Lesson 1
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「なるほどねぇ……その家庭教師の先生と付き合うにしろ、卒業するまでは、キスしたり、イチャイチャ抱き合ったり、はたまた大人の階段を上ったり……というような甘~い少女漫画的展開は望めないってことね」
「おまけに成績を保たないとその先生はクビで交際を続けられない……空、夏の期末テストまでに二十番以内に入らないといけないのよね?」
「うん……」
「なかなか厳しい試練です……」
空の淀んだ表情はそういうことだったのか、とユキたち一同が納得した瞬間だった。
「しっかし、アンタのお兄ちゃん、結構厳しい人なのによく交際認めてくれたわね」
「確かに……でも、それだけお兄ちゃんの信頼が厚かったみたい。時々大学の後輩に見込みのあるやつがいるって嬉しそうに話してくれたの、先生だったみたいで……」
「とにもかくにも、空さんが良い人とめぐり逢えたようでよかったです。でも、そうとなると弟のきり丸君が心配ですね」
「心配ってどういうこと、おシゲちゃん?」
空が無垢と言っていいほどの目で問いかける。
「だって、きり丸君はとっても空さんのことを慕ってるじゃないですか。ご自宅でお会いした時も「クラスの女子なんて興味ないよ。おれは姉ちゃん一筋だし」っていうのが口癖でしたし」
「そうそう。せっかく可愛い顔してるからお姉さんたちが遊んであげようと思ったのに、空以外に全然懐かないんだもん。もうちょっと心を許してくれたら可愛げがあるのに。ねぇ、トモミちゃん」
「うん、あれは本当にひどかったわ。でも、空の両親が不在なことを考えると……きり丸君にとって、空はお姉ちゃんでありお母さんなんだって思うと納得がいくわね。男の子って小さいときはすごく甘えん坊だって聞いてるから」
シゲたちの会話を聞いて、空の顔色がみるみる変わる。
どうやらきり丸の態度に思い当たる節があるようだ。
「そ、そういえば……昨日家庭教師の先生が帰ったあと、きり丸、お兄ちゃんの部屋に行って何か叫んでたな……」
「間違いなく不満をぶつけていたのかもしれませんよ。今頃学校では赤い顔で憤慨するきり丸君が目に浮かびます……」
シゲの呟きのあと、五時限目の開始を告げるチャイムが鳴った。
***
「ああもう、腹が立つなぁ!」
怒り散らす自分が相当珍しいのか、横にいる友達の口がぽっかりと開いたまんまだ。
「きり丸。どうしちゃったの?今日朝からずっと機嫌悪いよ。何かあった?いっつもスーパーで出くわす、ドケチのおりん婆さんと特売品争いで負けちゃったとか?」
それはそれで悔しいが、最愛の姉が目の前で奪われようとしている事態に比べたら、取るに足らないことである。
ここはきり丸が通う朝日小学校。
きり丸に声をかけてきた少年の名は乱太郎という。
入学してからずっとクラスが一緒で、無二の親友だった。
乱太郎の実家は農家を営んでいる。
最近では畑の近くに菜園カフェをオープンし、夫婦で切り盛りしているという。
カフェの評判も上々で、家族仲も良好。
絵に描いたような幸せ一家を持つ乱太郎は温厚で人当たりが良く、それが、少しばかり気難しいきり丸との相性が良かった。
一緒にいるだけで家族といるような安心感がある。
そんな最も気を許した親友に心配されれば、昨晩から肥大化するばかりの怒りをぶつけずにはいられない。
「聞いてくれよ、乱太郎!実はさ……」
そう言って、きり丸は昨夜、兄である雅之助との一悶着を語り出した。
***
「雅兄!なんであいつとの交際を認めるんだよ!どこぞの馬の骨かわからない奴に!」
