人と怪物の辿る道
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早朝。
三代目太三郎狸が息を引き取った。
屋島中が大きな悲しみに包まれる。粛々と葬儀が執り行われ、伊予姫という少女が頭領を引き継ぐこととなった。
葬儀に参列した際、結莉は初めて伊予姫に会った。大切なヒトを亡くした彼女は、虚ろな目をしていた。感情を殺した目。涙一つ見せることなく頭領としての役目を果たす彼女の姿に心が痛んだ。
太三郎狸が息を引き取ったのは赤城・花楓による襲撃のせいだ。赤城を慕う結莉のことを伊予姫が憎んでいる可能性もある。だから、結莉は彼女に声をかけることができなかった。
伊予姫の虚ろな瞳が心に焼き付いて離れなかった。
翌日、花楓が目を覚ましたという知らせを受けた結莉は、隠神とともに花楓のもとへ向かった。途中で綾・織と合流する。綾は結莉に何か話しかけようとしてやめてしまった。そんな綾の様子に結莉は苦笑する。
「ごめんなさい。気を遣わせてしまったのね。私のことは大丈夫。…ありがとう」
結莉の言葉に綾は目を潤ませた。
「綾ちゃんが一緒ってことは…治すのね、花楓さん」
「うん。医者は患者を裁かないから」
「…立派なのね」
「おばあちゃんの受け売りだけど」
そう言って綾は恥ずかしそうに笑った。
目を覚ました花楓は何事もなかったようにあっけらかんとしていた。
綾は力を使い花楓の両目を治す。
「新しい目でしっかり見なさいよね。あんたが傷つけたもの全部」
花楓は綾の言葉をどれだけ理解できただろうか。目が見えるようになった花楓はキョロキョロと辺りを見回す。
結莉を見つけると無邪気に尋ねてきた。
「あ!結莉さんだ!なーなー、赤城さんは?どこいったの?」
「赤城さんは…、赤城さんは…もういないの」
言葉を詰まらせながらなんとか答えるも花楓はキョトンと首を傾げる。
「…死んでしまったの。だから、もういないの」
結莉の言葉に花楓は目を丸くする。
「嘘だ…」
ポツリと呟いた花楓はそれきり黙り込んだ。
その後、花楓の処遇についての協議が行われることとなった。
結莉達は協議が行われる一室へと向かったが夏羽の姿はなかった。部屋の入口で女性にバインダーを手渡される。
「協議の前に投票にご協力ください。四代目太三郎さまの強いご希望なんです。屋島中の皆さまに伺ってるんですよ」
投票用紙に目を落とした結莉は愕然とした。
厳粛な空気の中、ついに協議が始まった。
「それではこれより賊の処遇についての協議を行います。普段でしたら悪人の処分は太三郎さまにご決断いただきますが…なにぶん四代目は就任して間もなく悲しみの渦中におられます。みなさまのお知恵と…お手心を頂戴したく存じます。では賊をこちらに」
全吉の口上の後、籠に詰められた狐姿の花楓を抱えてやってきたのは夏羽だった。
「夏羽くん!!花楓さん!!」
結莉は席を立ち、夏羽に飛びついた。
「結莉さん…!」
夏羽は結莉が微かに震えていることに気付くと、彼女の頭を優しく撫でた。
「なあこれなに?なんで俺夏羽クンと一緒にいんの?」
状況を理解していない花楓が呑気に疑問を口にする。
「花楓…言葉に気をつけて。でないと死ぬ」
「は?」
真剣な眼差しを向ける夏羽に心底わからないという表情を浮かべる花楓。
「始める前にちょっと待った!!」
挙手をして申し立てる織を全吉が促すと、織は夏羽になんで花楓側にいるのか・何か隠し事をしているのではないかと詰め寄った。夏羽は織から目をそらして何もないと答えた。
そんな様子を見ていた佐渡狸頭領団三郎が、夏羽達に訝しげな視線を向ける。
「なんじゃなんじゃ賊というのはこの若造二人組か?そこのお嬢さんも賊の一味なのか?」
「いえ、お待ちください団三郎さま。夏羽どのは屋島を賊から守ってくださった恩人です。狢殺しに使用している蔓は我らにとって毒…夏羽どのが運搬と見張りを買って出てくれたのです」
「そ…そう、そうですでした」
「結莉どのも賊から屋島を守る為、尽力してくださいました。彼女は賊と面識があるようですが、決して一味ではございません。彼女の尽力がなければ屋島の被害はもっと大きかったはずです。賊は二人組でした。亡骸を保管しておりましたが、これは共に戦った狐の青年に盗まれました」
「盗まれた?情けない…。その義を欠く者おめおめ逃したのか?」
厳しい目を向ける団三郎を制したのは伊予姫だった。
「よいのじゃ団じい。狐の男子は…もともと亡骸をくれと申しておった。父上は反対したが伊予は望み通りにしてやろうと思うておった。そのことについてはさほど問題視しておらぬ」
一呼吸おいて伊予姫が続ける。
「伊予が皆に聞きたいことはひとつじゃ。おじいを殺したこの賊の残党、討つか?討たぬか?」
顔をあげた伊予姫の険しい表情に結莉は凍りつく。
その時、隣に正座する夏羽が結莉の手に自身の手を重ねてくれた。伊予姫を見る夏羽の目はまだ諦めていなかった。
(ここで諦めたら、花楓さんは死んでしまう。止めなくちゃ。絶対に…!)
