欲しい、と思ったその瞬間
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「空さ~ん!」
言うが早いか、ずかずかと部屋に入ってくる少年がいる。
こんな不躾な振舞いをするのは、空の知る限りきり丸しかいない。
「もう、きり丸君。部屋に入るときは私が返事するまで待ってって言ってるでしょ?」
「あはは。すいません……って、ちょっとお願いがあるんですけど……」
「お願いって……何?」
「あのさ、次の休みとその次の休みなんだけど、一緒に市場のバイトに入ってくんない?」
少し考え込んでから、やがて空が笑顔を返した。
「うん、いいよ。ただし、宿題はきっちりやること」
「よっし!これで空さんは確保できたから、安心安心。じゃあ、おれはこれから乱太郎たちとバイトがあるから」
「あ、ちょっと待って!」
「ん?」
「きり丸君、ここほつれてる」
空が指したところを見れば、きり丸の袴――太腿のあたりから五センチほどの糸が飛び出していた。
「ああ……ほんとだ。でもこれくらい、別に平気ですよ」
「だめよ!そのままにしていたら、ほつれが広がるじゃない。すぐ直すから、袴脱いで」
「ええっ!でも、おれ……もうそろそろバイト行かなきゃいけないし……」
「大丈夫だよ。これくらいならほんの少しの時間で終わるから。ほら、早く」
「え~めんどくさい。今度でいいっすよ!」
「もう、つべこべ言わないの!こういうのは早いうちに直した方がいいんだから……えいっ!」
そう言って、空は無理矢理きり丸の袴を引っぺがしてしまった。
きり丸が身をくねらせながら言う。
「あぁん、ぃやぁあん、空さんのエッチぃ~!」
「ちょ、ちょっとっ……変な声出さないでよっ。誰かに聞かれたらどうするの!?」
「ハハハ、どうしたんですか、そんなに焦って。でもさ、空さん。おれと同じこと、土井先生にもするんですか~?」
きり丸が意地悪く言う。
一間置いて、空の顔が猛火に包まれた。
「そ、そんなことできるわけないでしょ!!!き、きり丸君は子どもだから、ああしたまでなの!と、とにかく、今土井先生は関係ないんだから!」
「アッハハ。空さん、顔凄いことになってるぜ!」
きり丸が笑い転げる。
「もう!」
下手に相手にすると、きり丸がますますつけあがるだけだ。
空は黙って裁縫道具を広げる。
慣れた手つきで針に糸を通し、きり丸の袴を繕い始めた。
「……」
きり丸の笑いがおさまれば、部屋がガランと静まり返った。
(ほつれ直しなんて後回しでよかったのに……)
(ま、いっか。タダでやってくれるなら……)
きり丸は座布団の上に胡坐をかいた。
特にやることもなく、なんとはなしに空を見る。
空は真剣な表情で袴を繕っていた。
まるでその仕事が自分の責務であると言わんばかりに。
そんな空の姿を見ていると、心がきゅっと切なく締め付けられた。
(あれ……?なんかヘンだ、おれ……空さんといると……)
身体の奥底からこみ上げてくる、この懐かしい気持ちはなんだろう。
理由もないのに、目頭が熱くなる。
だが、きり丸の思考はトントンと戸を叩く音で中断された。
空が「どうぞ」と応答すれば、丁寧に戸が開く。
「空さん、失礼しまーす。あ、きり丸やっぱりここにいた。なかなか部屋に戻ってこないから心配したよ」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと空さんに話があったから」
戸の先にいた乱太郎としんべヱに向かって、きり丸が背中越しに返した。
「……」
きり丸の後ろ姿しか見えていない乱太郎としんべヱだったが、彼の違和感にすぐに気が付いた。
確認するように正面に回る。
「ねぇ、きり丸。どうして下履いてないの?」
「暑いから脱いじゃったの~?」
「しんべヱ、違う違う。あれ、あれ」
きり丸が指した方――袴を繕う空を見て、乱太郎としんべヱは「ああ」とすぐに納得した。
空に聞こえぬよう、きり丸が小声で言った。
「空さんさ、着物のほつれを見つけたかと思えば速攻で剥ぎ取るんだぜ。大したことないほつれだったから、おれはまた別の時でいい、っていったのに」
空に対して照れが生じているのか、つい突き放した物言いになるきり丸だった。
一方、乱太郎としんべヱは顔を見合っている。
「ん?なんだよ。ふたりして」
「「いいなぁ、きり丸」」
「え、何で?」
「だって~、そんな大したことないほつれを見つけてもらって、すぐに直してもらってるんでしょ~?」
「きり丸のことを良く見てる証拠だよ。空さんってまるでお母さんみたい」
「お母さん……」
久しく使っていなかった言葉をきり丸が噛みしめるように言った。
「……」
どこか遠くを見るようなきり丸の様子に、乱太郎としんべヱは気がついていない。
「でもさ、年齢的に空さんってお母さんではないよね。お母さんにしては若すぎるもん」
「そうだね、お母さんっていうよりもお姉ちゃんだよね~。それならしっくりくるかな~」
「お姉ちゃんだけど、お母さん……ひとりでふたり分ってなんだかおトクだよね」
「そんな人とこうして一緒に居れるんだもん。きり丸が羨ましい~」
(おれが羨ましい……?)
