Lesson 1
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「ええい!空に半助、おまえら見つめ合うのええ加減にやめんかい!」
そう言って、大木雅之助がテーブルを荒々しく叩いた。
外野そっちのけで勝手にふたりだけの世界をつくる妹と後輩を見れば、頭を痛めずにはいられない。
(全く、何ということだ!まさか我が妹と目をかけている後輩が会ったその日に惹かれ合うとは……)
大木家のだだっ広い一階のリビング兼ダイニング。
ホワイトウッドのダイニングテーブル越しに空と半助が対面している。
空の隣には兄の雅之助が、弟のきり丸は相対する両者を平等に見渡せる位置、即ちお誕生日席に腰を下ろしていた。
(うぅぅ……ワシは、ワシは今、猛烈に混乱している!)
単なる初顔合わせだから、連絡事項だけを伝えてちゃちゃっと終わらせるはずだったのに。
今、時計の針は開始の時刻から一時間後の六時を刻もうとしている。
『あの……あたしと付き合ってください』
『私も同じ気持ちです。ぜひ交際をお願いします』
衝撃の告白を思い出して、またもや意識が飛びそうになる。
しかし、仮にも自分は最年長。
熱を上げている妹と後輩に、小学生のきり丸。
この場をうまく仕切れる人間は自分しかいないと、バチンと両頬を叩き、気を持ち直した。
「空、一応聞いておくぞ。本当にこいつに惚れたんだな」
「うん」
「半助の方は」
「私もです」
どちらも言下 に答えるものだから、胸底で舌打ちせずにはいられない。
(ようやく空が高校へと進学し、勉学に本腰を入れる良い環境が整った矢先に……これではワシの努力が台無しではないか!?)
普段は空をおちょくりまくる雅之助だったが、その裏では大変なシスコンである。
実は空に彼氏ができるたびに破局へと導いてきたのは、誰でもなく彼だった。
雅之助のシスコンが大爆発したのは、空が中学へ進学してしばらく経ったある日のこと。
空から「お兄ちゃんは私のこと可愛くないってバカにするけど、こんな私でも彼氏できちゃったもんね~」と鼻高々に自慢された途端、内臓が焦げるように熱かった。
気がつけば、空にバレないよう中学校に出向き、その男を尾行した。
実際自分の目で確かめると、これまで空に告白してきた男はどうしようもないほどのダメ男ばかりだった。
ある男はその煌びやかな容姿と裏腹に「ああ、早くアイツとやりてぇ。でも、キスもさせてくれないんだよな。ガード固てぇ」と悪びれもなく言うクズだったし、またある優等生タイプの男は「お母さんみたいな人がタイプ」と照れくさそうに言っていたが、突き詰めていけば矯正できないほどのマザコンだった。
前者は空の体型を暴露すれば、「やっぱ巨乳の子と付き合おう」と思い直したし、後者なら「妹は子どもっぽすぎて母親のような包容力はない」と嘘八百囁けば「僕にはママしかいない!」と態度を一変、号泣してきた。
しかし、中には自分の話にも屈せず「空ちゃんのすべてが好きなんです。だから、絶対に付き合います!」と声高に宣言する男もいた。
そういう輩には、
「ほう、それでは、このワシが兄でもいいということだな」
とポキポキ指をならして脅せば、「やっぱり大切な妹さんと交際する資格は僕にはないようです……」と青い顔で白旗を上げてきた。
(どいつもこいつも、思い出すだけでこってり胸やけがしそうだ……空よ、こうしてワシが陰でダメ男たちからお前を守ってきたというのに……)
だからといって、雅之助は空を一生束縛する気はない。
自分にも気になっている女性はいるし、恋愛は自由だと思う。
ただ、不憫と言っていいくらい、妹の男運が悪すぎる。
(せめてワシを安心させるくらいの良い男でないと交際は認めんぞ。空が選んだのは半助か……)
雅之助は半助がどういう男か改めて振り返った。
知り合ったのは同じ忍者研究会のサークル。
会えば、いつも礼儀正しく挨拶してくれるし、サークルの仕事も率先して手伝ってくれる。
昨年のサークル主催のバーベキューでも、皆が楽しめるようにと、半助は見えないところで手を動かしていた。