結莉も真っ直ぐに伊予姫を見る。
伊予姫は淡々と続ける。
「屋島の総意とは太三郎の意ではない。民の意であると伊予は考える。ゆえに皆に投票を募った。これを見てほしい」
小さな狸がトコトコやってきて丸めた大きな紙を広げる。
【討つ】に正の字がびっちりと書かれている。【白票】も同じくらいだった。【討たぬ】はわずか四票である。
投票結果に結莉と夏羽の顔が険しくなる。
「おじいが死ぬ前までは慈悲をかける者も多少はおったが……もはや一目瞭然じゃ。が……伊予は皆の意見を聞きたい。わずか四票ではあるが…討たぬに入れた者はここにおるか?」
伊予姫の言葉に場が静まり返る。
少しして最初に口を開いたのは全吉だった。
「…討たないに入れたのは俺です」
「!」
「そうすることで…守られるものがあるからです」
「……?。ふぅん……ようわからぬが全吉はそう思うのじゃな」
「もう一票は俺が入れた…入れました」
「夏羽……」
「あの、皆さんに聞いてほしい。花楓を今ここで殺しても「なあ!さっきから何の話してんだよ!なんで俺が殺されなきゃいけねーんだ!」
夏羽の言葉を遮って花楓が吠える。
「てゆーか夏羽クン、赤城さんどこ行ったか知らない?俺、赤城さんと一緒に狸喰いに来たんだよね」
花楓の言葉に伊予姫の視線が冷たくなる。
「花楓、狸の人たちの前でそういうことを言ってはだめ」
「そういうこと…?」
「狸を喰うとかいうこと。仲間を喰われて良い気分になる人は少ない。それと、赤城は死んだ」
「…夏羽クンまで野火丸みたいなこと言うなよ。俺、今日はハナきくからわかるもんね。あのへんから赤城さんのニオイするもん。いるじゃん、そこに!」
花楓が顔を向けた先にいたのは一人の女性だった。女性は慌てて否定する。
「へっ!?あ、あたしですか!?やですよ!あたし賊のことなんて何も……!」
花楓の視線の先にあったのは、女性の手元にあるウェットティッシュのボックスだった。
「あ、これですか!?これはさっき掃除に使ったやつで…」
「………、赤城さんじゃなかった……」
花楓がしょんぼりと眉を下げる。
「なー、夏羽クン。俺、あれ欲しい」
「ウェットティッシュ?なぜ?」
「?。わかんねーけど、なんとなく…赤城さんみたいなニオイするから……」
「悲しゅうないのか?」
様子を見ていた伊予姫が言葉を投げかける。
「おじいは、おぬしとその仲間の襲撃を受けて死んだ。おぬしの仲間は我らの抵抗を受けて死んだ。おぬし、わからぬのか?本当に、悲しみが……」
伊予姫が軽蔑・憎悪…なんともいえない負の感情を混ぜた表情で花楓を見つめる。
「伊予姫……、悲しいという気持ち……わからなかった、俺も。『怖い』とか『失いたくない』とかも……ちょっと前まで知らなかった。俺は花楓よりほんの少し知ってるだけで……それは教えてくれた人がいたからで…誰かを襲わないで我慢できてるのは、たまたま恵まれていただけで……。俺は……花楓に死なれるのはかまわないけど、死ぬ前にそういうことわかってほしい。だから……討たないに入れました」
「要するになんじゃ?この者に足りぬのは教養であると?」
「そう」
「そのしつけを誰がやる」
「俺がやる」
「……その言葉まことか……?」
伊予姫の目に一瞬光が戻る。
「いいや!理屈はわかるが手遅れだ!!」
声を荒げて多郎太が立ち上がる。
「夏羽よ、お前と其奴は似ているかもしれんが同じではない!お前は『襲わないで済んだ』が其奴は『襲った』。もう襲ったのだ!『知らなかった』では許されない!討つほかない!」
「うむ、同感じゃ」
多郎太の言葉に、協議の流れが【討つ】方向へと傾き始める。
「いいえ。花楓さんを討たないでください」
結莉の言葉に皆が彼女に注目する。冷たい視線を受ける彼女の眼差しはとても強い光を帯びていた。
真っ直ぐ、力強く、彼女は前を見据える。
