反撃の彼女
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今日も今日とて、杭瀬村には大木の決め台詞が響き渡っていた。
「どこんじょぉぉぉ!!」
その傍らで空はやや冷めた視線を送っている。
(いつ来ても大木先生は相変わらず……毎度毎度よくやるわよね……)
(ああ、暑苦しい。一緒にいると、せっかくの春の陽気が真夏に変わっちゃいそう……)
忍術学園の食堂補佐である空は、食堂のおばちゃんの付き添いで杭瀬村に来ている。
しかし、杭瀬村に着けば、料理教室を開く食堂のおばちゃんとは別行動をとらなければならない。
大木の畑作業を手伝うのも重要な仕事の一環なのだ。
季節は春。
閑散期の冬が開け、気温が高くなってきた今、農家の仕事量は一気に増える。
追肥、種まき、苗づくり、植えつけ、畝 づくり、除草……とやること盛沢山なのだ。
最初は嫌々手伝わされていた空だったが、最近では食堂のおばちゃんと同様、杭瀬村へ足を運ぶことが良い気分転換になっている。
農業も知れば知るほど面白い。
自分の口に入れる食物が実際どんな風に育てられているか、その過程を直に見るのは非常に勉強になる。
だが、如何せん体力の方が先に根を上げてしまう。
「う~ん、もうダメ。疲れた……」
空はその場にしゃがんで以降、微動だにしない。
「こらぁ、空!どうした!?まだまだ仕事は沢山あるんだぞー!」
「だって、杭瀬村に着いてからずっと休憩なしで作業してましたもん。さすがに疲れました……」
「全く。普段からもう少し身体を鍛えた方がいいんじゃないのか?見ろ、ワシなんかこの通りピンピンしているぞ!」
そう言うと、何を思ったのか大木がいきなり諸肌 を脱いだ。
「ちょ、ちょっと、大木先生!?」
突然視界に現れた男の裸に空はぎょっとする。
そんな空にお構いなしに大木は続けた。
「フン!」
風を起こさんばかりの鼻息をついてとった態勢は、両腕を肩の高さで折り曲げてつくる力こぶ――即ち、上腕二頭筋を見せつけるポーズ。
「もう一丁!」
続いて、身体を正面から横に向け、一方の手首をもう一方の腕で伸ばしながら胸板――大胸筋を強調するポーズ。
「とどめだ!」
最後に、身体を少し前に倒した状態で腕を下に向けて上腕二頭筋を出し、同時に肩の筋肉である僧帽筋を強調させたポーズ。
「どうだ?この鍛え抜かれた身体を見よ!」
すべてのポーズを見事に決めると、白い歯を見せた大きな口から高笑いが零れる。
「もう、いきなり脱ぐのやめてくださいっ!ボディビルダーじゃあるまいし!」
「ん?顔が赤いぞ。ワシの裸に照れてるのか?意外と可愛いところあるじゃないか」
「て、照れてませんっ……!」
そう否定するものの、焼けた栗色の肌そこかしこに小山のような筋肉をつくる大木はスポーツ選手のように逞しい。
不覚にもときめきを感じてしまう。
まるで絵のモデルにでもなれそうなほどの均整のとれた肉体は、ぶっちゃけて言えば、好みのど真ん中。
ドストライクである。
(お、落ち着いて、落ち着いて、空。いくら素敵な身体をしていても、相手はあの大木先生なのよ!)
