Lesson 1
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可愛い、という自覚はある。
だからと言って、小さい頃から華々しいモテ人生を送ってきた訳ではない。
小学生までは、他の女子とそこまで変わりのない、平々凡々な容姿だったから普通に過ごした。
転機が訪れたのは、中学校に上がったばかりの頃だ。
ふと洗面台の鏡に映った自分の姿を見たときに、違和感を感じた。
目線の高さにも驚いたし、自分ってこういう顔してたっけ?と思うほど大人っぽい顔つきになっていた。
真ん丸だった眼はアーモンドのような楕円型になっているし、小づくりの鼻とはいえ、峰のように筋が通っている。
そこにリップを塗ったようにてかった唇が合わされば、年齢相応の瑞々しい色香が漂って、思わず自分で自分にドキドキしてしまった。
残念だった兄寄りの太い眉も、手持ちのメイク雑誌を参考に見様見真似で整えてから学校へ行けば、クラス中が騒然としたことを今でもよく憶えている。
綺麗になって嬉しいことには変わりない。
けれど、外見だけがどんどん垢ぬけても、中身は据え置きのままだから、性格が派手になったとか男好きになったとか、そういうのは一切なく、変化があったとすれば、男子の視線が増えたくらいで、以降も親友のユキたちと変わりなく過ごしていた。
それから間もなくした頃。
ある男子から「好きです。付き合ってください」と告白された。
その男の子は某美少年好き芸能プロダクションが放っておかないほどのルックスを持つ、同中学校の一つ先輩。
その人のことは有名人だからもちろん知っていたけど、まさか自分が彼の目に留まるとは思わなかった。
全く意識していなかったから、一旦は返事を保留にしたものの、告白された途端、急に存在が気になってくる。
それに、年頃の女の子だから、男女交際がどんなものか興味はあるし……。
何より、常日頃から自分を子ども扱いする兄を見返したくて、二日後には「私でよければ」とOKの返事を返した。
彼氏ができたと伝えたときの、愕然とした兄の顔といったら、もう……痛快だった。
というわけで、皆が羨ましがる憧れの男の子と清い交際がスタート。
けれど、一週間たらずで交際相手の本性がはっきりとした形で現れた。
「お前ってほんと顔だけだよな。俺、やっぱ巨乳の子がいいわ」
そう言って、こっぴどく振られた。
あのときの悲しみと屈辱と言ったら、今でも忘れられない。
その男の子による強烈なトラウマのせいで、今の貧乳コンプレックスが出来上がってしまったのだし。
とはいえ、落ち込む期間はごくわずか。
フリーになった途端、多数の眉目秀麗な男の子たちが交際を申し込て、古い男のことなんて考えている暇などない。
このままでは終われない、と成績優秀な子、スポーツ万能な子……と次々に付き合ってみたが、いずれもやはり一週間と続かない。
不思議なのが、なぜか決まって自分が振られる。
一見何の問題もなさそうだが、実はダメ男ばかり……というのが群がる男たちに共通している特徴、というのを後になって知った。
ヤリマン、マザコン、浪費癖、モラハラ気味、ヘタレetc……
彼らのおかげで、中学生という若さで男に失望してしまうと、以後交際の申し出はすべて退けるようになった。
ユキは贅沢な悩み、なんて言っていたけど、容姿だけ良くて中身が空っぽな男たちばかりが引っかかるのだから、迷惑極まりないものである。
自分に寄るのはダメンズのみ。
この先一生恋なんてできないかもと諦める一方で、理想の男子に対する渇望は大きくなり、片っ端から少女漫画を読み漁っては妄想する日々が続いた。
(いつか現れてくれるかな……男前でやさしくて、温かくて、誠実で、私だけを真剣に想ってくれる人が……)
そんな夢見る乙女でも、映画や漫画のように劇的な出会いなんてそうそうないと弁えている。
