春休み、ふたりきり(前編)

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「~~♪」

鼻歌を混じえつつ、お櫃から適量の米を掬い取り、手で握っていく。
三角の形に成形し、海苔を巻けばおにぎりの完成だ。

しばらくその作業を繰り返していたが、最後の一つを竹皮に乗せる。
調理台に並んだ二人分の弁当を見て、満足そうに言った。

「よし、できた!」

用意されたお弁当は自分と半助の分。
今日は半助とふたりで、これから町の外を散策する。
所謂デート。
昨日唐突に決まったのだ。
隣のおばちゃんの計らいで。






冬休みが明けて間もなくの頃、は食堂の仕事だけでなく事務の仕事も兼務するようになった。
そのせいか、春休み前の忙しさは冬休みのときの比ではなかった。
半助と語り合う時間を極力我慢し、待ちに待った春休みを迎える。
しかし、そこで待っていたのは、きり丸による甘えの波状攻撃であった。

さん、町に着いて早々ですが、一休みしたら子守りのバイト、一緒に入ってくんない?」
さん、この着物ほつれちゃった……」
さん、昼飯の支度するの?おれ、手伝うよ!」

と二言目には「さん」を連発するきり丸にかれこれ付き合いっぱなしだった。
きり丸には弱い――とは自分でもつくづく思う。
だが、十歳の少年に降りかかった惨劇を思えば、つい甘やかしたくなってしまう。
何より慕ってくれるきり丸が可愛い。
どこに行っても後ろをついてくる赤子を持つ母の気分だ。

「ふぅ……」

弁当を包みながら、思わず溜息が零れる。
半助とふたりきりで過ごせていないのは、きり丸だけのせいではないのに、と。

きり丸が寝てしまえば、自然と半助との時間は持てる。
けれども、今日に至るまで彼と碌に話をしていない。

一日目の夜は帰省の疲れが出て早々に寝てしまったし、二日目の夜は「一献付き合って」との大家の誘いを断れず、半助は大家の家に行ってしまった。
三日目の夜は絶好の機会だった。
それなのに、そのチャンスを自ら放棄した。

急に訪れた二人の時間にも戸惑ったし、暗い空間にいるとあることばかりが甦ってしまう。
心を通わせた日の、裸で愛し合ったときの記憶が。

甘く痺れるような口付けや全身を愛撫されたときの狂おしいほどの快感。
荒い息遣いや腰を揺さぶられた感覚まで思い出して、身体の芯から熱くなる。

もう一度求められたい、愛されたい――そう願っているはずなのに、一方であのときの自分の姿態を思い出すと、顔を覆いたくなるほどの羞恥に襲われる。
夜薄暗い部屋で半助と向かい合って、単なる語らいだけで終わる自信がなかった。
その日は適当な理由をつけて、逃げるように布団へ潜った。

「……」

布団の中で、は自問自答する。

半助さんが好きで好きでたまらない。
なのに、私は一体何を躊躇っているんだろう――





転機はその翌日、春休み四日目に訪れた。
朝、は井戸で洗濯をしていた。
きり丸と一緒に。
お決まりのように、自分の隣を独占している。

(今日もきりちゃんはいつも通り、か……)

は視線を遠くに泳がせる。
晴天に恵まれた天気がこのところ続いていた。
澱みのない水色の空に、霞のような春の雲が流れている。
絶好の行楽日和だ。

こんな日は、半助とふたりきりで外を散策してみたい。
丁度今、町の通りを歩いている男女のように。

「……」

無意識に羨望の眼差しを向けていたら、居合わせた隣のおばちゃんに気づかれてしまった。
ニタ~と笑いかけてきたと思えば、皆まで言うなという顔で、ウンウンと頷いてくる。

「私に任せて、ちゃん」

おばちゃんはきり丸に話しかけた。

「きり丸」
「何すか?隣のおばちゃん」
「ちょっといい話があるんだけど、」

隣のおばちゃんはきり丸を婦人会へのレクへと誘い出した。
レクの内容は、この町から少し距離のある大きなみやこまで旅行に行くらしい。
出発日は明日。
二泊三日の食事付き、宿泊費無料と言う言葉にきり丸はすぐに乗った。

「やりぃ、無料ただで旅行に行けるなんてラッキー!」

きり丸の返事を確認した隣のおばちゃんは、すぐさま長屋へ踵を返す。
数分後、内職中の半助を連れてくると、「しっかりやんなさいよ!」と言って背中をバシッと叩いた。

「わ、わかりましたから。そんなに怖い顔で睨まないでください!」

どうにもやりにくそうな様子で、半助がの前に出た。

、話は一通り聞いた。その……明日も天気が良さそうだし、外に行けば色んな花が見れそうだ。きり丸は旅行でいないし……私と一緒に出かけないか?」

頭をわしゃわしゃと掻いて、照れくさそうに言う。

(半助さん……)

嬉しかった。
そのときの自分は、きっと子どもがあめ玉をもらったみたいな顔をしていただろう。





……弁当の準備はできたか?」
「はい、ここに」
「ありがとう。お昼が楽しみだな」

顔を綻ばせた半助が、二人分のお弁当を風呂敷に包む。
正直、今日の弁当は自信作だ。
弁当を開けた瞬間、彼はどんな顔をするだろうか。
早くもお昼どきが待ち遠しい。

「じゃ、行こうか」
「はい」

戸をまたいだ瞬間、の右手が温もりに包まれる。
予告もなくいきなり半助に触れられて、心の中で狼狽の悲鳴を上げた。
きょうびの小学生でもそんな反応をしないのではないのだろうか。
何だか自分自身を頼りなく思う。

、頬紅塗りすぎていないか」
「え?」
「顔、真っ赤だよ」

相手に動揺が漏れてる――そう知って、の顔がさらに火照る。
どう返せば良いか、咄嗟に言葉が浮かんでこない。

「……」

黙り込んでいると、急に温かい手が頬に伸びてきた。
指で触れられた場所が火傷したように熱くなる。

「ごめん。の反応が面白くて、ついからかってしまった」
「……」
「可愛いよ、。本当に」
「半助さん……」

愛おしむように見つめられて、の胸が高鳴る。
その間、頬に添えられていた手は肩を伝い、二の腕をフェザータッチで撫でていく。
たったそれだけで、微弱な電流が身体の中を駆け巡った。

「だめだなぁ」
「え?」
「なんでもない。ただの独り言。行こう」

まるで誤魔化すようにニコッと笑って、半助はの手を引いて歩き出した。

(半助さん……?)

笑いかける直前の半助の表情が目に焼き付いている。
思い返して、切ないものが胸に募った。

自分に向ける眼差しがひどく未練がましかったのは、単なる気のせいだろうか。
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