学業なんてなんら心配はない。
教育学部では五本の指に入るほど優秀で、教授たちも一目置くほど存在感があると同サークルの後輩から聞いている。
性格も温和で思いやりがあって、非の打ちどころがない。
ここまでは満点だ。
だが、女関係はどうだろう。
多数付き合った女性がいるとはいえ、告白は常に女側から。
交際をスタートさせても、その後手を出したことは一切ないという。
半助を振った女性たちは皆「キスもしてくれない!」と業を煮やしていたし……。
(あれ?待てよ……付き合った女は多いとはいえ、本気になれなかったから、手はつけていない……つまり、裏を返せば誠実さのあらわれ。そして、本命しか愛せないタイプ。ってことは……)
雅之助はふと気づいた。
自分にとって、そして、空にとって、半助という男が意外にも悪くない選択肢なのかもしれないと。
今までの女たちと同様、もし半助が空に本気になれなかった場合、必然的に空の貞操は守られるから、傷物にされずに済む。
だが、そうじゃなかった場合。
半助が心から空を愛してしまったとしても、雅之助の読みが正しいなら、今後彼がどんな風に接するのか手に取るようにわかる。
半助を彼氏にするメリットは他にもある。
女子多めの共学校とはいえ、一定の男子生徒はいるから気が抜けない。
周囲から浮くくらい容姿に恵まれた空がそいつらに狙われる可能性はなくはない。
そういうとき、大学生の彼氏がいます、という断り文句は絶大な威力を発揮するのではないか。
ついさっき、空と半助、両者に気持ちを確認したときの、半助の熱い瞳が脳裏に浮かんだ。
妹さんを大事にします――という覚悟がひしひしと伝わるその瞳には、雅之助を唸らせる説得力とどの男にも感じなかった安心感があった。
「半助」
雅之助が厳かな声を絞り出した。
「お前が空に惚れたというのはわかった。だが、こいつの兄としてひとつはっきりさせたいことがあるから聞いておく。今すぐ我が妹と結婚して×××したいと思うのか?」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!何言ってんのよ、きり丸のいる前で!」
「安心しろ。この通り耳は塞いでいる。それより、半助。ワシの質問に答えてくれ」
雅之助がじっと半助を見る。
空も、訳が分からず聴覚を絶たれたきり丸も、視線を同じ方へ動かした。
「大木先輩。私は……」
あたりが沈黙に包まれる。
続きの言葉を待つ間、シンクの水道から雫のしたたる音がやけに大きく響いた。
「私は……確かに空さんに心を奪われましたが、今すぐ彼女とどうこうなりたいとかは考えていません。彼女はまだ高校生。学業を始め、部活や学校行事など充実した高校生活を送ってもらいたいと思っています。それに、私は彼女の勉強を教える身として呼ばれたわけですから、寧ろ、男女の仲を深めたいといった軽率な行為は控えるべきだと思います。以上が私の考えです」
それっきり、ふたたび沈黙が訪れる。
「……」
雅之助の身体がわなないている。
「雅兄……?」
「お兄ちゃん……?」
耳に当てられた手を外され、ようやく周囲の音が拾えるようになったきり丸が、続いて空が、雅之助を見つめる。
「……」
相手の反応に不安なのかやや瞼を伏せた半助だったが、やがて上機嫌な笑い声を耳にすれば、彼の目がみるみる開いた。
「がーはっはっはっは。そこまで妹のことを大事に考えてくれているとは。その心意気、気に入った、気に入ったぞぉ!やはりワシの読み通りだった!ワシはたった今からお前たちの交際を認めることにする!」
「先輩!」
「お兄ちゃん!」
「うーむ。ついにワシもお目付け役を外れるときがきたか。だがな、空、安心しろ。これからもお前をうんといじめてやるからな」
「はぁ?」
「まぁまぁ、それはさておき……ビジネスの話をしよう。改めて、これから半助には我が妹の家庭教師をお願いしたい。基本週一だが、テスト前など切羽詰まっているときは週二と柔軟に対応願いたい。ただ、半助は今、四年生。教育実習や院試の勉強もあると思うので、それが叶わないことがあるのは重々承知だ」
