9.徒桜
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木々のざわめきが聞こえる。
気になって部屋の戸を開けると、そこには桜の花びらが雪のように舞っている。
(うわぁ、すごく綺麗……!)
花嵐。
そんな表現が似つかわしいほど、春の夜風が吹き荒んでいた。
その年もまた見事に桜が咲いた。
広大な土地を持つ忍術学園の至るところに桜の木々が立っている。
それらがいっせいに開花する様は、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだ、と思えるほど幻想的で美しかった。
忍術学園に咲く桜を見るたびに、この世界に来てよかった――空はそう思う。
最初の春も、そして二度目の今も。
説明のつかない力が働いて、なし崩し的に過去の世界へ連れてこられた。
言うまでもなく、最初の頃はいいことばかりではなかった。
ここでの生活に慣れるまでには相当の時間を要したし、郷愁にも悩まされたりした。
だが、忍術学園で暮らす人々との温かさが、絆が、空に生きる力を与えた。
それでも、ふっと疑問に思うことはある。
自分はなぜこの世界に来たのか――
もうすっかり夢に出てこなくなったが、一時期自分を悩ませていた、不思議な女の正体は――
空はゆっくりと首を振る。
もう自分にはどうでもいいことだ。
たとえ、それらを知ったところで何も変わらない。
この世界で自分の居場所を手に入れたのだから。
(ここで暮らして、もう一年以上も経つんだ……)
文字通り金楽寺に落とされてから、今日に至るまで沢山のことがあった。
目の前で舞う花びらが数々の思い出を乗せては散っていく。
「……」
不思議だった。
今日に限って、こんなにも感傷的な気分に陥る自分が。
(そういえば……)
以前、霊的なものに詳しい知人から聞いた、桜にまつわる話を空は思い出した。
桜は神秘的なものである、
桜は魔物を食らう、
桜は怨霊を鎮める、
桜は人の想いをためる、と――
自分が感傷に浸るのは、桜の持つ幻想的な雰囲気にあてられたからだろう。
今、虚空を見つめる空の瞳は薄桃色の色彩しかとらえていない。
(え……?)
いつしか桜の花びらは奇妙な挙動を示していた。
空の周囲だけを覆うように舞ってから、ある方向へと流れていく。
時折、空に何かを知ってほしいように、桜の花びらがもどかしげに彼女の頬を打った。
(桜の導く方向に、何かある……?)
漠とした思いが心に浮かぶ。
予感――
空は寝衣の上から一枚羽織って、花吹雪の後を追った。
***
「ここは……」
空が着いた場所は、校庭だった。
ここにも無数の桜の木が並んでいる。
夜の闇に花吹雪が乱れ飛ぶ。
その花吹雪の後をついて行くと、やがてとある桜の木に辿りついた。
視線を上げれば、枝の上に影がある。
(何……?)
花灯りの下じっと目を凝らせば、すぐに全貌が明らかになった。
闇に溶けるような黒い忍装束。
その人物を最も特徴づけている、鳶色の跳ねた髪を持つ男が枝に掛けている。
よく知った顔に空がホッとした。
「なぁ~んだ、半助さんじゃないですか。こんなところで何を……」
だが、男は応えない。
ふたりの間を遮るように桜吹雪が流れていく。
すべてが通りすぎて、もう一度男と対面した瞬間、空は驚愕に眼を瞠った。
よく見ると、男の表情には険があった。
さらに、半助にはない、近寄りがたい雰囲気を纏っていて――
(嘘でしょう……どうして……?)
もう二度と逢えないと諦めていたのに。
俄かには信じられなかった。
だが、目の前にいる男は半助であって半助ではない。
間違いなく――
「――」
空が期待を込めながらその名呟くと、男はわずかに口角を上げた。
枝を蹴って地上に降り立つ。
(夢じゃない……!)
ようやく確信が持てた瞬間、我知らず、空は涙を流していた。
歓喜の涙を。
あの騒動から、既に一年以上もの歳月が流れている。
半助やきり丸、忍術学園の皆と幸せに暮らしていようと、一日たりとも彼を忘れたことはない。
どうして今になって彼と再会を果たせたのだろう。
いや、最早理由など考える必要はなかった。
今、こうして目の前にいる、その事実こそがすべてなのだから。
星天に浮かぶ月灯りの下、おびただしいほどの花びらが風とともに揺れていく。
夢の一場面のような空間の中で、ふたりは感慨深げに見つめ合っている。
他の人間にはわからないが、空だけは知っている。
一見、冷たい印象を与えがちなその瞳には、温かさを灯していることを。
「天鬼様ぁ!」
空はたまらずその胸に飛び込んだ。
逞しい両腕が空の身体を包む。
顔を上向け、目を合わせると、開口一番にこう言われた。
「また泣いているのか」
やや低めのテノールの声。
乏しい表情。
いずれもかの人だと実感できて、それがまた涙を誘った。
(天鬼様……)
男の腕の力が強くなる。
それに呼応して、空はぎゅっと身体を密着させた。
抱擁するふたりを祝福するかのように、花びらが彼らを取り囲んだ。
長い時間、ふたりは温もりを確かめ合う。
再会の喜びを噛みしめていた。
やがてヒュウッと一際強い風が吹いて、花びらを一掃する。
直後、ふたりの姿はどこにもなかった。
彼らの行き先を知るのは――頂上ですべてを見ていた夜半の月だけだった。
気になって部屋の戸を開けると、そこには桜の花びらが雪のように舞っている。
(うわぁ、すごく綺麗……!)