だからこそ、あんな非現実的な行動をとった自分が今でも信じられない。
兄が連れてきてくれた家庭教師の先生を一目見るなり、まるで意志を乗っ取られたように身体が先に動いて告白していた。
あの衝動は、友人のシゲの言葉を借りるなら、遺伝子の叫び、ではだろうか。
その男と番 になれ、という脳の中枢部からの命令。
ただ、初対面で愛の告白なんてすれば、相手の男は得体の知れない恐怖を感じるだろうし、間違いなく引くだろう。
と思えばそうではなかった。
『あの……あたしと付き合ってください』
『私も同じ気持ちです。ぜひ交際をお願いします』
何と相手も自分に一目惚れしてくれたのだ。
承諾の言葉が耳を打った瞬間には、頭の中で壮大なファンファーレが鳴り響いていた。
出会ってその日に双方が恋に落ちるだなんて、これはもう運命と言い切らない方がおかしい。
「えへ。土井、半助さん、かぁ……」
空は淡いピンク色の手帳型ケースに収められた、スマートフォンの画面を覗き込んだ。
「我が本能よ、よくやった」と褒め讃えたいほど、画面の中の男の容貌に息を呑む。
顔の造りに始まり、髪の毛先や爪…と身体の端々までとにかく空の好みで「好き」一択なのだが、中でも特に魅かれたのが、彼の笑顔だ。
微笑んでいる姿は格好良いだけでなく、どこか少年のような幼さが垣間見えて、それが堪らなくチャーミングだった。
散々ダメ男ばかりに引っかかったけど、キスやその先を許していなくて良かった。
きっと今までの男運の無さは、今の出会いのためにあったのだ。
半助に巡り合えた自分は、この世で世界一幸せな女の子だと思う。
けれど……
勉強机に裏返しで伏せたある数枚の用紙を見れば、幸福から一転、不幸のどん底に突き落とされた。
「あ~あ、どうしよう。これ……」
空は二日前に返ってきた、実力テストの答案用紙をめくって頭 を垂れた。
入学早々にテストを仕掛けてくるなんて、鬼すぎる!と思ったが、悪いのは完全に自分。
高校入試が終わった途端に気が抜けてしまい、テストが行われる直前まで教科書の類は一切開いていなかった。
とはいえ、空白期間があったのは一か月強。
もし、高めに高めた学力を保てていたら、最低でも平均点は確保できるだろう……と高を括っていたが、現実は非常に厳しかった。
国語 二十四点
数学 十五点
英語 三十一点
さらにショックだったのは、答案と一緒に付いてきた、短冊くらいの紙きれ。
そこには、無情にも自分の順位が書いてあった。
百二十番中、百十一位だと。
(こんなひどい点数見たら、お兄ちゃんときり丸に絶対馬鹿にされちゃう……)
(順位なんて後ろから数えた方が早いし……予想以上に頭の悪い子だってわかったら、土井先生……私のことなんて思うだろう……)
運命の恋が終わってしまっては困る。
いっそのこと、今回のテストのことは報告せず、答案は破り捨てて闇に葬ろうかと思った。
けれど、顔の広い兄を侮ってはいけない。
誰かしら経由で入学早々に実力テストがあったことを知る可能性が非常に高い。
それに……
これからマンツーマンで勉強を教わっていたら、自分の学力なんていずれバレる。
それならば、彼に何もかもをさらけ出して、先に恥をかいておくべきだろう。
ふいに半助の言葉が脳裏をよぎる。
『空さん。これから一緒に頑張ろう』
あの優しい微笑みは、どんな咎人 でも極楽浄土へ導くという観音菩薩の笑みだった。
「そうだよね。土井先生ってやさしそうだし、きっと笑顔で慰めて励ましてくれるよね。苦手な勉強をこれから一緒に頑張ろうって言ってくれたもん。ていうか、むしろ手がかかる子ほど可愛い、てことで過剰に甘やかされたりとか……あは」
運命の赤い糸で繋がっているのだから、私たちは絶対に大丈夫――
***
と思っていたら、当の彼はそうでもなかったらしい。
