菜の花
部屋に入ると気が抜けて、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
仕事をしていれば辛い時もある。
審神者とてそれは変わらない。
政府の担当者から投げつけられた理不尽な言葉が頭から離れず、悔しさと情けなさで震えが止まらない。
文机に突っ伏して、声を抑えて泣いていると、主、いる?と、のんびりとした声がした。
桑名江だ。
「ごめん、今ちょっと」
必死で声の震えを抑えるが、泣いていたことはばればれだろう。
「……開けてもいい?」
静かな、心をノックするような声だった。一瞬、開けてしまいたい衝動に駆られたが、こんなに情けない姿を見られたくないと、どこか冷静な自分がそれを押しとどめる。
「大丈夫だから。ちょっとひとりにして」
「でも、泣いてるよね」
泣いてるから、ひとりにしてほしいんだってば。心の中でそう思いつつ、はっきりと告げることは出来なくて、どう言えばわかってもらえるのかと黙り込む。
「開けるね」
どうしてそうなる。
一瞬焦るが、さっと開くはずの障子はかたりと音を立てて止まった。
「あれ?」
自室とはいえ、着替え中などに不注意で誰かが飛び込んでくるかもしれず、部屋に入った時はつっかえ棒をする癖がついていた。
カタカタと、桑名が何度か障子を開けようとするが、つっかえ棒のおかげでそれが開くことは無かった。
「……ほんとに、大丈夫だから」
ほっとして、再度拒絶の意志を告げると、桑名はあからさまに不満そうに言葉を返す。
「主が泣いてるのに、ほっておくなんて出来ないよ。お願いだから開けて」
「あのね、人にはひとりになりたい時だってあるの。わかってよ」
「わからないよ。僕は人じゃないし」
頑なな物言いに、段々と腹が立ってきた。普段心優しく、寄り添ってくれる桑名江が、あえて人間ではないことを盾にしてくるのも気に入らない。なんて強情なの。誰に似たんだ。
「わからないなら余計に入ってこないで」
「何があったか、話してくれてもいいんじゃない」
「話すことなんてない。もういいから、あっち行ってよ!」
桑名が黙り、静かにそこを離れる気配がした。
その瞬間、嵐のように後悔が押し寄せる。こんなことを言いたかったわけじゃない。桑名と顔を合わせたくなかったわけでもない。彼の、泣いている人をほうっておけない優しさは、シンプルに嬉しかった。
ただ、ちっぽけな主としてのプライドのせいで、酷いことを言ってしまった。きっと、嫌な気分になっただろう。情けない主と思っただろう。
もう二度と、あの優しさが私に向けられることは無いかもしれない。
そう思ったら、さっきとは違う意味で涙がこみあげてきて、止まらなくなった。嗚咽を堪えきれず、また机に突っ伏した。
次の瞬間、とても大きな音がして、驚きで思わず顔を上げた。部屋全体が軋むような、そんな音だ。
ばっと、障子の方を振り返る。2度目に、その音が鳴った時、それは障子に体当たりする音だと気付いて、気付いた時にはもう障子は、けたたましい音を立ててこちら側に倒れていて、そこにはいつものジャージ姿で、腕いっぱいに菜の花を抱えた桑名が立っていた。
ぽかんと、その姿を見つめる。
桑名は、唇を真一文字に引き結んで、ずかずかと部屋の中に入ってくると、無言で花束を押し付けてきた。思わず、抱えきれないくらいのそれを受け取る。涙で滲んだ視界が、黄色に染る。
「……え、バカじゃないの」
仁王立ちの彼を見上げながら、放心状態で思わず出てきた言葉はそれだった。
「バカって言った方がバカなんだよぉ」
桑名は拗ねたようにそう言って、私の前にしゃがみこむ。大きな手で、私の頬の涙のあとをぬぐった。もう涙がこぼれてくることは無かった。びっくりして、とっくに止まっていたから。
「どうするの、障子」
「後で直すよ」
「……なんで菜の花?」
「満開だったから。前に、好きだって言ってたよね」
そんな、いつしたかもわからない話、覚えててくれたんだ。あの時桑名は、菜の花は食べられるし、すきこめば畑の栄養にもなる、なんて言ってたから、この黄色い花をきれいだと思う私の気持ちなんて、わかってないと思っていたのに。
これを見せるために、来てくれたんだなと気付く。それと同時に、さっき彼にぶつけた、酷い言葉や態度も蘇ってくる。
「……ごめんね」
「僕も、ごめん。無茶したとは思ってる。でも」
桑名は、泣いたせいで頬に張り付いた私の髪を、指でそっと耳にかける。
「泣いてていいから、いっしょに居させてよ」
その声は、とても優しくて、ついさっき、失ってしまったかもしれないと思ったもので、また鼻の奥がつんとして、ぽろりと涙がこぼれた。
「ほんとはね、来てくれてうれしかったの」
「うん」
「菜の花も、持ってきてくれて、すごくうれしい」
「うん」
嗚咽を零しながら、つっかえながら、言葉を重ねる情けない私に、桑名はひたすら静かに頷いてくれた。
時折、涙をぬぐってくれる手が優しくて、温かくて、余計に涙が出た。
ぎゅうと抱えていたせいで、くったりとしてしまった菜の花を見ながら、私はきっとこの先、春が来る度に今日のことを思い出すだろうと思った。情けない自分と、壊された障子と、心優しい刀のこと。
それはじんわりと心があたたかくなると同時に、なんだかおかしな光景でもあって、例えこの先辛いことがあった時でも、思い返しては笑えるような気がした。