「お、落ち着け、きり丸!」
そう言って、雅之助が「ドウ、ドウ」と暴れ馬をなだめるような仕草をとった。
「これが落ち着いていられるか!姉ちゃんに彼氏だなんて、おれは認めないからな!」
「まぁまぁ、頭を冷やせ、きり丸。空とて女。いずれ男に嫁ぐ身だ。ワシらだって、そうだ。いつまでも兄妹水入らずとはいかんだろう」
「いやだ!これじゃあ、おれの人生プランが丸つぶれだよ。おれは姉ちゃんと結婚する予定だったのに!」
結婚という二文字が飛び出して、雅之助がぎょっとする。
「お前な……冷静な意見を言うが、姉弟同士では結婚できんぞ。法律はもちろんのこと、子も産めないし、非生産的だ」
「おれはそんなの望んでないやい!今まで通り、姉ちゃんと過ごせればそれで十分なの!大体、今まで姉ちゃんに近寄ってきた男たちってダメ男ばっかりじゃないか!おれはそんな奴らと違う!姉ちゃんの外見も中身も、凹凸のない緩やかな胸も、全部ひっくるめて好きなんだ~い!」
「最後の部分は……それ本人の前で言うとどつき回されるぞ……」
「姉ちゃんにどつき回されるなら本望だよ!とにかく、雅兄だけは、おれの味方だと信じてたのに……これまで一緒に妨害してきた仲だったのに、裏切りやがって!」
「おいおい、裏切りだなんて、人聞きの悪いことを言うな。確かに、ワシはお前の協力のもと、空の歴代の彼氏たちに数々の妨害工作を仕掛けてきた。しかし、それはそいつらが空を不幸にすることがわかっていた故に、だ」
「ってことはさ、雅兄はあの先生 のこと、認めてるってことなんだ」
「すべて、ではないがな。ただ、かつての男たちとは違うと感じた。同じ大学の後輩だし、既にあいつの人となりは知っているからな」
そう言われても全く釈然としない。
きり丸はプイっと首を振った。
「けっ。雅兄の目も曇ってんな。確かに、今までの人たちとは違う印象は受けたよ。男の目から見ても、顔はかっこいいし、落ち着いていると思う。でも、ああいうタイプこそ、裏で派手に遊んでたりして」
「それは違うぞ」
「え?」
きり丸がもう一度雅之助を見た。
「確かにあいつはモテる。数々の女が告白してくるたびに、付き合っては別れて……というのも聞いておる」
「ほら、やっぱり!」
「だが、いずれの女も半助が構ってくれないと不満たらたらに別れていったぞ」
「え……?」
「初めから交際を断らない半助も悪いんだが、それでも軽はずみな行為で女たちを弄ぶようなことは一切していない。入れ食い状態にもかかわらず、だ。これが普通の男なら、お前の前で口にはできないようなことをとっくにしておるぞ」
「……」
「あいつの周り、いつも人が集まっているんだ。先輩には可愛がられて、後輩には慕われているし……だが、常に寂しそうなんだ。どんなに笑顔を浮かべていても翳りがあって。そんなあいつが空に興味を示し、挙句の果てには交際したいと言ったもんだから、あのふたりには本当に運命の糸が働いてるかもしれん、という気になってのう」
「……」
「どこか無気力を漂わせるアイツの情熱的な姿を見るのは出会ってこの方なかった。うまくは言えんが、今のアイツ……ようやく人生の喜びを見つけた、そういう表現がしっくりくる」
「ハン、向こうの事情など知ったこっちゃねえや!とにかく、おれは絶対に認めない!安易に姉ちゃんを手を出すようなことがあったら速攻クビにしてもらうからな」
「おい、きり丸!」
無理矢理話を終わらせ、きり丸は雅之助に背を向ける。
腹いせとばかりに、部屋のドアを激しく叩きつけて出て行った。
(もう雅兄なんて頼らねぇ!おれは、おれのやり方でふたりの恋路を邪魔してやるぅっ!)
