ある雪の日のこと
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三月入ったばかりなのに、ここ数日雪が降り続け積もりに積もっていた。
室町時代にも異常気象があるのかと驚いた。
私は今は組のみんなと雪合戦をしている。
始めは外寒いから嫌だなと思っていたけど、この沢山積もった雪を自由にできるのが爽快で、童心に返ったように楽しんでいる。
土井先生、山田先生も交えての対抗戦。
二つのチームに別れ、互いに雪玉を投げ合っている。
そんな中、敵側に回った乱太郎君、きり丸君、しんべヱ君が大きな雪玉を作りあげた。
バスケットボール、いやそれ以上の大きさだ。
嫌な予感がした。
三人の中で一番怪力のしんべヱ君が私に狙いを定めている。
「空さん、いっくよ~!それ!」
避けなければと思っても、呆気にとられた上に私の反射神経が鈍すぎて体が動かない。
既に雪玉は宙を舞っている。
気づいた先生二人が慌てて止めに入ろうとするも寸でのところで間に合わず、その雪玉が見事に私の顔面に直撃した。
「…っ!」
雪玉とはいえ、結構な大きさになると重くて硬い。
雪だと柔らかそうに聞こえるが、水は固体化したら氷になる。
その氷が顔に当たるとすると、私の感じた痛みは想像に難く無いだろう。
何でこんな目に、と呪いながら、ほんの少しの時間、意識が飛んでしまった。
あの日も、今日みたいに雪が積もっていた―
***
私が室町時代に来る前よりもう少し前のこと。
高校三年生の受験生だったときまで遡る。
入学試験の為、第一志望の大学の構内に居る。
前日は大雪。
今も地面に雪が沢山残っている。
本命の大学を前に気持ちは昂り、身体が強張る。
門構えから既に重厚感溢れ、質実剛健な雰囲気。
周りの受験生が皆優秀に見え、圧倒されてしまう。
この大学を受験するのは同じ高校の子は他にも居る。
けれど受験会場が違うので今は私一人。
とても心細かった。
既に見学した受験会場の設備は老朽化しており、暖房がかかっていなかった。
外にいても、中にいても寒い。
気持ちを落ち着けようと、会場から近い外のベンチに腰掛けた。
滑り止めで受けた大学とは違う、デザインも古めかしくて年季の入った錆びたベンチ。
でもそれが翻ってこの大学が持つ伝統や尊厳を感じさせ、ますます入学したいと思いを強くする。
座って目の前には講堂を収容している、大学のランドマークともいえる一番大きな建物があった。
その他は見渡すと煉瓦造りから瀟洒なデザインのものまで様々な建物が目に入る。
座っているベンチに平行するように後ろには茂みが伸び、さらにその奥には芝生が広がってテーブルと椅子がセットでまばらに置いてある。
学生たちが集まる憩いの場。
あと数ヶ月すれば、私はここで新しい友達とキャンパスライフを満喫しているのだろうか。
ふと、ベンチの後ろの茂みの葉に霜がついてるのを見つけた。
眩く光る結晶のよう。
化学の授業で行った再結晶の実験が瞬時に頭の中に浮かぶ。
小さな結晶の核から徐々に大きい結晶が形成されていく様をその霜に重ねていた。
意識を現実に引き戻す。
試験直前。
持ち物を確認しておこう。
時計は腕に身に着けている。
筆記用具も全部揃ってる。
そして、受験票も持参している。
…あれ?
