第5怪 アンブローズ探偵局の悪夢 ―リンフォンー
またあの夢を見た……。最悪の目覚めだ。
しかも、シャオと一緒に映画を観てそのまま寝落ちしてたし。こんなところ、ヤシャやグレンに見られたら――
「そろってソファで寝落ちか」
「仲良しだね」
「なにが⁈」
目を覚ましたら、ヤシャとグレンがもう来ているというね。ここのいろんな扉が竜動 のありとあらゆる場所とつながっているから、玄関の鍵なんて関係ないのだ。特にこのふたりは、どことどこがつながっているのかを熟知しているし。
ふと見上げた壁掛け時計は午前11時を回っていた。寝落ちというより昼夜逆転か?
「んえ……。誰か来てんのか、」
シャオがもぞもぞと起き出した。私とシャオがずっとこのままだったってことは、エムリスはまだ部屋に篭りきりなんだね。ついでに、3人目の下宿者も戻って来てない……。
「電話機受け取ったけど。ここで使えるのか?」
「あ、ありがとう。手配したから大丈夫だってよ」
チャイナタウンの骨董市 でシャオが購入したレトロ電話機は、店主がケガをしたとかでなかなかうちに届かなかったんだ。詐欺じゃないかって私が密かに危惧していたのはここだけの話。
「盗電とか言わないよね?」
グレンも同じことを言ったよ……。シャオの奴、局長のくせに全然信用がない。
「クォーツがオッケーしてくれたから問題ないよ。そこは安心して」
「誰?」
グレンがすぐに訊ねてきた。やっぱり知らなかったか。一方で、隣のヤシャはめずらしく驚きを露わにしている。
「クォーツってあのホワイトハッカーか? 俺らの身内なのか?」
「そうそう。ここには滅多に来ないけど、探偵の免許も持ってるから捜査次第では会えるかもよ」
「探偵って、免許制なの?」
ああ、グレンはそこから説明が必要だったか。
竜動の探偵は免許制だ。免許がないと、探偵を名乗ることができない。さらに言えば、実際の探偵はホームズみたいに頭を使って事件を解決に導くよりも、自警団の役割のほうが強かったりする。端的に言うと武闘派だ。うちだってそう。依頼主を怪奇現象や怪異から護衛する意味合いが強い。
「シャオも免許持ってるの?」
「私は無免許で威張るほどアウトローじゃないぞ……」
まだ完全に覚醒してなくても言いたいことは言えるんだな、この人。グレンと全く同じことをセト先生とヤシャにも言われていたけど、この局長、内輪からの信用なさすぎないか?
「で、なんでふたりして寝落ちしてたんだよ?」
「『エルム街の悪夢』シリーズ観てた」
「よりによって眠れなくなりそうなのを選んだの?」
「バカなの?」とグレンの顔にはっきり書いてある。目は口ほどに物を言うとはまさにこのことだ。こちらとしては、グレンが『エルム街の悪夢』を知っているのが意外なんだが。妖精のよの字も出てこないのに。
「ホラー好きな同級生と一緒に観たよ。リメイク版らしいけど」
「ねえ、時間あったらその子紹介して。話してみたい」
「いいよ。クリスも同じこと言ってたし」
「すでに気が合ってんじゃん。運命か?」
まだ見ぬグレンの級友はさておき、顔を洗って、私とシャオの朝食兼ヤシャとグレンの昼食を用意しようか。フレンチトーストでいいかを聞いたら、満場一致で「お願いします」と返ってきた。食欲旺盛なのはいいことだね。エムリスの分も用意しておくか……。
「午前中からお前らが揃うの、めずらしいな。今日なんかあったっけ?」
ひと足先に顔を洗ってきたシャオが、ヤシャとグレンに訊ねている。ふたりに協力してほしい依頼はなにもなかったはずだ。セト先生に頼まれたイノリ案件は、私がきさらぎ駅から帰ってきた2日後にはもう終わったし。そもそもそんな依頼をされたなんて話してもいない。結局、依頼があろうがなかろうが勝手にここに集まるんだけどね。いつ依頼が飛び込んで来るかわからないから。
「ふたりに聞きたいことがあって、」
と、声を上げたのはグレンだが、ヤシャも同じ理由でここに来たそうだ。