見たものすべてを忘れようと目を閉じたが、脳内には大木の美しい裸体がしっかりと焼き付いている。
こんなとき、記憶力の良さが裏目に出てしまう。
顔の火照りはなかなかおさまらず、それが大木の有頂天に拍車をかけるばかりだった。
「ぬっふっふ。とにかく、ワシのように鍛えていれば、ちょっとやそっとのことでもビクともせんし、体力もつく。それに」
「それに?」
「もう少し筋肉がつけば、凹凸の少ないお前の胸も底上げされるかもしれんぞ」
一瞬、あたりに沈黙が弾け飛んだが、次の瞬間には空は閻魔の形相で大木を睨んでいた。
「大木先生ぃぃ!!!」
「おいおい、そんなに怒るなって。冗談だよ、冗談。いや、待てよ。やはり冗談ではないかも……」
「!もう知りませーん!」
空は完全に臍を曲げてしまう。
井戸へ水を飲みに行こうと180°方向転換したときだった。
「雅ちゃん、雅ちゃ~ん!」
「ん?」
声の方に身体を捩れば、畑道から手を振って呼ぶ一人の老婆が居た。
曲がった腰を杖で支えている。
「おお、ウっちゃんじゃないか!」
大木が呼応したのを確認すると、老婆が杖をつきながらゆっくりと近づいてきた。
「久しぶりだな、ウッちゃん。元気にしてるか?」
「ああ、この通りさ。雅ちゃんなんて……まぁまぁ、裸までさらして……元気にしとるじゃないの」
「ははっ。ウッちゃんはいつもの会合か?」
「いんや、違う。今日はひ孫の顔を見にここへ来たんじゃよ」
「……」
畑作業の際、大木が村人に声をかけられることはよくある。
しばしふたりのやりとりを蚊帳の外で見つめていた空だったが、やがて大木に手招きされたので、近寄らざるを得なくなった。
「紹介する、空。こちらはウメおばあちゃん、通称ウッちゃんと言ってのう、隣の村に住んでいる漬物づくりの名人なんだ。ワシが作るらっきょうの漬物、アレはウッちゃんに習ったんだ」
「そうなんですね。初めまして、私は空と申します」
お辞儀をし、改めて老婆をよく見た。
名は体を表すかの如く、梅干しのように顔に皺を刻んでいる。
閉じた眼は笑みの輪郭を象っていて、長い白髪は頭のてっぺんでお団子にまとめてあった。
口を開けば、おっとりした声が心地よく耳に響く。
「初めまして。あたしのことはウッちゃんと呼んどくれ。」
「はい、ウッちゃん」
「あ、さっき雅ちゃんが言った漬物づくりの名人、あれ真に受けないで。好きで漬物作ってるだけで大した腕じゃないし」
「何を言う!ウッちゃんの漬物は世界で一番美味い!この辺の者はみんなそう思っておるぞ!」
「雅ちゃんはいつもほめ過ぎなんじゃよ。照れるのう」
そう言って、ウメは困ったように笑う。
謙遜する姿勢からも、人柄の良さが見て取れた。
「それより……」
ウメが空と大木をしげしげと見比べて言った。
「雅ちゃん、良かったねぇ。あたしゃたまげたよ。いつの間にこんな別嬪さんと連れ合いになって」
「「は?」」
「この前ひ孫が生まれて喜んだばかりなのに、じきに雅ちゃんの子にも会えるなんて……また一つ、生きる楽しみが増えたわい」
そう言って、目には涙まで浮かべている。
どうやら、自分たちのことを夫婦と勘違いしたらしい。
これはまずいと訂正しよう、と思った矢先のことだった。
「あ、あのなぁ……ウッちゃん。この子は以前ワシが働いていた職場の者で、時々こうやって訪ねて来てもらっては畑仕事を手伝ってくれていて。だから、その……ワシらは……夫婦ではない」
大木に先を越されてしまった。
その際、妙に残念そうに否定するのは気のせいだろうか。
それにしても。
自分以外の人間が現れた途端、大木の意地悪さは鳴りを潜めてしまった。
食堂のおばちゃんや杭瀬村の村長、村人たちの前ではいつも品行方正な大人の男なのだ。
ついさっきまで悪魔のような顔つきで自分をおちょくってきたというのに。
外面の良い、猫を被った大木の姿を見ていると、むくむくと悪戯心が湧いてくる。
「あれま!?ふたりは夫婦じゃないんか……」
がっくりと肩を落としているウメに向かって、空は言った。
「そうですよ。ウッちゃん。そもそも、大木先生は私みたいな小娘は相手にしませんよ」
「ええ!どうしてなんだい?」
「だって……大木先生は出るとこは出てて、引っ込むところは引っ込んでる、色っぽ~いオトナの女性が好みみたいなんです。日頃からよく言ってますし。そうですよね、大木先生?」
言い終えて、ウメの後ろに隠れた空は大木にあっかんべーをする。
誤解を解くのに加えて、先程体型のことをいじってきた意趣返しだ。
大木はというと、今にも「ぐぬぬ……」と言いたげな顔で、しかしながら尊敬する大先輩の手前、怒鳴ろうにも怒鳴れない。
(フフフ……勝った!)
