わたしの軍師さま~きり丸との確執編~
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「兄が仕事を休む一日前のことです。その日、兄は仕事が終わると、真っ先に庄兵衛様のお屋敷に向かいました。最後の返済と長年お世話になった礼を伝えようと……」
ようやく、長かった借金生活が終わる。
顔を輝かせて屋敷の門を通り抜ける信一郎に待っていたのは、底なし沼に落とされたような衝撃だった。
「兄が持っていた借金の証文には、間違いなく十貫と記してあったし、あたしもこの目でしかと見ました。けれど、屋敷についてからそれを開くと十五貫に変わっていたそうです」
「成程」
それだけ聞けば、相手のやり口に大体の見当がつく。
屋敷に来た、もしくは来る直前に増額した証文とすり替えたのか、或いは証文自体に何らかの細工を施していたのだろう。
「いずれにせよ、お前たち兄妹は騙 られたわけだな」
お柳は歯がゆそうに小さく頷いた。
右目の包帯に手を当てながら、小さな身体に溜めていた想いを滔々 と語り出した。
「兄はずっと悔いていました。十年前のあの夜、自分がいち早く夜盗に気づいていれば、お前の綺麗な瞳を傷つけることがなかったのに、って……あのとき、あたしは兄を守ろうと必死だったから、傷なんてついても全然平気だったのに……」
「……」
「本当は治療なんてしなくても良かったんです。でも、あたしが痛みを我慢する姿や、化膿していく傷口を見ると耐えられなくなったのでしょう。兄は治療費のために多くの金貸しに掛け合いました。ですが、救いの手を差し伸べたのは当時評判を落とされてた庄兵衛様だけ。皮肉なものですね、周りはいくらあたしたちの身の上を心配しようが、出すのは口ばかりで……」
庄兵衛のおかげで、当面の生活費も傷に効く軟膏も手に入れることができたと、お柳は感謝している。
当時自分たちのような寄る辺 の無い子どもらに限り、庄兵衛は利息もとらずに金を貸したということで、後に彼を非難する者はいなくなったとも言い添えた。
天鬼には慎太郎の気持ちが痛いほどわかった。
まだ小さかったお柳だが、成長すればゆくゆくは嫁に行く。
いつか女としての幸せを掴んでほしい。
そのために、法外な治療費を払ってでも、お柳の身体にできるだけ傷を残したくなかったのだろう。
お柳の話はまだ続く。
庄兵衛の屋敷から戻ると、慎太郎は身体中に痣をつくっていた。
証文の内容に納得できないと異を唱えれば、庄兵衛の手下たちに忽ち取り囲まれて袋叩きにあった。
這いつくばる兄の耳元で「払えない分はお柳で手を打とう」と庄兵衛が囁いたらしい。
庄兵衛は初めからお柳を手に入れる気でいたのだ。
天鬼はお柳に対面して、そう確信した。
片目を失くしていようが、齢十三にあるお柳は、年齢相応のあどけなさが残っていても、並外れた美貌を持っている。
色白で薄幸そうな雰囲気が淡雪を連想させる少女で、もう少し時が経てば大輪の花を咲かせるだろう。
下世話な推測だが、女衒 に売り飛ばせば、大層な値で取引されるに違いない。
「その後、兄は一旦はここに帰ってきましたが……夜が明けると、もう一度庄兵衛様のお屋敷へ向かいました。『もう一度あって話をつけてくる』と」
「……」
「あたしは兄を止めたんです。もう十分に兄から尽くしてもらいました。女衒行きだってとうに覚悟していて……なのに、兄は頑として聞き入れず……そればかりか、とても恐ろしいことを呟いてて……」
「恐ろしいこと?」
「お前を守るためなら、俺は地獄に落ちようが構わない、と」
慎太郎は庄兵衛と刺し違えるつもりなのか。
いや、違う。
この言葉には何かもっと残酷な決意が隠されているような気がする。
「兄は……この家から一歩も出るな。たとえ、親方たちがきても理由をつけて追い返せ。絶対に戻ってくる。そう言って飛び出していきました。それから今日までずっと生きた心地がしませんでした。何だか兄がとんでもないことをしでかしそうで……」