わかってるよ。絶対にいいことじゃないでしょ。
「オレたち、一昨日ここに来たじゃん?」
「ほぼ毎日来てるだろ。暇か?」
「暇じゃないよ。その時からちょっとヘンなことが起きてて、」
グレンが打ち明けたタイミングを見計らったかのように、スマホが鳴り出した。
「あ、ちょうどよかった。一昨日に探偵局を出てから、こんな感じでヘンな電話がかかってくるんだ」
スマホのディスプレイには、Kanataという名前が表示されている。しかし、グレンはこの人物に心当たりがないという。
「登録してあるから名前が出てくるんじゃねーの? スマホってそういう仕組みだろ」
「横でアシュが『知らなかった』って顔してるんだけど正気か?」
「ふたりがスマホ下手くそだってこと忘れてた……」
なんだよ、スマホ下手くそって言い方。実際そうだけどさ。スマホに関してはシャオのほうが理解してるから、なおのこと悔しい。
「シャオの言うとおり、スマホは登録されないと名前が出てこないようになってるよ。でも、何度も確認したけどオレはこのひとを登録してないはずなんだ。なのに、これ」
登録されてないのに名前が出てくるの? 不気味だな……。
しかし、深刻そうなグレンに対して、シャオは長髪を括りながら素っ気なく告げる。
「さっさとスマホの修理屋に出したほうが早いぞ」
「それが意味なさそうだからこっちに来たんじゃん。立派な怪奇現象でしょ」
「なんでもかんでもかんでも怪奇現象にすんな。アシュ、言ってやれ」
「ヘイ、さとるくん。登録してないのに名前が出る理由は?」
「怪異に怪奇現象か聞くのは斬新だな」
「さとるくん? お前のスマホ、面白いことになってんな⁉︎」
そういえば、ヤシャは私がさとるくんと契約を紡ぐ現場についてきたからあれだけど、シャオには話してすらしてなかったな。もう2週間も経ってるっていうのに。
「立派な怪奇現象だから無視に限るよ。ちなみに、きみのスマホにも同じ名前で何回か着てた」
シャオの羨望の眼差しなんて気にもしない。電話にまつわる怪異【さとるくん】は淡々と答えた。
「あたしにも着てたの?」
「しつこくかけてきたけどぼくが全部ブロックしたから、諦めて相手を変えたんだと思う。大方、局長さんにも相手にされなかったから、後輩くんにかけてるんじゃない?」
「シャオ、あんたにも着てる可能性があるらしいぞ」
「まじか。アシュ、私のスマホどこ?」
「知るか」
スマホに関心がなさすぎてどこに置いたかをさっぱり思い出せないのは、シャオの日常茶飯事だ。たいていは充電が切れてるのでいくらかけても意味がない。なぜかいつも私が見つけるんだが、いまは探している暇はなさそうだ。
「なんでオレたちの番号知ってるの? 迷惑」
「怪異だからだろ」
呆れ顔のまま、グレンはとうとう電話に出なかった。ところが、着信が終わったと思いきや、今度は別のスマホが鳴り始める。某5人組アイドルのサビは……ヤシャだな。
「グレンが出ないと俺にかけてくるってことか? かまちょかよ」
「ヤシャにもかかってくるの?」
「おう。俺も、グレンと同じく一昨日からこうなってるぜ」
ヤシャのディスプレイに表示された名前は、またしてもKanataだ。しかも、昼夜を問わず電話をかけてくるという。
「無視に限るよ。出てもいいことないから」
「だってさ」
「無視したところで永遠にかかってきそうだから困ってんだよ。さとるくんパワーでどうにかできねえか?」
「無理だね。ぼくはこのスマホから離れられないし。元凶を断つしかないよ」
さとるくんはまたしても淡々と告げた。元凶が探偵局にあるの? いつのまに?
「シャオの呪物コレクション?」
「なんでも私のせいにすんな。こんだけアグレッシブになってんのは明らかにアシュのせいだろ」
「それは否定しないけど、」
シャオが指摘しているのは、私のバフ盛り体質だ。私だって好きでかけてるわけじゃないんだが!