「花楓さんに教養が必要なのは事実。花楓さんは、何が善で何が悪なのかわかっていないの。今の様子を見れば、わかるでしょう?花楓さんは変われるわ。だって夏羽くんの言葉がちゃんと届いているのだもの。彼がどうしようもない悪人なのだとしたら、夏羽くんの言葉に耳を傾けることもしないはずよ。討つことならいつでもできるわ。花楓さんが今のまま何も変わらないのだったら、その時に彼を討てばいいわ」
結莉の言葉に、【討つ】に賛同する者たちがたじろぐ。
「赤城さんは、私の大切なヒトだった。とても優しいヒトよ。屋島を襲撃したことも何か事情があってのこと。決して許されることではないけれど、赤城さんが残虐な悪人ではないことを私は知ってる。それだけは、皆さまにも知ってほしい。…私の意見は以上です」
「賊は屋島を襲撃した!それだけで残虐な悪人たりえる!事情を鑑みる必要などない!」
否定する多郎太を隠神が制する。
「入っていたのは四票だ。伊予はみんなの意見を聞きたいんだろ?まだ発言してない奴がいるんじゃないのか。…まあ、ここにいるのかはわからんが…」
「……………伊予じゃ」
消え入りそうな声で名乗り出たのは伊予姫だった。まさかの人物に一同が唖然とする。
「伊予が討たないに入れた……。……伊予だけかと思うた……」
涙をこらえるような震えた声でポツポツと伊予が話し始める。
「投票などしたところでこうなるのはわかっておった……。伊予もこの者が憎い……。……でも…それよりも…、伊予の腹ひとつでこの者の命を奪うことが怖い……。だから殺しとうなかった……。だから討たないに入れた……」
「それは選択ではない。逃避だ。民にはできぬ決断をするのが頭領だ!!そのような……幼子のような弱音が通ると思うのか!」
「思わぬ!!」
叱責する多郎太に伊予姫が声を荒げる。
「思わぬ……!!」
そこで堰を切ったように伊予姫の目から大粒の涙が溢れだす。こらえていたものすべてを吐き出すような表情に胸が痛む。民のことを考え、殺していた感情・葛藤。彼女はどれほどの想いを抱え、苦しんでいたのだろう。
「…多郎太さまは【弱さ】と捉えるのですね」
全吉は真っ直ぐに多郎太を見据え、言葉を続ける。
「『殺せ』というのは問題から遠い者ほど容易に吐ける言葉です。命を奪うことに恐怖するのは真摯に向き合っているがゆえです。俺は…これを【勇気】と捉えます。四代目太三郎さまの御心を支持します」
「ぬるい!凡百の話はしておらぬ!長たる者の話をしている!」
「その通り。屋島が侮られれば狸全体の格も下がるというもの…。無罪放免など言語道断じゃ」
否定する多郎太・団三郎に誰もが言葉に詰まる。
「では、力を封じてはいかが?」
凛とした女性の声に振り返ると、発言をしたのは伊予姫の母・福姫だった。
「狢殺しに入れたまま夏羽ちゃんがお世話をするというのであれば、わたくしは様子を見てもよろしいかと思いますわ」
多郎太が福姫を咎めるも、福姫は譲らない。
「だってこのままじゃ伊予ちゃんがかわいそうですわ。わたくしは賊の命より娘の心が大事です。お父さまと多郎太さまは違いませんの?」
「む…」
流石に多郎太・団三郎も否定することができなかった。
「なるほどね。人間風に言うと刑罰と執行猶予というやつか」
「まあ、狢殺しの出来には自信がありますから、皆さんがいいならいいですよ」
思わず結莉は夏羽と顔を見合わせた。
流れが変わったのだ。
三代目太三郎狸が息を引き取った。
屋島中が大きな悲しみに包まれる。粛々と葬儀が執り行われ、伊予姫という少女が頭領を引き継ぐこととなった。
葬儀に参列した際、結莉は初めて伊予姫に会った。大切なヒトを亡くした彼女は、虚ろな目をしていた。感情を殺した目。涙一つ見せることなく頭領としての役目を果たす彼女の姿に心が痛んだ。
太三郎狸が息を引き取ったのは赤城・花楓による襲撃のせいだ。赤城を慕う結莉のことを伊予姫が憎んでいる可能性もある。だから、結莉は彼女に声をかけることができなかった。
伊予姫の虚ろな瞳が心に焼き付いて離れなかった。
翌日、花楓が目を覚ましたという知らせを受けた結莉は、隠神とともに花楓のもとへ向かった。途中で綾・織と合流する。綾は結莉に何か話しかけようとしてやめてしまった。そんな綾の様子に結莉は苦笑する。
