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第3怪 レディ・ルナティックご乱心 ―八尺様―

 はてさて時と場所が変わりまして、一方その頃のこと。
 探偵局でのお泊まり会の前に、グレン・キャロルは友人とサウス・バンクで遊んでいた。この地区で一番有名なものといえば、竜動の目ロンドン・アイ――高さ135mの巨大な観覧車である。

「でかっ」
「当初はギネスに登録されたぐらいだからね!」

 この観覧車、32個あるカプセルには約25名の搭乗が可能である。さながら回転する展望台と言ってもいいかもしれない。

「クリスは乗ったことあるの?」
「ない! グレンが言わなかったら永遠に乗らなかったかも」

 地元民だからといって絶対に乗っているというわけではないらしい。人間って身近なものほど興味ないのな、とは人間の社会生活を始めてからグレンが抱いた第一印象である。

「今日は晴れてるし、景色も抜群だろうね〜」

 かく言うクリスは、言い出しっぺのグレンよりも楽しそうな雰囲気を醸し出している。
 グレンには、妖精郷で妖精に育てられたという特殊な生い立ちがある。そのおかげもあって、竜動ロンドンどころか人間社会にはまだ馴染みが薄い。審査官のセトや教師のゼンに見守られながら、いまも適応するために日夜頑張って(?)いるのだが……。その事情を聞きつけたお節介なクリスが、「慣らすのを兼ねて一緒に遊ぼうよ」と自分の幼馴染までをも強引に巻き込み、たびたび竜動観光に連れ出してくれるようになったのだ。

「ウォルター、今回は残念だったな」
「そだねー。お兄さんが遊びに行っちゃうからヴィクトリアいもうとの面倒を看るって言ってたけど、トリーも不本意でしょ。そんな歳でもないしさ」

 竜動の目ロンドン・アイは非常に混み合う人気スポットのため、グレンたちは事前に公式サイトでチケットを購入している。ところが、3人目が急遽キャンセルしてしまったがために1枚だけ余っていた。

「お兄さんも事前に言ってくれればいいのにね? 当日に言うってどうなの」
「うん。そういう人だから……」

 ちなみに、ウォルターの兄とは、グレンがこのあとのお泊まり会で合流するヤシャである。当日どころか出かける30分前にやっと伝えることもしょっちゅうだと聞く。双子の姉のアシュ曰く、某夏日の夜明け1時間前に叩き起こされて、「カブトムシを獲りに行くぞ」とさも当然のように言ってくるそうな……。

「あいつのチケットはどうしよっか」
「誰かに譲ろうよ。ファストパスを買うために並んでる人たちなら、誰か貰ってくれるんじゃない?」
「そいうえばさ、なんか話あったよね? 譲ってもらったチケットで観覧車に乗った子が行方不明になっちゃうミステリー」

 ちなみに、クリスの言う物語とは、『ロンドン・アイの謎』というミステリー小説である。
 さて、チケットが欲しい人に譲ってあげようということになったが、

「あ、」

 たまたま視線を向けた先に、つばの広い帽子に白いワンピースを合わせた女がいた。彼女はじっと観覧車を見上げている。見た感じは、おそらく観光客。しかも外国からの。興味があるからこそ見上げているのだと思うが……。

「ねえ、これ要らない?」

 このひとに断られたら違う人を当たればいいや――そんな考えで、グレンは長身の女に声をかけた。よりによって、彼女・・彼女に。
 まさか声をかけられると思っていなかったらしく、「ぽ?」と変な言葉を紡いだ彼女の声は微かに上擦っていた。

「来れなくなった人がいるからチケットが1枚余ってるんだ。興味あるなら乗らない?」

 女は真っ黒な目でじっとグレンを見下ろしている。そこで、グレンはようやく彼女が人間ではないことに気がついたのだが、だからといって改めて警戒はしなかった。なにせ、自分以外の人間がいない環境で育ってきたので……。他種族が目の前に現れても、グレンにとっては驚くに値しない。むしろ、いるのが当たり前。

「……ぽ、ぽ」

 なにを言わんとしているのかはわからなかったが、彼女はチケットを受け取ってくれた。やっぱり乗りたかったらしい。

「入口はあそこ。じゃ、」
「ぽぽ」

 彼女がゆっくり頭を下げた。アシュやヤシャ、そして自分の担当補佐官の助手がよく見せるオジギという奴だろう。では、彼女は日本から来たのか――?
 その後すぐにクリスと合流し、さっそく搭乗口の列に並んだのだが、

(あ、並んでる)

 チケットを渡した彼女は、きちんと列に並んでいた。認識えている人間なんてほとんどいないだろうに、律儀にも順番を守るタイプだったらしい。

(チケットを渡しといてなんだけど、あんなに背が大きかったらカプセルに乗るの大変じゃないかな)

 いわゆる巨人族と比べれば背は低いが、普通の人間と並べると大きい。2mは悠に超えているはずだ……。
 残念ながら同じカプセルに乗ることは叶わなかったが、観覧車が止まることなく動き続けていることから察するに、彼女はスムーズに搭乗できたらしい。

「楽しんでくれればいいけど」
「僕は十分楽しいよ?」
「クリスのことじゃない」
「えー??」

 なんだかんだでグレンもカプセルから見下ろす光景を楽しんでいたのは、ここだけの話。


 †


 降りてからもなんとなく観覧車を見ていると、ちょうどカプセルからチケットを譲った例の女が降りて来たのだが、

(あ、友達もいたんだ)