感動の出会いから一週間後の今日、期待していた甘い笑みは全く向けられなかった。
それほどに、実力テストの点数は彼にとって、開いた口が塞がらないほど衝撃的なものだったらしい。
「な、なんなんだ……この点数は!?」
答案用紙を持つ、半助の手が小刻みに震えている。
吊り上がった目。
こめかみに浮き上がった青筋。
某教育テレビのアニメに登場する、出来の悪い忍者のたまごたちに怒り狂うイケメン忍者教師の姿がデジャブする。
そんな般若の面でも被ったかのような半助を見れば、外野の兄も弟も口を挟む隙がないようでダンマリを決め込んでいた。
「『な、なんなんだ』と言われましても……それより、土井先生。これから優しく勉強教えてくださるんですよね?よろしくお願いしま~す」
お辞儀をしながら、あくまで丁重にそう言った。
それでも、どこか他力本願で気負いのないこの発言は、彼の感情を逆撫でしてしまったらしい。
顔を上げて眼が合えば、目の前の男は大声で捲し立ててきた。
「なぁ~にが優しく勉強教えてくださいだ!人並みにできるまでは厳しくいくぞ!まずは英語!今日から一週間以内に、中学英語で必須の全英単語をマスターするように!」
「ええっ!そんなの無理ですよ!」
「無理とか最初から決めつけない!文句をいう暇があるなら、さっさと勉強にとりかかれ!」
言い終われば、どこから取り出したのか、駅前の書店で買ったらしいありったけの復習ドリルをバン!と机に叩きつけてきた。
「……」
優しい好青年の姿から一転、スパルタ教師に変貌してしまった半助を見て、大木家の誰もが唖然としている。
丁度一週間前、この場に漂っていた恋人たちのロマンスはどこにもない。
――ちょっと、お兄ちゃん、何とかしてよ!
思わず空は兄へ目配せした。
だが、雅之助はゆっくりと首を振るだけで助け船を出してはくれない。
きり丸も同じでこの緊迫した空気に完全に呑み込まれている。
「わ、わかりました」
空は強烈な視線を一身に受け止めながら、なんとか返事を返し、積み重なったドリルの山から適当に一冊とって、腰を下ろした。
「わ、ワシより怖いのう……」
「確かに……」
鉛筆を走らせながら、傍らでそんな声が聞こえる。
(ど、どどど、どうしよう……ほんと、お兄ちゃんより怖いかも……)
チラリと半助を見る。
が、視線が合えば、今にも噛みつきそうな猛獣の顔でこちらを睨んでくる。
「コラ!よそ見をするなぁ!!!」
「は、はいっ」
(あ~ん。なんか思ってたのと全然違う!)
一瞬、半助も今までの男たちと同じ、ダメンズではないかと疑った。
威圧的な態度を取るパワハラ男。
けれど、般若顔の半助からは感じ取れるのは、貶したり罵倒したりという相手を傷つけるものではない。
何としても教え子を高みへ導いていくという責任感の強さだ。
スペルミスに気を付けつつ英単語を書いていく間、悟られないようにして半助をもう一度見た。
惨憺 たる答案と睨めっこしながら、ぶつぶつと何かを呟いている。
教え子の現在の学力を分析しつつ、どうやって成績を上げていこうかと戦略を練っているようだ。
「……」
不思議なもので、おっかないはずの半助に魅力を感じてしまった。
眉間に皺を寄せたり、時々片眼を微妙に歪ませたりする思案顔がこの上なくセクシーだった。
ついさっき自分を一喝したときの尖った声だって、今にして思えば普段のやさしい声とのギャップが堪らない。
辛辣な態度も愛情表現の一つだと思えば、急激に心音が騒がしくなってきた。
(ど、どうしよう……何もかもが素敵……)
やっぱり、これまでの男たちとは違う。
そう確信が持てると、嬉しさで顔がにやけてしまう。
けれど、惚けるのはここまでだ。
鬼監督は容赦ない。
「こらぁ、手が止まってるぞ!気を抜くなぁ!」
「は、はい!」
空は弛んだ背筋をピンと伸ばす。
