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その他

「ジンさん、ここにいたんですかい」
今となってはその呼称も随分と慣れたものだ。
呼ばれた彼の胸中はわからない。
何テンポか遅れてジンは振り返った。
伸ばされた背中は依然と変わりないが、その手には歩行補助のための杖が握られている。
「もうじき夕飯です。日が落ちるのも早くなってきましたねえ」
ぎこちなく歩くジンの到着を待ってから、ウォッカは歩き出す。



「オレたちにもあんたが必要だし、あいつにも必要だと……思う」
あの日の言葉の意味は、最近になってようやく理解ができた気がする。
食後、さっさと部屋に閉じこもってしまったジンの様子を少しだけ眺めてから、ウォッカはメールを記入していく。定例報告のような体裁を取っているが、送り先は組織ではない。
難事件解決の記事に高頻度で出てくる探偵のもとへ。両側にとって、自分の存在は枷なのだろう。

もう誰も推理で殺したくない。
そうこぼした探偵の裁きはある者にとっては慈悲であり、ある者にとっては屈辱であった。
それがわかっているからこそ、元組織のメンバーである赤井はジンを撃ったのだろうか。
悪運なのか幸運なのかウォッカには判断が付かないが、致死量と言われるほどの血液を流しながらも、ジンは一命を取り留めた。その代償が、半身麻痺だ。


ウォッカの命はジンと共にあった。
ジンが死ねばウォッカもすぐさま後を追うつもりだったが、生きていることに安堵するのもまた事実。
もとより日陰の人間で一般社会になぞさらさら戻る気がなかったのだが、生き延びてしまった以上はある程度のライフラインが必要だ。
誰が手配したかもわからない病室という名の牢屋で
都合をつけるのに非常に苦労した。と珍しく草臥れた様子を見せたライが、これからの行く先を説明した後、それと同じ調子で淡々とジンの過去を暴いていった。
「俺は坊やと違って、大人じゃないんだ」
そういって冷笑を浮かべる。見つめられているジンは、億劫そうに目を閉じたあと「そりゃあご苦労だったな」と呟いた。
その反応と、告げられた過去にウォッカはようやくジンが人間だったことを知る。

もちろんジンは人間だ。衣食住がある最低限度の生活をして、いつかは亡くなるだろう。
それはウォッカもわかっていたが、その恐るべき強さにも、狂っているといってもよい性質も、育まれるであろう理由があった。
そして叩きつけられるようにテーブルに置かれた子供時代の写真を、動かないジンに変わってまじまじと眺める。
過去を知ることでようやく「ああこの人も人間だったのだ」という気持ちがわいた。それまでは盲信と同じだったのかもしれない。
正直なところ、なるほどライから語られるジンの酷い過去にも納得できる、というほどの顔の整った子どもだなと思った。


がたん、と大きな音が部屋の奥から聞こえたため、ウォッカの思考は中断された。慌てて席を立つ。
「兄貴、大丈夫ですか!?」
扉を開けると同時に声をかける。ベットに姿はなかった。少し下げた視線の先、動かない半身を下敷きにして、ジンは倒れ伏していた。
「……っ、」
呻く声は苦痛に満ちている。慌てて近寄って抱き上げた。身長に対し、その体は酷く軽い。
そのまま椅子に座らせる。ほつれた髪が顔の前にかかり表情が見えない。失礼します、と髪をなおす。
とたん鋭すぎる眼光がウォッカを貫いた。半身が動かなくなってもなお、むしろ動かなくなってしまったからか剣呑さが増している。
「……やめろ、」
唸るような響きに、髪をまとめていた手を止める。
「どこか痛いところは?」
「俺に構うな」
「そりゃあ、無理です」
「契約があるからか」

探偵は「これ以上罪を重ねさせるわけにはいかない」と言った。
裏切り者は「死ぬまで監視する」と言った。
そう言った思惑から、この生活は成り立っている。
そうなっている。彼の中では。


「それだけじゃありません」
ドアを開けたまま、台所で水をくみ薬と一緒に手渡した。科学者が作った薬だ。それはジンには伝えていない。
無事薬を飲み干すのを見届けてから、ウォッカは続ける。
「兄貴が組織に殉ずるように、俺は兄貴について行くだけですよ」
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