泣き笑う君に奇跡の花を


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その翌日。リリィは相変わらずクリスの部屋で立てこもり生活を続けていた。昨日の懸命な掃除の甲斐もあって部屋はきちんと整頓され、かなり過ごしやすくなっている。
小綺麗かつ清潔になったテーブルを囲み、リリィとクリスはしばし談笑を楽しんでいた。


「えぇ? ルームサービスぅ?」
「ああ、そうだ」
「何よそれ、初耳なんだけど。てかわたしの部屋にはそんなサービスないわよ? わたしだってこれでもティント大統領の娘なんだけど? ひどくない? これって差別じゃない??」
「わ、私に言われても困る。…とにかくだ、今日これからこの部屋に食事を持って来てもらう事になってる。美味しい紅茶とマフィンが届くぞ。リリィ、確かマフィン好きだっただろう? 嬉しいだろう?」
「…ちょ、待って待って待って待って。ちょっと待ってよ! そんな事されたら、わたしがここにいるのバレちゃうじゃないの!」
「それなら心配いらない。持って来てくれるのは…彼女は、ゼクセンにいた頃からずっと世話になってる私専属の使用人でな。お前の件も口外しないよう話を通してある。…彼女は信用出来る人物なんだ」
「……ホントに? ホントのホントのホント───に、大丈夫なんでしょうね…?」
「大丈夫だ。…私を信じて」
「………。分かったわよ」


クリスがここまで断言するのだ。その使用人とやらは相当クリスの厚い信頼を得ているのだろう。
若干の不安は残るが、ここはリリィが折れるしかなかった。


「…さて、と」
「?」


話が決まるや否や、クリスは椅子から立ち上がった。


「…どうしたの? クリス」
「ん…? えっと…。ちょっと、トイレに…」
「は? トイレ?」
「安心して、すぐに戻るから。…あ、でも、私がいない間に例の彼女が来たら、代わりに受け取っておいて欲しい」
「ええっ!? わ、わたしが??」
「ああ。…頼んだぞ」
「ちょ、ちょっとお!! クリス…!」


有無を言わさぬ様子で、クリスはそそくさと急ぎ足で部屋を出て行ってしまった。
部屋の中に突如として訪れた静寂。──そして、一人ぽつんと取り残されるリリィ。


「…んもう……。なんなのよぉ…」


まるで母親に置き去りにされた子供のように不安げで泣きそうな表情を浮かべながら、リリィはその場に居座るしかなかった。



*  *  *



それから20分ほどが経過し、依然リリィはクリスの部屋に一人佇んでいた。
異様なまでの静けさはリリィの不安心を煽り、じわじわと焦燥感を募らせていく。


「んもう…! クリスの奴、一体何してんのよ! トイレにしたって、いくら何でも長過ぎでしょ…!?」


一向に戻る様子のない部屋の主に、リリィは次第に苛立ちを感じ始めていた。壁掛け時計が刻む秒針の音が、今だけはひどく耳障りに感じる。
こうしている間もフッチは自分の事を探しているかもしれない。そうなると居場所が見つかってしまうのも、本当に時間の問題だ。何の心の準備もなく彼に会うのだけは避けなくてはいけないのだから。
ここにいるのを絶対に知られてはならない、この場所だけは絶対に守らなくてはならない──わずかに残された最後の陣地を死守する、崖っぷちの兵士の如き悲壮感がリリィの胸を去来した。

やはり一人になるべきではなかった。無理矢理にでもクリスを引き留めて、自分は終始部屋の奥に息を潜め、じっとしておくべきだった。
今になってリリィは激しく後悔するも、もはや後の祭りだ。無情にもその時はやって来る。


──コン、コン。


部屋のドアをノックする音。来た。来てしまった──。
部屋の主であるクリスがいちいちドアをノックする訳がない。今この部屋の前にいるのは、先程クリスが話していた、例のルームサービスで訪れた人物で間違いない。


(……)


リリィは迷っていた。ドアを開けるべきか否か。
このままドアを開けずにやり過ごせば、とりあえず誰にも見つかる事はない。自分の身を考えるならそれが最善に違いない。
しかし、そうすると後が厄介だ。何故ドアを開けなかったのか、とクリスに責められるのは明白だし、さもすればまた彼女の機嫌を損ねてしまいかねない。クリスの部屋にいる限り、主導権を握っているのはやはりクリスだ。自分はあくまで彼女に従うしかない。

それに、これ以上自分の都合で話を拗らせクリスを怒らせて、彼女との友情を壊すのは不本意だった。たった一人の大切な親友まで失いたくない。
──そうなると、リリィが取るべき行動は一つに絞られる。


(ああもう、こうなりゃヤケよ! どうにでもなれ!!!)


まさに正念場。捨て身の覚悟でリリィは部屋のドアをゆっくりと、静かに開いた。

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