たった一言が言えなくて


よく見ると白衣を着た先生が生徒の最後尾にいる。化学系の授業だ。更には重そうな機械を生徒数人と先生で運んでいるようだ。浅桐はというと、ぐるぐる巻きにされたコードを2つ持っていた。すると明るそうな子がコードの1つを持ってあげようとしている。断るのかと思っていたらすんなりと渡して、楽しそうに話をしているようだった。どんな会話かはわからないが、浅桐が笑みを浮かべているのはなんとなくわかる。近くで笑っているところを見たい。普段見ているはずなのに、心境1つでここまで変わるものなのか。
「…く……上」
早く会って話がしたい。愛おしく感じたあの笑みを、もっと––––––––
「俺の授業は退屈か?戸上」
「っ!?」
突然、耳元でささやくように注意された。囁いたのはこの授業を担当している雪代ゆきしろ先生で、どうやら夢中になって見てしまっていたようだ。
「あっ…すみません、雪代先生」
「わかってるなら良し。板書は進んでないから、安心しとけ」
雪代先生は黒板を指し示し、進んでないことを伝えた。
「戸上も気になるよな〜、グラウンドのやつ」
「何してるんでしょう?」
「自作ソーラーパネルでホットケーキは焼けるのかっていう、興味本位の実験なんだと」
単に食べたいだけじゃないのか?と思ってしまったが、流石に先生相手なので言わないでおこう。確かにそう言われてみれば女子達が料理器具っぽいのを持っていたし、鉄板みたいなのも運んでいた。そう考えると納得がいく。…あの機械がソーラーパネルだとしたら、先生はかなりの努力家だな。しかし雪代先生は腕組みをしながら、
「多分、ホットケーキが食べたかったんだろうなぁ…」
と少し苦笑いをしていた。やはり思うことは同じか。すると、何かを思い付いたのかさっきまでの苦笑いとは確実に違い、にっこりと笑った。そして教壇の方へ行き、
「ここのクラスさ。授業の進みは結構良いから、この時間自習にするか!正直あの実験見たいし」
晴れたような笑顔で、生徒達に言い放った。普段はそんなことを言わない先生の衝撃的な発言により、生徒達は動揺のあまりしばらくの間動かなかった。その時俺は、先生は思い切りが良いなと感心していた。

その後自習となった時間に、グラウンドの実験を先生と近くにいた友人と共に見ていた。実験はどうやら成功したらしく、先生はホットケーキを幸せそうに食べているように見えた。浅桐達も出来立てのホットケーキを食べていた。残念ながら遠くから見ているので、はっきりとはわからない。もしその場にいれたら、と少しばかり3年生という立場を恨んだ。
「宗一郎!先生!あれ見て!」
自身と葛藤していると隣にいた友人が俺と先生を呼んで、グラウンドの方を指差した。指差した先を見ると、1人の先生が浅桐達のいる所へ向かっている。足早に歩いているので、多分許可無しにやっていたのだろう。
「あー…学年主任っぽいな」
「えっあれ学年主任なの…!!」
友人は先生の考察を聞いて、目をキラキラとさせながらグラウンドを見ていた。
「口論してるな。許可もらってなかったのかあの先生」
「先生vs学年主任…あまり見ない組み合わせだからワクワクするよ!」
「戸上、もうこいつは手遅れだ。完璧なるドSになってる」
先生に助けを求められたが、Sというのがどういうことかさっぱりだったので何となく答えた。
「先生がそう言うなら…??」
「先生、戸上理解してないから。あと俺ドSじゃないから」
友人にどういう意味かと聞くと、まだこの世界は早い。と言われ教えてもらえなかった。
ちなみにグラウンドで行われていた実験は、許可無くやっていたものだったららしく、実験をやった先生は反省文程度の処罰で済んだそうだ。話を聞いていて、学年主任は相当心が広いと思った。普通なら反省文どころではないだろう。改めて工業高校感を味わった。また、昼から体育でグラウンドを使うことを今になって思い出して、あっ…となった。
3/6ページ
スキ