完璧だと思っていたのに、今手にしている受験票に違和感を覚え、驚愕した。
「うそー!!」
周囲にいた人が振り返るほどの大絶叫後、頭が真っ白になった。
持ってきていたのは、別の大学の受験票。
違う受験票を持ってきてしまった。
「どうしよう、どうしよう…!?」
錯乱状態に陥った私はカバンの中身を全部ひっくり返し、必死で探す。
だけど、やっぱり今日必要な受験票は見つからない。
自宅まで取りに帰ろうかと思ったけど、戻ってきた頃には試験は終了している。
目の前が真っ暗になった。
この日のために費やしてきた努力が全て水の泡。
実力を出せないまま、戦わずして負ける。
こんな些細なミスで棒に振ることになるなんて。
大事な日に重要な過ちを犯した自分自身に腹が立って、悔し涙が頬を伝う。
八方塞がり。詰んだ。
そう思った。
滑り止めの大学に進学するか浪人生活を覚悟しなければならない。
悔しさと絶望の中に諦めの感情が混じってくる。
周囲の人の目も憚らず、涙だけがどんどん溢れてくる。
その時、不意に一人の男性から声をかけられた。
「あの…、受験生…だよね?」
「?」
在学生だろうか。
落ち着いていて、年齢は自分よりもずっと上な印象を受ける。
それ以上の細かい特徴は、余裕がなくて把握できなかった。
「さっき、カバンの中必死に探したけど、忘れ物した?」
「………」
全く知らない人だったけど、戸惑いの感情は一切ない。
万事休すな私。
藁にもすがる思いで、今の状況を伝える。
「…受験票、忘れてしまって…」
その男性は一瞬キョトンとしたけど、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「僕に付いてきて」
「え?」
「行こう、案内の係員さんのところに」
「…」
「ほら、早く」
その急かす声に促されて、カバンから出した荷物を慌てて詰め込む。
何とかなるかもしれない。
涙を拭って、案内する彼に付いていった。
***
「これが再発行した受験票ね。毎年絶対何人か忘れる子、いるのよね~」
「ありがとうございます。シナ先輩。流石、仕事が早いですね」
男性が案内してくれた場所は、大学の正門近くに設置された受験の事務局だった。
名前と学校名を伝えて学生証を提示すると、10分ほど待った後受験票を再発行してもらえた。
その手続きをしてくれた人は、この世に存在して良いのかと疑うほどの美しい女性。
話しぶりから、助けてくれた男性とシナ先輩と呼ばれた女性は顔見知りの様だった。
「慌てて取りに帰らなくてよかったわね。それだけは絶対やっちゃだめだから。意外と知らないのよね。はい、これ」
その女性から受験票を手にしたとき、試験に臨める嬉しさでようやく私に笑みが戻ってきた。
「そろそろ会場に行った方がいいんじゃない?開始までもう15分切ってるわよ」
「はい、そうします。…本当に何から何までありがとうございました」
二人に深くお辞儀をして、事務局を後にする。
男性はそのまま事務室に残るかと思ったら、私に付いてくる。
「ここから受験会場はわかる?」
私は首を縦に振った。
「…でも、心配だからついていくよ。さっきの受験票見せて?会場名が記載しているはずだから」
世話焼きな性格なのだろうか。
もう十分救ってもらったのに、ここまで気を配ってくれて。
申し訳ないと思いつつ、彼の言うがままに受験票を提示する。
「A棟かぁ…あそこ冷暖房壊れてるんだよね。寒いかもしれないけど大丈夫?」
細かいところまでよく気づく人。
防寒対策はばっちり準備してきたので、彼の質問に、また無言で頷いた。
ギュッギュッと雪を踏む音を立てながら目的地へ向かう。
彼は大学内を知り尽くしていて、最短距離で会場まで連れて行ってくれた。
会場を前に、私の緊張は再び高まっていく。
「緊張してる?」
「…はい」
「懐かしいなぁ。僕も緊張したよ、当日。もう何年も前だけど。…頑張ってね」
緊張をほぐしてくれるような優しい笑顔。
この人に会ってなかったら、私はどうなっていたんだろう。
「あの…、今日は…本当にありがとうございました」
「そんなこと気にしなくていいから!ほら、試験に集中して。注意事項の説明が始まるから早く!」
腕時計で時間を確認する。
確かにこれ以上もたもたしていられない。
その男性に深く一礼した後、受験会場の中に入り、自分の席のある部屋まで走った。
***
「…うーん?」
まだ私の視界はぼやけている。
「大丈夫か?」
徐々にピントが合って、意識が戻ってくる。
すると大学で会ったあの男性の顔が目に飛び込んでくる。
やっと見つけた!
