「結莉さん」
ある日、赤城はふと結莉を呼ぶ。
「はい、何でしょう？」
結莉が赤城のもとへ近づくと、赤城は少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら口を開いた。
「…少し気分転換しませんか。ずっと部屋にこもりきりでは退屈でしょう」
「気分転換、ですか？」
「ええ。といっても僕が作る幻で良ければ、ですが」
どういうことだろうと結莉がキョトンとしていると赤城は困ったように微笑んだ。
「そうですね、結莉さんにはどういうことかわかりませんよね…。狐の怪物である僕は幻を作り出せるんです。狐が化かす、なんて人間の世界でも言いますよね。まあ、そんなものです。…で、その…結莉さんを、外の世界へお連れしようかと」
「外の世界ですか！？」
キラキラと結莉の瞳が輝き、嬉しそうに赤城を見つめてくる。
「ええ。先程も話したように本物でなく、幻の世界ですが。…そうですね、約束してください。まずは、僕から離れないこと。そして僕の言うことには必ず従って下さい。それが連れて行く条件です」
赤城の言葉に結莉はコクリと頷く。
「わかりました。赤城さんの言うことは必ず守ります」
フッと赤城は結莉に微笑むと、すぐに幻を作り出す。
見渡せばそこは広い広い海だった。真っ青な空に白い砂浜。美しい光景に結莉は思わず見とれてしまった。
「水の中には入らないで下さいね。それから…」
赤城は結莉に注意すると、険しい顔で何やら考え込む。
「赤城さん？」
そっと結莉が赤城の顔を覗き込むと、赤城は驚いた顔をするが、また険しい表情になる。意を決したように結莉の顔を見ると、赤城は勢いよく結莉の手を握った。
「あくまで…、あくまで、貴女が陣から出ないようにするためです。ただ、それだけですから！」
「え？はい」
「い、行きますよ」
赤城は結莉と手を繋いだまま、ゆっくり砂浜を歩き出す。
歩きながら結莉の様子をうかがうと、彼女は美しい海に夢中になっていた。
押し寄せる波を見つめ、楽しそうに微笑んでいる。
きっと彼女は気づいていない。
僕の淡いこの想いに。
「優しすぎるのも考え物ですね」
ボソッと呟いた言葉は波の音にかき消され、彼女には届かない。
僕は彼女に気づいて欲しいのだろうか。
僕は…できることなら、もうしばらく彼女とともにいたい。
いつまでこの関係は続くのだろうか。
飯生さまは彼女をどうするのだろうか。
もしも彼女を手にかけようとするのなら、その時僕は…。
「赤城さん」
「！　は、い？」
突然結莉に声をかけられ、うわずった返事をしてしまう。
「大丈夫ですか？何だか、その、辛そうでしたから…」
「………何でも、ありません」
優しさに縋りたくなってしまう想いを留めて、赤城は無理矢理話題を変える。
「どうです？いい気分転換になりましたか？」
「えっ、はい！とっても素敵です！連れてきて下さってありがとうございます！あの…幻の世界だと赤城さんは仰いましたけど…、赤城さんとこうして海沿いを歩いた思い出は、幻ではありませんから。とっても楽しかったです。…本当に、ありがとうございます。」
結莉の言葉に思わず涙が出そうになり、ぐっと堪える。
「貴女が喜んでくれるなら、それで良いんです。さて、帰りますよ」
赤城はフッと幻を解く。瞬時に海は消え去り、いつもの赤城の部屋に戻ってきた。
結莉の手を離すと、赤城は「手を洗ってくる」と告げて洗面台へ行く。
赤城の目から涙が一筋溢れ出す。
「…本当に、貴女は、困った人です…」
この想いを洗い流すことなど、出来はしない。この先どうしたら良いのかなんてわからない。
このままずっと変わらずに過ごせたらいいのに。そんな有り得ないことを願ってしまう。
苦しくて、苦しくて、縋りたい。
彼女の笑顔が、優しさが、鋭い刃となって赤城に突き刺さる。
僕は彼女を、人間の彼女を、人質の彼女を、愛している。