28.長い一日(前編)
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季節は二月の終わりの頃。
午後、空は食堂の仕事の後片付けを行っていた。
もう慣れたものでてきぱきと手際がいい。
(あとは竈の掃除だけ……)
やることがあと一つになり、余裕を感じた空はつい懐からあるものを取り出す。
それは櫛――先日のデートで半助が贈ってくれたものだ。
(土井先生……)
空はその櫛を愛おしげに見つめる。
半助を想って口許が緩んだ瞬間、不意に後ろから声をかけられた。
「空ちゃん!いつもながら、仕事が早いわね」
「食堂のおばちゃん!」
空はドキリとした。
さっきのにやついた顔を見られてはないだろうか。
声をかけられたとき、櫛は咄嗟に隠した。
が、おばちゃんはバッチリ見ていた。
「空ちゃん、土井先生からもらった櫛見てたんでしょ。肌身はださず持ち歩いちゃって!」
「お、おばちゃん……」
「今日も食堂に土井先生が来てた時、顔に出てたわよ」
おばちゃんの一言で、空の顔に熱がこもる。
「……そんなに、顔に出てますか?私」
おばちゃんは笑顔でウンウンと頷く。
お昼の一部始終を思い出していた。
***
「食堂のおばちゃん!今日は早朝から一年は組の実習に付き合ったから、おなかが空いてしまって……ご飯おかわりできる?」
そう言って、申し訳なさそうに半助が空になった茶碗をおばちゃんに渡した。
「珍しいわね。よっぽどお腹が空いてたのね。ちょっと待ってて」
おばちゃんは厨房へ戻ると、ランチを配膳している空に声をかけた。
「空ちゃん、これよそって土井先生に渡してきて」
「えっ!?あ、はい!」
おばちゃんに言われ、何より別の理由があって、空は急いで茶碗を受け取り、ご飯の入ったお櫃を取りにいった。
「あれ?空さん~、俺のAランチは?」
注文口にいる五年組の尾浜勘右衛門はにへーっと締まりのない顔で催促する。
淑やかで美しい空は上級生の忍たまたちの憧れの的なのだ。
従って、注文口での会話は彼らにとっては非常に重要な意味がある。
ここにいる勘右衛門もまた、その一人。
ささやかな空とのやりとりを楽しみにしていた。
が、その期待はあっけなく裏切られた。
「尾浜君、空ちゃんは別の仕事を任せたから。というわけで、はい!私からAランチ!」
ウィンクとともにきっぷのいい声でおばちゃんが食膳の盆を差し出した。
「……」
あてが外れた勘右衛門はピキっとその場に固まっていた。
一方、お茶を飲みながら半助は待っている。
が、近づいてくる人物に心が弾むのを抑えきれなかった。
透き通った声が耳心地良い。
「土井先生、これどうぞ」
ただご飯を持ってきただけなのに、空の表情はどこか嬉しそうにしていた。
「ああ、ありがとう」
隣には伝蔵がいる。
なるべく平静を装って半助は茶碗を受け取ろうとする。
が、受け取った瞬間、茶碗を介してふたつの手と手が重なってしまう。
「あ……」
半助の男らしい手の感触にドキッとした空が思わず声を漏らした。
「ご、ごめんなさい」
「い、いや……大丈夫だよ」
ほんのりと顔を赤らめた空は、そそくさとその場から去ってしまった。
半助は半助で、触れた手から全身に熱が回ったようで、頬に赤みがさしている。
そんな半助を横にいる伝蔵は悪戯っぽい顔つきでじっと見つめていた。
「な、何ですか……山田先生」
「ワシもお代わりしようかとおもったんじゃが、この空気だけでもうお腹いっぱいだ。ごちそうさま」
半助の赤い顔がさらに濃くなったのは、言うまでもなかった。
***
「なんてやり取りがあったじゃない!この目でしっかりと見てたわよ」
「もう、そんなに事細やかに言われると恥ずかしいです!」
「手が触れただけで照れちゃうし、ここ片付けしながら土井先生のこと考えてたんでしょ!」
「……」
食堂のおばちゃんによる正確無比な読みが空の胸に突き刺さる。
全部図星だった。
「とにかく、恋は勢いよ。チャンスを掴んで流れになったら、こっちのもんなんだから!」