花嵐。
そんな表現が似つかわしいほど、春の夜風が吹き荒んでいた。
その年もまた見事に桜が咲いた。
広大な土地を持つ忍術学園の至るところに桜の木々が立っている。
それらがいっせいに開花する様は、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだ、と思えるほど幻想的で美しかった。
忍術学園に咲く桜を見るたびに、この世界に来てよかった――空はそう思う。
最初の春も、そして二度目の今も。
説明のつかない力が働いて、なし崩し的に過去の世界へ連れてこられた。
言うまでもなく、最初の頃はいいことばかりではなかった。
ここでの生活に慣れるまでには相当の時間を要したし、郷愁にも悩まされたりした。
だが、忍術学園で暮らす人々との温かさが、絆が、空に生きる力を与えた。
それでも、ふっと疑問に思うことはある。
自分はなぜこの世界に来たのか――
もうすっかり夢に出てこなくなったが、一時期自分を悩ませていた、不思議な女の正体は――
空はゆっくりと首を振る。
もう自分にはどうでもいいことだ。
たとえ、それらを知ったところで何も変わらない。
この世界で自分の居場所を手に入れたのだから。
(ここで暮らして、もう一年以上も経つんだ……)
文字通り金楽寺に落とされてから、今日に至るまで沢山のことがあった。
目の前で舞う花びらが数々の思い出を乗せては散っていく。
「……」
不思議だった。
今日に限って、こんなにも感傷的な気分に陥る自分が。
(そういえば……)
以前、霊的なものに詳しい知人から聞いた、桜にまつわる話を空は思い出した。
桜は神秘的なものである、
桜は魔物を食らう、
桜は怨霊を鎮める、
桜は人の想いをためる、と――
自分が感傷に浸るのは、桜の持つ幻想的な雰囲気にあてられたからだろう。
今、虚空を見つめる空の瞳は薄桃色の色彩しかとらえていない。
(え……?)
いつしか桜の花びらは奇妙な挙動を示していた。
空の周囲だけを覆うように舞ってから、ある方向へと流れていく。
時折、空に何かを知ってほしいように、桜の花びらがもどかしげに彼女の頬を打った。
(桜の導く方向に、何かある……?)
漠とした思いが心に浮かぶ。
予感――
空は寝衣の上から一枚羽織って、花吹雪の後を追った。
***
「ここは……」
空が着いた場所は、校庭だった。
ここにも無数の桜の木が並んでいる。
夜の闇に花吹雪が乱れ飛ぶ。
その花吹雪の後をついて行くと、やがてとある桜の木に辿りついた。
視線を上げれば、枝の上に影がある。
(何……?)
花灯りの下じっと目を凝らせば、すぐに全貌が明らかになった。
闇に溶けるような黒い忍装束。
その人物を最も特徴づけている、鳶色の跳ねた髪を持つ男が枝に掛けている。
よく知った顔に空がホッとした。
「なぁ~んだ、半助さんじゃないですか。こんなところで何を……」
だが、男は応えない。
ふたりの間を遮るように桜吹雪が流れていく。
すべてが通りすぎて、もう一度男と対面した瞬間、空は驚愕に眼を瞠った。
よく見ると、男の表情には険があった。
さらに、半助にはない、近寄りがたい雰囲気を纏っていて――
(嘘でしょう……どうして……?)
もう二度と逢えないと諦めていたのに。
俄かには信じられなかった。
だが、目の前にいる男は半助であって半助ではない。
間違いなく――
「――」
空が期待を込めながらその名呟くと、男はわずかに口角を上げた。
枝を蹴って地上に降り立つ。
(夢じゃない……!)
ようやく確信が持てた瞬間、我知らず、空は涙を流していた。
歓喜の涙を。
あの騒動から、既に一年以上もの歳月が流れている。
半助やきり丸、忍術学園の皆と幸せに暮らしていようと、一日たりとも彼を忘れたことはない。
どうして今になって彼と再会を果たせたのだろう。
いや、最早理由など考える必要はなかった。
今、こうして目の前にいる、その事実こそがすべてなのだから。
星天に浮かぶ月灯りの下、おびただしいほどの花びらが風とともに揺れていく。
夢の一場面のような空間の中で、ふたりは感慨深げに見つめ合っている。
他の人間にはわからないが、空だけは知っている。
一見、冷たい印象を与えがちなその瞳には、温かさを灯していることを。
「天鬼様ぁ!」
空はたまらずその胸に飛び込んだ。
逞しい両腕が空の身体を包む。
顔を上向け、目を合わせると、開口一番にこう言われた。
「また泣いているのか」
やや低めのテノールの声。
乏しい表情。
いずれもかの人だと実感できて、それがまた涙を誘った。
(天鬼様……)
男の腕の力が強くなる。
それに呼応して、空はぎゅっと身体を密着させた。
抱擁するふたりを祝福するかのように、花びらが彼らを取り囲んだ。
長い時間、ふたりは温もりを確かめ合う。
再会の喜びを噛みしめていた。
やがてヒュウッと一際強い風が吹いて、花びらを一掃する。
直後、ふたりの姿はどこにもなかった。
彼らの行き先を知るのは――頂上ですべてを見ていた夜半の月だけだった。