***
「なるほど……。じゃあ、お姉さんとその家庭教師の先生はお付き合いすることになったんだね」
「そうなんだよ!だから、もうおれはもう居てもたってもいられなくて」
「まぁ、まぁ、落ち着いてよ、きりちゃん。話によると、お姉さんが勉強を頑張らないと、ふたりは一緒にいれないんでしょ」
「そうだった!確か……学年二十番以内に入らないと、クビになるって言ってた」
はたと思い出したようにきり丸がそう言うと、妖魔のように険しかった顔が瞬時に陽気さを取り戻した。
「そうだよなぁ。姉ちゃん、おれと一緒で勉強ダメだもんなぁ。そっかそっか、アハハハハ」
(ほんときり丸ってお姉さんのことになると我を失うよな……これじゃあ、空さん苦労しそう……)
(私としては、空さんの成績が悪くなるなんて願いたくないけど……)
自身の発言にすっかり安心したらしい。
きり丸の声が弾んでいる。
「大川学園ってあの姉ちゃんにしては結構頑張ったんだよな。それでも、中学の時に比べれば周りのレベルはうんと高くなってるだろうし、どう考えても二十番以内なんて無理無理。そうだよな、乱太郎!」
「う、うん……」
何ともいえない表情で乱太郎が相槌を打ったときだった。
「「きり丸く~ん!」」
声の方へ振り返ると、そこにはクラスの女子二人がいた。
いつもと違って、やけに凝った髪型なのはきり丸を前にしているから――という理由があるのを乱太郎は知っている。
「きり丸くん、昨日お母さんと一緒にクッキー焼いたんだけど、作りすぎちゃって……よかったら、もらってくれない?」
「あたしも。こっちは、チョコレートなんだけど……」
余りもの、とは思えないほど、そのお菓子たちはレース模様が描かれたビニール袋やラメの入ったリボンなどで綺麗にラッピングされている。
バレンタイン、ホワイトデー、はたまたクリスマスだっけ、と疑いたくなるが、今は紛れもなく四月だ。
(相変わらずモテるなぁ、きり丸……)
乱太郎はきり丸をチラリと見た。
きり丸は女子たちに一瞥も与えず、ただ差し出されたお菓子だけを凝視している。
無料という二文字をどんぐり眼に浮かべて。
「うわぁ……これデパートのお菓子売り場に置いてある商品みたい!本当に……どっちももらっていいの?」
「うん」
「ぜひ」
女子たちから二つを受け取ると、きり丸はいかにも女心をくすぐりそうな、はにかんだ笑顔をつくって言った。
「ありがとう、ふたりとも。おれんち親がいないし、姉ちゃんあまり料理うまくないからさ、こういうのすっげー嬉しい」
この前遊びに行った時、「やっぱ姉ちゃんの作るカップケーキは最高!」と満を持して褒めていたきり丸を思い出せば、溜息しかでない。
が、きり丸が本音を隠していることなんてつゆ知らず。
上辺しか知らない女子たちにとって、計算され尽くした彼のスマイルは最高のご褒美だ。
「私たち、いつでもきり丸君の力になるからね!」
「またつくるから!」
そう言って、興奮冷めやらぬ様子で去っていく。
「ははっ。今日も無料でお菓子ゲットだ。ついてる、ついてるぅ!」
「……ねぇ、きりちゃん。一応聞いておくけど、あの子たちの名前覚えてる?」
「えーと、左の子がゆきちゃんで、右の子がともみちゃんだっけ?」
「それはきり丸のお姉さんのお友達の名前でしょ!左の子はみなみちゃんで、右は真弓ちゃんだよ」
「ああ、そうだった、そうだった」
一旦はバツが悪そうに笑ったきり丸だが、すぐに獲得したお菓子に頬ずりする。
こと姉や節約術に関しては抜群の記憶力を発揮するのに、興味のないことには全く機能しないらしい。