「ごめんなさい。気を遣わせてしまったのね。私のことは大丈夫。…ありがとう」
結莉の言葉に綾は目を潤ませた。
「綾ちゃんが一緒ってことは…治すのね、花楓さん」
「うん。医者は患者を裁かないから」
「…立派なのね」
「おばあちゃんの受け売りだけど」
そう言って綾は恥ずかしそうに笑った。
目を覚ました花楓は何事もなかったようにあっけらかんとしていた。
綾は力を使い花楓の両目を治す。
「新しい目でしっかり見なさいよね。あんたが傷つけたもの全部」
花楓は綾の言葉をどれだけ理解できただろうか。目が見えるようになった花楓はキョロキョロと辺りを見回す。
結莉を見つけると無邪気に尋ねてきた。
「あ!結莉さんだ!なーなー、赤城さんは?どこいったの?」
「赤城さんは…、赤城さんは…もういないの」
言葉を詰まらせながらなんとか答えるも花楓はキョトンと首を傾げる。
「…死んでしまったの。だから、もういないの」
結莉の言葉に花楓は目を丸くする。
「嘘だ…」
ポツリと呟いた花楓はそれきり黙り込んだ。
その後、花楓の処遇についての協議が行われることとなった。
結莉達は協議が行われる一室へと向かったが夏羽の姿はなかった。部屋の入口で女性にバインダーを手渡される。
「協議の前に投票にご協力ください。四代目太三郎さまの強いご希望なんです。屋島中の皆さまに伺ってるんですよ」
投票用紙に目を落とした結莉は愕然とした。
厳粛な空気の中、ついに協議が始まった。
「それではこれより賊の処遇についての協議を行います。普段でしたら悪人の処分は太三郎さまにご決断いただきますが…なにぶん四代目は就任して間もなく悲しみの渦中におられます。みなさまのお知恵と…お手心を頂戴したく存じます。では賊をこちらに」
全吉の口上の後、籠に詰められた狐姿の花楓を抱えてやってきたのは夏羽だった。
「夏羽くん!!花楓さん!!」
結莉は席を立ち、夏羽に飛びついた。
「結莉さん…!」
夏羽は結莉が微かに震えていることに気付くと、彼女の頭を優しく撫でた。
「なあこれなに?なんで俺夏羽クンと一緒にいんの?」
状況を理解していない花楓が呑気に疑問を口にする。
「花楓…言葉に気をつけて。でないと死ぬ」
「は?」
真剣な眼差しを向ける夏羽に心底わからないという表情を浮かべる花楓。
「始める前にちょっと待った!!」
挙手をして申し立てる織を全吉が促すと、織は夏羽になんで花楓側にいるのか・何か隠し事をしているのではないかと詰め寄った。夏羽は織から目をそらして何もないと答えた。
そんな様子を見ていた佐渡狸頭領団三郎が、夏羽達に訝しげな視線を向ける。
「なんじゃなんじゃ賊というのはこの若造二人組か?そこのお嬢さんも賊の一味なのか?」
「いえ、お待ちください団三郎さま。夏羽どのは屋島を賊から守ってくださった恩人です。狢殺しに使用している蔓は我らにとって毒…夏羽どのが運搬と見張りを買って出てくれたのです」
「そ…そう、そうですでした」
「結莉どのも賊から屋島を守る為、尽力してくださいました。彼女は賊と面識があるようですが、決して一味ではございません。彼女の尽力がなければ屋島の被害はもっと大きかったはずです。賊は二人組でした。亡骸を保管しておりましたが、これは共に戦った狐の青年に盗まれました」
「盗まれた?情けない…。その義を欠く者おめおめ逃したのか?」
厳しい目を向ける団三郎を制したのは伊予姫だった。
「よいのじゃ団じい。狐の男子は…もともと亡骸をくれと申しておった。父上は反対したが伊予は望み通りにしてやろうと思うておった。そのことについてはさほど問題視しておらぬ」
一呼吸おいて伊予姫が続ける。
「伊予が皆に聞きたいことはひとつじゃ。おじいを殺したこの賊の残党、討つか?討たぬか?」
顔をあげた伊予姫の険しい表情に結莉は凍りつく。
その時、隣に正座する夏羽が結莉の手に自身の手を重ねてくれた。伊予姫を見る夏羽の目はまだ諦めていなかった。
(ここで諦めたら、花楓さんは死んでしまう。止めなくちゃ。絶対に…!)