きり丸が眼を瞬かせる。
乱太郎としんべヱ、ふたりの口からその言葉が出たことに。
羨ましい、なんて言葉は底辺の自分がよく口にしていたはずなのに。
「はい、きり丸君。お待たせしました」
「あ、ああ……ありがと」
「ねぇ、空さん!今度私の着物もほつれたら、こんな風に繕ってもらえる?」
「ボクも、ボクも!」
「うん、もちろん」
「「やったー!」」
身支度を整えながら、きり丸はつい親友たちを軽く睨んでしまった。
無遠慮に空に甘えるふたりを見ると、説明のつかない、腹立たしい気持ちが湧き起こっていたのだ。
戸棚の奥に大事に隠していた、美味しいおやつを食べられたような、悔しい気持ちが。
「おーい、乱太郎・しんべえ。そろそろバイト行くぞ」
「そうだった。じゃあ、またね、空さん!」
「バイバーイ~!」
「うん、行ってらっしゃい!三人とも、寄り道せず真っすぐ帰ってきてね」
三人は前へ前へと走り出す。
それでも、きり丸だけは幾度も後ろを振り返っていた。
***
バイト先までの案内役として、きり丸は先頭をとっている。
そのすぐ後ろを乱太郎としんべヱが歩いていた。
「空さんと話してると、ほっこりするよね~。もっと一緒にいたくなっちゃうよ~」
「ねぇ、きり丸。次の休み空さん誘ってお出かけしない?私、空さんと一緒に過ごした~い!」
「ボクも~!空さんと沢山美味しいもの食べて、うんと甘えた~い」
空への憧れが募り、テンションがあがるふたりに対し、きり丸は毅然と言い放った。
「だーめ!次の休みも、その次の休みも空さんのスケジュール、バイトで全部抑えたから、無理っ!」
「ええ!?それって空さん可哀想じゃない?ちょっとこき使い過ぎじゃ……」
「そうだよ、そうだよ、きり丸のドケチ~!」
「へいへい、おれはこの通り、生粋のドケチですよ!っていうか、とっくに空さんに許可もらってるから、これは決定事項なの。ってことでこの話はおしま~い。また今度な」
「「そ、そんなぁ……」」
がっくりと肩を落とす乱太郎としんべヱには悪い、ときり丸は思う。
でも、やっと見つけたのだ。
自分だけを特別に気にかけてくれる人を。
本当の母のように接してくれる人を。
きり丸は薄々気づいている。
乱太郎やしんべえの時に比べて、空が自分を見る瞳には、愛情が余分に含まれていることに。
自分の境遇について話したことは一度もないが、誰かしら経由で聞いたのだろう。
本当のことだから別に構わないし、全然気にしていない。
いや、空の気を引けるのならば、同情でも憐れみでも、始まりはなんだっていい。
悲惨な過去ですら逆手にとって、空を手に入れてやる――そう決意していた。
(お母さんで、お姉ちゃんか……)
いつか当たり前のように空が隣にいる――そんな未来を想像しながら、きり丸はバイトまでの道のりを歩き続けた。
言うが早いか、ずかずかと部屋に入ってくる少年がいる。
こんな不躾な振舞いをするのは、空の知る限りきり丸しかいない。
「もう、きり丸君。部屋に入るときは私が返事するまで待ってって言ってるでしょ?」
「あはは。すいません……って、ちょっとお願いがあるんですけど……」
「お願いって……何?」
「あのさ、次の休みとその次の休みなんだけど、一緒に市場のバイトに入ってくんない?」
少し考え込んでから、やがて空が笑顔を返した。
「うん、いいよ。ただし、宿題はきっちりやること」
「よっし!これで空さんは確保できたから、安心安心。じゃあ、おれはこれから乱太郎たちとバイトがあるから」
「あ、ちょっと待って!」
「ん?」
「きり丸君、ここほつれてる」
空が指したところを見れば、きり丸の袴――太腿のあたりから五センチほどの糸が飛び出していた。
「ああ……ほんとだ。でもこれくらい、別に平気ですよ」
「だめよ!そのままにしていたら、ほつれが広がるじゃない。すぐ直すから、袴脱いで」
「ええっ!でも、おれ……もうそろそろバイト行かなきゃいけないし……」