びっくりして勢いよく起きあがったが、心配して顔を覗き込んでいた土井先生と頭をごっつんこする。
「いったーっ!」
「……」
「す、すみません、土井先生…」
私が見つけた、と思った男性は居なかった。
代わりにいたのは、今無言でおでこを押さえている土井先生。
例の三人組が私の近くで申し訳なさそうにしている。
乱太郎君が一歩前に出て、口を開いた。
「調子に乗りすぎました。ごめんなさい…」
「…あれはやりすぎ!」
三人組には、ちょっと厳しめの拳骨をお見舞いした。
「土井先生焦ってましたよ~、ね、山田先生~?」
しんべヱ君がのんびりとした口調で、私が意識を失っている間の土井先生の様子を教えてくれた。
同意を求められた山田先生はニヤニヤしながら何度も頷いている。
「こ、こら!」
顔真っ赤の土井先生を見ながら、さっき回想していたことについて色々思い巡らす。
あの男性。
土井先生と顔が瓜二つだった。
それだけじゃない。
優しくて世話焼きなところも…同じだった。
でも、結局同じ大学に入っても会うことはなかった。
今どうしてるんだろう。
まだ大学に残っているのだろうか。
はたまた入れ違いに卒業して大学を去ったのか。
「ん、どうした?そんなに人の顔ジロジロ見て」
「…いえ、何でもないです。ははは…」
土井先生が怪訝な顔つきで私を見る。
向こうの世界の、貴方と酷似した人のことを考えてました、なんて言えないから笑って誤魔化した。
それにしても、外は依然として寒い。
手がかじかんできたから、堪らずはぁっと息を吐いて温めた。
たちまち息が白さを帯びて、はっきりとカタチを見せる。
「寒いか?」
「…はい、すっごく」
「…私の手で良ければ」
温めるよ、と最後まで口にはしない。
言葉の代わりに、照れ顔で手を差し出してくれた。
土井先生らしい。
素直に嬉しくて、先生の手に自分の手を重ねる。
私の手をすっぽりと包み込んでくれる大きな手。
暖かい。
前いた世界でも、貴方とよく似た人に会っていたなんて。
改めて土井先生との出逢いに、運命めいたものを感じる。
同時に、あの人は土井先生の生まれ変わりなんだって輪廻の存在を確信した。
「うーん、青春だねぇ…」
「見ているこっちが恥ずかしいっすね、山田先生」
山田先生ときり丸君が顔を見合わせている。
他のは組のみんなも私たちを見てニヤニヤしている。
好奇の視線を感じるけど、温もりを手放せなくてどうでもよくなってしまう。
私たち二人に気を使ったのかはわからないが、皆はそろそろお開きだと教室へ戻り出した。
土井先生の手を見ながら思う。
あのまま向こうに居たら「土井先生の生まれ変わりさん」とは縁がなかったのかもしれない。
だから、神様がもう一度チャンスをくれて、私をこの世界に召喚させた。
恋する乙女の思考回路って凄い。
ここまで自分に都合よく考えてしまうんだから。
もうどうしようもないほど、私は土井先生のことが好き。
自覚してからは、寝ても醒めても…貴方のことを想ってる。
今だって、手を握られて心臓の音が外に漏れそうなほど。
「そろそろ中へ入ろうか」
手を離した土井先生が踵を返し、校舎へ向かって歩いていく。
その手の暖かさが私の手からすり抜けて、寂しい。
先生の背が次第に小さくなる。
離れて欲しくない。
…いや、違う。
離さない。
待つんじゃなくて、自分から動かないと。
前の世界のようにすれ違ってしまうのだけはイヤだから。
「空君…?」
いつまでたっても私がついてこないので、土井先生がこっちを振り返る。
