mysterious woman
普段はほぼ縁のない場所、もとい通い慣れていない店というのは、どうも居心地の悪いものだ。
その店での立ち振る舞いや勝手が分からず不安というのもあるし、自分はここに居ても良いのかという迷い、罪悪感に駆られてしまう。
そして、そう感じてしまう一番の原因はこの店の主にあるだろう。ここの店主であるジーンはあらゆる意味で『特殊』な人物だったからだ。彼女は昔から全く衰えない抜群の美貌を誇り、見る者が息を呑むほどの妖艶で神秘的な雰囲気を醸し出している。
実際こうしている今もジーンは店内を物色するフッチを妖しげな眼差しで見つめており、そのおかげでフッチの心中は落ち着かず、気もそぞろだ。
店内のそこかしこに漂うお香の香りはフッチの鼻腔をくすぐり、更にそれを助長させている。
ジーンと初めて知り合ったのはもう20年近く前だというのに、その容貌は何も変わらない。恐ろしいほどに変化が見受けられない。此度の英雄戦争で再会した際、思わずフッチが「お変わりないですね」と言ってしまうのも何ら不思議ではないのだ。
強いて言えば解放戦争の時から口調が少し変わったぐらいだろうか。
昔から外見が変わらないのはビッキーにも言える事だが、彼女とはまた違った方向性で謎めいた存在なのである。
とはいえ、その理由を尋ねたところで彼女から明確な答えを得られる気はしないし、むしろ訊かない方が良いのではないか。知らない方がきっと身のためだ。何故かフッチはそんな気がしていた。
「うふふ…お決まりかしら?」
「あ、いえ…まだ…。もう少し…」
「ふふ、そう…。良いのよ、ゆっくりどうぞ…」
「はい、なんかすみません…」
居たたまれないながらもフッチは、店内に飾られた封印球の数々を眺めていた。
ホルテス七世の経営する札屋と併設されているため店の中は決して広いとは言えないが、封印球を扱う専門店だけありその種類は多彩だ。中には普段お目にかかれない希少な代物もある。
確かにジーンは謎の多い人物ではあるが、紋章師としての才能、腕前は折り紙付きだ。仕事はきっちりとこなしてくれるので、そういった意味で仲間達からの信頼は厚い。
繊細な封印球の扱いも熟知しており、店内に整然と陳列されたそれらを見るに、自らの商売道具に愛情を持ち、大切に管理している様子が窺える。淡くぼんやりと光を放つ封印球達は、今か今かと新たな主との出会いを待ちわびているようだ。
(う──ん……。やっぱり迷うなぁ…。紋章とか魔法とかは専門外だと思って、普段はスルーしてたもんなあ)
参ったな、とフッチは心の中で呟き、静かにため息をついた。
──そもそもフッチが今紋章屋を訪れているのには、以前シャロンが話したさりげない一言が関係していた。
『これからの竜騎士は、力だけじゃなくて魔法もバリバリ使いこなせるようにならなきゃ』
何という事はない、さもすれば聞き流してしまいそうな発言だ。当のシャロンも他意はなく、何気なく口にしただけなのかもしれない。
しかし、後で思い返してみると、ごもっともな発言である事に気づかされる。全くもって正論だ。
この世界で生きている以上、武力も魔法も使いこなせるに越した事はない。自分や周りの者達を守る手段は多ければ多いほど、そしてその威力が強ければ強いほど、それだけ生き長らえる事が出来るのだから。
そういった訳でフッチは思い立ち、自分に今一つ足りない要素を補うため──より強力な魔法を入手するためにこの紋章屋へ赴いたのであった。
「あら…随分お悩みのようね。良ければ、アドバイスをさせて頂いても?」
「…お願いします。こういうのはやっぱり、詳しい人に聞くのが一番だと思うので…」
「ふふ、分かりましたわ。…そうねぇ…。フッチさんに合う紋章は…」
ジーンは店内をざっと見回した後、再びフッチの方へ向き直った。
「…あなたは元々雷の紋章を宿してらっしゃるわね。ならその紋章を、大事にお使いいただくのをお薦めするわ」
「え…? この紋章を?」
