clumsy girl


この世界には非現実的な出来事や事象というものが存在する。
科学的、論理的には説明出来ない事柄。人智の及ばない現象。それらを人々は『不思議』と呼び替えている。
例えば、魔法などはその最たる例にあたるだろう。身に宿すと火や水を自在に操る事が出来たり、超人的な人体能力を手に入れたり──個人差や相性はあれど、ヒトに不思議な力を与えるものであるのは確かだ。


「はわわわわ~~~~!?!?!?」
「わっ!?」


そして今、何の前触れもなくフッチの目の前に現れた少女・ビッキー。
彼女もまた『瞬きの紋章』をその身に宿す世にも珍しいテレポート魔法の使い手であり、その素質は申し分ない。魔法使いとしては極めて優秀、類い稀な才能の持ち主である。

──ただ一つ、彼女には擁護出来ないほどの大きな欠点があった。非常におっちょこちょいな事である。


「え…えへへへー。こんにちは~、フッチ君」
「はぁ…。またやらかしたのか、ビッキー…」


苦笑いを浮かべるビッキーと、それを見て深くため息をつくフッチ。
かつての解放戦争の時も、はたまた統一戦争の最中も、うっかりテレポートを発動させた彼女が突然自分の前に現れる事があったっけ──フッチにとっては嫌というほど既視感のある光景だ。


「さっきまでベルちゃんやメルちゃんとレストランでおやつを食べてたんだけどね、気づいたらここに飛んじゃってだんだ~。ほら、これ。メイミちゃんの作ったケーキ、とっても美味しいんだよ?」


そう言いながらビッキーは、一緒にテレポートしてきた食べかけのケーキを嬉々としてフッチに見せつけた。
白い生クリームがふんだんに使われたショートケーキの上には、黒い粉末状の物体がびっしりと載っており、見事なコントラストを描いている。


「ちなみに、ケーキの上にかかっている黒いモノって…?」
「あ、これ? ブラックペッパーだよ?」
「…は??」
「クリームの甘さの中に黒コショウの辛さが混ざって合わさってね、とっても美味しいの! あ、ねえねえ、良かったらフッチ君も一口食べてみる??」
「……いや、遠慮しておくよ」
「え? そう? すごく美味しいのに…」
「…………」


残念だなあ、と呟くビッキーに、フッチは作り笑顔を返すのが精一杯だった。
そういえば彼女は絶望的なレベルの味音痴だったな──すっかり忘れ去られていた記憶が鮮明に蘇り、フッチは軽い立ちくらみを覚えた。


「ね、ね、ところで、フッチ君」
「何だい?」
「フッチ君もブライトちゃんも、ちょっと見ない間にすっかり大きくなったんだねえ。うふふ、最初に会った頃はあんなに小さかったのに…」
「あのなぁ、親戚のおばさんみたいな事言わないでくれよ。それに、こっちからしたらビッキーの方が…」
「ん? わたしの方が…なに??」
「…ん、いや……。何でもない」
「???」


途中まで言いかけて、フッチは止めた。それ以上口にするのは野暮というものだろう。
どんな理屈かは知らないが、どうやらビッキーはテレポートすると同時に時空をも飛び越えてしまうらしいのだ。
本来ならもしかするとフッチより遥かに年上なのかもしれないが、はっきりした事は分からない。彼女は文字通り『永遠の16歳』なのだから。
その理由を尋ねたところで彼女から明確な答えを得られる気はしないし、むしろ訊かない方が良いのではないか。知らない方がきっと身のためだ。何故かフッチはそんな気がしていた。


「うぅーん…。そんなに大きくなっちゃったんなら、やっぱり君付けじゃダメかなあ? これからは『フッチさん』って呼んだ方が良い?」
「別に、今まで通りで良いよ。なんか調子が狂うし」
「え、そう? ふふ、そっかぁ。じゃあ今まで通りフッチ君って呼ぶね?」
「それで良いよ。僕もそっちの方が落ち着く」
「えへへっ。それじゃあ改めて、これからもよろしくね! フッチ君!」
「…ああ。よろしく」


この世界で不思議な魔法を使う、人一倍不思議な少女。
彼女がどんな場所で生まれ、どんな環境で育ち、どんな秘密を持っているのかは全く分からない。きっとこれからも知る機会はないのだろう。

唯一はっきりしているのは、今目の前に見える屈託ない笑顔と天真爛漫な眼差し。それだけは昔から変わらないという事だ。
ならば、それ以上の情報は必要ない。それだけ分かっていれば充分だ。
きっとそれが彼女の──ビッキーという人物の本質なのだから。


「あ…うぅ…っ」
「どうした?」
「ふぁ…。コショウが、鼻に、入っちゃって…。むぐ、んぐっ…」
「!!」


その時、戦慄が走った。和やかな雰囲気は一変し、フッチの表情は焦りと緊張で強張る。


「お、おい! 耐えろ、耐えるんだビッキー!! じゃないと僕の身に危険が…!」
「ふぁ…ふぃ…ふぅ…っ。…ふぇ…、ふぇ…っ、ふぇっ…!」
「ちょ、ちょっと待て!! 落ち着けビッキー! …深呼吸! ほら、とりあえず深呼吸するんだ!」
「ふぇ、ふぇ……、ふぇ──っくちゅんっっ!!!」
「あ、ああ…うわあああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!」


ビッキーがくしゃみをするのと同時にフッチの断末魔の叫びが響く。
そしてその直後、フッチの身体は消えた。跡形もなく、消えた。
まるで最初からここには彼が存在しなかったかのように。


「あれ? …あれあれあれあれあれ?? フッチ君????」


ビッキーは目をぱちくりさせながら辺りを見回すが、時既に遅し。後の祭りである。
フッチがどこへ行ったのか、どこへテレポートさせられてしまったのかは誰にも分からない。術の発動者であるビッキー本人にも。
数メートル先の廊下か数キロ離れた森の中か、ハルモニア神聖国か、はたまたまだ見ぬ百万世界の最果てか──その答えは神のみぞ知っている。


「あわわわわ…。あっちゃー…またやっちゃった…。フッチ君、大丈夫かなぁ…」


心配そうにそう呟くとビッキーは、手に持っていたブラックペッパーがけショートケーキを一口頬張った。
その瞬間、ビッキーの顔には満面の笑みが戻る。


「うーん、美味しいー! 最高だよぉ~!」


そう言ったビッキーの表情は今にもとろけそうで、恍惚としていた。目の前の甘い餌に夢中な彼女は、恐らく今の一連の出来事などとっくに忘れているだろう。
良くも悪くも後を引かない性格なのだ。


ちなみに一方のフッチはその頃、名もなき絶海の孤島──ビュッデヒュッケ城から遥か彼方の無人島へと辿り着いていた。
捜索隊として派遣されたブライトやシャロン、フランツ達に発見されるまでの約一週間、生死の境を彷徨っていたのはまた別の話である──。

1/1ページ