利吉さんの子守りバイト奮闘記
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その日の晩、利吉は夢を見ていた。
それは記憶の彼方にある、しかし確かに経験した遥か昔の日々のこと――
静かな山奥に佇む、ある一軒家。
そこでは、元気な赤ちゃんの鳴き声がひっきりなしに響いている。
その生後二か月の赤ん坊を、留守を預かる男――利吉の父である伝蔵が必死にあやしていた。
「おーよしよし。どうしたんだ?」
「ふぎゃあ、ふぎゃあ!」
「う~ん、こまったな。お乳は出かける前に飲ませてたし、おしめも取り替えたし……昼寝も十分したはずで……」
あれもこれも試してみたが、赤子の泣きは増すばかり。
途方に暮れたところに、待ちに待った妻が戻って来た。
「おお、帰って来たか!?」
「ただいま……って、あらあら利吉。どうしたんですか?」
「どうしたも何もこの通りだ。いろいろ試したが、まるで効果がなくてな」
「もしかして、」
妻が利吉を縦抱きにして、背中をさする。
しばらく続けていると、利吉の口からプッとげっぷが漏れた。
「やっぱり……この子、げっぷが出なかったのが苦しかったのね」
「なんと!私も試したが、そのときは出なくて……そんなことでずっと泣いておったとは……」
「ウフフ。百戦錬磨の忍者のあなたが、赤子の前では手も足も出ないなんておかしいですわね」
「ううむ、まったくもって、もどかしい!生まれたときから言葉が話せれば、こんな苦労はしなくて済むのに」
「あら、あなた。それは悲しいわ」
「むっ?」
伝蔵が妻を見る。
妻は愛おしげに利吉の頬を撫でていた。
「だって、それじゃあ、親の私たちが成長できないじゃないですか。悩んだり、苦しんだり……経験してみて初めてわかることだってあるんですよ」
「……」
「私だって、この子が産まれたばかりの頃はつきっきりで傍にいて、寝不足ですごく大変だった……だけど、毎日この子と過ごしていると、少しずつ泣いている理由がわかるようになってきたの。そうするとお世話が楽しいし……何より、この子が愛おしくてたまらない。それと同時に、私の両親もこんな苦労をして育ててくれたんだ、て感謝の気持ちが湧いてきたわ」
「……」
「言葉がなくても大丈夫、赤子としっかり向き合いなさい……今はそんな時間を仏様が私たちに用意してくださったんだと思います」
「……」
「それが、仏様が私たちにくれた『喜び』なんですから」
ひとしきり妻の話に耳を傾けていた伝蔵だが、やがてフッと笑った。
「全く、その通りだ。楽な方に逃げようとした自分が情けなくなる」
「あなた……」
伝蔵が妻から利吉を取り上げる。
「よーし、利吉。これからもどんどん私を手こずらせてくれ。お前が何回泣こうが、父は負けないぞ。父は絶対に天からの試練を乗り越えて見せる!」
そう言って、利吉に頬ずりした。
忽ち利吉の瞳に大粒の涙が浮かんできた。
「ふぎゃあ、ふぎゃあ」
「ありゃあ、言ったそばから……。何が気にくわなかったんだろうか?」
「……きっと髭の剃り残しがあるんですよ」
妻に指摘されて、伝蔵が頬に手を当てる。
チクチクとした荒い髭の感触が掌にはしった。
「むっ。これは確かに痛い。それならば」
伝蔵がその場で華麗にターンする。
次の瞬間には、髭が一切ない、つるっともち肌の伝子が現れた。
「ウフフ……これで準備OKぃ。さぁ、利吉ぃ。これでどうかしらぁん?」
伝子に扮した伝蔵がもう一度頬ずりする。
意外(?)にも利吉はキャッキャと嬉しそうに笑っている。
「きゃあ、見て見て!利吉が笑ったわよ、笑ったわよぉん!なんて可愛いのかしらぁん!この可愛さは日本一、いや宇宙一ねぇん♡」
「もう、あなたったら」
夫の女装と親バカぶりに脱力していた妻だったが、その表情は喜びを象っていた。
***
清潔な朝の光が利吉の顔を照らす。
利吉が静かに瞼を持ち上げた。
「……」
しばらく天井を見つめたまま、夢の余韻に浸っている。
(父上、母上……言葉の通じない私に、ああやって、一生懸命向き合ってくれてたんですね……)
利吉は大いに反省していた。
この二日間を振り返ってみれば、自分は上手くやり過ごそうとか、子守のテクニックだけ磨けばいい、とばかり考えていた。
そこに、子どもを可愛がろう、とか世話を楽しもうというような愛情や前向きな姿勢が一切なかったのだ。
(そういった面では、きり丸の方が私よりも随分大人だったんだな……)
きり丸はバタバタしながらも、赤子たち一人一人と丁寧に向き合っていた。
しっかりと表情を観察し、赤子の気持ちを知ろうとした。
それがうまくいかなくても、きり丸は赤子に寄り添い、大らかに構えていた。
自分に足りないものは、子を思いやる慈しみと子に振り回されても動じない余裕。
それは、常に感情より理性を優先した生き方の通弊なのかもしれない。
しかし、利吉の眼はすっきりと澄んでいる。
弱点は克服できる。
この男は一度やると決めたら、とことん突き進むのだ。