「……」
「一瞬親方に相談しようとも思いましたが、もう既に世話をかけっぱなしで、これ以上金の無心はできません。でも、こんなこと誰にも相談できないし、あたしあたし……」
「……」
「お兄ちゃんに何かあったら、どうしよう……」
再び泣きじゃくるお柳に、天鬼が言った。
「よく話してくれた。安心しろ、私はお前の味方だ。これ以上悪徳な金貸しを野放しにはしない」
「天鬼さん……」
「だが、その前に一旦ここを引き払う必要がある」
「え?」
天鬼はすっくと立ちあがり、上がり框の直前まで歩き進んだ。
「慎太郎殿がどういう交渉をしに行ったかはしらんが、あいつらは約束を破る気満々らしい……そこから離れるな」
言うなり、戸が荒々しく開いた。
***
「ん?なんだぁ、お前は!?」
真っ先に目にしたのが目当てのお柳ではなかったからか、来訪者たちは面をくらったようだった。
天鬼と相対したのは二人組の男。
いずれも表情も気配も険しく、とても堅気の人間とは思えない。
十中八九、庄兵衛の差し金でお柳を攫いにきたのだろう。
虚をつかれて短く顔を見合っていた男たちが、忽ち気色ばんだ。
「おい、そこをどけ!俺たちはお前じゃなくて、お柳ちゃんに用があるんだよ」
男のうち一人が、居丈高に肩をぶつけて横切ろうとする。
その瞬間、エラ張った顔面に肘鉄を食らわせた。
男はたたらを踏んで、地面に倒れる。
「ここは通さん」
「っ……この野郎ぉ!」
もう一人の男が匕首 を振りかざしてきた。
一旦後ろに飛びすさってかわし、そばにあった水瓶の柄杓を拾い、腕めがけて投げつけた。
匕首が手から離れるのが確認できれば、即座に間合いを詰めて、鳩尾 を突く。
「ぐぁっ……」
男の身体がぐらつき、どさりと鈍い音を立てて転んだ。
直後、路地にはみ出した男を見て、外の女房たちの声が騒がしくなった。
「ここにいたら狙われる。逃げるぞ」
天鬼は茫然とするお柳を抱えて走り出した。
庄兵衛の屋敷に行く前に、まずはお柳の安全を確保するのが先決だった。
――一旦この町を脱出して、空に匿ってもらおう。
運よく通りがかった茶店で馬借たちが休憩していたので、馬を一頭借りた。
更なる追手を撒くべく、わざと迂回して町に戻った。
その時分には日はとっぷりと暮れ、淡く光る月が顔をのぞかせていた。
前に座っているお柳の首が折れている。
憔悴しきっていた身体を馬に揺らされ、眠りに誘われたようだ。
家に近づくにつれ、空と隣のおばちゃんが表に立っているのが見えた。
存外に帰りが遅くなったので、心細くなった空がおばちゃんに相談したのだろう。
迫りくる蹄 の音でこちらに気づいたようだ。
「天鬼様!」
「遅くなってすまない。色々とあってな」
「天鬼様、その方はもしかして……?」
「ああ、慎太郎殿の妹だ。空、残念ながらお前の勘は当たったようだ」
そう言うと、空は愕然と開いた口を手で抑えた。
寝入ったお柳を隣のおばちゃんに託し、馬上のまま、かいつまんで経緯を話す。
「そういうわけで、空ときり丸でこの子を頼む」
「ま、待ってください!実はまだ、きりちゃんお家に帰ってきてないんです!」
「何!?」
「こんなこと今までになくて心配で……あまりに遅いから、少し前にきりちゃんのお友達が住んでるお寺をあたってみたんです。でも、寺の和尚さまもお友達が帰ってきていない、って同じように心配されてて……」
バイトを終えても家で内職をするのが日課だから、きり丸が道草を食うなんてありえない。
青くなる空の顔を見ながら、天鬼の脳裏にはお柳の話に出てきた言葉が浮かぶ。
――お前を守るためなら、俺は地獄に落ちようが構わない
「慎太郎殿……馬鹿な真似を!」
天鬼は力強く鐙 を蹴って、馬を疾駆させた。
ここ最近、きり丸は半助の面影を慎太郎に重ねていた。
それ故、思い描いた想像が現実となれば、それはきり丸にとってあまりにも残酷すぎる。
(きり丸……!)