「なんでも知ってる怪異だろ。元凶がなにか教えてくれてもよくねえ?」
「契約外のことはしないよ。ましてや、きみの頼み事を聞く義理もないから」
「契約者のアシュの頼み事しか聞かないってこと?」
「そうだね」
痺れを切らしつつあるヤシャとグレンの問いに、さとるくんはあいかわらず淡々と答えた。元はと言えば、公衆電話から私のスマホに引っ越して一緒にシェアしようって提案したんだよね。いまみたいな怪奇現象がひどかったから……。
私が怪奇現象の元凶を聞いたって、さとるくんは答えないだろう。おそらく、元凶がここにあることを知っているだけで、彼は元凶がなにかは知らないだろうから。
「わかった。じゃあ、あたしからさとるくんに聞くよ。Kanataって何者?」
電話にまつわることしかサポートしてくれないから、そこから正体を探ればいい。グレンたちに代わって私が訪ねると、
「特定の誰っていうのはないよ。はるかに遠いところからかけているのは間違いない」
と、すんなり答えてくれた。はるかに遠いところ……。
「――たとえば、地獄とか?」
「ああ……。うん、それぐらい遠い」
表現的にそれが一番合う、とさとるくんは断言した。私の灰色の脳細胞に、ビビッと来る。連日寝不足だと本当にろくなことがないね。頭が回ってないにも程がある。
いや、寝不足以前の問題か。あの時になんで気づけなかったんだろう? 私の連日の悪夢も、グレンたちが悩んでいるしつこい電話も、全部あのパズルのせいじゃんか!
「アシュ⁈」
誰かの声を振り切るように、私は脱兎の勢いで階段を駆け上った。そのまま突き当たりの部屋――エムリスの部屋の前まで大股で進み、ドアを叩く。
「エムリス! エームリスッ! パズルを渡して!」
「――あのパズル、リンフォンか!」
「パズル?」
「それ、ネットの怪談だっけ。聞いたことある」
「エームリスさーん! あっそびーましょっ‼︎」
「花子さんみたいに呼んでどうする」
なんで強行突破しないのかというと、私たちの誰かが部屋に入るのをエムリスが極端に嫌がるからだ。おかげさまで、私は一度もエムリスの部屋に入ったことはない。
「――どうしたんだい、アシュ?」
さすがにうるさかっただろう、訝しみながらエムリスがようやくドアを開けた。あいかわらず室内を見せまいとギリギリしか開けてくれないが、用があるのはあのパズル……エムリスの右手にあるパズルだ。
もう魚の形が完成しつつあるソレを、私は「ごめん!」の一言でひったくる。
「パスッ!」
吹き抜けから下に向かってパズル――リンフォンを投げた。とりあえず、正体を察したらしいシャオかヤシャがキャッチしてくれればそれでいい。これは、解いてはいけないパズルだから。
「へーへー」
ヤシャがリンフォンをキャッチした……刹那、いとも簡単に握り締めて粉砕する。
「「「「えーっ?!??」」」」
突然おもちゃを取り上げられたエムリスでさえ、ヤシャのゴリラパワーに呆然とするほかなかった。
ところが、ヤシャとしては私たちの反応のほうが意外だったらしい。
「壊していい奴だろ。呪物だし」
「その発想はさすがになかったよ⁈」
†
「これが呪物?」
ヤシャの手から溢れた小さな欠片をひとつだけ摘み、グレンはしげしげと眺めている。そんなに細かくなっちゃったら、呪物の片鱗すら感じられないだろう。
「シャオもエムリスも気づいてなかったの?」
「全然! リンフォンは単純に遊んでみたいと思ってたが、よもや実在するとは思ってもなかったぜ」
「僕もよくできたおもちゃとしか思ってなかったヨ。見ても触っても普通のパズルだったから」
シャオとエムリスですら気づけないなら私なんてなおさら……なんて思わない。きっと、完全な作り話だと思い込んでいたから疑うことすらしなかったんだ。実際、同じ形のルービックキューブもあるし。
――今回の全ての元凶は、RINFONEという正二十面体パズルだ。遊び方は至ってシンプルだが奥深く、いろんなところを引っ張って熊と鷹と魚の形を作るだけ。遊んでみたいという気持ちもよくわかる。実際、エムリスもハマってたし。
「精巧にできていたから年甲斐もなく熱中してしまったヨ。怪奇現象が起きてるって知ってたらすぐに止めたんだけど」
「エムリス自身はなんともなかったの?」
「うん。僕が捜査で使うスマホも厳密にはシャオのものだから、用がない時は手元にすら置かないしネ。そもそも僕は夢も見ないし」
「……」
グレンは「この3人にスマホを持たせる意味はあるの?」と思ってるんだろうな。顔に書いてるからわかりやすい。たとえ音痴でも持ってないと不便なんだよ!
