わたしの軍師さま~きり丸との確執編~
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寒い。
全身から冷えが立ち上ってきて我慢できずに目を開ける。
けれど、真っ暗で何も見えなかった。
(ここは……どこだっけ……?)
もやがかった頭でゆっくりと情報を整理する。
自分は乾いた土の上に寝かされ、後ろ手の状態で拘束されている。
ここは半助の家でも材木屋でもない、見知らぬ場所――
暗闇に目が慣れてきた頃には、今置かれた状況が更に把握できた。
すぐ隣には、自分と同じような格好の、まだ目を覚ましていない虎吉がいる。
天窓の向こうには銀盆のような月が見えるから、時刻は戌の刻(午後八時)頃だろう。
建物の内装から判断して、ここがどこかの蔵であることに間違いなかった。
(何でおれたちはこんなところにいるんだ……?)
記憶を辿っているうちに、首のあたりに痺れがはしって顔をしかめた。
その痺れが切欠となって、きり丸は自分の身に振りかかったことを思いだした。
(そうだ、確かおれたちは……)
今日も何事もなく仕事を終え、虎吉と帰路についていたときのこと。
人気のない田舎道を歩いていると、五、六間先で道祖神に手を合わせている人物がいる。
きり丸も虎吉も仰天した。
「「慎さん!?」」
風邪で寝込んでいると聞いていたのに、どうしてこんな辺鄙な場所にいるのかわからない。
それに、遠くだからはっきりと確認できないが、慎太郎の顔に青痣があるようだ。
一体何が起こったのだろう。
ふつふつと疑問が沸いてくるが、それでも会えた嬉しさに足は弾みだしていた。
「慎さーん!」
徐々に距離が詰まり、あともう少しというところで、首にチクリとした痛みがはしった。
視界がぐにゃりと歪む。
立て続けに、身体が痺れて動かない。
「なんだ……これ?」
意識もおぼつかなくなってきて、とうとうその場に転んでしまった。
どさりと音がしたから、虎吉も同様の事態らしい。
――ごめんな。
眼が閉じり切る直前、頭上からそんな言葉がふりかかった。
きり丸は黙々と思考をめぐらしていた。
(おそらく、おれたちを襲った人物は忍者だ……)
虎吉の首元に細い針が刺さっているのが確認できたから、敵は吹き矢の使い手に間違いない。
意識を失う様、絶妙に調合した薬に関しても、素人の腕では考えられなかった。
どうして自分たちが襲われたのか。
慎太郎があそこにいたのは偶然なのだろうか。
考えれば考えるほど糸がもつれていくようで、埒が明かない。
とにかく、一刻も早くここを脱出するべきだ。
「おい、虎吉、おきろ」
しつこく耳元で呼び続けていると、やがて虎吉の瞼がピクリと動き出した。
「ん……どうしたの……きり丸兄ちゃん……あれ?」
気だるそうに話していた虎吉だったが、身体の自由がきかないとわかれば、重たそうな瞼を瞬時に持ち上げた。
「え?なにこれ?どうして、おれたち縛られちゃってるの!?誰か、誰か来て!」
「バカ、大声出すなよ!」
最悪なことに蔵の外には見張りがいたらしい。
バタバタと土を蹴る音が大きくなったかと思えば、唐突に蔵の戸の閂 を外す音がした。
「やっとお目覚めか」
両開きの戸を開けると、ざっと見十人くらいの男たちがいた。
風貌からも明らかにゴロツキだとわかる連中で、思わず虎吉と身を寄せ合う。
男たちに刃物で脅されながら、きり丸と虎吉は一旦蔵の外に出される。
ここはどこぞの金持ちの家のようで、母屋らしき建物の前に大きな庭を構えている。
「座れ」とドスの利いた声で言われ、仕方なくその場に腰を下ろせば、まるで御白州で取り調べを受ける罪人のような心地になった。
男たちの間を割る様に、一人の老人が闊歩 してくる。
老人は背こそ低いが、でっぷりと肥えていた。
上質な木綿の着物を羽織ってるのに、それにそぐわぬ品のない狸のような顔が不調和で滑稽だった。