天鬼の頬を冷ややかな汗が伝う。
閑静な夜の町に、馬の蹄がけたたましく響いた。
ようやく、長かった借金生活が終わる。
顔を輝かせて屋敷の門を通り抜ける信一郎に待っていたのは、底なし沼に落とされたような衝撃だった。
「兄が持っていた借金の証文には、間違いなく十貫と記してあったし、あたしもこの目でしかと見ました。けれど、屋敷についてからそれを開くと十五貫に変わっていたそうです」
「成程」
それだけ聞けば、相手のやり口に大体の見当がつく。
屋敷に来た、もしくは来る直前に増額した証文とすり替えたのか、或いは証文自体に何らかの細工を施していたのだろう。
「いずれにせよ、お前たち兄妹は
お柳は歯がゆそうに小さく頷いた。
右目の包帯に手を当てながら、小さな身体に溜めていた想いを
「兄はずっと悔いていました。十年前のあの夜、自分がいち早く夜盗に気づいていれば、お前の綺麗な瞳を傷つけることがなかったのに、って……あのとき、あたしは兄を守ろうと必死だったから、傷なんてついても全然平気だったのに……」
「……」
「本当は治療なんてしなくても良かったんです。でも、あたしが痛みを我慢する姿や、化膿していく傷口を見ると耐えられなくなったのでしょう。兄は治療費のために多くの金貸しに掛け合いました。ですが、救いの手を差し伸べたのは当時評判を落とされてた庄兵衛様だけ。皮肉なものですね、周りはいくらあたしたちの身の上を心配しようが、出すのは口ばかりで……」
庄兵衛のおかげで、当面の生活費も傷に効く軟膏も手に入れることができたと、お柳は感謝している。
当時自分たちのような寄る
天鬼には慎太郎の気持ちが痛いほどわかった。
まだ小さかったお柳だが、成長すればゆくゆくは嫁に行く。
いつか女としての幸せを掴んでほしい。
そのために、法外な治療費を払ってでも、お柳の身体にできるだけ傷を残したくなかったのだろう。
お柳の話はまだ続く。
庄兵衛の屋敷から戻ると、慎太郎は身体中に痣をつくっていた。
証文の内容に納得できないと異を唱えれば、庄兵衛の手下たちに忽ち取り囲まれて袋叩きにあった。
這いつくばる兄の耳元で「払えない分はお柳で手を打とう」と庄兵衛が囁いたらしい。
庄兵衛は初めからお柳を手に入れる気でいたのだ。
天鬼はお柳に対面して、そう確信した。
片目を失くしていようが、齢十三にあるお柳は、年齢相応のあどけなさが残っていても、並外れた美貌を持っている。
色白で薄幸そうな雰囲気が淡雪を連想させる少女で、もう少し時が経てば大輪の花を咲かせるだろう。
下世話な推測だが、
「その後、兄は一旦はここに帰ってきましたが……夜が明けると、もう一度庄兵衛様のお屋敷へ向かいました。『もう一度あって話をつけてくる』と」
「……」
「あたしは兄を止めたんです。もう十分に兄から尽くしてもらいました。女衒行きだってとうに覚悟していて……なのに、兄は頑として聞き入れず……そればかりか、とても恐ろしいことを呟いてて……」
「恐ろしいこと?」
「お前を守るためなら、俺は地獄に落ちようが構わない、と」
慎太郎は庄兵衛と刺し違えるつもりなのか。
いや、違う。
この言葉には何かもっと残酷な決意が隠されているような気がする。
「兄は……この家から一歩も出るな。たとえ、親方たちがきても理由をつけて追い返せ。絶対に戻ってくる。そう言って飛び出していきました。それから今日までずっと生きた心地がしませんでした。何だか兄がとんでもないことをしでかしそうで……」
「……」
「一瞬親方に相談しようとも思いましたが、もう既に世話をかけっぱなしで、これ以上金の無心はできません。でも、こんなこと誰にも相談できないし、あたしあたし……」