結莉も真っ直ぐに伊予姫を見る。
伊予姫は淡々と続ける。
「屋島の総意とは太三郎の意ではない。民の意であると伊予は考える。ゆえに皆に投票を募った。これを見てほしい」
小さな狸がトコトコやってきて丸めた大きな紙を広げる。
【討つ】に正の字がびっちりと書かれている。【白票】も同じくらいだった。【討たぬ】はわずか四票である。
投票結果に結莉と夏羽の顔が険しくなる。
「おじいが死ぬ前までは慈悲をかける者も多少はおったが……もはや一目瞭然じゃ。が……伊予は皆の意見を聞きたい。わずか四票ではあるが…討たぬに入れた者はここにおるか?」
伊予姫の言葉に場が静まり返る。
少しして最初に口を開いたのは全吉だった。
「…討たないに入れたのは俺です」
「!」
「そうすることで…守られるものがあるからです」
「……?。ふぅん……ようわからぬが全吉はそう思うのじゃな」
「もう一票は俺が入れた…入れました」
「夏羽……」
「あの、皆さんに聞いてほしい。花楓を今ここで殺しても「なあ!さっきから何の話してんだよ!なんで俺が殺されなきゃいけねーんだ!」
夏羽の言葉を遮って花楓が吠える。
「てゆーか夏羽クン、赤城さんどこ行ったか知らない?俺、赤城さんと一緒に狸喰いに来たんだよね」
花楓の言葉に伊予姫の視線が冷たくなる。
「花楓、狸の人たちの前でそういうことを言ってはだめ」
「そういうこと…?」
「狸を喰うとかいうこと。仲間を喰われて良い気分になる人は少ない。それと、赤城は死んだ」
「…夏羽クンまで野火丸みたいなこと言うなよ。俺、今日はハナきくからわかるもんね。あのへんから赤城さんのニオイするもん。いるじゃん、そこに!」
花楓が顔を向けた先にいたのは一人の女性だった。女性は慌てて否定する。
「へっ!?あ、あたしですか!?やですよ!あたし賊のことなんて何も……!」
花楓の視線の先にあったのは、女性の手元にあるウェットティッシュのボックスだった。
「あ、これですか!?これはさっき掃除に使ったやつで…」
「………、赤城さんじゃなかった……」
花楓がしょんぼりと眉を下げる。
「なー、夏羽クン。俺、あれ欲しい」
「ウェットティッシュ?なぜ?」
「?。わかんねーけど、なんとなく…赤城さんみたいなニオイするから……」
「悲しゅうないのか?」
様子を見ていた伊予姫が言葉を投げかける。
「おじいは、おぬしとその仲間の襲撃を受けて死んだ。おぬしの仲間は我らの抵抗を受けて死んだ。おぬし、わからぬのか?本当に、悲しみが……」
伊予姫が軽蔑・憎悪…なんともいえない負の感情を混ぜた表情で花楓を見つめる。
「伊予姫……、悲しいという気持ち……わからなかった、俺も。『怖い』とか『失いたくない』とかも……ちょっと前まで知らなかった。俺は花楓よりほんの少し知ってるだけで……それは教えてくれた人がいたからで…誰かを襲わないで我慢できてるのは、たまたま恵まれていただけで……。俺は……花楓に死なれるのはかまわないけど、死ぬ前にそういうことわかってほしい。だから……討たないに入れました」
「要するになんじゃ?この者に足りぬのは教養であると?」
「そう」
「そのしつけを誰がやる」
「俺がやる」
「……その言葉まことか……?」
伊予姫の目に一瞬光が戻る。
「いいや!理屈はわかるが手遅れだ!!」
声を荒げて多郎太が立ち上がる。
「夏羽よ、お前と其奴は似ているかもしれんが同じではない!お前は『襲わないで済んだ』が其奴は『襲った』。もう襲ったのだ!『知らなかった』では許されない!討つほかない!」
「うむ、同感じゃ」
多郎太の言葉に、協議の流れが【討つ】方向へと傾き始める。
「いいえ。花楓さんを討たないでください」