それを見計らったように、抱きつくために先生目掛けて走り、勢いよく飛び込む。
次の瞬間、びっくりした表情で私を受け止めながら、二人で冷たく白い世界へ沈んだ。
「…さすがに、全身雪の上は冷たくて寒い」
私の下敷きになって、仰向けで倒れている土井先生。
照れ交じりの声で呟くと、私を思いっきり抱き締め返してくれた。
室町時代にも異常気象があるのかと驚いた。
私は今は組のみんなと雪合戦をしている。
始めは外寒いから嫌だなと思っていたけど、この沢山積もった雪を自由にできるのが爽快で、童心に返ったように楽しんでいる。
土井先生、山田先生も交えての対抗戦。
二つのチームに別れ、互いに雪玉を投げ合っている。
そんな中、敵側に回った乱太郎君、きり丸君、しんべヱ君が大きな雪玉を作りあげた。
バスケットボール、いやそれ以上の大きさだ。
嫌な予感がした。
三人の中で一番怪力のしんべヱ君が私に狙いを定めている。
「空さん、いっくよ~!それ!」
避けなければと思っても、呆気にとられた上に私の反射神経が鈍すぎて体が動かない。
既に雪玉は宙を舞っている。
気づいた先生二人が慌てて止めに入ろうとするも寸でのところで間に合わず、その雪玉が見事に私の顔面に直撃した。
「…っ!」
雪玉とはいえ、結構な大きさになると重くて硬い。
雪だと柔らかそうに聞こえるが、水は固体化したら氷になる。
その氷が顔に当たるとすると、私の感じた痛みは想像に難く無いだろう。
何でこんな目に、と呪いながら、ほんの少しの時間、意識が飛んでしまった。
あの日も、今日みたいに雪が積もっていた―
***
私が室町時代に来る前よりもう少し前のこと。
高校三年生の受験生だったときまで遡る。
入学試験の為、第一志望の大学の構内に居る。
前日は大雪。
今も地面に雪が沢山残っている。
本命の大学を前に気持ちは昂り、身体が強張る。
門構えから既に重厚感溢れ、質実剛健な雰囲気。
周りの受験生が皆優秀に見え、圧倒されてしまう。
この大学を受験するのは同じ高校の子は他にも居る。
けれど受験会場が違うので今は私一人。
とても心細かった。
既に見学した受験会場の設備は老朽化しており、暖房がかかっていなかった。
外にいても、中にいても寒い。
気持ちを落ち着けようと、会場から近い外のベンチに腰掛けた。
滑り止めで受けた大学とは違う、デザインも古めかしくて年季の入った錆びたベンチ。
でもそれが翻ってこの大学が持つ伝統や尊厳を感じさせ、ますます入学したいと思いを強くする。
座って目の前には講堂を収容している、大学のランドマークともいえる一番大きな建物があった。
その他は見渡すと煉瓦造りから瀟洒なデザインのものまで様々な建物が目に入る。
座っているベンチに平行するように後ろには茂みが伸び、さらにその奥には芝生が広がってテーブルと椅子がセットでまばらに置いてある。
学生たちが集まる憩いの場。
あと数ヶ月すれば、私はここで新しい友達とキャンパスライフを満喫しているのだろうか。
ふと、ベンチの後ろの茂みの葉に霜がついてるのを見つけた。
眩く光る結晶のよう。
化学の授業で行った再結晶の実験が瞬時に頭の中に浮かぶ。
小さな結晶の核から徐々に大きい結晶が形成されていく様をその霜に重ねていた。
意識を現実に引き戻す。
試験直前。
持ち物を確認しておこう。
時計は腕に身に着けている。
筆記用具も全部揃ってる。
そして、受験票も持参している。
…あれ?