空が滅多にない勝利の余韻に浸っていたときだった。
「……」
何を思ったのか、ウメは突如無言で空の身体を肩から腕、胸からお腹、背中から脚までペタペタと触り出す。
「あ、あの……?ウッちゃん!?」
目を丸くする空を最後にぎゅうっと抱きしめてから、ウメが沈黙を破った。
「雅ちゃん、あんたの目は節穴かい!?空ちゃん、ちゃーんと出るとこ出てるし、引っ込むところは引っ込んでるじゃないの」
「「え」」
「十分大人の女じゃよ。あたしが保障する。見てみぃ、このふっくらとした頬。触ると女のあたしでも指が喜んでるよ。今にも蕩けそうな、まさに柔肌……男なら、一度抱いたら骨の髄まで虜になりそうだねぇ」
「「……」」
「それに、容貌 だけじゃなく気立ても良さそうだし……もし、こんな子がうちの村にいたら、村の男たちが喉から手が出るほど欲しがっちまうよ。雅ちゃんもいい歳なんだし、まだ手ぇつけてないなら、さっさと抱いちまって子をこさえちゃいな!」
そう言って、うめが大木の背中をバチンと叩く。
刹那、大木と目が合う。
(え、何で……!?)
うめに細やかにボディチェックされ、さらに大木の前で結果を暴露され、それなりに恥ずかしい思いをした。
とはいえ、大木の狼狽は自分以上だ。
(大木先生……?)
首の付け根まで朱の絵の具で塗りつぶしたように、彼の顔は真っ赤だった。
***
(おかしいわねぇ……)
食堂のおばちゃんの片眉が歪んでいる。
おばちゃんが大木の家に戻ってきて以降、空も大木も何一つ発さない。
いつもなら、軽快な会話音がこの家に充満しているというのに。
こんな雰囲気では、料理教室で作った特製ポトフの味も台無しになるというものだ。
「二人とも、なんかあったの?」
「べ、別に……」
「な、何も……」
そう言ったきり、二人はまた箸だけを動かしていく。
そんな心配してくれるおばちゃんの声なんて届かないほど、今のふたりは心穏やかではない。
(あんなに照れた大木先生の顔初めて見た……いつもはおちょくってばかりなのに、案外自分がやられると弱いのかな。それでも、あの照れ方は異常だったけど……)
(ま、まさか、私のことちゃんと女と意識してたとか!?いや、それはないか。でも……ウッちゃんに悪気がないとはいえ、大木先生の前であんなこと言われるなんて恥ずかしい……)
空と同様、大木も悶々としている。
(うぅぅ……よりにもよって茹で蟹のような照れ顔を空に見られたのは誤算だった……)
(そもそも、あいつのことを寸胴呼ばわりするのはジョークだったのに、実際目の前で触られてあんなことを言われてしまうと……無性に気になるではないかっ!)
