春休み、ふたりきり(前編)
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半助によれば、町を出て川を越えた先にこの時期に見頃の花畑があるという。
空たちはそこを目指して出発した。
季節は三月の終わり。
出歩けば、春の訪れを実感できる。
花の匂いが混じった穏やかな風がそよぎ、木々の梢は新芽の色で彩られている。
たわいの無い会話を重ねながら野道を歩いていると、大きな川が流れる土手道に出た。
そこをしばらく歩けば、下の川岸に停止している漕ぎ舟を見つける。
向こう岸に渡るためのものだろう。
その舟に乗ろうとちらほら人が集まっている。
「もうすぐ、出発ですよ~」
岸で客を待つ船頭が声を張り上げる。
「花畑に行くにはこの川を越えなければならない。急ごう」
「はい」
半助にそう言われて、緩やかな傾斜の土手を早足気味に降りる。
船頭は二人の存在に気づき、こっちだ!と手で合図を送ってきた。
船頭の男は還暦を超えたあたりだろうか。
目も眉も垂れ気味の、顔つきのやさしそうな老人である。
長い顎髭 は白く、少し背中が曲がっていた。
半助が慣れた様子で渡し賃を船頭に手渡す。
それを確認し、空はぐらぐらと揺れる船に乗り込もうとする。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
船頭が手を差し伸べてくる。
すると、
「いや、私が運ぶ。川に落ちたら困るからな」
「は、半助さん!」
と船頭のアシストを断った半助にひょいと抱きかかえられてしまった。
急に逞しい腕にくるまれて、顔と顔の距離が近くなって、心臓が爆発しそうになる。
嬉しいが、もう少し人目を気にして欲しいとも空は思った。
現に船頭は呆気にとられたような顔をしているし、周りの視線が痛くてたまらない。
「これはこれは……失礼しました。お嬢さん、随分と大事にされているようじゃのう」
船頭や先に乗っていた船客たちが次々に笑みをこぼす。
「せっかくの厚意を申し訳ない。でも、これは私の役目ですから」
さも当然のように半助が言う。
(半助さんったら……)
他の男が自分に触れようとしたのが嫌だったのだろうか。
あの老いた船頭ですらも。
だとすれば、彼は相当嫉妬深いのかもしれない。
意外な半助の一面を知って、空は心の中で密かに笑った。
向こう岸に居る人が豆粒に見えるほど、川幅は広かった。
船頭が櫓 を左右に捻れば、ゆっくりと舟が前進する。
水面は陽の光を反射して、砕いたダイヤモンドを散りばめたように輝いている。
「すごく綺麗……」
「ああ」
フェリーなどの大型船と違って、小型の舟はよく揺れた。
ほかの乗客はじっと腰を据えているが、空は久方ぶりの舟に大興奮。
子どものようにはしゃいでいた。
「わぁっ……いつの間にか岸から結構離れてる。ねぇ、半助さん。あっちに見えるのは何ですか?」
「こら、あまり身を乗り出すと、」
「だって、良く見えないんだもん……あ!」
突如舟がぐらっと揺れ、その拍子にバランスを崩してしまった。
しかし、次の瞬間にはよく知っている温もりの中にいた。
「ほら、言わんこっちゃない」
やさしい匂いが鼻腔をくすぐる。
空の顔は半助の胸に埋まっていた。
背中には腕が回されている。
「あ、ありがとうございます……」
「私が受け止めていなかったら、今頃川にドボン、だったぞ」
半助は呆れている。
けれど、その瞳の奥のあるのは、溢れそうなほどのやさしさだった。
そのやさしさにときめいたのは、もう何度目だろう。
「半助さん……」
息のかかる距離で見つめられると、せり上がってくる衝動を抑えきれない。
それは半助とて同じなのだろう。
顔が徐々に近づいてくる。
接吻に備えて、空は瞳を閉じた。
だが、
「お兄ちゃんたち、お熱いねぇ」
と船頭のこの一言がふたりの身体を左右に割った。
空は全身を赤くして、縮こまっている。
そうだった。ここは人目のある舟の上。
それを忘れて、恋人たちだけで盛り上がったことを思い返せば、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
空はチラリと半助を見る。
