恋人たちの和歌(ラブソング)
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(ああ、いつもの授業ならこう頭を痛めないのになぁ……)
一年は組の生徒に背を向け、板書をしながら土井半助はそんなことを思う。
「ねぇねぇ、『まくらことば』って何だっけ?」
「まくらってついてるだけあって、夜寝るときに使う言葉なんじゃないの?」
「じゃあ、『明日晴れるといいな』とか『歯磨きした?』とか『おやすみなさい』とかってこと~?」
違う、違う、そうじゃないっ!!
と声を大にして叫びたいが、こんなことで気色ばんでいたらこのクラスの担任は務まらない。
半助がくるりと振り返る。
「違うぞ、乱太郎・きり丸・しんべヱ。枕詞って言うのはだな、五音からなる表現技法で、この言葉のあとは必ず決まった単語が来る和歌の約束事を指すんだ。例えば、『あをによし』なら奈良、『しろたへの』なら衣や富士という単語が枕詞の後に続く、ていう具合だ」
そう言うと、三人組はうーんと首を捻っている。
理解できなかったらしい。
(おいおい……)
半助がガクッと肩を落とした。
どうして今、和歌についての授業をしているのか……事の発端は忍術学園恒例の、学園長の思いつき。
職員会議で開口一番、彼は言った。
「明日から一週間……百人一首の強化週間とする!」
当然、職員からは驚声が漏れる。
学園長は続けた。
「なぜ百人一首か……それは忍たまたちに教養を深めてもらいたいと思ったためじゃ。教養を身に着けるメリットは実に多い。幅広い知識を持つことで豊かな意思疎通が可能になるし、不測の事態にも冷静に対応できるようになる。何といっても、柔軟な思考が身につく……忍術学園にいると、つい忍術や武芸に没頭しがちじゃが、それだけではいかん。頭がカチコチになる。それを防ぐにはあらゆることに興味、関心を持ちアンテナを張っておく必要がある。百人一首はあくまでその一つにすぎん」
「……」
「一流忍者とは、多様な経験・知識の積み重ねに成り立つものなんじゃ。ここ忍術学園の生徒には、厳選された和歌をじっくりと吟味することで、教養を高め、ひいては深い洞察力を養って欲しい……それがワシの願いじゃ」
話を聞き終えて、妙に説得力があった。
意外にも筋の通った主張に、隣で反論しようと意気込んでいた二年い組担任の野村雄三はフム…と唸っている。
一理あると思ったのだろう。
しかし、あとから同僚の山田伝蔵から聞けば、どうも三日前に出席した老人会、通称「天才忍者・大川平治渦正を囲む会」が原因らしい。
百人一首に興じているとき、そこで、たまたま知っていただけの和歌のうんちくを披露したら、出席者全員からべた褒めされたということだった。
「まあ、渦正さん!随分、お詳しいんですねぇ。私感動しました……!」
「ううむ、流石は天才忍者たる所以……非の打ちどころがありませぬな!」
「雅 な渦正さんを学園長に持つ忍術学園の生徒さんは、さぞご立派なんでしょうね」
この三番目の台詞がミソだ。
結局のところ、我々教職員も生徒も彼の見栄っ張りに付き合わされているだけだった。
(はぁ……普通の授業がしたい。ただでさえ、我が一年は組は他の二クラスに比べて、後れをとってるというのに)
胸底で一人ごちるが、学園長のワンマンぶりは今に始まったことではない。
そう決まったのなら、粛々と全うするだけだ。
突発的に始まったイベントだが、今回の学園長からは並々ならぬ気迫が感じられる。
学園長が厳選した指定の和歌を各クラスに振り分ける。
それを一週間授業で徹底的に議論し、歌の考察等を各自レポートにまとめて提出しなければならない。
驚くべきことに、そのレポートを我々教職員ではなく、学園長自らチェックするという。
経緯はどうであれ、生徒たちの教養を高めたいという願いは本物らしい。
しかし、ここ、一年は組には大きな問題がある。
本題の和歌に入る前に、彼らには知識が足りなさ過ぎた。
というわけで、第一回目の今日は和歌で使われている技巧や、詠まれた時代の文化や背景、生活様式など超基本的な部分を学習している。
「ねぇ、『通い婚』ってなんだっけ?」
「伊助。通い婚っていうのは夫が妻の家に通う婚姻形態のことだよ。平安時代の貴族は夫婦が別々に暮らしていたんだって」
「さっすが庄左エ門!」
庄左エ門が代わりに応えてくれて、半助はほっとした。
が、それも束の間、は組の面々から様々な疑問が飛び交う。
「でもさぁ、この人たち、夫婦なのに何で別々に暮らしてるの?それにさぁ、この通い婚って夜の時間なんでしょ?暮れ時に行って、明け方に帰るんだって」
