アルコールは口ほどに物を言う


(嘘、でしょ…。こんなのって……)


リリィは今、明らかに動揺していた。まさかこんな事になるとは思いもしなかった。
好奇心と呼ぶのも憚られるほど突発的で、もはやただの勢いで口走った自身の発言が、とんでもない状況を引き起こしていたからだ。

事の始まりは数時間前、フッチと共に酒場で食事を摂っていた時。
いつものように軽食と共に酒を注文したフッチに、リリィがさりげなく漏らした言葉がきっかけだった。



*  *  *



「ふーん…。お酒、ねぇ。ここに来るとみんなこぞって酒ばかり飲んでるけど、そこまで美味しいものかしら」


さして興味もない様子でリリィがぼそりと呟く。実際リリィは今の年齢になるまで、酒というものを一度も口にした事がなかった。その必要性を感じなかったからである。
酒など飲まずとも、この世界には自分の舌と腹を満たしてくれるモノはごまんとあるのだから。ならば無理に飲む事もあるまい。


「ん? そりゃあもう、美味いさ。この歳になるとね、一仕事終えた後に飲む酒は格別なんだよ」
「へぇ。そんなもんかしらね」
「ははは。ま、リリィにはまだ分からないかもな。君はまだ若いし、それに…味覚がその、何と言うか、子供っぽいところがあるからね」
「はぁ???」


フッチとしては冗談半分だったのだが、リリィは聞き流す事が出来なかった。いくら相手が普段温厚なフッチと言えど、何だか小馬鹿にされたような気がして許せない。リリィの眉間には自然とシワが寄り、その頬はぷっくりと膨れ上がる。
勢いのままリリィは、売り言葉に買い言葉とばかりにフッチに立ち向かっていた。


「何よ何よ何よぉっ!! 子供扱いしてくれちゃってさあ! …ふん、良いわよ。そこまで言うならわたしにもお酒、飲ませなさいよ?」
「えぇ? いやいや、無理しない方が良いよ。慣れないうちは結構キツいし、最悪少しの量でもダウンする可能性があるし」
「うるっさいわね!! もうこうなったら勝負! 勝負よ! あなたとわたしどっちがお酒に強いか、この際白黒はっきりさせようじゃないの!」
「は? おいおい、待ってくれ。どうしていきなりそういう展開になるんだよ…」
「あなたがわたしをバカにするのが悪いんでしょ。という訳でアンヌさん! わたしにもお酒! お酒じゃんじゃん持ってきて!」


リリィの怒声と共にパン、パンと手を叩く音が響き渡る。リリィが主人のアンヌに酒を促したのだ。
戦いの幕開けを告げるかのようなその気迫と力強さに、酒場は一瞬のうちにざわめき、色めき立ってしまった。


「まったく…君は言い出したら絶対に聞かないからな。…仕方がない。分かったよ」


はぁ、とため息を一つつき、フッチは渋々リリィの申し出を聞き入れた。



*  *  *



それから数時間が経った。テーブルの上には所狭しと置かれた大量の空ジョッキ。少々顔が赤いながらもはっきり意識を保っているリリィと、テーブルに突っ伏した体勢で寝息を立てているフッチ。
この勝負、どちらに軍配が上がったのかは明らかだった。


(ちょっとぉ、嘘でしょ…? まさか、わたしが勝っちゃうなんて…)


フッチとリリィの飲み比べ対決──物珍しいその光景を見届けようと酒場にはいつしか続々と野次馬が集まり、賑わいを見せた。
年齢の割には子供っぽい雰囲気を隠せないリリィと、年相応に落ち着いていて大人の風格が漂うフッチ。どちらが酒に強いかなど勝負せずとも分かりきった事だった。だからこそフッチも軽い調子でリリィの無茶振りに応じたのだから。

しかし、いざ蓋を開けてみると結果は全く違っていた。思わぬ番狂わせが起きたのだ。
今日初めて味わうアルコールの味にリリィが文字通り酔いしれ舌鼓を打っている間に、フッチは倒れ込み、意識を手放していた。いわゆるグロッキー状態である。
誰しが予測出来なかったこの事態。一番驚いているのは当のリリィであった。


(実はひょっとしてわたしって、お酒に強いタイプなのかしら。ちょっと頭がぼーっとするくらいだし。イケるクチ、ってやつ?)