「大丈夫だよ。これくらいならほんの少しの時間で終わるから。ほら、早く」
「え~めんどくさい。今度でいいっすよ!」
「もう、つべこべ言わないの!こういうのは早いうちに直した方がいいんだから……えいっ!」
そう言って、空は無理矢理きり丸の袴を引っぺがしてしまった。
きり丸が身をくねらせながら言う。
「あぁん、ぃやぁあん、空さんのエッチぃ~!」
「ちょ、ちょっとっ……変な声出さないでよっ。誰かに聞かれたらどうするの!?」
「ハハハ、どうしたんですか、そんなに焦って。でもさ、空さん。おれと同じこと、土井先生にもするんですか~?」
きり丸が意地悪く言う。
一間置いて、空の顔が猛火に包まれた。
「そ、そんなことできるわけないでしょ!!!き、きり丸君は子どもだから、ああしたまでなの!と、とにかく、今土井先生は関係ないんだから!」
「アッハハ。空さん、顔凄いことになってるぜ!」
きり丸が笑い転げる。
「もう!」
下手に相手にすると、きり丸がますますつけあがるだけだ。
空は黙って裁縫道具を広げる。
慣れた手つきで針に糸を通し、きり丸の袴を繕い始めた。
「……」
きり丸の笑いがおさまれば、部屋がガランと静まり返った。
(ほつれ直しなんて後回しでよかったのに……)
(ま、いっか。タダでやってくれるなら……)
きり丸は座布団の上に胡坐をかいた。
特にやることもなく、なんとはなしに空を見る。
空は真剣な表情で袴を繕っていた。
まるでその仕事が自分の責務であると言わんばかりに。
そんな空の姿を見ていると、心がきゅっと切なく締め付けられた。
(あれ……?なんかヘンだ、おれ……空さんといると……)
身体の奥底からこみ上げてくる、この懐かしい気持ちはなんだろう。
理由もないのに、目頭が熱くなる。
だが、きり丸の思考はトントンと戸を叩く音で中断された。
空が「どうぞ」と応答すれば、丁寧に戸が開く。
「空さん、失礼しまーす。あ、きり丸やっぱりここにいた。なかなか部屋に戻ってこないから心配したよ」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと空さんに話があったから」
戸の先にいた乱太郎としんべヱに向かって、きり丸が背中越しに返した。
「……」
きり丸の後ろ姿しか見えていない乱太郎としんべヱだったが、彼の違和感にすぐに気が付いた。
確認するように正面に回る。
「ねぇ、きり丸。どうして下履いてないの?」
「暑いから脱いじゃったの~?」
「しんべヱ、違う違う。あれ、あれ」
きり丸が指した方――袴を繕う空を見て、乱太郎としんべヱは「ああ」とすぐに納得した。
空に聞こえぬよう、きり丸が小声で言った。
「空さんさ、着物のほつれを見つけたかと思えば速攻で剥ぎ取るんだぜ。大したことないほつれだったから、おれはまた別の時でいい、っていったのに」
空に対して照れが生じているのか、つい突き放した物言いになるきり丸だった。
一方、乱太郎としんべヱは顔を見合っている。
「ん?なんだよ。ふたりして」
「「いいなぁ、きり丸」」
「え、何で?」
「だって~、そんな大したことないほつれを見つけてもらって、すぐに直してもらってるんでしょ~?」
「きり丸のことを良く見てる証拠だよ。空さんってまるでお母さんみたい」
「お母さん……」
久しく使っていなかった言葉をきり丸が噛みしめるように言った。
「……」
どこか遠くを見るようなきり丸の様子に、乱太郎としんべヱは気がついていない。
「でもさ、年齢的に空さんってお母さんではないよね。お母さんにしては若すぎるもん」
「そうだね、お母さんっていうよりもお姉ちゃんだよね~。それならしっくりくるかな~」
「お姉ちゃんだけど、お母さん……ひとりでふたり分ってなんだかおトクだよね」
「そんな人とこうして一緒に居れるんだもん。きり丸が羨ましい~」
(おれが羨ましい……?)
