TOS
ぐいと強く髪を引っ張られたせいで、相手の顔が苦痛に歪む。
「……お前の主人が、誰だか分かっているの?」
引かれる髪を其のままの状態に、視線だけを動かして問いかける。
「勿論、よーくわかってますよ」
睨まれたゼロスは、ちゃらけた様子で答えた。だが手の力を緩める気は毛頭無いらしい。
無理に上を向かせられている体制は、ミトスにとっては辛いものだろう。
だが、それをも意識に入れてないように、ゼロスは口を開く。
「俺の主人は……俺が責任持って守る相手は、あいつらだ」
ミトスの瞳が驚きで僅かに開かれる。
だが次の瞬間にそれは消え失せ、代わりに嘲笑めいた笑みを零した。
「本当に可哀想だね、お前は。……自分の価値を分かることすら、出来ないの?」
ミトスの澄んだ声が響く。
その声は、ゼロスの不快感を露にさせるものだった。
「俺が可哀想かどうかは、俺が決める。余計な口出しすんじゃねえよ、ガキ」
言って、ミトスの体を力を込めて突き飛ばした。
長い年月を生きているとはいえ、それでカバーできるような体躯ではない。
普通の少年と何ら変わりも無いその体は、多くの機材を巻き込んで倒れた。
辺りに形容しがたい騒音が響き、ミトスの体は仰向けの儘動かない。
そしてその場に静寂が訪れた。
少し時間が経てば、今の騒ぎを聞きつけて確実に誰かがこの場所に来るだろう。
そしてこの光景を見られるのは、ゼロスにとって得策ではない。
きびすを返して部屋を出ようとするゼロスに、制止の声がかかった。
「待て」
その声にゆっくり振り向くと、ミトスは起き上がり、ゼロスに近づいていた。
目の前に立ったかと思うと、そっと手が伸ばされて頬へ添えられた。
「お前が義務を感じる必要は無いんだよ。だって、誰もお前を求めては居ないんだもの。……それでも、お前は行くの?」
「……ああ」
ゼロスに添えられた手が、愛おしそうに頬を撫でる。
「可哀想に……わざわざ、死にに行くんだね」
不意にゼロスがミトスの腕を掴む。
体を強張らせて身を引こうとするミトスへと顔を近づけて、囁いた。
「だからさよならだ……ミトス」
「……っ!」
さっとミトスの顔色が変わり、ゼロスの腕から逃れようと身を捩った。
「その名前を呼ぶな!お前が呼んでいい名前じゃない!」
悲痛な声を上げ、ミトスはかぶりを振った。
その様子を見たゼロスの腕が伸ばされ、戻される。
そしてミトスを一瞥すると、何も言わずに出て行った。
こつこつと廊下を歩く靴の音が遠ざかり、部屋に一人残されたミトスは床へずるずるとへたり込んだ。
「…………姉様っ……」
すすり泣くような声を聞いたものは、居ない。