「はい」
ようやく本題に入ることができた。
衝撃の告白を経てから、雅之助は初めて安堵の息をついた。
「それから……細かいことを言うが、勉強は部屋ではなく、ここのリビングを使うように」
「はい」
「ええ、なんで!?私の部屋で先生に教えてもらっちゃだめなの!?」
半助は引き締まった声で返事を返してくれた。
対照的に、空の頬がハリセンボンのように膨れる。
両者を見ていると、警戒すべきなのは半助ではなく実妹の煩悩なのかもしれない――そう確信した。
「当たり前だ!年頃の男と女を一つの部屋でふたりっきりにさせられるか!ついさっき目の前で交際宣言された兄の身にもなってみろ!お前たちは心配されるようなことをしでかしてるんだからな!」
「そうだよ、姉ちゃん!」
真っ当な意見を突き付けられ、その上きり丸の援護射撃もあいまって、空はそれ以上楯突くことはなかった。
「半助、お前を家庭教師として雇う以上、きっちりと成果は出してもらうぞ。裏を返せば……妹の成績が上がらなかったら、お前は速攻クビだ。交際も認めん」
「それは覚悟の上です。必ずやご期待に添えてみせます。ちなみに具体的には妹さんの学力をどこまであげればいいんでしょうか?」
「ふむ……そうだな。今のところ、こやつの成績は中の下あたりだと踏んでおる。となると……一学期の期末テストで学年二十番以内に入ることがまずまずの目標だな」
「了解です」
「えぇぇぇ!!!」
先程と同じく、冷静に頷く半助と違い、空の動揺はすこぶる大きい。
「ちょっと待って、いきなり二十番ってハードル高すぎない!?大川学園ってスバ抜けた進学校ではないにしろ、平均よりはレベル高いんだよ?私なんて、高校入試突破するだけでも超大変だったのに!」
「甘ったれんな!そこはどこんじょーで男気を見せろ!」
「お兄ちゃん、あたしは女よ!」
「女だろうが男だろうがオカマだろうが、男気は誰にでもある!それにそんな弱音を吐いている場合があるなら、一つでも多く英単語を覚えろ!」
「うっ……!」
「それからもう一つ付け加えておく」
雅之助がまたもやきり丸の耳を塞いで言った。
「念のため言っておくが、XXXをしないからといって、それに準ずる行為も禁止だぞ。あくまでも清らかな交際をお願いする。キスもイチャイチャも全部NGだ。但し、交換日記はOKとしよう」
「ちょ、ちょっと待って!それってあんまりにも厳しすぎない?」
「ほ~う、不服なら母に言いつけるぞ。今の状況をな」
母の名を出すと、萎れた花のように空が肩を落とす。
勉強で結果を出していないのに、彼氏だけはちゃっかりゲット――となれば、カンカンに怒った母親が地球の裏側からすっ飛んでくる――と容易に想像できたはず。
それでも、我が実妹は諦めが悪いようだ。
「お、お兄様……百歩譲って手を繋ぐのはアリでしょうか?」
下手に出たのか口調が改まっている。
すがるような上目遣いの瞳に自分は弱い。
(ふむ、手を繋ぐか……それだけなら、猥褻な行為には該当しないだろう。幼稚園児でも手は繋ぐしな)
「期末テスト次第だ。先ほどいった二十番以内に入れば手を繋ぐだけなら許可する」
そう返すと、萎れていた花は電光石火で復活を遂げた。
やはり、妹には笑顔が似合っている。
それが自分ではない他の男を想って見せた笑顔だと思うと寂しくもあり……多少複雑ではあるが。
(まぁ、ひとまず様子見だな)
「空さん……だったよね。大丈夫。苦手な勉強、これから一緒に頑張ろう。できる限りのことはさせてもらうから」
「土井、先生……」
空も半助も目が潤んでいる。
今にも熱い抱擁を交わし合うんじゃないかと心配するほどに、自分たちの世界にどっぷり浸かるふたりだが、辛うじて距離は保っている。
自分と交わした約束は頭の片隅に入っているようで、ほっとした。
(まぁ、先が思いやられるが……半助が来る日はなるべくワシも家にいることにしよう。リビングなら目が行き届くし、きり丸もいるから……って、おや?)