完璧だと思っていたのに、今手にしている受験票に違和感を覚え、驚愕した。
「うそー!!」
周囲にいた人が振り返るほどの大絶叫後、頭が真っ白になった。
持ってきていたのは、別の大学の受験票。
違う受験票を持ってきてしまった。
「どうしよう、どうしよう…!?」
錯乱状態に陥った私はカバンの中身を全部ひっくり返し、必死で探す。
だけど、やっぱり今日必要な受験票は見つからない。
自宅まで取りに帰ろうかと思ったけど、戻ってきた頃には試験は終了している。
目の前が真っ暗になった。
この日のために費やしてきた努力が全て水の泡。
実力を出せないまま、戦わずして負ける。
こんな些細なミスで棒に振ることになるなんて。
大事な日に重要な過ちを犯した自分自身に腹が立って、悔し涙が頬を伝う。
八方塞がり。詰んだ。
そう思った。
滑り止めの大学に進学するか浪人生活を覚悟しなければならない。
悔しさと絶望の中に諦めの感情が混じってくる。
周囲の人の目も憚らず、涙だけがどんどん溢れてくる。
その時、不意に一人の男性から声をかけられた。
「あの…、受験生…だよね?」
「?」
在学生だろうか。
落ち着いていて、年齢は自分よりもずっと上な印象を受ける。
それ以上の細かい特徴は、余裕がなくて把握できなかった。
「さっき、カバンの中必死に探したけど、忘れ物した?」
「………」
全く知らない人だったけど、戸惑いの感情は一切ない。
万事休すな私。
藁にもすがる思いで、今の状況を伝える。
「…受験票、忘れてしまって…」
その男性は一瞬キョトンとしたけど、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「僕に付いてきて」
「え?」
「行こう、案内の係員さんのところに」
「…」
「ほら、早く」
その急かす声に促されて、カバンから出した荷物を慌てて詰め込む。
何とかなるかもしれない。
涙を拭って、案内する彼に付いていった。
***
「これが再発行した受験票ね。毎年絶対何人か忘れる子、いるのよね~」
「ありがとうございます。シナ先輩。流石、仕事が早いですね」
男性が案内してくれた場所は、大学の正門近くに設置された受験の事務局だった。
名前と学校名を伝えて学生証を提示すると、10分ほど待った後受験票を再発行してもらえた。
その手続きをしてくれた人は、この世に存在して良いのかと疑うほどの美しい女性。
話しぶりから、助けてくれた男性とシナ先輩と呼ばれた女性は顔見知りの様だった。
「慌てて取りに帰らなくてよかったわね。それだけは絶対やっちゃだめだから。意外と知らないのよね。はい、これ」
その女性から受験票を手にしたとき、試験に臨める嬉しさでようやく私に笑みが戻ってきた。
「そろそろ会場に行った方がいいんじゃない?開始までもう15分切ってるわよ」
「はい、そうします。…本当に何から何までありがとうございました」
二人に深くお辞儀をして、事務局を後にする。
男性はそのまま事務室に残るかと思ったら、私に付いてくる。
「ここから受験会場はわかる?」
私は首を縦に振った。
「…でも、心配だからついていくよ。さっきの受験票見せて?会場名が記載しているはずだから」
世話焼きな性格なのだろうか。
もう十分救ってもらったのに、ここまで気を配ってくれて。
申し訳ないと思いつつ、彼の言うがままに受験票を提示する。
「A棟かぁ…あそこ冷暖房壊れてるんだよね。寒いかもしれないけど大丈夫?」
細かいところまでよく気づく人。
防寒対策はばっちり準備してきたので、彼の質問に、また無言で頷いた。
ギュッギュッと雪を踏む音を立てながら目的地へ向かう。
彼は大学内を知り尽くしていて、最短距離で会場まで連れて行ってくれた。
会場を前に、私の緊張は再び高まっていく。
「緊張してる?」
「…はい」
「懐かしいなぁ。僕も緊張したよ、当日。もう何年も前だけど。…頑張ってね」
緊張をほぐしてくれるような優しい笑顔。
この人に会ってなかったら、私はどうなっていたんだろう。
「あの…、今日は…本当にありがとうございました」
「そんなこと気にしなくていいから!ほら、試験に集中して。注意事項の説明が始まるから早く!」
腕時計で時間を確認する。
確かにこれ以上もたもたしていられない。
その男性に深く一礼した後、受験会場の中に入り、自分の席のある部屋まで走った。
***
「…うーん?」
まだ私の視界はぼやけている。
「大丈夫か?」
徐々にピントが合って、意識が戻ってくる。
すると大学で会ったあの男性の顔が目に飛び込んでくる。
やっと見つけた!