きり丸が眼を瞬かせる。
乱太郎としんべヱ、ふたりの口からその言葉が出たことに。
羨ましい、なんて言葉は底辺の自分がよく口にしていたはずなのに。
「はい、きり丸君。お待たせしました」
「あ、ああ……ありがと」
「ねぇ、空さん!今度私の着物もほつれたら、こんな風に繕ってもらえる?」
「ボクも、ボクも!」
「うん、もちろん」
「「やったー!」」
身支度を整えながら、きり丸はつい親友たちを軽く睨んでしまった。
無遠慮に空に甘えるふたりを見ると、説明のつかない、腹立たしい気持ちが湧き起こっていたのだ。
戸棚の奥に大事に隠していた、美味しいおやつを食べられたような、悔しい気持ちが。
「おーい、乱太郎・しんべえ。そろそろバイト行くぞ」
「そうだった。じゃあ、またね、空さん!」
「バイバーイ~!」
「うん、行ってらっしゃい!三人とも、寄り道せず真っすぐ帰ってきてね」
三人は前へ前へと走り出す。
それでも、きり丸だけは幾度も後ろを振り返っていた。
***
バイト先までの案内役として、きり丸は先頭をとっている。
そのすぐ後ろを乱太郎としんべヱが歩いていた。
「空さんと話してると、ほっこりするよね~。もっと一緒にいたくなっちゃうよ~」
「ねぇ、きり丸。次の休み空さん誘ってお出かけしない?私、空さんと一緒に過ごした~い!」
「ボクも~!空さんと沢山美味しいもの食べて、うんと甘えた~い」
空への憧れが募り、テンションがあがるふたりに対し、きり丸は毅然と言い放った。
「だーめ!次の休みも、その次の休みも空さんのスケジュール、バイトで全部抑えたから、無理っ!」
「ええ!?それって空さん可哀想じゃない?ちょっとこき使い過ぎじゃ……」
「そうだよ、そうだよ、きり丸のドケチ~!」
「へいへい、おれはこの通り、生粋のドケチですよ!っていうか、とっくに空さんに許可もらってるから、これは決定事項なの。ってことでこの話はおしま~い。また今度な」
「「そ、そんなぁ……」」
がっくりと肩を落とす乱太郎としんべヱには悪い、ときり丸は思う。
でも、やっと見つけたのだ。
自分だけを特別に気にかけてくれる人を。
本当の母のように接してくれる人を。
きり丸は薄々気づいている。
乱太郎やしんべえの時に比べて、空が自分を見る瞳には、愛情が余分に含まれていることに。
自分の境遇について話したことは一度もないが、誰かしら経由で聞いたのだろう。
本当のことだから別に構わないし、全然気にしていない。
いや、空の気を引けるのならば、同情でも憐れみでも、始まりはなんだっていい。
悲惨な過去ですら逆手にとって、空を手に入れてやる――そう決意していた。
(お母さんで、お姉ちゃんか……)
いつか当たり前のように空が隣にいる――そんな未来を想像しながら、きり丸はバイトまでの道のりを歩き続けた。