「おっかしいよねー。相手のところに行くにしても、朝や昼に行けばいいのに」
「大体、夫は夜…妻の家に行って何してるんだろう?」
「暗いからお店はもう閉まってるし、一緒にお出かけはできないよね。お家で歌留多や貝合わせでもやってるの?」
「はにゃ、夜に?それこそ日の出る時間にやったほうがいいじゃん」
「そうだよね~おっかしい。平安時代の人たちてほんと変!理解できないよ」
団蔵、虎若、兵太夫、三治郎、喜三太、金吾がそう言うと、全員部屋が割れんばかりに笑った。
その馬鹿笑いを聞いていると、げんなりとする。
(ああ、課題の歌が「恋」を読んだ歌じゃなかったら、こんな苦労することはなかったのに……よりにもよって、この一年は組に「恋」の歌が当たるとは……)
彼らはまだ十の子ども。
男女の間でどんな恋の駆け引きが、何が行われているかなんて知らないだろう。
これが六年生だったら……講義の際に多少突っ込んだ内容を話しても罪悪感はないが、純真無垢を体現する一年は組の良い子たちの前ではかなり気が引けた。
今も半助は、びくびくしている。
際どい質問が自分に向けられないかと。
「ねぇ、土井先生なら知ってるんじゃない?この時代の人たちが夜何して遊んでいるか。大人だもん!」
「そうだね。質問です、土井先生!」
乱太郎に呼ばれて身体が硬直する。
面と向かっては話にくいので、板書を続けながら返事を返す。
「何だ?」
「男の人と女の人って夜会って何をするんですか?」
「何ってそりゃあ、会話したり、外を散歩するとか……」
「でも、な~んか嘘くさいんですよね。それ。わざわざ夜の時間にしなくても、て感じがしますが」
「いくら訝しく思っても、ひと昔前の貴族の時代はそういう慣習だったから、としか言えん」
「そうなんだ……」
内心ヒヤッとしたが、うまく切り抜けられたようだ。
さっさと別の話題に切り替えようと、乱太郎たちの方を向き直したときだった。
「はい!」としんベヱが溌剌と手を挙げた。
「じゃあ、平安時代はさておいて、土井先生のケースが知りたいです~。土井先生はどうしてるんですか~?」
「はぁ?」
「だって、土井先生には空さんっていう恋人がいるじゃないですか~?お仕事終わった夜会ってますよね~。ボクこの前厠に行く時、土井先生たちがどこかに歩いていくのを見かけたんです~。ねぇ、教えてくださいよ~」
ポキッ
握っていたチョークが音を立てて割れる。
同時に心も折れた。
一年は組の生徒に背を向け、板書をしながら土井半助はそんなことを思う。
「ねぇねぇ、『まくらことば』って何だっけ?」
「まくらってついてるだけあって、夜寝るときに使う言葉なんじゃないの?」
「じゃあ、『明日晴れるといいな』とか『歯磨きした?』とか『おやすみなさい』とかってこと~?」
違う、違う、そうじゃないっ!!
と声を大にして叫びたいが、こんなことで気色ばんでいたらこのクラスの担任は務まらない。
半助がくるりと振り返る。
「違うぞ、乱太郎・きり丸・しんべヱ。枕詞って言うのはだな、五音からなる表現技法で、この言葉のあとは必ず決まった単語が来る和歌の約束事を指すんだ。例えば、『あをによし』なら奈良、『しろたへの』なら衣や富士という単語が枕詞の後に続く、ていう具合だ」
そう言うと、三人組はうーんと首を捻っている。
理解できなかったらしい。
(おいおい……)
半助がガクッと肩を落とした。
どうして今、和歌についての授業をしているのか……事の発端は忍術学園恒例の、学園長の思いつき。
職員会議で開口一番、彼は言った。
「明日から一週間……百人一首の強化週間とする!」
当然、職員からは驚声が漏れる。
学園長は続けた。
「なぜ百人一首か……それは忍たまたちに教養を深めてもらいたいと思ったためじゃ。教養を身に着けるメリットは実に多い。幅広い知識を持つことで豊かな意思疎通が可能になるし、不測の事態にも冷静に対応できるようになる。何といっても、柔軟な思考が身につく……忍術学園にいると、つい忍術や武芸に没頭しがちじゃが、それだけではいかん。頭がカチコチになる。それを防ぐにはあらゆることに興味、関心を持ちアンテナを張っておく必要がある。百人一首はあくまでその一つにすぎん」
「……」
「一流忍者とは、多様な経験・知識の積み重ねに成り立つものなんじゃ。ここ忍術学園の生徒には、厳選された和歌をじっくりと吟味することで、教養を高め、ひいては深い洞察力を養って欲しい……それがワシの願いじゃ」
話を聞き終えて、妙に説得力があった。
意外にも筋の通った主張に、隣で反論しようと意気込んでいた二年い組担任の野村雄三はフム…と唸っている。