半助についてまだまだ知らないことは多いが、ここはひとまず彼を信じ、課された指令をクリアすることに全力集中した。
だからと言って、小さい頃から華々しいモテ人生を送ってきた訳ではない。
小学生までは、他の女子とそこまで変わりのない、平々凡々な容姿だったから普通に過ごした。
転機が訪れたのは、中学校に上がったばかりの頃だ。
ふと洗面台の鏡に映った自分の姿を見たときに、違和感を感じた。
目線の高さにも驚いたし、自分ってこういう顔してたっけ?と思うほど大人っぽい顔つきになっていた。
真ん丸だった眼はアーモンドのような楕円型になっているし、小づくりの鼻とはいえ、峰のように筋が通っている。
そこにリップを塗ったようにてかった唇が合わされば、年齢相応の瑞々しい色香が漂って、思わず自分で自分にドキドキしてしまった。
残念だった兄寄りの太い眉も、手持ちのメイク雑誌を参考に見様見真似で整えてから学校へ行けば、クラス中が騒然としたことを今でもよく憶えている。
綺麗になって嬉しいことには変わりない。
けれど、外見だけがどんどん垢ぬけても、中身は据え置きのままだから、性格が派手になったとか男好きになったとか、そういうのは一切なく、変化があったとすれば、男子の視線が増えたくらいで、以降も親友のユキたちと変わりなく過ごしていた。
それから間もなくした頃。
ある男子から「好きです。付き合ってください」と告白された。
その男の子は某美少年好き芸能プロダクションが放っておかないほどのルックスを持つ、同中学校の一つ先輩。
その人のことは有名人だからもちろん知っていたけど、まさか自分が彼の目に留まるとは思わなかった。
全く意識していなかったから、一旦は返事を保留にしたものの、告白された途端、急に存在が気になってくる。
それに、年頃の女の子だから、男女交際がどんなものか興味はあるし……。
何より、常日頃から自分を子ども扱いする兄を見返したくて、二日後には「私でよければ」とOKの返事を返した。
彼氏ができたと伝えたときの、愕然とした兄の顔といったら、もう……痛快だった。
というわけで、皆が羨ましがる憧れの男の子と清い交際がスタート。
けれど、一週間たらずで交際相手の本性がはっきりとした形で現れた。
「お前ってほんと顔だけだよな。俺、やっぱ巨乳の子がいいわ」
そう言って、こっぴどく振られた。
あのときの悲しみと屈辱と言ったら、今でも忘れられない。
その男の子による強烈なトラウマのせいで、今の貧乳コンプレックスが出来上がってしまったのだし。
とはいえ、落ち込む期間はごくわずか。
フリーになった途端、多数の眉目秀麗な男の子たちが交際を申し込て、古い男のことなんて考えている暇などない。
このままでは終われない、と成績優秀な子、スポーツ万能な子……と次々に付き合ってみたが、いずれもやはり一週間と続かない。
不思議なのが、なぜか決まって自分が振られる。
一見何の問題もなさそうだが、実はダメ男ばかり……というのが群がる男たちに共通している特徴、というのを後になって知った。
ヤリマン、マザコン、浪費癖、モラハラ気味、ヘタレetc……
彼らのおかげで、中学生という若さで男に失望してしまうと、以後交際の申し出はすべて退けるようになった。
ユキは贅沢な悩み、なんて言っていたけど、容姿だけ良くて中身が空っぽな男たちばかりが引っかかるのだから、迷惑極まりないものである。
自分に寄るのはダメンズのみ。
この先一生恋なんてできないかもと諦める一方で、理想の男子に対する渇望は大きくなり、片っ端から少女漫画を読み漁っては妄想する日々が続いた。
(いつか現れてくれるかな……男前でやさしくて、温かくて、誠実で、私だけを真剣に想ってくれる人が……)
そんな夢見る乙女でも、映画や漫画のように劇的な出会いなんてそうそうないと弁えている。