びっくりして勢いよく起きあがったが、心配して顔を覗き込んでいた土井先生と頭をごっつんこする。
「いったーっ!」
「……」
「す、すみません、土井先生…」
私が見つけた、と思った男性は居なかった。
代わりにいたのは、今無言でおでこを押さえている土井先生。
例の三人組が私の近くで申し訳なさそうにしている。
乱太郎君が一歩前に出て、口を開いた。
「調子に乗りすぎました。ごめんなさい…」
「…あれはやりすぎ!」
三人組には、ちょっと厳しめの拳骨をお見舞いした。
「土井先生焦ってましたよ~、ね、山田先生~?」
しんべヱ君がのんびりとした口調で、私が意識を失っている間の土井先生の様子を教えてくれた。
同意を求められた山田先生はニヤニヤしながら何度も頷いている。
「こ、こら!」
顔真っ赤の土井先生を見ながら、さっき回想していたことについて色々思い巡らす。
あの男性。
土井先生と顔が瓜二つだった。
それだけじゃない。
優しくて世話焼きなところも…同じだった。
でも、結局同じ大学に入っても会うことはなかった。
今どうしてるんだろう。
まだ大学に残っているのだろうか。
はたまた入れ違いに卒業して大学を去ったのか。
「ん、どうした?そんなに人の顔ジロジロ見て」
「…いえ、何でもないです。ははは…」
土井先生が怪訝な顔つきで私を見る。
向こうの世界の、貴方と酷似した人のことを考えてました、なんて言えないから笑って誤魔化した。
それにしても、外は依然として寒い。
手がかじかんできたから、堪らずはぁっと息を吐いて温めた。
たちまち息が白さを帯びて、はっきりとカタチを見せる。
「寒いか?」
「…はい、すっごく」
「…私の手で良ければ」
温めるよ、と最後まで口にはしない。
言葉の代わりに、照れ顔で手を差し出してくれた。
土井先生らしい。
素直に嬉しくて、先生の手に自分の手を重ねる。
私の手をすっぽりと包み込んでくれる大きな手。
暖かい。
前いた世界でも、貴方とよく似た人に会っていたなんて。
改めて土井先生との出逢いに、運命めいたものを感じる。
同時に、あの人は土井先生の生まれ変わりなんだって輪廻の存在を確信した。
「うーん、青春だねぇ…」
「見ているこっちが恥ずかしいっすね、山田先生」
山田先生ときり丸君が顔を見合わせている。
他のは組のみんなも私たちを見てニヤニヤしている。
好奇の視線を感じるけど、温もりを手放せなくてどうでもよくなってしまう。
私たち二人に気を使ったのかはわからないが、皆はそろそろお開きだと教室へ戻り出した。
土井先生の手を見ながら思う。
あのまま向こうに居たら「土井先生の生まれ変わりさん」とは縁がなかったのかもしれない。
だから、神様がもう一度チャンスをくれて、私をこの世界に召喚させた。
恋する乙女の思考回路って凄い。
ここまで自分に都合よく考えてしまうんだから。
もうどうしようもないほど、私は土井先生のことが好き。
自覚してからは、寝ても醒めても…貴方のことを想ってる。
今だって、手を握られて心臓の音が外に漏れそうなほど。
「そろそろ中へ入ろうか」
手を離した土井先生が踵を返し、校舎へ向かって歩いていく。
その手の暖かさが私の手からすり抜けて、寂しい。
先生の背が次第に小さくなる。
離れて欲しくない。
…いや、違う。
離さない。
待つんじゃなくて、自分から動かないと。
前の世界のようにすれ違ってしまうのだけはイヤだから。
「空君…?」
いつまでたっても私がついてこないので、土井先生がこっちを振り返る。
それを見計らったように、抱きつくために先生目掛けて走り、勢いよく飛び込む。
次の瞬間、びっくりした表情で私を受け止めながら、二人で冷たく白い世界へ沈んだ。
「…さすがに、全身雪の上は冷たくて寒い」
私の下敷きになって、仰向けで倒れている土井先生。
照れ交じりの声で呟くと、私を思いっきり抱き締め返してくれた。