向日葵
「はい、どーぞ」
私はぼんやりと、手渡された箸と器を受け取った。目の前には、ぐつぐつと煮える鍋。もくもくあがる蒸気。その向こうに桑名くん。彼は、いただきます、と手を合わせると、自分の器に鍋をよそう。私が動かずにいると、黙って私の手から器をとりあげて、ネギ、白菜、キノコと鶏肉なんかを、バランスよく取り分けてくれた。
私はまだうまくこの状況が飲み込めていないのだけれど、熱いうちに食べなよと言われたら、そうしないといけない気がして、黙って渡された分を食べた。その間にも、今が食べるのに1番良いのだろうと思われる煮え具合の野菜たちが、たまに器に追加される。
「……ありがとう」
私は、野菜もなにもくったくたに煮えてから食べる方が好きなのだけど、口から出たのは全然別の言葉だった。私のためにしてくれることに対して、文句などあるはずもなく、感謝の言葉はもちろん本心だった。
「くたくたに煮たら、せっかくの食感がわからなくなるからね」
なのに、言わなかったことをわざわざ指摘されてなんだかムキになってしまう。
「別にそんなこと思ってないですけど」
「そお?」
こだわっているのは私だけで、彼はそれ以上追求してこなかった。私は、しばらく言うべきことを探していたけれど、結局諦めて黙々と鍋を食べることに集中した。
そこそこ、長い付き合いだ。私の好みや、思うことも、彼にはあらかた把握されている。なのに私ときたら、未だに彼のことがよくわからない。
彼は、道端でばったり会った瞬間に、私が最悪の1日を過ごしてきたことに気付いてしまうのに、私は、別れた恋人を家にあげておいしい鍋を振る舞う彼の気持ちなんて、これっぽっちも理解できない。
そういう、よくわからない優しさを、なんとなく受け取ってしまう度に、私は今も変わらずこの人のことが好きで、相変わらずこの人の1番は、私じゃないんだなと思う。
だから、別れたのだ。私は、桑名くんのことが本当に大好きだったし、今も大好きだけど、彼が同じものを返してくれることは絶対に無いって気付いてしまったから。気付いてしまったら、もう、一緒にはいられないと思ったから。
なのに、彼は私がしんどい時には大抵あらわれて、その大きな手で、深く暗いところから引っ張りあげてくれる。そこには同情とか、哀れみみたいなものは一切なくて、清々しいまでに私を大切にしてくれるから、私もその手を振りほどくことが出来ずにいるのだ。
鍋を食べ終わった私は、言われるがままお風呂も借りて、いつの間にか、お日様の匂いのする彼の布団に押し込まれていた。
私が大人しく布団におさまるのを見届けて、桑名くんはおやすみ、と言った。私もおやすみ、と返すと、やわらかな笑みを残して、部屋を出ていく。その背中を、引き止めたかったけど、そんな権利は無いような気がしてやめた。
目を閉じると、一粒だけ涙がこぼれ落ちた。
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