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仕事をしていれば辛い時もある。
審神者とてそれは変わらない。
政府の担当者から投げつけられた理不尽な言葉が頭から離れず、悔しさと情けなさで震えが止まらない。
文机に突っ伏して、声を抑えて泣いていると、主、いる?と、のんびりとした声がした。
桑名江だ。
「ごめん、今ちょっと」
必死で声の震えを抑えるが、泣いていたことはばればれだろう。
「……開けてもいい?」
静かな、心をノックするような声だった。一瞬、開けてしまいたい衝動に駆られたが、こんなに情けない姿を見られたくないと、どこか冷静な自分がそれを押しとどめる。
「大丈夫だから。ちょっとひとりにして」
「でも、泣いてるよね」
泣いてるから、ひとりにしてほしいんだってば。心の中でそう思いつつ、はっきりと告げることは出来なくて、どう言えばわかってもらえるのかと黙り込む。
「開けるね」
どうしてそうなる。
一瞬焦るが、さっと開くはずの障子はかたりと音を立てて止まった。
「あれ?」
自室とはいえ、着替え中などに不注意で誰かが飛び込んでくるかもしれず、部屋に入った時はつっかえ棒をする癖がついていた。
カタカタと、桑名が何度か障子を開けようとするが、つっかえ棒のおかげでそれが開くことは無かった。
「……ほんとに、大丈夫だから」
ほっとして、再度拒絶の意志を告げると、桑名はあからさまに不満そうに言葉を返す。
「主が泣いてるのに、ほっておくなんて出来ないよ。お願いだから開けて」
「あのね、人にはひとりになりたい時だってあるの。わかってよ」
「わからないよ。僕は人じゃないし」
頑なな物言いに、段々と腹が立ってきた。普段心優しく、寄り添ってくれる桑名江が、あえて人間ではないことを盾にしてくるのも気に入らない。なんて強情なの。誰に似たんだ。
「わからないなら余計に入ってこないで」
「何があったか、話してくれてもいいんじゃない」
「話すことなんてない。もういいから、あっち行ってよ!」
桑名が黙り、静かにそこを離れる気配がした。
その瞬間、嵐のように後悔が押し寄せる。こんなことを言いたかったわけじゃない。桑名と顔を合わせたくなかったわけでもない。彼の、泣いている人をほうっておけない優しさは、シンプルに嬉しかった。
ただ、ちっぽけな主としてのプライドのせいで、酷いことを言ってしまった。きっと、嫌な気分になっただろう。情けない主と思っただろう。
もう二度と、あの優しさが私に向けられることは無いかもしれない。
そう思ったら、さっきとは違う意味で涙がこみあげてきて、止まらなくなった。嗚咽を堪えきれず、また机に突っ伏した。
次の瞬間、とても大きな音がして、驚きで思わず顔を上げた。部屋全体が軋むような、そんな音だ。
ばっと、障子の方を振り返る。2度目に、その音が鳴った時、それは障子に体当たりする音だと気付いて、気付いた時にはもう障子は、けたたましい音を立ててこちら側に倒れていて、そこにはいつものジャージ姿で、腕いっぱいに菜の花を抱えた桑名が立っていた。
ぽかんと、その姿を見つめる。
桑名は、唇を真一文字に引き結んで、ずかずかと部屋の中に入ってくると、無言で花束を押し付けてきた。思わず、抱えきれないくらいのそれを受け取る。涙で滲んだ視界が、黄色に染る。
「……え、バカじゃないの」
仁王立ちの彼を見上げながら、放心状態で思わず出てきた言葉はそれだった。
「バカって言った方がバカなんだよぉ」
桑名は拗ねたようにそう言って、私の前にしゃがみこむ。大きな手で、私の頬の涙のあとをぬぐった。もう涙がこぼれてくることは無かった。びっくりして、とっくに止まっていたから。
「どうするの、障子」
「後で直すよ」
「……なんで菜の花?」
「満開だったから。前に、好きだって言ってたよね」
そんな、いつしたかもわからない話、覚えててくれたんだ。あの時桑名は、菜の花は食べられるし、すきこめば畑の栄養にもなる、なんて言ってたから、この黄色い花をきれいだと思う私の気持ちなんて、わかってないと思っていたのに。
これを見せるために、来てくれたんだなと気付く。それと同時に、さっき彼にぶつけた、酷い言葉や態度も蘇ってくる。
「……ごめんね」
「僕も、ごめん。無茶したとは思ってる。でも」
桑名は、泣いたせいで頬に張り付いた私の髪を、指でそっと耳にかける。
「泣いてていいから、いっしょに居させてよ」
その声は、とても優しくて、ついさっき、失ってしまったかもしれないと思ったもので、また鼻の奥がつんとして、ぽろりと涙がこぼれた。
「ほんとはね、来てくれてうれしかったの」
「うん」
「菜の花も、持ってきてくれて、すごくうれしい」
「うん」
嗚咽を零しながら、つっかえながら、言葉を重ねる情けない私に、桑名はひたすら静かに頷いてくれた。
時折、涙をぬぐってくれる手が優しくて、温かくて、余計に涙が出た。
ぎゅうと抱えていたせいで、くったりとしてしまった菜の花を見ながら、私はきっとこの先、春が来る度に今日のことを思い出すだろうと思った。情けない自分と、壊された障子と、心優しい刀のこと。
それはじんわりと心があたたかくなると同時に、なんだかおかしな光景でもあって、例えこの先辛いことがあった時でも、思い返しては笑えるような気がした。
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