真下から異様なオーラを察知し、慌ててきり丸を見た。
(おーおー。嫉妬の炎が燃えておる。案外、きり丸の方が監視役にうってつけかもしれん……)
これまで三人のやり取りにほとんど口を挟まなかったきり丸だが、今は憤懣 やるかたない目つきで半助を睨んでいた。
そう言って、大木雅之助がテーブルを荒々しく叩いた。
外野そっちのけで勝手にふたりだけの世界をつくる妹と後輩を見れば、頭を痛めずにはいられない。
(全く、何ということだ!まさか我が妹と目をかけている後輩が会ったその日に惹かれ合うとは……)
大木家のだだっ広い一階のリビング兼ダイニング。
ホワイトウッドのダイニングテーブル越しに空と半助が対面している。
空の隣には兄の雅之助が、弟のきり丸は相対する両者を平等に見渡せる位置、即ちお誕生日席に腰を下ろしていた。
(うぅぅ……ワシは、ワシは今、猛烈に混乱している!)
単なる初顔合わせだから、連絡事項だけを伝えてちゃちゃっと終わらせるはずだったのに。
今、時計の針は開始の時刻から一時間後の六時を刻もうとしている。
『あの……あたしと付き合ってください』
『私も同じ気持ちです。ぜひ交際をお願いします』
衝撃の告白を思い出して、またもや意識が飛びそうになる。
しかし、仮にも自分は最年長。
熱を上げている妹と後輩に、小学生のきり丸。
この場をうまく仕切れる人間は自分しかいないと、バチンと両頬を叩き、気を持ち直した。
「空、一応聞いておくぞ。本当にこいつに惚れたんだな」
「うん」
「半助の方は」
「私もです」
どちらも
(ようやく空が高校へと進学し、勉学に本腰を入れる良い環境が整った矢先に……これではワシの努力が台無しではないか!?)
普段は空をおちょくりまくる雅之助だったが、その裏では大変なシスコンである。
実は空に彼氏ができるたびに破局へと導いてきたのは、誰でもなく彼だった。
雅之助のシスコンが大爆発したのは、空が中学へ進学してしばらく経ったある日のこと。
空から「お兄ちゃんは私のこと可愛くないってバカにするけど、こんな私でも彼氏できちゃったもんね~」と鼻高々に自慢された途端、内臓が焦げるように熱かった。
気がつけば、空にバレないよう中学校に出向き、その男を尾行した。
実際自分の目で確かめると、これまで空に告白してきた男はどうしようもないほどのダメ男ばかりだった。
ある男はその煌びやかな容姿と裏腹に「ああ、早くアイツとやりてぇ。でも、キスもさせてくれないんだよな。ガード固てぇ」と悪びれもなく言うクズだったし、またある優等生タイプの男は「お母さんみたいな人がタイプ」と照れくさそうに言っていたが、突き詰めていけば矯正できないほどのマザコンだった。
前者は空の体型を暴露すれば、「やっぱ巨乳の子と付き合おう」と思い直したし、後者なら「妹は子どもっぽすぎて母親のような包容力はない」と嘘八百囁けば「僕にはママしかいない!」と態度を一変、号泣してきた。
しかし、中には自分の話にも屈せず「空ちゃんのすべてが好きなんです。だから、絶対に付き合います!」と声高に宣言する男もいた。
そういう輩には、
「ほう、それでは、このワシが兄でもいいということだな」
とポキポキ指をならして脅せば、「やっぱり大切な妹さんと交際する資格は僕にはないようです……」と青い顔で白旗を上げてきた。
(どいつもこいつも、思い出すだけでこってり胸やけがしそうだ……空よ、こうしてワシが陰でダメ男たちからお前を守ってきたというのに……)
だからといって、雅之助は空を一生束縛する気はない。
自分にも気になっている女性はいるし、恋愛は自由だと思う。
ただ、不憫と言っていいくらい、妹の男運が悪すぎる。
(せめてワシを安心させるくらいの良い男でないと交際は認めんぞ。空が選んだのは半助か……)
雅之助は半助がどういう男か改めて振り返った。
知り合ったのは同じ忍者研究会のサークル。
会えば、いつも礼儀正しく挨拶してくれるし、サークルの仕事も率先して手伝ってくれる。
昨年のサークル主催のバーベキューでも、皆が楽しめるようにと、半助は見えないところで手を動かしていた。
学業なんてなんら心配はない。