一理あると思ったのだろう。
しかし、あとから同僚の山田伝蔵から聞けば、どうも三日前に出席した老人会、通称「天才忍者・大川平治渦正を囲む会」が原因らしい。
百人一首に興じているとき、そこで、たまたま知っていただけの和歌のうんちくを披露したら、出席者全員からべた褒めされたということだった。
「まあ、渦正さん!随分、お詳しいんですねぇ。私感動しました……!」
「ううむ、流石は天才忍者たる所以……非の打ちどころがありませぬな!」
「
この三番目の台詞がミソだ。
結局のところ、我々教職員も生徒も彼の見栄っ張りに付き合わされているだけだった。
(はぁ……普通の授業がしたい。ただでさえ、我が一年は組は他の二クラスに比べて、後れをとってるというのに)
胸底で一人ごちるが、学園長のワンマンぶりは今に始まったことではない。
そう決まったのなら、粛々と全うするだけだ。
突発的に始まったイベントだが、今回の学園長からは並々ならぬ気迫が感じられる。
学園長が厳選した指定の和歌を各クラスに振り分ける。
それを一週間授業で徹底的に議論し、歌の考察等を各自レポートにまとめて提出しなければならない。
驚くべきことに、そのレポートを我々教職員ではなく、学園長自らチェックするという。
経緯はどうであれ、生徒たちの教養を高めたいという願いは本物らしい。
しかし、ここ、一年は組には大きな問題がある。
本題の和歌に入る前に、彼らには知識が足りなさ過ぎた。
というわけで、第一回目の今日は和歌で使われている技巧や、詠まれた時代の文化や背景、生活様式など超基本的な部分を学習している。
「ねぇ、『通い婚』ってなんだっけ?」
「伊助。通い婚っていうのは夫が妻の家に通う婚姻形態のことだよ。平安時代の貴族は夫婦が別々に暮らしていたんだって」
「さっすが庄左エ門!」
庄左エ門が代わりに応えてくれて、半助はほっとした。
が、それも束の間、は組の面々から様々な疑問が飛び交う。
「でもさぁ、この人たち、夫婦なのに何で別々に暮らしてるの?それにさぁ、この通い婚って夜の時間なんでしょ?暮れ時に行って、明け方に帰るんだって」
「おっかしいよねー。相手のところに行くにしても、朝や昼に行けばいいのに」
「大体、夫は夜…妻の家に行って何してるんだろう?」
「暗いからお店はもう閉まってるし、一緒にお出かけはできないよね。お家で歌留多や貝合わせでもやってるの?」
「はにゃ、夜に?それこそ日の出る時間にやったほうがいいじゃん」
「そうだよね~おっかしい。平安時代の人たちてほんと変!理解できないよ」
団蔵、虎若、兵太夫、三治郎、喜三太、金吾がそう言うと、全員部屋が割れんばかりに笑った。
その馬鹿笑いを聞いていると、げんなりとする。
(ああ、課題の歌が「恋」を読んだ歌じゃなかったら、こんな苦労することはなかったのに……よりにもよって、この一年は組に「恋」の歌が当たるとは……)
彼らはまだ十の子ども。
男女の間でどんな恋の駆け引きが、何が行われているかなんて知らないだろう。
これが六年生だったら……講義の際に多少突っ込んだ内容を話しても罪悪感はないが、純真無垢を体現する一年は組の良い子たちの前ではかなり気が引けた。
今も半助は、びくびくしている。
際どい質問が自分に向けられないかと。
「ねぇ、土井先生なら知ってるんじゃない?この時代の人たちが夜何して遊んでいるか。大人だもん!」
「そうだね。質問です、土井先生!」
乱太郎に呼ばれて身体が硬直する。
面と向かっては話にくいので、板書を続けながら返事を返す。
「何だ?」
「男の人と女の人って夜会って何をするんですか?」
「何ってそりゃあ、会話したり、外を散歩するとか……」
「でも、な~んか嘘くさいんですよね。それ。わざわざ夜の時間にしなくても、て感じがしますが」
「いくら訝しく思っても、ひと昔前の貴族の時代はそういう慣習だったから、としか言えん」
「そうなんだ……」
内心ヒヤッとしたが、うまく切り抜けられたようだ。
さっさと別の話題に切り替えようと、乱太郎たちの方を向き直したときだった。
「はい!」としんベヱが溌剌と手を挙げた。
「じゃあ、平安時代はさておいて、土井先生のケースが知りたいです~。土井先生はどうしてるんですか~?」
「はぁ?」
「だって、土井先生には空さんっていう恋人がいるじゃないですか~?お仕事終わった夜会ってますよね~。ボクこの前厠に行く時、土井先生たちがどこかに歩いていくのを見かけたんです~。ねぇ、教えてくださいよ~」
ポキッ
握っていたチョークが音を立てて割れる。
同時に心も折れた。