だからこそ、あんな非現実的な行動をとった自分が今でも信じられない。
兄が連れてきてくれた家庭教師の先生を一目見るなり、まるで意志を乗っ取られたように身体が先に動いて告白していた。
あの衝動は、友人のシゲの言葉を借りるなら、遺伝子の叫び、ではだろうか。
その男と
ただ、初対面で愛の告白なんてすれば、相手の男は得体の知れない恐怖を感じるだろうし、間違いなく引くだろう。
と思えばそうではなかった。
『あの……あたしと付き合ってください』
『私も同じ気持ちです。ぜひ交際をお願いします』
何と相手も自分に一目惚れしてくれたのだ。
承諾の言葉が耳を打った瞬間には、頭の中で壮大なファンファーレが鳴り響いていた。
出会ってその日に双方が恋に落ちるだなんて、これはもう運命と言い切らない方がおかしい。
「えへ。土井、半助さん、かぁ……」
空は淡いピンク色の手帳型ケースに収められた、スマートフォンの画面を覗き込んだ。
「我が本能よ、よくやった」と褒め讃えたいほど、画面の中の男の容貌に息を呑む。
顔の造りに始まり、髪の毛先や爪…と身体の端々までとにかく空の好みで「好き」一択なのだが、中でも特に魅かれたのが、彼の笑顔だ。
微笑んでいる姿は格好良いだけでなく、どこか少年のような幼さが垣間見えて、それが堪らなくチャーミングだった。
散々ダメ男ばかりに引っかかったけど、キスやその先を許していなくて良かった。
きっと今までの男運の無さは、今の出会いのためにあったのだ。
半助に巡り合えた自分は、この世で世界一幸せな女の子だと思う。
けれど……
勉強机に裏返しで伏せたある数枚の用紙を見れば、幸福から一転、不幸のどん底に突き落とされた。
「あ~あ、どうしよう。これ……」
空は二日前に返ってきた、実力テストの答案用紙をめくって
入学早々にテストを仕掛けてくるなんて、鬼すぎる!と思ったが、悪いのは完全に自分。
高校入試が終わった途端に気が抜けてしまい、テストが行われる直前まで教科書の類は一切開いていなかった。
とはいえ、空白期間があったのは一か月強。
もし、高めに高めた学力を保てていたら、最低でも平均点は確保できるだろう……と高を括っていたが、現実は非常に厳しかった。
国語 二十四点
数学 十五点
英語 三十一点
さらにショックだったのは、答案と一緒に付いてきた、短冊くらいの紙きれ。
そこには、無情にも自分の順位が書いてあった。
百二十番中、百十一位だと。
(こんなひどい点数見たら、お兄ちゃんときり丸に絶対馬鹿にされちゃう……)
(順位なんて後ろから数えた方が早いし……予想以上に頭の悪い子だってわかったら、土井先生……私のことなんて思うだろう……)
運命の恋が終わってしまっては困る。
いっそのこと、今回のテストのことは報告せず、答案は破り捨てて闇に葬ろうかと思った。
けれど、顔の広い兄を侮ってはいけない。
誰かしら経由で入学早々に実力テストがあったことを知る可能性が非常に高い。
それに……
これからマンツーマンで勉強を教わっていたら、自分の学力なんていずれバレる。
それならば、彼に何もかもをさらけ出して、先に恥をかいておくべきだろう。
ふいに半助の言葉が脳裏をよぎる。
『空さん。これから一緒に頑張ろう』
あの優しい微笑みは、どんな
「そうだよね。土井先生ってやさしそうだし、きっと笑顔で慰めて励ましてくれるよね。苦手な勉強をこれから一緒に頑張ろうって言ってくれたもん。ていうか、むしろ手がかかる子ほど可愛い、てことで過剰に甘やかされたりとか……あは」
運命の赤い糸で繋がっているのだから、私たちは絶対に大丈夫――
***
と思っていたら、当の彼はそうでもなかったらしい。
感動の出会いから一週間後の今日、期待していた甘い笑みは全く向けられなかった。
それほどに、実力テストの点数は彼にとって、開いた口が塞がらないほど衝撃的なものだったらしい。
