山先輩はずっと真剣に柔軟に集中し続けていた。
その真剣な顔も可愛いな、なんてオレがまたぼーっと考えているとどうやら柔軟運動は最後まで終えてしまったようで先輩は挨拶もそこそこに他の部員の方にすぐ走っていった。
あれ…なんでオレだけこんなに超ドキドキしてるんスか。
須山先輩は何事もなかったように部員達に指示を出してもう練習を始めていた。
1人ポツンと残されたオレは須山先輩のことを可哀想可哀想と思いながら、今この瞬間、こんなにも意識されていない自分の方がよっぽど可哀想じゃないかと思い至ってしまった。
(オレはまだ心臓バクバク言ってんのに須山先輩はなんで全く平気そうなんスか)
真剣に練習に取り組む後ろ姿を見ていると胸が少し苦しくなるような気がした。
………ん?なんかおかしい。いや、なんでオレがこんな気持ちになってるんだ?
なんでこんなに須山先輩に振り回されなきゃいけないんだ。
自分が哀れとも言えるこの状況に、なんだかイラついてきた
(いやいや、先輩みたいな明らかな恋愛経験ゼロの陸上バカにこのオレが負けっぱなしなんて普通に有り得ないっしょ)
(なんかマジでムカついてきた。このままで終わってたまるかよ。悪いけど須山先輩には絶対一泡吹かせてやるっス。)
須山は全くの無自覚であったが知らず知らずのうちに黄瀬の闘争心に完全に火をつけてしまった。
「本気のオレからは逃げられないっスよ。須山先輩。」
こうしてオレの須山先輩に絶対一泡吹かす作戦は6月のじめじめとした体育館の中で密かに、極めて一方的にスタートした。