『男なら、一度抱いたら骨の髄まで虜になりそうだねぇ』
同じセリフを同時に思い出し、両者ボンと顔が爆発する。
そんなふたりを見て、食堂のおばちゃんが声を大にして叫んだ。
「もう二人してムッツリだし!私がいない間に一体何があったのよぉ!」
そう広くない家におばちゃんの叫びがほとばしる。
すると、すぐさま二人から「ムッツリじゃありません!」と一字とも乱れない返しが返ってきて、おばちゃんはますます混乱してしまう。
熱々だったポトフからはとっくに湯気が消えていた。
「どこんじょぉぉぉ!!」
その傍らで空はやや冷めた視線を送っている。
(いつ来ても大木先生は相変わらず……毎度毎度よくやるわよね……)
(ああ、暑苦しい。一緒にいると、せっかくの春の陽気が真夏に変わっちゃいそう……)
忍術学園の食堂補佐である空は、食堂のおばちゃんの付き添いで杭瀬村に来ている。
しかし、杭瀬村に着けば、料理教室を開く食堂のおばちゃんとは別行動をとらなければならない。
大木の畑作業を手伝うのも重要な仕事の一環なのだ。
季節は春。
閑散期の冬が開け、気温が高くなってきた今、農家の仕事量は一気に増える。
追肥、種まき、苗づくり、植えつけ、
最初は嫌々手伝わされていた空だったが、最近では食堂のおばちゃんと同様、杭瀬村へ足を運ぶことが良い気分転換になっている。
農業も知れば知るほど面白い。
自分の口に入れる食物が実際どんな風に育てられているか、その過程を直に見るのは非常に勉強になる。
だが、如何せん体力の方が先に根を上げてしまう。
「う~ん、もうダメ。疲れた……」
空はその場にしゃがんで以降、微動だにしない。
「こらぁ、空!どうした!?まだまだ仕事は沢山あるんだぞー!」
「だって、杭瀬村に着いてからずっと休憩なしで作業してましたもん。さすがに疲れました……」
「全く。普段からもう少し身体を鍛えた方がいいんじゃないのか?見ろ、ワシなんかこの通りピンピンしているぞ!」
そう言うと、何を思ったのか大木がいきなり
「ちょ、ちょっと、大木先生!?」
突然視界に現れた男の裸に空はぎょっとする。
そんな空にお構いなしに大木は続けた。
「フン!」
風を起こさんばかりの鼻息をついてとった態勢は、両腕を肩の高さで折り曲げてつくる力こぶ――即ち、上腕二頭筋を見せつけるポーズ。
「もう一丁!」
続いて、身体を正面から横に向け、一方の手首をもう一方の腕で伸ばしながら胸板――大胸筋を強調するポーズ。
「とどめだ!」
最後に、身体を少し前に倒した状態で腕を下に向けて上腕二頭筋を出し、同時に肩の筋肉である僧帽筋を強調させたポーズ。
「どうだ?この鍛え抜かれた身体を見よ!」
すべてのポーズを見事に決めると、白い歯を見せた大きな口から高笑いが零れる。
「もう、いきなり脱ぐのやめてくださいっ!ボディビルダーじゃあるまいし!」
「ん?顔が赤いぞ。ワシの裸に照れてるのか?意外と可愛いところあるじゃないか」
「て、照れてませんっ……!」
そう否定するものの、焼けた栗色の肌そこかしこに小山のような筋肉をつくる大木はスポーツ選手のように逞しい。
不覚にもときめきを感じてしまう。
まるで絵のモデルにでもなれそうなほどの均整のとれた肉体は、ぶっちゃけて言えば、好みのど真ん中。
ドストライクである。
(お、落ち着いて、落ち着いて、空。いくら素敵な身体をしていても、相手はあの大木先生なのよ!)