豊かな生活を送っているらしく、見てくれからなんとなく商人だと判断できた。
「おい、おっさん、アンタ一体誰なんだよ!」
「儂が誰かも知らずに……良い度胸じゃな。儂は庄兵衛と言ってのう、この辺で金貸しをやっておる」
男はずかずかと近寄ってきては、きり丸と虎吉を鑑定するように見た。
それだけで全身に鳥肌が立ってしまった。
「ほ~う、きちんと顔を見れば、いずれもなかなかの代物ではないか。これなら高く売り飛ばせる」
「なんでおれたちがアンタに売り飛ばされなきゃいけないんだよ!」
「そうだよ、そうだよ。どうしてボクたちがこんな目に遭わなきゃならないのさ!」
それを聞いて、庄兵衛は馬鹿にしたように笑った。
「そうはいってもしょうがないんじゃ。お前さんたちは借金のカタに売られることになったんだからのう」
「はぁ?借金って誰のだよ!」
「こいつさ」
男が顎を使って指示を出せば、手下の一人が男を連れてくる。
きり丸と虎吉の両眼が大きく開いた。
「「慎さん!」」
名を呼ばれても、慎太郎は俯いたまま目を合わせようともしなかった。
慎太郎の影のように、黒装束の忍者が背後に控えている。
慎太郎が変な真似をしでかさないように、と見張り役を担っていた。
「ねぇ、どういうことなの、慎さん?」
「何かの間違いだよねぇ、慎さん!」
慎太郎と目が合う。
その変貌ぶりに息が止まった。
相当殴られたようで、おたふくのように膨れた頬と腫れぼったい眼が痛ましい。
慎太郎はしばらく苦渋に満ちた顔で黙っていたが、やがてやぶれかぶれというように一気に言った。
「すまねぇ!妹が……お柳が助かるためにはこうするしかなかったんだ!」
きり丸は後頭部を金槌で殴られたような心地だった。
「どういうことだよ、全然わかんないよ……俺たちを売るって嘘だよね?何で?何かの間違いだよね……?」
きり丸は泣き笑いのような顔で聞き返した。
だが、横から入った庄兵衛が醜悪な笑みを浮かべながら言う。
「間違いなんかじゃない。こいつは儂が貸した十五貫を期限までにきっちり返すことができなかった。だから」
「ちがう!俺が借りたのは十貫に間違いなかった!」
「うるさい!」
庄兵衛の怒号を合図に、忍者の男が慎太郎を地面に抑えつける。
もがく慎太郎の頭を、庄兵衛がぐりぐりと踏みつけた。
「妹は渡せない。その代わり、ふたりほど身売りに出せる子どもがいるから、それでを打たないかと持ち掛けてきたのはお前さんじゃないか」
「うっ……」
庄兵衛とのやりとりから察するに、慎太郎は何らかの罠に嵌められたのかもしれない、ときり丸は思った。
妹の代わりに自分たちを差し出す提案をしたのは、自分たちがいなくなっても悲しむ親のいない、孤児だったからだろう。
慎太郎の立場を考えれば、そうするしかなかったのかもしれない。
しかし、いくら後がない状況だったにしろ、尊敬していた彼に、自分と虎吉を売るなんてことをしてほしくなかった。
慎太郎は土まみれの顔を庄兵衛に向けた。
「庄兵衛様、約束してくれますよね。これで、お柳からは一切手を引いてくれると……」
慎太郎の必死の乞いに対し、庄兵衛から返ってきたのは嘲笑だった。
「どこまでもめでたい奴だ。儂がお柳を諦めるわけがなかろう」
「な……!」
「初めてお柳を見たのは三歳だったかのう。大人ですら目に瞠るほど顔立ちが良くて、この娘なら色街で高く買い取ってくれると確信したんじゃ」
「そ、そんなっ……それじゃ、アンタ最初から……俺を嵌めるつもりで」
「嵌めたのではない。借りたもんを返せない、貧乏なお前が悪いだけじゃ」
「ちくしょう……ちくちょう……!」
屈辱的な体制のまま、むせび泣く慎太郎を見て、庄兵衛の口角が吊り上がる。
他人の不幸が楽しみでしょうがないという、鬼畜の笑みを見せていた。
「あの堅物な殿様に説教を食らってからというもの、しぶしぶ普通の金貸しに戻ったはいいが、評判もがた落ちでどん底じゃった。そんな折にお前さんから相談を受けたときに、良い考えが浮かんでのう。ちと特別な 証書を用意させてもらった」