それだけ言うと、おばちゃんは用があるようですぐどこかへ行ってしまった。
「もう、おばちゃんは……。そうやって言うのは簡単だけど……」
呆れながらも、まるで自分の娘のように目をかけてくれる食堂のおばちゃんをありがたく思った。
(ついおばちゃんと長話しちゃった……残りの仕事をやらないと……)
気を取り直し、空は竈の掃除に着手した。
外側を拭き、中の燃え殻をかき集め処分していく。
(私も早く料理できるようになりたいな。そしたら、土井先生にご飯作ってあげられるのに、春休みとか……)
そこまで考えて、自分自身の言葉に動揺する。
春休みも半助の家に行く気満々ではないか、と。
あのデートの件で気が大きくなっているのか、自然と大胆なことを考えてしまっていたのだ。
(ま、まだ土井先生には何も言われてないけど、きりちゃんが当たり前のように家に誘うから、つい……)
勝手に一人で盛り上がって疲れた空は、じっと竈を見つめる。
まだ、あの不思議な体質は治っていない。
火に近づくと、その炎が激しくなる奇妙な体質―――
一定期間、この特異体質と向き合ってみて、空には何となくわかったことがある。
この炎は自分の精神状態に左右されている。
そんな気がしていた。
特に、悲しみや不安、落胆といった負の感情で心が覆われている時は烈火のごとく燃え盛るのだ。
しかし、根本的な解決には至っていない。
この体質のせいで、未だに料理はおばちゃん任せっきりだ。
そんなこと気にしないで、とおばちゃんやきり丸たちは慰めの言葉をかけてくれるが、空にだって意地がある。
全うに仕事をこなしたい、と。
それに、愛する人のために尽くしたいというのが女心というものだ。
だったら、何が何でも治ってくれないと困る。
(もう、いい加減この体質治ったらいいのに!)
ふくれっ面をする空に、頭の中から突然怒声が飛んだ。
〈それはあなた次第なの! 〉
「えっ!?」
女の声だった。
あの奇妙な夢に出現する、完璧な美貌を持つ巫女装束を纏った女―――
(???私次第ってどういうこと……!?)
ぼーっとした顔で、空はしばしその場に立ち尽くしていた。
午後、空は食堂の仕事の後片付けを行っていた。
もう慣れたものでてきぱきと手際がいい。
(あとは竈の掃除だけ……)
やることがあと一つになり、余裕を感じた空はつい懐からあるものを取り出す。
それは櫛――先日のデートで半助が贈ってくれたものだ。
(土井先生……)
空はその櫛を愛おしげに見つめる。
半助を想って口許が緩んだ瞬間、不意に後ろから声をかけられた。
「空ちゃん!いつもながら、仕事が早いわね」
「食堂のおばちゃん!」
空はドキリとした。
さっきのにやついた顔を見られてはないだろうか。
声をかけられたとき、櫛は咄嗟に隠した。
が、おばちゃんはバッチリ見ていた。
「空ちゃん、土井先生からもらった櫛見てたんでしょ。肌身はださず持ち歩いちゃって!」
「お、おばちゃん……」
「今日も食堂に土井先生が来てた時、顔に出てたわよ」
おばちゃんの一言で、空の顔に熱がこもる。
「……そんなに、顔に出てますか?私」
おばちゃんは笑顔でウンウンと頷く。
お昼の一部始終を思い出していた。
***
「食堂のおばちゃん!今日は早朝から一年は組の実習に付き合ったから、おなかが空いてしまって……ご飯おかわりできる?」
そう言って、申し訳なさそうに半助が空になった茶碗をおばちゃんに渡した。
「珍しいわね。よっぽどお腹が空いてたのね。ちょっと待ってて」
おばちゃんは厨房へ戻ると、ランチを配膳している空に声をかけた。
「空ちゃん、これよそって土井先生に渡してきて」
「えっ!?あ、はい!」
おばちゃんに言われ、何より別の理由があって、空は急いで茶碗を受け取り、ご飯の入ったお櫃を取りにいった。
「あれ?空さん~、俺のAランチは?」
注文口にいる五年組の尾浜勘右衛門はにへーっと締まりのない顔で催促する。
淑やかで美しい空は上級生の忍たまたちの憧れの的なのだ。
従って、注文口での会話は彼らにとっては非常に重要な意味がある。