結莉の言葉に皆が彼女に注目する。冷たい視線を受ける彼女の眼差しはとても強い光を帯びていた。
真っ直ぐ、力強く、彼女は前を見据える。
「花楓さんに教養が必要なのは事実。花楓さんは、何が善で何が悪なのかわかっていないの。今の様子を見れば、わかるでしょう?花楓さんは変われるわ。だって夏羽くんの言葉がちゃんと届いているのだもの。彼がどうしようもない悪人なのだとしたら、夏羽くんの言葉に耳を傾けることもしないはずよ。討つことならいつでもできるわ。花楓さんが今のまま何も変わらないのだったら、その時に彼を討てばいいわ」
結莉の言葉に、【討つ】に賛同する者たちがたじろぐ。
「赤城さんは、私の大切なヒトだった。とても優しいヒトよ。屋島を襲撃したことも何か事情があってのこと。決して許されることではないけれど、赤城さんが残虐な悪人ではないことを私は知ってる。それだけは、皆さまにも知ってほしい。…私の意見は以上です」
「賊は屋島を襲撃した!それだけで残虐な悪人たりえる!事情を鑑みる必要などない!」
否定する多郎太を隠神が制する。
「入っていたのは四票だ。伊予はみんなの意見を聞きたいんだろ?まだ発言してない奴がいるんじゃないのか。…まあ、ここにいるのかはわからんが…」
「……………伊予じゃ」
消え入りそうな声で名乗り出たのは伊予姫だった。まさかの人物に一同が唖然とする。
「伊予が討たないに入れた……。……伊予だけかと思うた……」
涙をこらえるような震えた声でポツポツと伊予が話し始める。
「投票などしたところでこうなるのはわかっておった……。伊予もこの者が憎い……。……でも…それよりも…、伊予の腹ひとつでこの者の命を奪うことが怖い……。だから殺しとうなかった……。だから討たないに入れた……」
「それは選択ではない。逃避だ。民にはできぬ決断をするのが頭領だ!!そのような……幼子のような弱音が通ると思うのか!」
「思わぬ!!」
叱責する多郎太に伊予姫が声を荒げる。
「思わぬ……!!」
そこで堰を切ったように伊予姫の目から大粒の涙が溢れだす。こらえていたものすべてを吐き出すような表情に胸が痛む。民のことを考え、殺していた感情・葛藤。彼女はどれほどの想いを抱え、苦しんでいたのだろう。
「…多郎太さまは【弱さ】と捉えるのですね」
全吉は真っ直ぐに多郎太を見据え、言葉を続ける。
「『殺せ』というのは問題から遠い者ほど容易に吐ける言葉です。命を奪うことに恐怖するのは真摯に向き合っているがゆえです。俺は…これを【勇気】と捉えます。四代目太三郎さまの御心を支持します」
「ぬるい!凡百の話はしておらぬ!長たる者の話をしている!」
「その通り。屋島が侮られれば狸全体の格も下がるというもの…。無罪放免など言語道断じゃ」
否定する多郎太・団三郎に誰もが言葉に詰まる。
「では、力を封じてはいかが?」
凛とした女性の声に振り返ると、発言をしたのは伊予姫の母・福姫だった。
「狢殺しに入れたまま夏羽ちゃんがお世話をするというのであれば、わたくしは様子を見てもよろしいかと思いますわ」
多郎太が福姫を咎めるも、福姫は譲らない。
「だってこのままじゃ伊予ちゃんがかわいそうですわ。わたくしは賊の命より娘の心が大事です。お父さまと多郎太さまは違いませんの?」
「む…」
流石に多郎太・団三郎も否定することができなかった。
「なるほどね。人間風に言うと刑罰と執行猶予というやつか」
「まあ、狢殺しの出来には自信がありますから、皆さんがいいならいいですよ」
思わず結莉は夏羽と顔を見合わせた。
流れが変わったのだ。
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