 着物を纏った青年と一緒だった。グレンが声をかけた時は近くにいなかったはずだが、いつのまに合流したのだろうか? それにしても……。

「誰か知り合いでもいた?」
「いや、別人」
「あの人の服、キモノだよね。かっけぇ〜」

 クリスには長身の女が認識えないらしく、もっぱら青年の着物に興味があるようだ。

(ヒノリかと思ったけど、違う)

 実を言えば、グレンが知り合いと見間違えたのは事実だった。自分の生活をフォローしている審査官の助手と同じ髪の色なので、もしやと思ったのだが、遠目だったからこその見間違いだった。まず性別が違う。そもそも彼女がこの時間帯にここにいるはずがないし……。
 視線を向けられていることに気付いたのか、着物の青年はグレンたちに向かってにこやかに手を振ってくれた。結構気さくな人らしい。女に至っては、再びグレンにオジギしてくれた。なんともまあ律儀な怪異だ。

「あの人、顔の傷すごいね」
「グレーン? そういうのは思ってても本人に言っちゃダメだからね? ウォルターにも言われたでしょ」

 ここに本人がいたら「俺は保護者か」とクリスにぼやくところだろう。ウォルターどころか、探偵局の先輩にも担当の審査官にもその助手にも嗜められているグレンの悪い癖だが、直す気配がない。

(ただの偶然?)

 青年は顔の左半分だったが、知り合いの彼女は顔の右半分に傷が走っている。一見雰囲気が似ている人物が、対称的に傷を持つものだろうか? 出来すぎているような……。グレンは密かに気味が悪い違和感を覚えたのだった。


 †


「――クリス」
「なに?」
「あそこになにか見えない?」
「ううん。なんにも」
「……そっか」
「なんかいるの⁈ なになに⁈」

 この時ばかりは零感のクリスが羨ましくなった。認識って幸せかもしれない。
 結論から言うと、あの長身の女がグレンの前に再び姿を現したのだが――先程と様子が違っていた。
 近からずとも遠からず……意識しなければ「すれ違い」や「気のせいだ」で片付けられそうな距離を取りながら、グレンたちの後をついてくるのだ。
 幸か不幸か、あの真っ黒な目とは未だに視線が合わなかった。帽子を目深に被っているばかりに彼女の顔が見えないせいだが、視線が合ってもどうしようもないだろう。

「もったいぶらずに教えてよ。なにが見えたの⁈」
「……小さいおじさんの妖精」
「ほあー⁈」

 ▼こうかは ばつぐんだ

 説明するのも面倒だったので、いつぞやのアシュとシャオが真剣な顔で議論していたネタをとっさに引用したが、クリスには効果覿面だった模様……。こう見えて、彼もなかなかにオカルト好きなのだが、ここまで興奮するものなのか?

(あのひと、なんでついて来るの? オレとクリスのどっちを狙ってるんだ……)

 クリスの方に急な予定が入ってしまったので少し早めに解散することになった。「また学校でね~」と陽気なクリスが改札の向こうへ歩いていったのを見送った後、グレンはスマホのディスプレイを駆使して自分の背後を映してみた。
 彼女がいる。間違いない。――女が憑いているのは、自分だ。

(なんで? 雰囲気がさっきと違うし)

 アシュの言うところの「いやな予感」というものが、じわじわとグレンに迫っていた。
 考える時間も欲しかったので、グレンは足速に最寄りの本屋に入った。一昨日訪れたばかりだが、微妙に入れ替わっている新書のラインナップを眺めるふりをして、再び自分の背後を確認すると――

(あれ? いない)

 だが、撒けた訳でもなかった。本屋の外でじっと佇んでいる女を見てしまった。どうやらグレンが出てくるのを待つつもりらしい。いやいや、なんのホラーだ……。

(よし。トイレに行こう)

 この本屋には、長らく「故障中」の張り紙がされたトイレの個室がある。店主が修理費をケチっている訳ではなく、元々トイレの便器さえも存在しないのだ。なにせ、アンブローズ探偵局にある本棚と繋がるワープポイントだから。要は、そもそも便器が要らないのだ。ここの店長がシャオ局長に助けられた縁で場所を提供してくれたとかなんとか……。

(なんだかんだでシャオってすごいよな。顔が広いし)

 ちゃっかり気になった本を購入し、グレンは迷わずトイレに向かって故障中の個室に入った。店から出ずに探偵局へ移動すれば、今度こそあの女を撒けるはず――。
 個室は、便器の代わりにワインレッドのカーテンが引かれるだけのチグハグな空間だ。風が吹いていないのに揺れるカーテンを捲ると、暗闇が広がっている。遠くに小さな光がぼんやりと差しているのは、さながらトンネルのようだ。
 グレンは臆せず進んでいく。最初こそ、地面が見えないのにしっかりなにかを踏み締めているような感触や、出口の光しかないのに自分の手元が見える謎など、気になるものは多々あったのに。いまやなんとも思わない。謎が解けた訳ではなく、「そういうものだ」とあっさり受け入れてしまったせいだ。
 小さな光の正体は、行き止まりの壁にはめ込まれた光るレンガである。そこを3回叩くと――

「はいはーい」

 壁の向こうから声が聞こえた。アシュだろう。楽に移動できるとはいえ、探偵局側の補助が必要なのが難点だ……。
 軋む音がなり、レンガの壁が開いた。その向こうは、見慣れたアンブローズ探偵局である。

「早かったね、グレン。観覧車には乗れた?」
「乗ってきたよ。晴れてたらもっとよかった――」

 グレンが探偵事務所に足を踏み入れた途端、玄関に飾られたシメナワが派手な音を立てて床に落ちた。
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