「これって、どういう呪物なの? アシュがさっき地獄って言ったのとつながるの?」
「ばっちりだよ。それ、地獄の門を開くためのパズルらしいから」
「グレン、試しにRINFONEの文字を並べ替えてみろ」
「え……。あー、INFERNOって、地獄だったっけ?」
ヤシャに言われて数分も経たないうちに、グレンはアナグラムを解いた。ご名答!
リンフォンはただの面白そうなパズルではなく、地獄を開けるために生まれたものと謂われている。遠い昔――「魚」を「救世主 の隠喩として汎用していた時代に、弾圧者どもを地獄に送り込むために作られたとかなんとか。だからこそ暗喩で使われた魚の形を作る必要があるとか、本当は門の形が最終形態だとか、いろんな考察もあるけれど。
「矛盾を感じるんだよね。解いている人を地獄送りにしたいなら、彼方からの電話とか悪夢を見せる必要ないと思うんだよ。むしろ逆効果じゃないかって」」
「うん。オレだったら、パズルが原因かもって気づいたら捨てる……」
「話の中のカップルも、これが全ての元凶だって気づいた途端に手放したぜ。それが普通だろ」
「シャオは最後まで解く?」
「ンなわけあるか。まだ地獄に行くつもりはねーから止めるわ」
まだってなんだ、まだって。行く前提で話さないでほしいんだが。
「そろそろ門が開くからって、張り切りすぎるんだろ。そのせいで持ち主が手放すから、アンティークショップをぐるぐる回ってる。かまちょ系だな」
「ただのめんどくさい呪物じゃん」
挙げ句の果てにこんなに粉々にされるなんて、リンフォンだって想像しなかっただろう。相手が悪かったよ。うん、悪すぎた。
「電話のKanataは日本語で『遠いところ』って意味の単語で、地獄にいる人たちのことだと思う。都市伝説どおりに出たら『出して』って声が聞けたんじゃないかな」
「だから、さとるくんは『出てもいいことない』って言ったのか」
話どおりだと『出して』って言われるだけで、入れ替わるわけじゃないらしいからな……。演出として最高かもしれないけど。
「んで、地獄にいる描写の夢はアシュが見たってことか」
「やっぱり、お前の連日の夜更かしはそういうことか」
シャオがじっと私を見てきた。実際に見られて羨ましいとか言わないよね?
「いい夢じゃないし、しょうがねーな。私も1回で満足したし」
「シャオも見たの?」
「1回きりな。お前は毎日見てたんだろ? その体質も楽じゃねーな」
シャ、シャオが優しい⁈ なんの前触れ? まさか呪物を集めるためにとんでもない金額を借金してるとか言い出さないよね?
「今回は、アンブローズ探偵局に来た奴か住んでる奴にしか影響がなかったんだな」
「たぶんね。なに、ジンが悪夢を見ること期待してたの?」
「そりゃあな。どんな反応するか期待してたし」
鬼か? そんなんだから、ヤシャはジンに距離を置かれるんだよ。
「この破片はどうする? 捨てる?」
「呪物だし、セトたちに頼んで回収してもらおうぜ」
「コレクションとして取っておかなくていいの?」
これまたシャオから意外な反応が返ってきた。呪物蒐集家なのに、呪物の欠片でさえも手元に置かないだなんて。
「地獄は興味ねーもん」
……だってさ。拍子抜けしてしまった。
この後、ヒノリが運良く探偵局に寄ってくれたので、リンフォン(の欠片)を小瓶に詰めて預かってもらった。
「アシュ。ついでで悪いが、お菓子かなにかを作ってないか? セトさんが食べたいってぼやいてて」
「えっ⁈ マドレーヌならあるよ!」
「私のリクエストだろそれ! 全部渡そうとすんなっ‼︎」
†
その日の夜、私はエムリスに求められるがままに悪夢のことを話した。自分が夢を見ない分、他人の見る夢が気になるんだろうね。覚えてる限りで話してくれとしょっちゅう言われるよ。
「――キミの夢、リンフォンは無関係じゃないかい?」
そう言われて、私は戸惑った。そんなことある? タイミングだって被ってるのに。
「リンフォンの悪夢には、暗い谷底から亡者に足を掴まれるって描写がある。シャオも同じ内容だと言っていたヨ。キミ、掴まれたかい?」
「全然……。そもそも谷底にもいなかった」
「目の前の人たちを追いかけてるようだけど、違う?」
あっ、そうか。そうと言われればすごくしっくりくる。火の中で人を追いかけるなんて、どういうシチュエーションなんだか。
ちらりと階段を見たが、シャオが上がってくる気配はない。
――実は、この夢に関しては誰にも言わなかったことがひとつだけある。
「……最後の『連れてって』が、あたしの声だったんだ」
本当は、なんとなく勘づいていた。私の悪夢はリンフォンが見せる地獄の夢じゃないって。
でも、なんとなく怖くてそれが言えなかった。真っ赤な炎が燃え盛るなかで、真っ黒な人影に向かって「連れて行って」って叫ぶだなんて、どう考えても尋常じゃない。目の前にいた黒い4人は……誰なんだ?