「てめぇ……!やっぱり、あの証書になんか仕掛けてたんだな!」
「ホッホッホ。お前さんだけじゃないぞ。似たような境遇の孤児たちも同じように助けていけば、巷に流れていた悪い噂はすぐに消えてのう。感謝しておる。本当にお前さんを選んで大正解じゃった。妹を引き取れる上に、イキのいい子どもをふたりも連れてきてくれて」
庄兵衛が薄汚い狸面をきり丸たちに向けてきた。
「お前たちは、都から近い北西の茶屋に売りつけてやろう。あのあたりは大きな寺が多いから、美童として坊さんたちにさぞ可愛がられるじゃろうな。ひょっとしたら先週売り飛ばした姉妹よりも、高い値がつくかもしれん……ヒヒッ」
庄兵衛が言ったのは、男色を売る陰間茶屋のことだった。
坊主の女犯 の罪は重いから、若衆と呼ばれる元服前の少年を相手にすることは世間に多い。
これまでの庄兵衛の言葉から推察すると、彼は世間の目を欺いて今もなお人商いを続けているようだった。
「きり丸兄ちゃん!ボクたち売られちゃうの!?」
隣で喚く虎吉に比べ、きり丸はまだ冷静だった。
今頃、天鬼と空は帰りの遅い自分を怪訝に思っているだろう。
ふたりが探し出してくれるという希望がある。
しかし、二人はここまでたどり着けるだろうか。
慎太郎と因縁のある金貸しの家にいるなんて、何も事情を知らない二人がすぐに手がかりを得るとは思えない。
半助のように優しい人間から裏切られた。
流れ弾に当たったようなこの災難は、自らの行いが招いたものかもしれない。
今振り返っても、ふたりにとった態度は酷かった。
――おれって……やっぱり要らない子なのかもな。
きり丸の眼から光が消えている。
果てしない絶望に蝕まれていた。
(馬鹿だよな……おれ……)
湿っぽい空気が漂うも、庄兵衛にはまるで関係ないようで、傍に居る忍者に尋ねた。
「ところで隼丸 、肝心のお柳はどうなっておる?邪魔者が入って逃げていると聞いたが……」
「それが……何者かに撒かれたようで」
「何がなんでも探し出せ!あいつがいなければ、折角の計画がパアになるからな」
その一言に、慎太郎の我慢の糸が切れたようだった。
「庄兵衛!お前だけでも殺してやる!」
目が血走っている。
烏丸という忍者に抑えつけられていても、慎太郎の気迫は凄まじく、庄兵衛がたじろぐものだった。
「フン、弱い犬が良く吠えおる。ちなみになぁ、お前さんのように邪魔になった者の行き先は皆同じだ。おい、隼丸。いつものようにやれ」
「くそっ、放せよ!お前だけは絶対に許さねぇ!」
だが、慎太郎の叫びもむなしく、上にのしかかった隼丸が懐から短刀を取り出す。
月の光が刃を妖しく照らした。
「慎さん!」
隼丸が刀を振り下ろしたときだった。
どこからともなく小さな物体が飛んできて、地面に落ちた。
すると、もくもくと白煙がたちこめて、視界が遮られる。
「な、何事だ!?」
「全然前が見えねぇ」
「げほっ、げほっ」
周囲を見回しながら、きり丸はハッとする。
この煙玉はもしかして。
駆け付けてくれた人物に心当たった瞬間、自身を縛っていた縄がプツリと斬られた。
「天鬼さん!」
振り返ると、全身を白装束で包み、眼だけをむき出しにした天鬼がいた。
初めて見たときはおっかなく不気味に思えた装いだけど、今日ほど心強く感じたことはない。
――無事でよかった。
糸のような細い目に安堵の色が浮かんでいる。
天鬼はそばにいた虎吉の縄も急いで斬ると、子どもたちの手をとって、白煙の届かない方へ連れて行く。
「お前たちはここの茂みに隠れていろ。すぐに決着をつける」
天鬼はきり丸たちに背を向けるやいなや、もう一度白煙の中へ飛び込んでいった。
全身から冷えが立ち上ってきて我慢できずに目を開ける。
けれど、真っ暗で何も見えなかった。
(ここは……どこだっけ……?)