「……」
「お兄ちゃんに何かあったら、どうしよう……」
再び泣きじゃくるお柳に、天鬼が言った。
「よく話してくれた。安心しろ、私はお前の味方だ。これ以上悪徳な金貸しを野放しにはしない」
「天鬼さん……」
「だが、その前に一旦ここを引き払う必要がある」
「え?」
天鬼はすっくと立ちあがり、上がり框の直前まで歩き進んだ。
「慎太郎殿がどういう交渉をしに行ったかはしらんが、あいつらは約束を破る気満々らしい……そこから離れるな」
言うなり、戸が荒々しく開いた。
***
「ん?なんだぁ、お前は!?」
真っ先に目にしたのが目当てのお柳ではなかったからか、来訪者たちは面をくらったようだった。
天鬼と相対したのは二人組の男。
いずれも表情も気配も険しく、とても堅気の人間とは思えない。
十中八九、庄兵衛の差し金でお柳を攫いにきたのだろう。
虚をつかれて短く顔を見合っていた男たちが、忽ち気色ばんだ。
「おい、そこをどけ!俺たちはお前じゃなくて、お柳ちゃんに用があるんだよ」
男のうち一人が、居丈高に肩をぶつけて横切ろうとする。
その瞬間、エラ張った顔面に肘鉄を食らわせた。
男はたたらを踏んで、地面に倒れる。
「ここは通さん」
「っ……この野郎ぉ!」
もう一人の男が
一旦後ろに飛びすさってかわし、そばにあった水瓶の柄杓を拾い、腕めがけて投げつけた。
匕首が手から離れるのが確認できれば、即座に間合いを詰めて、
「ぐぁっ……」
男の身体がぐらつき、どさりと鈍い音を立てて転んだ。
直後、路地にはみ出した男を見て、外の女房たちの声が騒がしくなった。
「ここにいたら狙われる。逃げるぞ」
天鬼は茫然とするお柳を抱えて走り出した。
庄兵衛の屋敷に行く前に、まずはお柳の安全を確保するのが先決だった。
――一旦この町を脱出して、空に匿ってもらおう。
運よく通りがかった茶店で馬借たちが休憩していたので、馬を一頭借りた。
更なる追手を撒くべく、わざと迂回して町に戻った。
その時分には日はとっぷりと暮れ、淡く光る月が顔をのぞかせていた。
前に座っているお柳の首が折れている。
憔悴しきっていた身体を馬に揺らされ、眠りに誘われたようだ。
家に近づくにつれ、空と隣のおばちゃんが表に立っているのが見えた。
存外に帰りが遅くなったので、心細くなった空がおばちゃんに相談したのだろう。
迫りくる
「天鬼様!」
「遅くなってすまない。色々とあってな」
「天鬼様、その方はもしかして……?」
「ああ、慎太郎殿の妹だ。空、残念ながらお前の勘は当たったようだ」
そう言うと、空は愕然と開いた口を手で抑えた。
寝入ったお柳を隣のおばちゃんに託し、馬上のまま、かいつまんで経緯を話す。
「そういうわけで、空ときり丸でこの子を頼む」
「ま、待ってください!実はまだ、きりちゃんお家に帰ってきてないんです!」
「何!?」
「こんなこと今までになくて心配で……あまりに遅いから、少し前にきりちゃんのお友達が住んでるお寺をあたってみたんです。でも、寺の和尚さまもお友達が帰ってきていない、って同じように心配されてて……」
バイトを終えても家で内職をするのが日課だから、きり丸が道草を食うなんてありえない。
青くなる空の顔を見ながら、天鬼の脳裏にはお柳の話に出てきた言葉が浮かぶ。
――お前を守るためなら、俺は地獄に落ちようが構わない
「慎太郎殿……馬鹿な真似を!」
天鬼は力強く
ここ最近、きり丸は半助の面影を慎太郎に重ねていた。
それ故、思い描いた想像が現実となれば、それはきり丸にとってあまりにも残酷すぎる。
(きり丸……!)
天鬼の頬を冷ややかな汗が伝う。
閑静な夜の町に、馬の蹄がけたたましく響いた。