「夢は記憶の反芻だってジンは言ってた。じゃあ、あたしのこの夢は――」
「まだ起きてたか、お前ら」
げっ。なんでこのタイミングで上がってきた⁈ シャオには絶対茶化されるから聞かれたくないのに……!
「映画観ようぜ!」
だが、私の予想に反して、シャオは後ろ手に持っていたブルーレイを見せびらかしてきただけだった。
「……フレディ、まだ観終わってないもんね」
「あれは今度でいいだろ。気分転換に『インセプション』とかどうだ? 買ったの思い出して探してたんだよ」
「いいんじゃない? それも夢が出てくる映画だしネ」
「そうなんだ?」
存在は知っているけど観たことないな……。私もエムリスも「いいよ」と言っていないのに、シャオはさっさとブルーレイ・ディスクの読み込みを始めている。別にやることもないからいいんだけどさ。
「――アシュ」
「なに、エムリス?」
「ひとつだけ覚えておいて。どんな夢を見ようと、キミの帰る場所はここにある。そのためのアンブローズ探偵局だヨ」
「そんな大げさな、」
「本当だヨ。シャオが照れ臭いから言わないだけサ」
――なんだか今日はぐっすり眠れそう。そんな気がした。
しかも、シャオと一緒に映画を観てそのまま寝落ちしてたし。こんなところ、ヤシャやグレンに見られたら――
「そろってソファで寝落ちか」
「仲良しだね」
「なにが⁈」
目を覚ましたら、ヤシャとグレンがもう来ているというね。ここのいろんな扉が
ふと見上げた壁掛け時計は午前11時を回っていた。寝落ちというより昼夜逆転か?
「んえ……。誰か来てんのか、」
シャオがもぞもぞと起き出した。私とシャオがずっとこのままだったってことは、エムリスはまだ部屋に篭りきりなんだね。ついでに、3人目の下宿者も戻って来てない……。
「電話機受け取ったけど。ここで使えるのか?」
「あ、ありがとう。手配したから大丈夫だってよ」
チャイナタウンの
「盗電とか言わないよね?」
グレンも同じことを言ったよ……。シャオの奴、局長のくせに全然信用がない。
「クォーツがオッケーしてくれたから問題ないよ。そこは安心して」
「誰?」
グレンがすぐに訊ねてきた。やっぱり知らなかったか。一方で、隣のヤシャはめずらしく驚きを露わにしている。
「クォーツってあのホワイトハッカーか? 俺らの身内なのか?」
「そうそう。ここには滅多に来ないけど、探偵の免許も持ってるから捜査次第では会えるかもよ」
「探偵って、免許制なの?」
ああ、グレンはそこから説明が必要だったか。
竜動の探偵は免許制だ。免許がないと、探偵を名乗ることができない。さらに言えば、実際の探偵はホームズみたいに頭を使って事件を解決に導くよりも、自警団の役割のほうが強かったりする。端的に言うと武闘派だ。うちだってそう。依頼主を怪奇現象や怪異から護衛する意味合いが強い。
「シャオも免許持ってるの?」
「私は無免許で威張るほどアウトローじゃないぞ……」
まだ完全に覚醒してなくても言いたいことは言えるんだな、この人。グレンと全く同じことをセト先生とヤシャにも言われていたけど、この局長、内輪からの信用なさすぎないか?