不機嫌そうに頬杖をついていて、彼の苛立ちがよく伝わってくる。
それほどまでに口付けを期待してくれたのだろうか。
苦りきった横顔を見ていると、空の鼓動がひどくかき乱された。
空たちはそこを目指して出発した。
季節は三月の終わり。
出歩けば、春の訪れを実感できる。
花の匂いが混じった穏やかな風がそよぎ、木々の梢は新芽の色で彩られている。
たわいの無い会話を重ねながら野道を歩いていると、大きな川が流れる土手道に出た。
そこをしばらく歩けば、下の川岸に停止している漕ぎ舟を見つける。
向こう岸に渡るためのものだろう。
その舟に乗ろうとちらほら人が集まっている。
「もうすぐ、出発ですよ~」
岸で客を待つ船頭が声を張り上げる。
「花畑に行くにはこの川を越えなければならない。急ごう」
「はい」
半助にそう言われて、緩やかな傾斜の土手を早足気味に降りる。
船頭は二人の存在に気づき、こっちだ!と手で合図を送ってきた。
船頭の男は還暦を超えたあたりだろうか。
目も眉も垂れ気味の、顔つきのやさしそうな老人である。
長い
半助が慣れた様子で渡し賃を船頭に手渡す。
それを確認し、空はぐらぐらと揺れる船に乗り込もうとする。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
船頭が手を差し伸べてくる。
すると、
「いや、私が運ぶ。川に落ちたら困るからな」
「は、半助さん!」
と船頭のアシストを断った半助にひょいと抱きかかえられてしまった。
急に逞しい腕にくるまれて、顔と顔の距離が近くなって、心臓が爆発しそうになる。
嬉しいが、もう少し人目を気にして欲しいとも空は思った。
現に船頭は呆気にとられたような顔をしているし、周りの視線が痛くてたまらない。
「これはこれは……失礼しました。お嬢さん、随分と大事にされているようじゃのう」
船頭や先に乗っていた船客たちが次々に笑みをこぼす。
「せっかくの厚意を申し訳ない。でも、これは私の役目ですから」
さも当然のように半助が言う。
(半助さんったら……)
他の男が自分に触れようとしたのが嫌だったのだろうか。
あの老いた船頭ですらも。
だとすれば、彼は相当嫉妬深いのかもしれない。
意外な半助の一面を知って、空は心の中で密かに笑った。
向こう岸に居る人が豆粒に見えるほど、川幅は広かった。
船頭が
水面は陽の光を反射して、砕いたダイヤモンドを散りばめたように輝いている。
「すごく綺麗……」
「ああ」
フェリーなどの大型船と違って、小型の舟はよく揺れた。
ほかの乗客はじっと腰を据えているが、空は久方ぶりの舟に大興奮。
子どものようにはしゃいでいた。
「わぁっ……いつの間にか岸から結構離れてる。ねぇ、半助さん。あっちに見えるのは何ですか?」
「こら、あまり身を乗り出すと、」
「だって、良く見えないんだもん……あ!」
突如舟がぐらっと揺れ、その拍子にバランスを崩してしまった。
しかし、次の瞬間にはよく知っている温もりの中にいた。
「ほら、言わんこっちゃない」
やさしい匂いが鼻腔をくすぐる。
空の顔は半助の胸に埋まっていた。
背中には腕が回されている。
「あ、ありがとうございます……」
「私が受け止めていなかったら、今頃川にドボン、だったぞ」
半助は呆れている。
けれど、その瞳の奥のあるのは、溢れそうなほどのやさしさだった。
そのやさしさにときめいたのは、もう何度目だろう。
「半助さん……」
息のかかる距離で見つめられると、せり上がってくる衝動を抑えきれない。
それは半助とて同じなのだろう。
顔が徐々に近づいてくる。
接吻に備えて、空は瞳を閉じた。
だが、
「お兄ちゃんたち、お熱いねぇ」
と船頭のこの一言がふたりの身体を左右に割った。
空は全身を赤くして、縮こまっている。
そうだった。ここは人目のある舟の上。
それを忘れて、恋人たちだけで盛り上がったことを思い返せば、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
空はチラリと半助を見る。
不機嫌そうに頬杖をついていて、彼の苛立ちがよく伝わってくる。
それほどまでに口付けを期待してくれたのだろうか。
苦りきった横顔を見ていると、空の鼓動がひどくかき乱された。