見たものすべてを忘れようと目を閉じたが、脳内には大木の美しい裸体がしっかりと焼き付いている。
こんなとき、記憶力の良さが裏目に出てしまう。
顔の火照りはなかなかおさまらず、それが大木の有頂天に拍車をかけるばかりだった。
「ぬっふっふ。とにかく、ワシのように鍛えていれば、ちょっとやそっとのことでもビクともせんし、体力もつく。それに」
「それに?」
「もう少し筋肉がつけば、凹凸の少ないお前の胸も底上げされるかもしれんぞ」
一瞬、あたりに沈黙が弾け飛んだが、次の瞬間には空は閻魔の形相で大木を睨んでいた。
「大木先生ぃぃ!!!」
「おいおい、そんなに怒るなって。冗談だよ、冗談。いや、待てよ。やはり冗談ではないかも……」
「!もう知りませーん!」
空は完全に臍を曲げてしまう。
井戸へ水を飲みに行こうと180°方向転換したときだった。
「雅ちゃん、雅ちゃ~ん!」
「ん?」
声の方に身体を捩れば、畑道から手を振って呼ぶ一人の老婆が居た。
曲がった腰を杖で支えている。
「おお、ウっちゃんじゃないか!」
大木が呼応したのを確認すると、老婆が杖をつきながらゆっくりと近づいてきた。
「久しぶりだな、ウッちゃん。元気にしてるか?」
「ああ、この通りさ。雅ちゃんなんて……まぁまぁ、裸までさらして……元気にしとるじゃないの」
「ははっ。ウッちゃんはいつもの会合か?」
「いんや、違う。今日はひ孫の顔を見にここへ来たんじゃよ」
「……」
畑作業の際、大木が村人に声をかけられることはよくある。
しばしふたりのやりとりを蚊帳の外で見つめていた空だったが、やがて大木に手招きされたので、近寄らざるを得なくなった。
「紹介する、空。こちらはウメおばあちゃん、通称ウッちゃんと言ってのう、隣の村に住んでいる漬物づくりの名人なんだ。ワシが作るらっきょうの漬物、アレはウッちゃんに習ったんだ」
「そうなんですね。初めまして、私は空と申します」
お辞儀をし、改めて老婆をよく見た。
名は体を表すかの如く、梅干しのように顔に皺を刻んでいる。
閉じた眼は笑みの輪郭を象っていて、長い白髪は頭のてっぺんでお団子にまとめてあった。
口を開けば、おっとりした声が心地よく耳に響く。
「初めまして。あたしのことはウッちゃんと呼んどくれ。」
「はい、ウッちゃん」
「あ、さっき雅ちゃんが言った漬物づくりの名人、あれ真に受けないで。好きで漬物作ってるだけで大した腕じゃないし」
「何を言う!ウッちゃんの漬物は世界で一番美味い!この辺の者はみんなそう思っておるぞ!」
「雅ちゃんはいつもほめ過ぎなんじゃよ。照れるのう」
そう言って、ウメは困ったように笑う。
謙遜する姿勢からも、人柄の良さが見て取れた。
「それより……」
ウメが空と大木をしげしげと見比べて言った。
「雅ちゃん、良かったねぇ。あたしゃたまげたよ。いつの間にこんな別嬪さんと連れ合いになって」
「「は?」」
「この前ひ孫が生まれて喜んだばかりなのに、じきに雅ちゃんの子にも会えるなんて……また一つ、生きる楽しみが増えたわい」
そう言って、目には涙まで浮かべている。
どうやら、自分たちのことを夫婦と勘違いしたらしい。
これはまずいと訂正しよう、と思った矢先のことだった。
「あ、あのなぁ……ウッちゃん。この子は以前ワシが働いていた職場の者で、時々こうやって訪ねて来てもらっては畑仕事を手伝ってくれていて。だから、その……ワシらは……夫婦ではない」
大木に先を越されてしまった。
その際、妙に残念そうに否定するのは気のせいだろうか。
それにしても。
自分以外の人間が現れた途端、大木の意地悪さは鳴りを潜めてしまった。
食堂のおばちゃんや杭瀬村の村長、村人たちの前ではいつも品行方正な大人の男なのだ。
ついさっきまで悪魔のような顔つきで自分をおちょくってきたというのに。
外面の良い、猫を被った大木の姿を見ていると、むくむくと悪戯心が湧いてくる。
「あれま!?ふたりは夫婦じゃないんか……」
がっくりと肩を落としているウメに向かって、空は言った。
「そうですよ。ウッちゃん。そもそも、大木先生は私みたいな小娘は相手にしませんよ」
「ええ!どうしてなんだい?」
「だって……大木先生は出るとこは出てて、引っ込むところは引っ込んでる、色っぽ~いオトナの女性が好みみたいなんです。日頃からよく言ってますし。そうですよね、大木先生?」
言い終えて、ウメの後ろに隠れた空は大木にあっかんべーをする。
誤解を解くのに加えて、先程体型のことをいじってきた意趣返しだ。
大木はというと、今にも「ぐぬぬ……」と言いたげな顔で、しかしながら尊敬する大先輩の手前、怒鳴ろうにも怒鳴れない。
(フフフ……勝った!)