「で、なんでふたりして寝落ちしてたんだよ?」
「『エルム街の悪夢』シリーズ観てた」
「よりによって眠れなくなりそうなのを選んだの?」
「バカなの?」とグレンの顔にはっきり書いてある。目は口ほどに物を言うとはまさにこのことだ。こちらとしては、グレンが『エルム街の悪夢』を知っているのが意外なんだが。妖精のよの字も出てこないのに。
「ホラー好きな同級生と一緒に観たよ。リメイク版らしいけど」
「ねえ、時間あったらその子紹介して。話してみたい」
「いいよ。クリスも同じこと言ってたし」
「すでに気が合ってんじゃん。運命か?」
まだ見ぬグレンの級友はさておき、顔を洗って、私とシャオの朝食兼ヤシャとグレンの昼食を用意しようか。フレンチトーストでいいかを聞いたら、満場一致で「お願いします」と返ってきた。食欲旺盛なのはいいことだね。エムリスの分も用意しておくか……。
「午前中からお前らが揃うの、めずらしいな。今日なんかあったっけ?」
ひと足先に顔を洗ってきたシャオが、ヤシャとグレンに訊ねている。ふたりに協力してほしい依頼はなにもなかったはずだ。セト先生に頼まれたイノリ案件は、私がきさらぎ駅から帰ってきた2日後にはもう終わったし。そもそもそんな依頼をされたなんて話してもいない。結局、依頼があろうがなかろうが勝手にここに集まるんだけどね。いつ依頼が飛び込んで来るかわからないから。
「ふたりに聞きたいことがあって、」
と、声を上げたのはグレンだが、ヤシャも同じ理由でここに来たそうだ。
わかってるよ。絶対にいいことじゃないでしょ。
「オレたち、一昨日ここに来たじゃん?」
「ほぼ毎日来てるだろ。暇か?」
「暇じゃないよ。その時からちょっとヘンなことが起きてて、」
グレンが打ち明けたタイミングを見計らったかのように、スマホが鳴り出した。
「あ、ちょうどよかった。一昨日に探偵局を出てから、こんな感じでヘンな電話がかかってくるんだ」
スマホのディスプレイには、Kanataという名前が表示されている。しかし、グレンはこの人物に心当たりがないという。
「登録してあるから名前が出てくるんじゃねーの? スマホってそういう仕組みだろ」
「横でアシュが『知らなかった』って顔してるんだけど正気か?」
「ふたりがスマホ下手くそだってこと忘れてた……」
なんだよ、スマホ下手くそって言い方。実際そうだけどさ。スマホに関してはシャオのほうが理解してるから、なおのこと悔しい。
「シャオの言うとおり、スマホは登録されないと名前が出てこないようになってるよ。でも、何度も確認したけどオレはこのひとを登録してないはずなんだ。なのに、これ」
登録されてないのに名前が出てくるの? 不気味だな……。
しかし、深刻そうなグレンに対して、シャオは長髪を括りながら素っ気なく告げる。
「さっさとスマホの修理屋に出したほうが早いぞ」
「それが意味なさそうだからこっちに来たんじゃん。立派な怪奇現象でしょ」
「なんでもかんでもかんでも怪奇現象にすんな。アシュ、言ってやれ」
「ヘイ、さとるくん。登録してないのに名前が出る理由は?」
「怪異に怪奇現象か聞くのは斬新だな」
「さとるくん? お前のスマホ、面白いことになってんな⁉︎」
そういえば、ヤシャは私がさとるくんと契約を紡ぐ現場についてきたからあれだけど、シャオには話してすらしてなかったな。もう2週間も経ってるっていうのに。
「立派な怪奇現象だから無視に限るよ。ちなみに、きみのスマホにも同じ名前で何回か着てた」