ここにいる勘右衛門もまた、その一人。
ささやかな空とのやりとりを楽しみにしていた。
が、その期待はあっけなく裏切られた。
「尾浜君、空ちゃんは別の仕事を任せたから。というわけで、はい!私からAランチ!」
ウィンクとともにきっぷのいい声でおばちゃんが食膳の盆を差し出した。
「……」
あてが外れた勘右衛門はピキっとその場に固まっていた。
一方、お茶を飲みながら半助は待っている。
が、近づいてくる人物に心が弾むのを抑えきれなかった。
透き通った声が耳心地良い。
「土井先生、これどうぞ」
ただご飯を持ってきただけなのに、空の表情はどこか嬉しそうにしていた。
「ああ、ありがとう」
隣には伝蔵がいる。
なるべく平静を装って半助は茶碗を受け取ろうとする。
が、受け取った瞬間、茶碗を介してふたつの手と手が重なってしまう。
「あ……」
半助の男らしい手の感触にドキッとした空が思わず声を漏らした。
「ご、ごめんなさい」
「い、いや……大丈夫だよ」
ほんのりと顔を赤らめた空は、そそくさとその場から去ってしまった。
半助は半助で、触れた手から全身に熱が回ったようで、頬に赤みがさしている。
そんな半助を横にいる伝蔵は悪戯っぽい顔つきでじっと見つめていた。
「な、何ですか……山田先生」
「ワシもお代わりしようかとおもったんじゃが、この空気だけでもうお腹いっぱいだ。ごちそうさま」
半助の赤い顔がさらに濃くなったのは、言うまでもなかった。
***
「なんてやり取りがあったじゃない!この目でしっかりと見てたわよ」
「もう、そんなに事細やかに言われると恥ずかしいです!」
「手が触れただけで照れちゃうし、ここ片付けしながら土井先生のこと考えてたんでしょ!」
「……」
食堂のおばちゃんによる正確無比な読みが空の胸に突き刺さる。
全部図星だった。
「とにかく、恋は勢いよ。チャンスを掴んで流れになったら、こっちのもんなんだから!」
それだけ言うと、おばちゃんは用があるようですぐどこかへ行ってしまった。
「もう、おばちゃんは……。そうやって言うのは簡単だけど……」
呆れながらも、まるで自分の娘のように目をかけてくれる食堂のおばちゃんをありがたく思った。
(ついおばちゃんと長話しちゃった……残りの仕事をやらないと……)
気を取り直し、空は竈の掃除に着手した。
外側を拭き、中の燃え殻をかき集め処分していく。
(私も早く料理できるようになりたいな。そしたら、土井先生にご飯作ってあげられるのに、春休みとか……)
そこまで考えて、自分自身の言葉に動揺する。
春休みも半助の家に行く気満々ではないか、と。
あのデートの件で気が大きくなっているのか、自然と大胆なことを考えてしまっていたのだ。
(ま、まだ土井先生には何も言われてないけど、きりちゃんが当たり前のように家に誘うから、つい……)
勝手に一人で盛り上がって疲れた空は、じっと竈を見つめる。
まだ、あの不思議な体質は治っていない。
火に近づくと、その炎が激しくなる奇妙な体質―――
一定期間、この特異体質と向き合ってみて、空には何となくわかったことがある。
この炎は自分の精神状態に左右されている。
そんな気がしていた。
特に、悲しみや不安、落胆といった負の感情で心が覆われている時は烈火のごとく燃え盛るのだ。
しかし、根本的な解決には至っていない。
この体質のせいで、未だに料理はおばちゃん任せっきりだ。
そんなこと気にしないで、とおばちゃんやきり丸たちは慰めの言葉をかけてくれるが、空にだって意地がある。
全うに仕事をこなしたい、と。
それに、愛する人のために尽くしたいというのが女心というものだ。
だったら、何が何でも治ってくれないと困る。
(もう、いい加減この体質治ったらいいのに!)
ふくれっ面をする空に、頭の中から突然怒声が飛んだ。
〈それはあなた次第なの! 〉
「えっ!?」
女の声だった。
あの奇妙な夢に出現する、完璧な美貌を持つ巫女装束を纏った女―――
(???私次第ってどういうこと……!?)
ぼーっとした顔で、空はしばしその場に立ち尽くしていた。