もやがかった頭でゆっくりと情報を整理する。
自分は乾いた土の上に寝かされ、後ろ手の状態で拘束されている。
ここは半助の家でも材木屋でもない、見知らぬ場所――
暗闇に目が慣れてきた頃には、今置かれた状況が更に把握できた。
すぐ隣には、自分と同じような格好の、まだ目を覚ましていない虎吉がいる。
天窓の向こうには銀盆のような月が見えるから、時刻は戌の刻(午後八時)頃だろう。
建物の内装から判断して、ここがどこかの蔵であることに間違いなかった。
(何でおれたちはこんなところにいるんだ……?)
記憶を辿っているうちに、首のあたりに痺れがはしって顔をしかめた。
その痺れが切欠となって、きり丸は自分の身に振りかかったことを思いだした。
(そうだ、確かおれたちは……)
今日も何事もなく仕事を終え、虎吉と帰路についていたときのこと。
人気のない田舎道を歩いていると、五、六間先で道祖神に手を合わせている人物がいる。
きり丸も虎吉も仰天した。
「「慎さん!?」」
風邪で寝込んでいると聞いていたのに、どうしてこんな辺鄙な場所にいるのかわからない。
それに、遠くだからはっきりと確認できないが、慎太郎の顔に青痣があるようだ。
一体何が起こったのだろう。
ふつふつと疑問が沸いてくるが、それでも会えた嬉しさに足は弾みだしていた。
「慎さーん!」
徐々に距離が詰まり、あともう少しというところで、首にチクリとした痛みがはしった。
視界がぐにゃりと歪む。
立て続けに、身体が痺れて動かない。
「なんだ……これ?」
意識もおぼつかなくなってきて、とうとうその場に転んでしまった。
どさりと音がしたから、虎吉も同様の事態らしい。
――ごめんな。
眼が閉じり切る直前、頭上からそんな言葉がふりかかった。
きり丸は黙々と思考をめぐらしていた。
(おそらく、おれたちを襲った人物は忍者だ……)
虎吉の首元に細い針が刺さっているのが確認できたから、敵は吹き矢の使い手に間違いない。
意識を失う様、絶妙に調合した薬に関しても、素人の腕では考えられなかった。
どうして自分たちが襲われたのか。
慎太郎があそこにいたのは偶然なのだろうか。
考えれば考えるほど糸がもつれていくようで、埒が明かない。
とにかく、一刻も早くここを脱出するべきだ。
「おい、虎吉、おきろ」
しつこく耳元で呼び続けていると、やがて虎吉の瞼がピクリと動き出した。
「ん……どうしたの……きり丸兄ちゃん……あれ?」
気だるそうに話していた虎吉だったが、身体の自由がきかないとわかれば、重たそうな瞼を瞬時に持ち上げた。
「え?なにこれ?どうして、おれたち縛られちゃってるの!?誰か、誰か来て!」
「バカ、大声出すなよ!」
最悪なことに蔵の外には見張りがいたらしい。
バタバタと土を蹴る音が大きくなったかと思えば、唐突に蔵の戸の
「やっとお目覚めか」
両開きの戸を開けると、ざっと見十人くらいの男たちがいた。
風貌からも明らかにゴロツキだとわかる連中で、思わず虎吉と身を寄せ合う。
男たちに刃物で脅されながら、きり丸と虎吉は一旦蔵の外に出される。
ここはどこぞの金持ちの家のようで、母屋らしき建物の前に大きな庭を構えている。
「座れ」とドスの利いた声で言われ、仕方なくその場に腰を下ろせば、まるで御白州で取り調べを受ける罪人のような心地になった。
男たちの間を割る様に、一人の老人が
老人は背こそ低いが、でっぷりと肥えていた。
上質な木綿の着物を羽織ってるのに、それにそぐわぬ品のない狸のような顔が不調和で滑稽だった。
豊かな生活を送っているらしく、見てくれからなんとなく商人だと判断できた。
「おい、おっさん、アンタ一体誰なんだよ!」