シャオの羨望の眼差しなんて気にもしない。電話にまつわる怪異【さとるくん】は淡々と答えた。
「あたしにも着てたの?」
「しつこくかけてきたけどぼくが全部ブロックしたから、諦めて相手を変えたんだと思う。大方、局長さんにも相手にされなかったから、後輩くんにかけてるんじゃない?」
「シャオ、あんたにも着てる可能性があるらしいぞ」
「まじか。アシュ、私のスマホどこ?」
「知るか」
スマホに関心がなさすぎてどこに置いたかをさっぱり思い出せないのは、シャオの日常茶飯事だ。たいていは充電が切れてるのでいくらかけても意味がない。なぜかいつも私が見つけるんだが、いまは探している暇はなさそうだ。
「なんでオレたちの番号知ってるの? 迷惑」
「怪異だからだろ」
呆れ顔のまま、グレンはとうとう電話に出なかった。ところが、着信が終わったと思いきや、今度は別のスマホが鳴り始める。某5人組アイドルのサビは……ヤシャだな。
「グレンが出ないと俺にかけてくるってことか? かまちょかよ」
「ヤシャにもかかってくるの?」
「おう。俺も、グレンと同じく一昨日からこうなってるぜ」
ヤシャのディスプレイに表示された名前は、またしてもKanataだ。しかも、昼夜を問わず電話をかけてくるという。
「無視に限るよ。出てもいいことないから」
「だってさ」
「無視したところで永遠にかかってきそうだから困ってんだよ。さとるくんパワーでどうにかできねえか?」
「無理だね。ぼくはこのスマホから離れられないし。元凶を断つしかないよ」
さとるくんはまたしても淡々と告げた。元凶が探偵局にあるの? いつのまに?
「シャオの呪物コレクション?」
「なんでも私のせいにすんな。こんだけアグレッシブになってんのは明らかにアシュのせいだろ」
「それは否定しないけど、」
シャオが指摘しているのは、私のバフ盛り体質だ。私だって好きでかけてるわけじゃないんだが!
「なんでも知ってる怪異だろ。元凶がなにか教えてくれてもよくねえ?」
「契約外のことはしないよ。ましてや、きみの頼み事を聞く義理もないから」
「契約者のアシュの頼み事しか聞かないってこと?」
「そうだね」
痺れを切らしつつあるヤシャとグレンの問いに、さとるくんはあいかわらず淡々と答えた。元はと言えば、公衆電話から私のスマホに引っ越して一緒にシェアしようって提案したんだよね。いまみたいな怪奇現象がひどかったから……。
私が怪奇現象の元凶を聞いたって、さとるくんは答えないだろう。おそらく、元凶がここにあることを知っているだけで、彼は元凶がなにかは知らないだろうから。
「わかった。じゃあ、あたしからさとるくんに聞くよ。Kanataって何者?」
電話にまつわることしかサポートしてくれないから、そこから正体を探ればいい。グレンたちに代わって私が訪ねると、
「特定の誰っていうのはないよ。はるかに遠いところからかけているのは間違いない」
と、すんなり答えてくれた。はるかに遠いところ……。
「――たとえば、地獄とか?」
「ああ……。うん、それぐらい遠い」
表現的にそれが一番合う、とさとるくんは断言した。私の灰色の脳細胞に、ビビッと来る。連日寝不足だと本当にろくなことがないね。頭が回ってないにも程がある。
いや、寝不足以前の問題か。あの時になんで気づけなかったんだろう? 私の連日の悪夢も、グレンたちが悩んでいるしつこい電話も、全部あのパズルのせいじゃんか!