「な、なんなんだ……この点数は!?」
答案用紙を持つ、半助の手が小刻みに震えている。
吊り上がった目。
こめかみに浮き上がった青筋。
某教育テレビのアニメに登場する、出来の悪い忍者のたまごたちに怒り狂うイケメン忍者教師の姿がデジャブする。
そんな般若の面でも被ったかのような半助を見れば、外野の兄も弟も口を挟む隙がないようでダンマリを決め込んでいた。
「『な、なんなんだ』と言われましても……それより、土井先生。これから優しく勉強教えてくださるんですよね?よろしくお願いしま~す」
お辞儀をしながら、あくまで丁重にそう言った。
それでも、どこか他力本願で気負いのないこの発言は、彼の感情を逆撫でしてしまったらしい。
顔を上げて眼が合えば、目の前の男は大声で捲し立ててきた。
「なぁ~にが優しく勉強教えてくださいだ!人並みにできるまでは厳しくいくぞ!まずは英語!今日から一週間以内に、中学英語で必須の全英単語をマスターするように!」
「ええっ!そんなの無理ですよ!」
「無理とか最初から決めつけない!文句をいう暇があるなら、さっさと勉強にとりかかれ!」
言い終われば、どこから取り出したのか、駅前の書店で買ったらしいありったけの復習ドリルをバン!と机に叩きつけてきた。
「……」
優しい好青年の姿から一転、スパルタ教師に変貌してしまった半助を見て、大木家の誰もが唖然としている。
丁度一週間前、この場に漂っていた恋人たちのロマンスはどこにもない。
――ちょっと、お兄ちゃん、何とかしてよ!
思わず空は兄へ目配せした。
だが、雅之助はゆっくりと首を振るだけで助け船を出してはくれない。
きり丸も同じでこの緊迫した空気に完全に呑み込まれている。
「わ、わかりました」
空は強烈な視線を一身に受け止めながら、なんとか返事を返し、積み重なったドリルの山から適当に一冊とって、腰を下ろした。
「わ、ワシより怖いのう……」
「確かに……」
鉛筆を走らせながら、傍らでそんな声が聞こえる。
(ど、どどど、どうしよう……ほんと、お兄ちゃんより怖いかも……)
チラリと半助を見る。
が、視線が合えば、今にも噛みつきそうな猛獣の顔でこちらを睨んでくる。
「コラ!よそ見をするなぁ!!!」
「は、はいっ」
(あ~ん。なんか思ってたのと全然違う!)
一瞬、半助も今までの男たちと同じ、ダメンズではないかと疑った。
威圧的な態度を取るパワハラ男。
けれど、般若顔の半助からは感じ取れるのは、貶したり罵倒したりという相手を傷つけるものではない。
何としても教え子を高みへ導いていくという責任感の強さだ。
スペルミスに気を付けつつ英単語を書いていく間、悟られないようにして半助をもう一度見た。
教え子の現在の学力を分析しつつ、どうやって成績を上げていこうかと戦略を練っているようだ。
「……」
不思議なもので、おっかないはずの半助に魅力を感じてしまった。
眉間に皺を寄せたり、時々片眼を微妙に歪ませたりする思案顔がこの上なくセクシーだった。
ついさっき自分を一喝したときの尖った声だって、今にして思えば普段のやさしい声とのギャップが堪らない。
辛辣な態度も愛情表現の一つだと思えば、急激に心音が騒がしくなってきた。
(ど、どうしよう……何もかもが素敵……)
やっぱり、これまでの男たちとは違う。
そう確信が持てると、嬉しさで顔がにやけてしまう。
けれど、惚けるのはここまでだ。
鬼監督は容赦ない。
「こらぁ、手が止まってるぞ!気を抜くなぁ!」
「は、はい!」
空は弛んだ背筋をピンと伸ばす。
半助についてまだまだ知らないことは多いが、ここはひとまず彼を信じ、課された指令をクリアすることに全力集中した。
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