教育学部では五本の指に入るほど優秀で、教授たちも一目置くほど存在感があると同サークルの後輩から聞いている。
性格も温和で思いやりがあって、非の打ちどころがない。
ここまでは満点だ。
だが、女関係はどうだろう。
多数付き合った女性がいるとはいえ、告白は常に女側から。
交際をスタートさせても、その後手を出したことは一切ないという。
半助を振った女性たちは皆「キスもしてくれない!」と業を煮やしていたし……。
(あれ?待てよ……付き合った女は多いとはいえ、本気になれなかったから、手はつけていない……つまり、裏を返せば誠実さのあらわれ。そして、本命しか愛せないタイプ。ってことは……)
雅之助はふと気づいた。
自分にとって、そして、空にとって、半助という男が意外にも悪くない選択肢なのかもしれないと。
今までの女たちと同様、もし半助が空に本気になれなかった場合、必然的に空の貞操は守られるから、傷物にされずに済む。
だが、そうじゃなかった場合。
半助が心から空を愛してしまったとしても、雅之助の読みが正しいなら、今後彼がどんな風に接するのか手に取るようにわかる。
半助を彼氏にするメリットは他にもある。
女子多めの共学校とはいえ、一定の男子生徒はいるから気が抜けない。
周囲から浮くくらい容姿に恵まれた空がそいつらに狙われる可能性はなくはない。
そういうとき、大学生の彼氏がいます、という断り文句は絶大な威力を発揮するのではないか。
ついさっき、空と半助、両者に気持ちを確認したときの、半助の熱い瞳が脳裏に浮かんだ。
妹さんを大事にします――という覚悟がひしひしと伝わるその瞳には、雅之助を唸らせる説得力とどの男にも感じなかった安心感があった。
「半助」
雅之助が厳かな声を絞り出した。
「お前が空に惚れたというのはわかった。だが、こいつの兄としてひとつはっきりさせたいことがあるから聞いておく。今すぐ我が妹と結婚して×××したいと思うのか?」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!何言ってんのよ、きり丸のいる前で!」
「安心しろ。この通り耳は塞いでいる。それより、半助。ワシの質問に答えてくれ」
雅之助がじっと半助を見る。
空も、訳が分からず聴覚を絶たれたきり丸も、視線を同じ方へ動かした。
「大木先輩。私は……」
あたりが沈黙に包まれる。
続きの言葉を待つ間、シンクの水道から雫のしたたる音がやけに大きく響いた。
「私は……確かに空さんに心を奪われましたが、今すぐ彼女とどうこうなりたいとかは考えていません。彼女はまだ高校生。学業を始め、部活や学校行事など充実した高校生活を送ってもらいたいと思っています。それに、私は彼女の勉強を教える身として呼ばれたわけですから、寧ろ、男女の仲を深めたいといった軽率な行為は控えるべきだと思います。以上が私の考えです」
それっきり、ふたたび沈黙が訪れる。
「……」
雅之助の身体がわなないている。
「雅兄……?」
「お兄ちゃん……?」
耳に当てられた手を外され、ようやく周囲の音が拾えるようになったきり丸が、続いて空が、雅之助を見つめる。
「……」
相手の反応に不安なのかやや瞼を伏せた半助だったが、やがて上機嫌な笑い声を耳にすれば、彼の目がみるみる開いた。
「がーはっはっはっは。そこまで妹のことを大事に考えてくれているとは。その心意気、気に入った、気に入ったぞぉ!やはりワシの読み通りだった!ワシはたった今からお前たちの交際を認めることにする!」
「先輩!」
「お兄ちゃん!」
「うーむ。ついにワシもお目付け役を外れるときがきたか。だがな、空、安心しろ。これからもお前をうんといじめてやるからな」
「はぁ?」
「まぁまぁ、それはさておき……ビジネスの話をしよう。改めて、これから半助には我が妹の家庭教師をお願いしたい。基本週一だが、テスト前など切羽詰まっているときは週二と柔軟に対応願いたい。ただ、半助は今、四年生。教育実習や院試の勉強もあると思うので、それが叶わないことがあるのは重々承知だ」
「はい」
ようやく本題に入ることができた。