「儂が誰かも知らずに……良い度胸じゃな。儂は庄兵衛と言ってのう、この辺で金貸しをやっておる」
男はずかずかと近寄ってきては、きり丸と虎吉を鑑定するように見た。
それだけで全身に鳥肌が立ってしまった。
「ほ~う、きちんと顔を見れば、いずれもなかなかの代物ではないか。これなら高く売り飛ばせる」
「なんでおれたちがアンタに売り飛ばされなきゃいけないんだよ!」
「そうだよ、そうだよ。どうしてボクたちがこんな目に遭わなきゃならないのさ!」
それを聞いて、庄兵衛は馬鹿にしたように笑った。
「そうはいってもしょうがないんじゃ。お前さんたちは借金のカタに売られることになったんだからのう」
「はぁ?借金って誰のだよ!」
「こいつさ」
男が顎を使って指示を出せば、手下の一人が男を連れてくる。
きり丸と虎吉の両眼が大きく開いた。
「「慎さん!」」
名を呼ばれても、慎太郎は俯いたまま目を合わせようともしなかった。
慎太郎の影のように、黒装束の忍者が背後に控えている。
慎太郎が変な真似をしでかさないように、と見張り役を担っていた。
「ねぇ、どういうことなの、慎さん?」
「何かの間違いだよねぇ、慎さん!」
慎太郎と目が合う。
その変貌ぶりに息が止まった。
相当殴られたようで、おたふくのように膨れた頬と腫れぼったい眼が痛ましい。
慎太郎はしばらく苦渋に満ちた顔で黙っていたが、やがてやぶれかぶれというように一気に言った。
「すまねぇ!妹が……お柳が助かるためにはこうするしかなかったんだ!」
きり丸は後頭部を金槌で殴られたような心地だった。
「どういうことだよ、全然わかんないよ……俺たちを売るって嘘だよね?何で?何かの間違いだよね……?」
きり丸は泣き笑いのような顔で聞き返した。
だが、横から入った庄兵衛が醜悪な笑みを浮かべながら言う。
「間違いなんかじゃない。こいつは儂が貸した十五貫を期限までにきっちり返すことができなかった。だから」
「ちがう!俺が借りたのは十貫に間違いなかった!」
「うるさい!」
庄兵衛の怒号を合図に、忍者の男が慎太郎を地面に抑えつける。
もがく慎太郎の頭を、庄兵衛がぐりぐりと踏みつけた。
「妹は渡せない。その代わり、ふたりほど身売りに出せる子どもがいるから、それでを打たないかと持ち掛けてきたのはお前さんじゃないか」
「うっ……」
庄兵衛とのやりとりから察するに、慎太郎は何らかの罠に嵌められたのかもしれない、ときり丸は思った。
妹の代わりに自分たちを差し出す提案をしたのは、自分たちがいなくなっても悲しむ親のいない、孤児だったからだろう。
慎太郎の立場を考えれば、そうするしかなかったのかもしれない。
しかし、いくら後がない状況だったにしろ、尊敬していた彼に、自分と虎吉を売るなんてことをしてほしくなかった。
慎太郎は土まみれの顔を庄兵衛に向けた。
「庄兵衛様、約束してくれますよね。これで、お柳からは一切手を引いてくれると……」
慎太郎の必死の乞いに対し、庄兵衛から返ってきたのは嘲笑だった。
「どこまでもめでたい奴だ。儂がお柳を諦めるわけがなかろう」
「な……!」
「初めてお柳を見たのは三歳だったかのう。大人ですら目に瞠るほど顔立ちが良くて、この娘なら色街で高く買い取ってくれると確信したんじゃ」
「そ、そんなっ……それじゃ、アンタ最初から……俺を嵌めるつもりで」
「嵌めたのではない。借りたもんを返せない、貧乏なお前が悪いだけじゃ」
「ちくしょう……ちくちょう……!」
屈辱的な体制のまま、むせび泣く慎太郎を見て、庄兵衛の口角が吊り上がる。
他人の不幸が楽しみでしょうがないという、鬼畜の笑みを見せていた。