「よっし、今日も一日頑張るぞ!」
張りのある声が部屋いっぱいに轟いた。
それは記憶の彼方にある、しかし確かに経験した遥か昔の日々のこと――
静かな山奥に佇む、ある一軒家。
そこでは、元気な赤ちゃんの鳴き声がひっきりなしに響いている。
その生後二か月の赤ん坊を、留守を預かる男――利吉の父である伝蔵が必死にあやしていた。
「おーよしよし。どうしたんだ?」
「ふぎゃあ、ふぎゃあ!」
「う~ん、こまったな。お乳は出かける前に飲ませてたし、おしめも取り替えたし……昼寝も十分したはずで……」
あれもこれも試してみたが、赤子の泣きは増すばかり。
途方に暮れたところに、待ちに待った妻が戻って来た。
「おお、帰って来たか!?」
「ただいま……って、あらあら利吉。どうしたんですか?」
「どうしたも何もこの通りだ。いろいろ試したが、まるで効果がなくてな」
「もしかして、」
妻が利吉を縦抱きにして、背中をさする。
しばらく続けていると、利吉の口からプッとげっぷが漏れた。
「やっぱり……この子、げっぷが出なかったのが苦しかったのね」
「なんと!私も試したが、そのときは出なくて……そんなことでずっと泣いておったとは……」
「ウフフ。百戦錬磨の忍者のあなたが、赤子の前では手も足も出ないなんておかしいですわね」
「ううむ、まったくもって、もどかしい!生まれたときから言葉が話せれば、こんな苦労はしなくて済むのに」
「あら、あなた。それは悲しいわ」
「むっ?」
伝蔵が妻を見る。
妻は愛おしげに利吉の頬を撫でていた。
「だって、それじゃあ、親の私たちが成長できないじゃないですか。悩んだり、苦しんだり……経験してみて初めてわかることだってあるんですよ」
「……」
「私だって、この子が産まれたばかりの頃はつきっきりで傍にいて、寝不足ですごく大変だった……だけど、毎日この子と過ごしていると、少しずつ泣いている理由がわかるようになってきたの。そうするとお世話が楽しいし……何より、この子が愛おしくてたまらない。それと同時に、私の両親もこんな苦労をして育ててくれたんだ、て感謝の気持ちが湧いてきたわ」
「……」
「言葉がなくても大丈夫、赤子としっかり向き合いなさい……今はそんな時間を仏様が私たちに用意してくださったんだと思います」
「……」
「それが、仏様が私たちにくれた『喜び』なんですから」
ひとしきり妻の話に耳を傾けていた伝蔵だが、やがてフッと笑った。
「全く、その通りだ。楽な方に逃げようとした自分が情けなくなる」
「あなた……」
伝蔵が妻から利吉を取り上げる。
「よーし、利吉。これからもどんどん私を手こずらせてくれ。お前が何回泣こうが、父は負けないぞ。父は絶対に天からの試練を乗り越えて見せる!」
そう言って、利吉に頬ずりした。
忽ち利吉の瞳に大粒の涙が浮かんできた。
「ふぎゃあ、ふぎゃあ」
「ありゃあ、言ったそばから……。何が気にくわなかったんだろうか?」
「……きっと髭の剃り残しがあるんですよ」
妻に指摘されて、伝蔵が頬に手を当てる。
チクチクとした荒い髭の感触が掌にはしった。
「むっ。これは確かに痛い。それならば」
伝蔵がその場で華麗にターンする。
次の瞬間には、髭が一切ない、つるっともち肌の伝子が現れた。
「ウフフ……これで準備OKぃ。さぁ、利吉ぃ。これでどうかしらぁん?」
伝子に扮した伝蔵がもう一度頬ずりする。
意外(?)にも利吉はキャッキャと嬉しそうに笑っている。
「きゃあ、見て見て!利吉が笑ったわよ、笑ったわよぉん!なんて可愛いのかしらぁん!この可愛さは日本一、いや宇宙一ねぇん♡」
「もう、あなたったら」
夫の女装と親バカぶりに脱力していた妻だったが、その表情は喜びを象っていた。
***
清潔な朝の光が利吉の顔を照らす。
利吉が静かに瞼を持ち上げた。
「……」
しばらく天井を見つめたまま、夢の余韻に浸っている。
(父上、母上……言葉の通じない私に、ああやって、一生懸命向き合ってくれてたんですね……)
利吉は大いに反省していた。
この二日間を振り返ってみれば、自分は上手くやり過ごそうとか、子守のテクニックだけ磨けばいい、とばかり考えていた。
そこに、子どもを可愛がろう、とか世話を楽しもうというような愛情や前向きな姿勢が一切なかったのだ。
(そういった面では、きり丸の方が私よりも随分大人だったんだな……)
きり丸はバタバタしながらも、赤子たち一人一人と丁寧に向き合っていた。
しっかりと表情を観察し、赤子の気持ちを知ろうとした。
それがうまくいかなくても、きり丸は赤子に寄り添い、大らかに構えていた。
自分に足りないものは、子を思いやる慈しみと子に振り回されても動じない余裕。
それは、常に感情より理性を優先した生き方の通弊なのかもしれない。
しかし、利吉の眼はすっきりと澄んでいる。
弱点は克服できる。
この男は一度やると決めたら、とことん突き進むのだ。
「よっし、今日も一日頑張るぞ!」
張りのある声が部屋いっぱいに轟いた。