衝撃の告白を経てから、雅之助は初めて安堵の息をついた。
「それから……細かいことを言うが、勉強は部屋ではなく、ここのリビングを使うように」
「はい」
「ええ、なんで!?私の部屋で先生に教えてもらっちゃだめなの!?」
半助は引き締まった声で返事を返してくれた。
対照的に、空の頬がハリセンボンのように膨れる。
両者を見ていると、警戒すべきなのは半助ではなく実妹の煩悩なのかもしれない――そう確信した。
「当たり前だ!年頃の男と女を一つの部屋でふたりっきりにさせられるか!ついさっき目の前で交際宣言された兄の身にもなってみろ!お前たちは心配されるようなことをしでかしてるんだからな!」
「そうだよ、姉ちゃん!」
真っ当な意見を突き付けられ、その上きり丸の援護射撃もあいまって、空はそれ以上楯突くことはなかった。
「半助、お前を家庭教師として雇う以上、きっちりと成果は出してもらうぞ。裏を返せば……妹の成績が上がらなかったら、お前は速攻クビだ。交際も認めん」
「それは覚悟の上です。必ずやご期待に添えてみせます。ちなみに具体的には妹さんの学力をどこまであげればいいんでしょうか?」
「ふむ……そうだな。今のところ、こやつの成績は中の下あたりだと踏んでおる。となると……一学期の期末テストで学年二十番以内に入ることがまずまずの目標だな」
「了解です」
「えぇぇぇ!!!」
先程と同じく、冷静に頷く半助と違い、空の動揺はすこぶる大きい。
「ちょっと待って、いきなり二十番ってハードル高すぎない!?大川学園ってスバ抜けた進学校ではないにしろ、平均よりはレベル高いんだよ?私なんて、高校入試突破するだけでも超大変だったのに!」
「甘ったれんな!そこはどこんじょーで男気を見せろ!」
「お兄ちゃん、あたしは女よ!」
「女だろうが男だろうがオカマだろうが、男気は誰にでもある!それにそんな弱音を吐いている場合があるなら、一つでも多く英単語を覚えろ!」
「うっ……!」
「それからもう一つ付け加えておく」
雅之助がまたもやきり丸の耳を塞いで言った。
「念のため言っておくが、XXXをしないからといって、それに準ずる行為も禁止だぞ。あくまでも清らかな交際をお願いする。キスもイチャイチャも全部NGだ。但し、交換日記はOKとしよう」
「ちょ、ちょっと待って!それってあんまりにも厳しすぎない?」
「ほ~う、不服なら母に言いつけるぞ。今の状況をな」
母の名を出すと、萎れた花のように空が肩を落とす。
勉強で結果を出していないのに、彼氏だけはちゃっかりゲット――となれば、カンカンに怒った母親が地球の裏側からすっ飛んでくる――と容易に想像できたはず。
それでも、我が実妹は諦めが悪いようだ。
「お、お兄様……百歩譲って手を繋ぐのはアリでしょうか?」
下手に出たのか口調が改まっている。
すがるような上目遣いの瞳に自分は弱い。
(ふむ、手を繋ぐか……それだけなら、猥褻な行為には該当しないだろう。幼稚園児でも手は繋ぐしな)
「期末テスト次第だ。先ほどいった二十番以内に入れば手を繋ぐだけなら許可する」
そう返すと、萎れていた花は電光石火で復活を遂げた。
やはり、妹には笑顔が似合っている。
それが自分ではない他の男を想って見せた笑顔だと思うと寂しくもあり……多少複雑ではあるが。
(まぁ、ひとまず様子見だな)
「空さん……だったよね。大丈夫。苦手な勉強、これから一緒に頑張ろう。できる限りのことはさせてもらうから」
「土井、先生……」
空も半助も目が潤んでいる。
今にも熱い抱擁を交わし合うんじゃないかと心配するほどに、自分たちの世界にどっぷり浸かるふたりだが、辛うじて距離は保っている。
自分と交わした約束は頭の片隅に入っているようで、ほっとした。
(まぁ、先が思いやられるが……半助が来る日はなるべくワシも家にいることにしよう。リビングなら目が行き届くし、きり丸もいるから……って、おや?)
真下から異様なオーラを察知し、慌ててきり丸を見た。
(おーおー。嫉妬の炎が燃えておる。案外、きり丸の方が監視役にうってつけかもしれん……)
これまで三人のやり取りにほとんど口を挟まなかったきり丸だが、今は
