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山吹



今日が桑名江の重要文化財指定日だということに気付いたのは、本日の業務を終えてだらだらとSNSを見ていた時だった。
友人が投稿した写真には、にっこり笑ってピースする桑名江と、その後ろで「重文指定日おめでとう」という横断幕をかかげた江の仲間たちが写っている。
私は焦ってディスプレイのすみの時計を確認した。朝が早い桑名江が、起きているかは微妙な時間だったが、一応確認はしてみようと立ち上がる。
うちの本丸には、重文指定日だからといって、なにか特別なお祝いごとをする習慣はない。ただ、おめでとうという気持ちだけは伝えることに決めていたので、間に合うことなら今日中に伝えたいと思ったのだ。

部屋にたどり着く前に、お目当ての刀が縁側に座っているところに出くわした。寝間着の浴衣姿で、ぼんやりと庭を眺めている。
何してるの、と声をかければ、私の方を振り返って、にっこりと笑った。
「何も。ただ、良い夜だなぁと思って」
そう言って、また庭へと目を移す桑名につられて、月に照らされた庭を眺めた。さわさわと、涼しい風が草木を揺らしていく。
「確かに、良い夜だね」
「うん。暑くもなく、寒くもなく」
そんな、のんびりとした空気に流されて、肝心なことを忘れそうになっていた。私ははっと我に返り、慌てて桑名の横に座る。
「違う違う、いや、違わないんだけど。桑名に用があって来たんだよ」
「僕に用事?」
桑名が不思議そうに首を傾げた。私はわざとらしく咳払いをして姿勢を正し、今日は桑名江の重要文化財指定日ですね、と心持ち厳かに述べた。
しかし、桑名は(恐らく)目をぱちくりとさせ、ああ、そう言えばそうだったねぇと、どうでも良さそうに返事をした。私は、肩透かしをくらったような気持ちになりながらも、桑名は去年もこんな感じだったな、と思い直した。
「おめでとう、と言いに来たんだけど、その様子だと覚えてなかった?」
「うーん、覚えてなかったんだけど、他のみんなが教えてくれたよ。おめでとうとも言ってもらった。でも、主がこんな時間にわざわざ用事って言うから、もっと大変なことだと思って」
気が抜けた、と笑う桑名に、私は笑っていいのか悩んで、結果微妙な顔しかできなかった。
「私としてはお祝いし忘れてたのは、大変なことだったよ。でも、桑名にとって、この日は別に特別ってわけじゃないんだね 」
「そうだね。価値があると言われることは、嬉しくないわけじゃないけど、誰かもわからない人が決めたことだし。重要文化財だからって、敵が多く倒せるわけでも、畑の収穫量が増えるわけでもないからね」
「うーん、確かにそれはそう」
私が唸ると、桑名は面白そうに笑って、また夜の庭に目を移した。
「みんなにおめでとうって言ってもらったし、他のみんなにも、言ったことはあるけど、正直何がめでたいのか、わかっていないのかも」
そんな、桑名のつぶやきに、私はうんうん唸って、言葉を探した。桑名は、ごめん、困らせるつもりで言ったんじゃ無いんだけど、なんて言うから、ますます黙っていられなくて、一生懸命、今の自分の気持ちを表してくれる言葉を探した。
「私もね、最初はなんとなく、みんな誕生日もわからないし、ちょうどいいかなって思ってたくらいだったけど。最近は、感謝するような気持ちなんだよね」
「感謝?」
不思議そうに聞き返す桑名に、私はひとつ頷いて続ける。
「例えば、まぁこれはかもしれない、の話でしかないけど、大切なものですよって誰かが知らせておいてくれなかったら、桑名江っていう刀は、失われてた可能性もあったんじゃないかなって」
長い時の中で、失われた刀剣の数は、どのくらいになるのだろう。中には物語すら失われ、記憶からも歴史からも、姿を消してしまった刀もあるに違いない。
「だから、目印をつけてくれて、ありがとうって思う。大切にすべきだよって知らせてくれて。もちろん、そこまでしても、無くなってしまう物があることも、わかってるよ。だからこそ、今まで大切にしてくれた人たちとか、こうして出会えたこととか、全部に感謝するような気持ちで、おめでとうって、伝えにきたんだよ」
桑名は、驚いたように、少し私を見つめた後、そっかぁ、と言って、また庭の方を向き、それきり黙った。
私もつられるように黙って、風の音を聞いていたけれど、ふいに我慢できなくなって、また口を開く。
「……喋りすぎたわ……」
「えぇ?そんなこと無いと思うけど」
言いたくなかった?なんて、不思議そうに顔を覗き込もうとするから、そういうんじゃないですけど、と、その体をぐいと押し返す。なんなん、と桑名は笑って、あっさりと身を引いた。
「だって、なんか急に黙るんだもん」
「ごめんね。主の話は面白いなぁと思って」
私は特別面白い話をした覚えは無いので、桑名はごく真面目に言ってるのだとしても、つい渋い顔になってしまう。彼はそんな私を意に介さず、笑みを浮かべたまま、ふいと夜空を見上げる。
「主がそんなふうに思ってくれて、嬉しいよ。話を聞いてたら、主や、本丸のみんなと出会えたことを、祝う日があっても良いのかもしれないって、思ったんだ。毎日たくさんのものが生まれて、消えて、流れて変わり続ける世界の中で、ほんの一瞬僕らが交わったことは、奇跡みたいなものなんだなって。そういう意味でのおめでとうなら、僕にもわかる気がする」
私は、そう言う桑名の横顔を、じっと見つめた。相変わらず目は見えないけど、その口元は微笑んでいて、自分の思いつきに満足しているようだった。
それなのに私の胸の中には、どうしてだか、僅かな寂しさが過ぎる。
きっと、私にとって記念日は、彼と過ごした今日までとこの先とを繋ぐ、節目のようなものなのに、これまでも、これからも、私には想像もつかない時の流れの中に身を置きながら、世界の全てを見つめる彼にとっては、ほんの一瞬の出来事だということが、どことなく寂しい。
あなただけの、世界の見方。垣間見えたそれは、とても桑名らしいと思った。だからこそ私は、うん、とひとつ頷いたきり、何も言えなくなってしまった。

私の沈黙に気付いて、桑名がこちらを見る。私は、慌てて目を逸らして、逸らした瞬間、あまりにあからまさまだったかなと、少し後悔した。
もしかしたら桑名は、私の中でぼんやりと燻る気持ちに、なんとなく気付いていたかもしれない。でも、俯く私に、彼は慰めの言葉や、誤魔化すような言葉はかけなかった。
私も、そんな言葉は欲しくなかったから、顔を上げて、なんでも無いように、会話を再開するべきだった。でも、何を言えばいいのか、急にわからなくなって、上手く笑える自信がなくて、ぎゅっと握りしめた自分の両手を、見つめることしか出来ない。

ふいに、そっと、彼の手が、私の手に重なった。大きくて、温かい、生きているものの手。
それはまるで、今この時、ちゃんと隣に居ることを、思い出させてくれるみたいで、私はやっと顔を上げて、少し笑うことができた。
見える世界は違っても、こうやって、一緒に生きていけばいいのだろう。言葉を重ねて、手を取り合って。
例えそれがほんのわずかな時間だとしても、大切であることに変わりはなくて、やっぱり祝うべき幸福だと思うのだ。

だから私は改めて、たくさんの思いを込めて、おめでとう、と彼に言った。


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