「あ~あ、頭痛い……」
「ん?乱太郎、頭痛いの?だいじょぶ?保健室行く?」
きり丸がケロッとした顔で聞く。
誰のせいだよ、誰の!と胸底で呟きながら、乱太郎がわかりやすく額に手を当てた。
「おまけに成績を保たないとその先生はクビで交際を続けられない……空、夏の期末テストまでに二十番以内に入らないといけないのよね?」
「うん……」
「なかなか厳しい試練です……」
空の淀んだ表情はそういうことだったのか、とユキたち一同が納得した瞬間だった。
「しっかし、アンタのお兄ちゃん、結構厳しい人なのによく交際認めてくれたわね」
「確かに……でも、それだけお兄ちゃんの信頼が厚かったみたい。時々大学の後輩に見込みのあるやつがいるって嬉しそうに話してくれたの、先生だったみたいで……」
「とにもかくにも、空さんが良い人とめぐり逢えたようでよかったです。でも、そうとなると弟のきり丸君が心配ですね」
「心配ってどういうこと、おシゲちゃん?」
空が無垢と言っていいほどの目で問いかける。
「だって、きり丸君はとっても空さんのことを慕ってるじゃないですか。ご自宅でお会いした時も「クラスの女子なんて興味ないよ。おれは姉ちゃん一筋だし」っていうのが口癖でしたし」
「そうそう。せっかく可愛い顔してるからお姉さんたちが遊んであげようと思ったのに、空以外に全然懐かないんだもん。もうちょっと心を許してくれたら可愛げがあるのに。ねぇ、トモミちゃん」
「うん、あれは本当にひどかったわ。でも、空の両親が不在なことを考えると……きり丸君にとって、空はお姉ちゃんでありお母さんなんだって思うと納得がいくわね。男の子って小さいときはすごく甘えん坊だって聞いてるから」
シゲたちの会話を聞いて、空の顔色がみるみる変わる。
どうやらきり丸の態度に思い当たる節があるようだ。
「そ、そういえば……昨日家庭教師の先生が帰ったあと、きり丸、お兄ちゃんの部屋に行って何か叫んでたな……」
「間違いなく不満をぶつけていたのかもしれませんよ。今頃学校では赤い顔で憤慨するきり丸君が目に浮かびます……」
シゲの呟きのあと、五時限目の開始を告げるチャイムが鳴った。
***
「ああもう、腹が立つなぁ!」
怒り散らす自分が相当珍しいのか、横にいる友達の口がぽっかりと開いたまんまだ。
「きり丸。どうしちゃったの?今日朝からずっと機嫌悪いよ。何かあった?いっつもスーパーで出くわす、ドケチのおりん婆さんと特売品争いで負けちゃったとか?」
それはそれで悔しいが、最愛の姉が目の前で奪われようとしている事態に比べたら、取るに足らないことである。
ここはきり丸が通う朝日小学校。
きり丸に声をかけてきた少年の名は乱太郎という。
入学してからずっとクラスが一緒で、無二の親友だった。
乱太郎の実家は農家を営んでいる。
最近では畑の近くに菜園カフェをオープンし、夫婦で切り盛りしているという。
カフェの評判も上々で、家族仲も良好。
絵に描いたような幸せ一家を持つ乱太郎は温厚で人当たりが良く、それが、少しばかり気難しいきり丸との相性が良かった。
一緒にいるだけで家族といるような安心感がある。
そんな最も気を許した親友に心配されれば、昨晩から肥大化するばかりの怒りをぶつけずにはいられない。
「聞いてくれよ、乱太郎!実はさ……」
そう言って、きり丸は昨夜、兄である雅之助との一悶着を語り出した。
***
「雅兄!なんであいつとの交際を認めるんだよ!どこぞの馬の骨かわからない奴に!」
「お、落ち着け、きり丸!」