「あの堅物な殿様に説教を食らってからというもの、しぶしぶ普通の金貸しに戻ったはいいが、評判もがた落ちでどん底じゃった。そんな折にお前さんから相談を受けたときに、良い考えが浮かんでのう。ちと
「てめぇ……!やっぱり、あの証書になんか仕掛けてたんだな!」
「ホッホッホ。お前さんだけじゃないぞ。似たような境遇の孤児たちも同じように助けていけば、巷に流れていた悪い噂はすぐに消えてのう。感謝しておる。本当にお前さんを選んで大正解じゃった。妹を引き取れる上に、イキのいい子どもをふたりも連れてきてくれて」
庄兵衛が薄汚い狸面をきり丸たちに向けてきた。
「お前たちは、都から近い北西の茶屋に売りつけてやろう。あのあたりは大きな寺が多いから、美童として坊さんたちにさぞ可愛がられるじゃろうな。ひょっとしたら先週売り飛ばした姉妹よりも、高い値がつくかもしれん……ヒヒッ」
庄兵衛が言ったのは、男色を売る陰間茶屋のことだった。
坊主の
これまでの庄兵衛の言葉から推察すると、彼は世間の目を欺いて今もなお人商いを続けているようだった。
「きり丸兄ちゃん!ボクたち売られちゃうの!?」
隣で喚く虎吉に比べ、きり丸はまだ冷静だった。
今頃、天鬼と空は帰りの遅い自分を怪訝に思っているだろう。
ふたりが探し出してくれるという希望がある。
しかし、二人はここまでたどり着けるだろうか。
慎太郎と因縁のある金貸しの家にいるなんて、何も事情を知らない二人がすぐに手がかりを得るとは思えない。
半助のように優しい人間から裏切られた。
流れ弾に当たったようなこの災難は、自らの行いが招いたものかもしれない。
今振り返っても、ふたりにとった態度は酷かった。
――おれって……やっぱり要らない子なのかもな。
きり丸の眼から光が消えている。
果てしない絶望に蝕まれていた。
(馬鹿だよな……おれ……)
湿っぽい空気が漂うも、庄兵衛にはまるで関係ないようで、傍に居る忍者に尋ねた。
「ところで
「それが……何者かに撒かれたようで」
「何がなんでも探し出せ!あいつがいなければ、折角の計画がパアになるからな」
その一言に、慎太郎の我慢の糸が切れたようだった。
「庄兵衛!お前だけでも殺してやる!」
目が血走っている。
烏丸という忍者に抑えつけられていても、慎太郎の気迫は凄まじく、庄兵衛がたじろぐものだった。
「フン、弱い犬が良く吠えおる。ちなみになぁ、お前さんのように邪魔になった者の行き先は皆同じだ。おい、隼丸。いつものようにやれ」
「くそっ、放せよ!お前だけは絶対に許さねぇ!」
だが、慎太郎の叫びもむなしく、上にのしかかった隼丸が懐から短刀を取り出す。
月の光が刃を妖しく照らした。
「慎さん!」
隼丸が刀を振り下ろしたときだった。
どこからともなく小さな物体が飛んできて、地面に落ちた。
すると、もくもくと白煙がたちこめて、視界が遮られる。
「な、何事だ!?」
「全然前が見えねぇ」
「げほっ、げほっ」
周囲を見回しながら、きり丸はハッとする。
この煙玉はもしかして。
駆け付けてくれた人物に心当たった瞬間、自身を縛っていた縄がプツリと斬られた。
「天鬼さん!」
振り返ると、全身を白装束で包み、眼だけをむき出しにした天鬼がいた。
初めて見たときはおっかなく不気味に思えた装いだけど、今日ほど心強く感じたことはない。
――無事でよかった。
糸のような細い目に安堵の色が浮かんでいる。
天鬼はそばにいた虎吉の縄も急いで斬ると、子どもたちの手をとって、白煙の届かない方へ連れて行く。
「お前たちはここの茂みに隠れていろ。すぐに決着をつける」
天鬼はきり丸たちに背を向けるやいなや、もう一度白煙の中へ飛び込んでいった。