「上位互換である雷鳴の紋章を使うという手もあるけれど…魔法の威力が強くなる分、身体への負担も桁違いに増えてしまうの。よほど魔力の強い方じゃない限り、使いこなすのは難しいと思いますわ。魔法というものは、私達が想像する以上に体力も精神力も消耗するものですから…」
「あぁ…やっぱりか。はは……。分かってはいたけど、やっぱり僕って魔法の素質がないんですね…」
ジーンの言葉を聞き、フッチは半ば自嘲気味に笑った。薄々感づいていた事ではあったのだが、こうはっきり言われてしまうと落胆が隠せない。
要するにもっと強い力を欲したところで、自分にはそれを受け入れるだけの器がないという事だ。
そんなフッチの心情を察したのか、ジーンは艶やかながらも優しい表情でフッチに微笑んだ。
「……ふふ、そう落ち込まないでくださいな。人の性格が十人十色であるように、人間の持つ才能もそれぞれ違います。だから、素質がない事は罪ではありません。…悪いのは、自分の身に余るほどの力を持て余し、暴走してしまう事…。折角持っている才や力は、正しく使うべきですわ」
「正しく…ですか…」
「…ええ。例えば、そうね…」
再びジーンは陳列棚を見回すと、その中から一つの封印球を手に取り、フッチに差し出して見せた。
「…これは?」
「これは力強化の紋章。魔法は使えないけれど、これも立派な紋章の一つです。むしろフッチさんには魔法系より、こちらの方がぴったりだと思いますわよ」
「へぇ、力強化か。それなら僕にも使いこなせるかもしれないな…」
「…今のフッチさんを拝見するに、この十数年の間に随分鍛えたのでしょう? とても大きな剣を使ってらっしゃるし、その逞しい二の腕、男らしくて素敵だわ…」
「え…?」
「ふふ、昔はあんなに可愛らしかったのに…。男の人ってやはり変わるものね…。今のあなたも、とっても魅力的……」
「えっ?? ……あ、あぁ……ど、どうも…」
ふと気がつくと、途中から完全にジーンの独壇場となっていた。フッチは先程から心臓の高鳴りが止まらず、心なしか体温も上がってきている。
彼女ほどの美人が目の前にいて、潤んだ瞳で、少々気だるげな甘い声でそう囁くのだ。正直悪い気はしない。男なら惑わされて当然だろう。
とはいえ、彼女は誰彼構わずに男を誑かすような女性ではない。しかし、だからこそ──安心して心を乱してしまうのかもしれない。
「…それで、どうなさる? この紋章、宿していくかしら?」
「……ええ。よろしくお願いします」
「ふふ…かしこまりました。では、こちらへ…」
「……」
ジーンに促され、二人はカウンターの奥──カーテンの向こう側へと消えていった。
* * *
「今日は色々、ありがとうございました」
「お気になさらないで。これが、私の仕事ですから…」
そう言ってフッチはジーンへ深々と頭を下げた。
「良かったら、またいらしてくださいね。今度は…あなたともっと面白いお話をしたいわ」
「面白い話…ですか?」
「ええ。例えば……。男と女の関係について、とか」
「ッ!?!?」
「なんてね。ふふふ…冗談よ。そういうウブなところは全然、変わってないのね…」
「……はぁ。もう…勘弁してくださいよ……」
「うふふふ…」
狼狽えるフッチを見て、満足げにくすくすと微笑むジーン。
その表情は相も変わらず妖艶だが、同時にどこかあどけなくもあり。ここに来てまた一つ彼女の新たな一面を垣間見たような気がした。
──紋章師ジーン、彼女はやはり不思議な人だ。全く底が見えない。
持ち前の色香と魔性で誘惑してきたかと思えば、時には姉のような温かい眼差しで力の在り方を諭し、導いてくれる人。そして今はこうして、無垢な少女のように屈託ない笑顔を見せている。
どれが本当の彼女の姿なのだろう、とふと考えたものの、答えなど分かるはずもない。結局自分はジーンの事を何一つ知らないのだから。
美しいバラには棘があり、近づく神には罰が当たる。これ以上の深入りは禁物だ。
まったく、この人には到底敵わないな──フッチは妙に清々しい敗北感を味わっていた。
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