そう言って、雅之助が「ドウ、ドウ」と暴れ馬をなだめるような仕草をとった。
「これが落ち着いていられるか!姉ちゃんに彼氏だなんて、おれは認めないからな!」
「まぁまぁ、頭を冷やせ、きり丸。空とて女。いずれ男に嫁ぐ身だ。ワシらだって、そうだ。いつまでも兄妹水入らずとはいかんだろう」
「いやだ!これじゃあ、おれの人生プランが丸つぶれだよ。おれは姉ちゃんと結婚する予定だったのに!」
結婚という二文字が飛び出して、雅之助がぎょっとする。
「お前な……冷静な意見を言うが、姉弟同士では結婚できんぞ。法律はもちろんのこと、子も産めないし、非生産的だ」
「おれはそんなの望んでないやい!今まで通り、姉ちゃんと過ごせればそれで十分なの!大体、今まで姉ちゃんに近寄ってきた男たちってダメ男ばっかりじゃないか!おれはそんな奴らと違う!姉ちゃんの外見も中身も、凹凸のない緩やかな胸も、全部ひっくるめて好きなんだ~い!」
「最後の部分は……それ本人の前で言うとどつき回されるぞ……」
「姉ちゃんにどつき回されるなら本望だよ!とにかく、雅兄だけは、おれの味方だと信じてたのに……これまで一緒に妨害してきた仲だったのに、裏切りやがって!」
「おいおい、裏切りだなんて、人聞きの悪いことを言うな。確かに、ワシはお前の協力のもと、空の歴代の彼氏たちに数々の妨害工作を仕掛けてきた。しかし、それはそいつらが空を不幸にすることがわかっていた故に、だ」
「ってことはさ、雅兄はあの
「すべて、ではないがな。ただ、かつての男たちとは違うと感じた。同じ大学の後輩だし、既にあいつの人となりは知っているからな」
そう言われても全く釈然としない。
きり丸はプイっと首を振った。
「けっ。雅兄の目も曇ってんな。確かに、今までの人たちとは違う印象は受けたよ。男の目から見ても、顔はかっこいいし、落ち着いていると思う。でも、ああいうタイプこそ、裏で派手に遊んでたりして」
「それは違うぞ」
「え?」
きり丸がもう一度雅之助を見た。
「確かにあいつはモテる。数々の女が告白してくるたびに、付き合っては別れて……というのも聞いておる」
「ほら、やっぱり!」
「だが、いずれの女も半助が構ってくれないと不満たらたらに別れていったぞ」
「え……?」
「初めから交際を断らない半助も悪いんだが、それでも軽はずみな行為で女たちを弄ぶようなことは一切していない。入れ食い状態にもかかわらず、だ。これが普通の男なら、お前の前で口にはできないようなことをとっくにしておるぞ」
「……」
「あいつの周り、いつも人が集まっているんだ。先輩には可愛がられて、後輩には慕われているし……だが、常に寂しそうなんだ。どんなに笑顔を浮かべていても翳りがあって。そんなあいつが空に興味を示し、挙句の果てには交際したいと言ったもんだから、あのふたりには本当に運命の糸が働いてるかもしれん、という気になってのう」
「……」
「どこか無気力を漂わせるアイツの情熱的な姿を見るのは出会ってこの方なかった。うまくは言えんが、今のアイツ……ようやく人生の喜びを見つけた、そういう表現がしっくりくる」
「ハン、向こうの事情など知ったこっちゃねえや!とにかく、おれは絶対に認めない!安易に姉ちゃんを手を出すようなことがあったら速攻クビにしてもらうからな」
「おい、きり丸!」
無理矢理話を終わらせ、きり丸は雅之助に背を向ける。
腹いせとばかりに、部屋のドアを激しく叩きつけて出て行った。
(もう雅兄なんて頼らねぇ!おれは、おれのやり方でふたりの恋路を邪魔してやるぅっ!)