空が滅多にない勝利の余韻に浸っていたときだった。
「……」
何を思ったのか、ウメは突如無言で空の身体を肩から腕、胸からお腹、背中から脚までペタペタと触り出す。
「あ、あの……?ウッちゃん!?」
目を丸くする空を最後にぎゅうっと抱きしめてから、ウメが沈黙を破った。
「雅ちゃん、あんたの目は節穴かい!?空ちゃん、ちゃーんと出るとこ出てるし、引っ込むところは引っ込んでるじゃないの」
「「え」」
「十分大人の女じゃよ。あたしが保障する。見てみぃ、このふっくらとした頬。触ると女のあたしでも指が喜んでるよ。今にも蕩けそうな、まさに柔肌……男なら、一度抱いたら骨の髄まで虜になりそうだねぇ」
「「……」」
「それに、
そう言って、うめが大木の背中をバチンと叩く。
刹那、大木と目が合う。
(え、何で……!?)
うめに細やかにボディチェックされ、さらに大木の前で結果を暴露され、それなりに恥ずかしい思いをした。
とはいえ、大木の狼狽は自分以上だ。
(大木先生……?)
首の付け根まで朱の絵の具で塗りつぶしたように、彼の顔は真っ赤だった。
***
(おかしいわねぇ……)
食堂のおばちゃんの片眉が歪んでいる。
おばちゃんが大木の家に戻ってきて以降、空も大木も何一つ発さない。
いつもなら、軽快な会話音がこの家に充満しているというのに。
こんな雰囲気では、料理教室で作った特製ポトフの味も台無しになるというものだ。
「二人とも、なんかあったの?」
「べ、別に……」
「な、何も……」
そう言ったきり、二人はまた箸だけを動かしていく。
そんな心配してくれるおばちゃんの声なんて届かないほど、今のふたりは心穏やかではない。
(あんなに照れた大木先生の顔初めて見た……いつもはおちょくってばかりなのに、案外自分がやられると弱いのかな。それでも、あの照れ方は異常だったけど……)
(ま、まさか、私のことちゃんと女と意識してたとか!?いや、それはないか。でも……ウッちゃんに悪気がないとはいえ、大木先生の前であんなこと言われるなんて恥ずかしい……)
空と同様、大木も悶々としている。
(うぅぅ……よりにもよって茹で蟹のような照れ顔を空に見られたのは誤算だった……)
(そもそも、あいつのことを寸胴呼ばわりするのはジョークだったのに、実際目の前で触られてあんなことを言われてしまうと……無性に気になるではないかっ!)
『男なら、一度抱いたら骨の髄まで虜になりそうだねぇ』
同じセリフを同時に思い出し、両者ボンと顔が爆発する。
そんなふたりを見て、食堂のおばちゃんが声を大にして叫んだ。
「もう二人してムッツリだし!私がいない間に一体何があったのよぉ!」
そう広くない家におばちゃんの叫びがほとばしる。
すると、すぐさま二人から「ムッツリじゃありません!」と一字とも乱れない返しが返ってきて、おばちゃんはますます混乱してしまう。
熱々だったポトフからはとっくに湯気が消えていた。
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