月灯りふんわり落ちてくる夜

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神様。

私は、縁あって、この過去の世界に来てしまいました。
ですが、生まれ育った元の世界へは、もう二度と戻れません。

その時点で、既に多くのものを失っているのです。
だから、この世界に来てから手に入れた幸せだけは、どうか壊さないでください。
これ以上、私から何も奪わないでください。

私の大切な人が、どうか無事で帰ってきますように―――





望月夜。
漆黒に塗りつぶされた夜空で、月だけが煌々とまばゆい光を放っている。
その月に向かって、目を閉じて静かに祈りを捧げているの姿があった。

やがて、一人の人物がの方へ近づいていく。
の隣に並んだその人物は、気遣うように彼女の肩をポンと叩いた。

「まだ起きとったのか」
「山田先生……」
「心配せんでも、あいつなら絶対帰ってくる」
「はい……」

どことなく元気のないの横で、伝蔵はただ黙って夜空を見る。

「……」

伝蔵がこうして隣にいるだけで、心に広がっていた不安が少し和らいだような気がした。

「それにしても、月が綺麗じゃのう」
「そうですね」
「なんだか神々しい光を放っておる。今日の月は……」

このあと伝蔵が続ける言葉に、は絶句した。

「……なんじゃ?キツネにつままれたような顔をして」
「だって、山田先生がそんなこと言うなんて……ぷ、ぷぷぷ」

は込み上げてくる笑いを必死で抑えている。
月の美しさに心を動かされて、柄にもないことを口走ってしまったと伝蔵は思いっきり後悔した。
赤面している。

「こ、このことは決して誰にも言ってはいかんぞ!」
「フフ……!」
「と、とにかく……半助が帰ってくるのは、二日後のはずだ。さ、部屋に戻ろう。風邪ひくぞ」

はコクリと頷く。
半助のいない夜、は庭で天に浮かぶ月や星を探しては、その光に希望を見出して、すがるように祈りを捧げる。
そんなのことを伝蔵が心配して迎えに来るのも、これまた恒例のことだった。

「むっ」

部屋まで戻ろうとした矢先、ふと伝蔵が何かに気づいた。
少し遠くに、誰かいる。
一瞬構える伝蔵だったが、すぐに警戒を解いた。

その気配は、紛れもなく我が同僚のもの――

思わず伝蔵の口の端が吊り上がった。

「どうやら、私は邪魔者のようだな」
「え?どういうことですか?」
「喜べ、君。今からこの夜空はふたりだけのものだ」

そう言って、伝蔵は一瞬で姿を消してしまった。

「は?ふたりって……?」

は訳が分からず、さっきまで伝蔵が立っていた場所を呆然と見つめることしかできない。
そのときだった。

「まだ起きてたのか」

その一声での周りの空気がガラリと変わった。
自分を包み込もうとするやさしく温かな雰囲気を感じる。
ゆっくり振り向けば、立っていたのは最も会いたかった人物――

「半助さん!」

が一際大きい歓声をあげる。
姿を見てほっとしたのか、瞳からは熱い雫が今にもこぼれだしそうだ。

「よかった……」
「心配し過ぎだよ。今回の任務は偵察だけだと何度も言ったろう」

呆れる半助だが、その表情は嬉しさをあらわにしていた。

「そう言う半助さんだって……偵察のお仕事なのにどうしてそんなに汚れているんですか?服なんか所々破けてるし。それに、帰ってくるのは明後日だったはず、」
「少し、近道してきただけだよ」

一分一秒でも早くに逢いたいと、復路は別のルートを使い、草木生い茂る険しい森の中を疾走してきたのだ。

いつしか二人の距離はほとんどなくなっていた。
は半助の頬へと手を伸ばす。
愛おしげに見つめながら、かすり傷をつくったその頬を撫でていく。

「顔、少し怪我してるじゃないですか」
「このくらい、大したことない。それに……傷がついてもいい男だろう?」
「莫迦……」

そう言って、は半助の腕の中へとおさまっていく。
お互いの息遣い、胸の鼓動、温かい肌の感触、安らぎを覚える匂い…すべてを確認するように長い時間、抱擁を交わす。

目を合わせれば、相手が待ち望んだ言葉をそれぞれ口にした。

「ただいま」
「おかえりなさい」

月の光に包まれるようにして、二人は夜空の下にいた。
その光の中で、ふたつの唇がゆっくりと合わさる。
柔らかな感触。
溶けていくような幸福感が身体の隅々まで行き渡るように流れていく。
唇を重ねながら、「愛している」と二人は心の中で何度も言った。




は寄り添うようにして半助の横に並んでいる。
半助は空の肩をそっと抱き、月を仰いだ。

「綺麗な月だな」
「はい」
「私がいない間、何か変わったことはなかったか?」
「えっと……あ、きりちゃんが煙玉を自作して一稼ぎしようと、煙硝蔵の火薬をこっそりくすねてました。火薬委員会のみんなも私も止めたんですけど、聞かなくて、」

それを聞いて、半助のこめかみに青筋が浮かんだ。

「あいつは徹底的にお仕置きが必要だな!……他には?」
「えっと……ああ!」
「何だ?」
「内緒ですよ。実はさっき山田先生がこんなことを言ってました」

は笑いを押し殺しながら、さっき伝蔵が言った言葉をそっくりそのまま半助に耳打ちする。

『今日の月はやさしさと力強さを湛えていて……まるで希望を与える観音様のようだ。半助みたいだな』

これを聞いて、半助は一瞬ポカンとするが、すぐに大笑いした。

「あ、あ、あの、山田先生が……そんなことを!」
「でしょ、でしょ。聞いたとき、もうびっくりしちゃって!」
「さっきも、『この夜空はふたりだけのもの』とか言ってたしな!」
「山田先生って、意外とロマンチストなのかも!」

止まない二人の笑い声を聞いて、心外だと腹を立てる人物がいる。
少し離れたところで、岩陰に隠れている伝蔵だった。

「誰にも言うなと言ったのに、なんて口の軽い女なんだ!半助もあんなに笑いおって。両方とも覚えておけよ!」

フン!と鼻を鳴らす伝蔵の顔は、鬼灯ほおずきのように火照っていた。
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