***
「なるほど……。じゃあ、お姉さんとその家庭教師の先生はお付き合いすることになったんだね」
「そうなんだよ!だから、もうおれはもう居てもたってもいられなくて」
「まぁ、まぁ、落ち着いてよ、きりちゃん。話によると、お姉さんが勉強を頑張らないと、ふたりは一緒にいれないんでしょ」
「そうだった!確か……学年二十番以内に入らないと、クビになるって言ってた」
はたと思い出したようにきり丸がそう言うと、妖魔のように険しかった顔が瞬時に陽気さを取り戻した。
「そうだよなぁ。姉ちゃん、おれと一緒で勉強ダメだもんなぁ。そっかそっか、アハハハハ」
(ほんときり丸ってお姉さんのことになると我を失うよな……これじゃあ、空さん苦労しそう……)
(私としては、空さんの成績が悪くなるなんて願いたくないけど……)
自身の発言にすっかり安心したらしい。
きり丸の声が弾んでいる。
「大川学園ってあの姉ちゃんにしては結構頑張ったんだよな。それでも、中学の時に比べれば周りのレベルはうんと高くなってるだろうし、どう考えても二十番以内なんて無理無理。そうだよな、乱太郎!」
「う、うん……」
何ともいえない表情で乱太郎が相槌を打ったときだった。
「「きり丸く~ん!」」
声の方へ振り返ると、そこにはクラスの女子二人がいた。
いつもと違って、やけに凝った髪型なのはきり丸を前にしているから――という理由があるのを乱太郎は知っている。
「きり丸くん、昨日お母さんと一緒にクッキー焼いたんだけど、作りすぎちゃって……よかったら、もらってくれない?」
「あたしも。こっちは、チョコレートなんだけど……」
余りもの、とは思えないほど、そのお菓子たちはレース模様が描かれたビニール袋やラメの入ったリボンなどで綺麗にラッピングされている。
バレンタイン、ホワイトデー、はたまたクリスマスだっけ、と疑いたくなるが、今は紛れもなく四月だ。
(相変わらずモテるなぁ、きり丸……)
乱太郎はきり丸をチラリと見た。
きり丸は女子たちに一瞥も与えず、ただ差し出されたお菓子だけを凝視している。
無料という二文字をどんぐり眼に浮かべて。
「うわぁ……これデパートのお菓子売り場に置いてある商品みたい!本当に……どっちももらっていいの?」
「うん」
「ぜひ」
女子たちから二つを受け取ると、きり丸はいかにも女心をくすぐりそうな、はにかんだ笑顔をつくって言った。
「ありがとう、ふたりとも。おれんち親がいないし、姉ちゃんあまり料理うまくないからさ、こういうのすっげー嬉しい」
この前遊びに行った時、「やっぱ姉ちゃんの作るカップケーキは最高!」と満を持して褒めていたきり丸を思い出せば、溜息しかでない。
が、きり丸が本音を隠していることなんてつゆ知らず。
上辺しか知らない女子たちにとって、計算され尽くした彼のスマイルは最高のご褒美だ。
「私たち、いつでもきり丸君の力になるからね!」
「またつくるから!」
そう言って、興奮冷めやらぬ様子で去っていく。
「ははっ。今日も無料でお菓子ゲットだ。ついてる、ついてるぅ!」
「……ねぇ、きりちゃん。一応聞いておくけど、あの子たちの名前覚えてる?」
「えーと、左の子がゆきちゃんで、右の子がともみちゃんだっけ?」
「それはきり丸のお姉さんのお友達の名前でしょ!左の子はみなみちゃんで、右は真弓ちゃんだよ」
「ああ、そうだった、そうだった」
一旦はバツが悪そうに笑ったきり丸だが、すぐに獲得したお菓子に頬ずりする。
こと姉や節約術に関しては抜群の記憶力を発揮するのに、興味のないことには全く機能しないらしい。
「あ~あ、頭痛い……」
「ん?乱太郎、頭痛いの?だいじょぶ?保健室行く?」
きり丸がケロッとした顔で聞く。
誰のせいだよ、誰の!と胸底で呟きながら、乱太郎がわかりやすく額に手を当てた。