どこか他人事のようにそう考えながら、リリィは周囲を見回す。一時はあれだけ集まっていた観客達は、見飽きたのか既に一人もいなくなっていた。勝手に寄って来たかと思えば勝手にいなくなり、本当に勝手な連中だ──リリィは呆れ果て、思わずため息をついた。自身の勝手な提案でフッチを勝負に誘った段階で、彼女も大概身勝手な訳だが。

そしてその後、向かい側で未だ伏して眠り続けるフッチに視線を運んだ。寝息を立てる度に小さく肩が揺れ、後ろで束ねた髪がサラリとその頬を撫でる。


(あらあら、こんなだらしない格好しちゃって…。わたしが見てることも知らないでさ…。ふふふ…ふふふふ…)


酒の効力とはいえ自身の前で無防備な姿を晒すフッチに、リリィは言いようのない高揚感を覚えた。彼をこうさせたのは他ならぬ自分だという、独占欲にも似た優越感だ。いつも穏やかで理知的なフッチのこんな姿を見るのは、正直悪くない。むしろなかなかに良いものだ。


「……んん……」


先程頬に落ちてきた髪の毛がくすぐったいのか、やがてフッチはじれったそうに身体をよじらせた。そのままにしておくのも見るに忍びない気がして、リリィは立ち上がり、フッチの側に自身の顔を寄せた。


「よっ、…と」


リリィはフッチの頬にかかった髪をそっと掬った。やや癖のついたその髪は見た目よりも滑らかで、柔らかな手触りで。彼の身体の一部に触れているという事実が次第にリリィの心の中を圧迫し、胸を熱くさせていく。


(……っ! な、何考えてるのよ、わたし…。べ、別にやましい事なんて…!)


思いとは裏腹にリリィの身体は熱くなり、迸るような熱に侵されていく。己の中に芽生えた感情を否定しようとすればするほど心臓の音は高鳴り、その想いは嘘ではないと訴えかけてくるのだ。
突然の変化に戸惑っているリリィに、次の瞬間、まさかの出来事が追い討ちをかける。


「ッ!?!?」


いつの間にかフッチがリリィの手を掴んでいた。先程フッチの髪に触れたリリィの指を、事もあろうか今度はフッチが握り返していたのだ。どういう事なのだ、訳が分からない──事態を飲み込めずただただ慌てふためくばかりだ。
一方のフッチはゆっくりとテーブルから頭を離すと、目の前のリリィをぼんやりと見上げた。その顔はやや赤らんでおり、目の焦点は合わず虚ろでどこか空を泳いでいる。


「ち、ちょっと…! こ、これ何よ? どういうこと…!」
「何って…君がかわいいから」
「は???」
「はは、照れてるのかい? 酔っぱらってぼーっとしてるきみも、すごくかわいいよ」
「ば…っ! バカな事言わないで! てか酔っ払ってるのはどっちよ!? 完全にあなたの方でしょうが!」


口では強がりを言うものの、内心穏やかではなかった。触れられた指から伝わるフッチの熱、手の大きさや硬さ、その全てがリリィの心を火照らせていく。もはや止められそうにない。


「ははは、きみは実に面白いことをいうね。ぼくは酔ってない。酔ってらいはら」
「酔ってるわよ!! もう最後らへん呂律回ってないし!」
「あー…そういや具合、わるいかも…。う…っ、あたまが、いたい…」
「今更気づいたの!? 遅っ! てかあれだけ飲んでどうにかならない方がおかしいわよ。…じゃあ今こうして普通にしてるわたしはどうなのよって話だけど」
「ふぁ…ねむい…。ごめん…すこし、寝るよ…」
「……、ぁ……」


そう言ってフッチはリリィを解放すると、再びテーブルへと突っ伏した。そして間もなく静かで規則正しい寝息が聞こえてくる。先程ずっと手を握られていた時はあれだけ気恥ずかしかったのに、離されると今度は妙に寂しさを感じてしまう。リリィは複雑な心境に襲われた。
こうしてリリィがフッチの一挙一動にやきもきしていると、やがてとどめの一撃とも言うべきフッチの寝言が耳に届いてきた。


「う…ん。んん…。すき、だよ…リリィ……」
「!?!?!?!?」



*  *  *



この後リリィは謎の高熱にうなされ寝込む羽目になり、「あのじゃじゃ馬リリィでも病気になるのか」と多くの人々を驚かせる事態となった。
一方のフッチは後日二日酔いから復活したものの、今回の一連の出来事は一切憶えておらず、しばらくの間リリィに口を聞いてもらえなかったという。

もう二度とフッチと酒なんて飲まない──リリィは固く心に誓った。

1/1ページ