「アシュ⁈」
誰かの声を振り切るように、私は脱兎の勢いで階段を駆け上った。そのまま突き当たりの部屋――エムリスの部屋の前まで大股で進み、ドアを叩く。
「エムリス! エームリスッ! パズルを渡して!」
「――あのパズル、リンフォンか!」
「パズル?」
「それ、ネットの怪談だっけ。聞いたことある」
「エームリスさーん! あっそびーましょっ‼︎」
「花子さんみたいに呼んでどうする」
なんで強行突破しないのかというと、私たちの誰かが部屋に入るのをエムリスが極端に嫌がるからだ。おかげさまで、私は一度もエムリスの部屋に入ったことはない。
「――どうしたんだい、アシュ?」
さすがにうるさかっただろう、訝しみながらエムリスがようやくドアを開けた。あいかわらず室内を見せまいとギリギリしか開けてくれないが、用があるのはあのパズル……エムリスの右手にあるパズルだ。
もう魚の形が完成しつつあるソレを、私は「ごめん!」の一言でひったくる。
「パスッ!」
吹き抜けから下に向かってパズル――リンフォンを投げた。とりあえず、正体を察したらしいシャオかヤシャがキャッチしてくれればそれでいい。これは、解いてはいけないパズルだから。
「へーへー」
ヤシャがリンフォンをキャッチした……刹那、いとも簡単に握り締めて粉砕する。
「「「「えーっ?!??」」」」
突然おもちゃを取り上げられたエムリスでさえ、ヤシャのゴリラパワーに呆然とするほかなかった。
ところが、ヤシャとしては私たちの反応のほうが意外だったらしい。
「壊していい奴だろ。呪物だし」
「その発想はさすがになかったよ⁈」
†
「これが呪物?」
ヤシャの手から溢れた小さな欠片をひとつだけ摘み、グレンはしげしげと眺めている。そんなに細かくなっちゃったら、呪物の片鱗すら感じられないだろう。
「シャオもエムリスも気づいてなかったの?」
「全然! リンフォンは単純に遊んでみたいと思ってたが、よもや実在するとは思ってもなかったぜ」
「僕もよくできたおもちゃとしか思ってなかったヨ。見ても触っても普通のパズルだったから」
シャオとエムリスですら気づけないなら私なんてなおさら……なんて思わない。きっと、完全な作り話だと思い込んでいたから疑うことすらしなかったんだ。実際、同じ形のルービックキューブもあるし。
――今回の全ての元凶は、RINFONEという正二十面体パズルだ。遊び方は至ってシンプルだが奥深く、いろんなところを引っ張って熊と鷹と魚の形を作るだけ。遊んでみたいという気持ちもよくわかる。実際、エムリスもハマってたし。
「精巧にできていたから年甲斐もなく熱中してしまったヨ。怪奇現象が起きてるって知ってたらすぐに止めたんだけど」
「エムリス自身はなんともなかったの?」
「うん。僕が捜査で使うスマホも厳密にはシャオのものだから、用がない時は手元にすら置かないしネ。そもそも僕は夢も見ないし」
「……」
グレンは「この3人にスマホを持たせる意味はあるの?」と思ってるんだろうな。顔に書いてるからわかりやすい。たとえ音痴でも持ってないと不便なんだよ!
「これって、どういう呪物なの? アシュがさっき地獄って言ったのとつながるの?」
「ばっちりだよ。それ、地獄の門を開くためのパズルらしいから」
「グレン、試しにRINFONEの文字を並べ替えてみろ」
「え……。あー、INFERNOって、地獄だったっけ?」
ヤシャに言われて数分も経たないうちに、グレンはアナグラムを解いた。ご名答!
リンフォンはただの面白そうなパズルではなく、地獄を開けるために生まれたものと謂われている。遠い昔――「魚」を「
「矛盾を感じるんだよね。解いている人を地獄送りにしたいなら、彼方からの電話とか悪夢を見せる必要ないと思うんだよ。むしろ逆効果じゃないかって」」
「うん。オレだったら、パズルが原因かもって気づいたら捨てる……」
「話の中のカップルも、これが全ての元凶だって気づいた途端に手放したぜ。それが普通だろ」
「シャオは最後まで解く?」
「ンなわけあるか。まだ地獄に行くつもりはねーから止めるわ」
まだってなんだ、まだって。行く前提で話さないでほしいんだが。
「そろそろ門が開くからって、張り切りすぎるんだろ。そのせいで持ち主が手放すから、アンティークショップをぐるぐる回ってる。かまちょ系だな」
「ただのめんどくさい呪物じゃん」
挙げ句の果てにこんなに粉々にされるなんて、リンフォンだって想像しなかっただろう。相手が悪かったよ。うん、悪すぎた。
「電話のKanataは日本語で『遠いところ』って意味の単語で、地獄にいる人たちのことだと思う。都市伝説どおりに出たら『出して』って声が聞けたんじゃないかな」
「だから、さとるくんは『出てもいいことない』って言ったのか」
話どおりだと『出して』って言われるだけで、入れ替わるわけじゃないらしいからな……。演出として最高かもしれないけど。
「んで、地獄にいる描写の夢はアシュが見たってことか」
「やっぱり、お前の連日の夜更かしはそういうことか」
シャオがじっと私を見てきた。実際に見られて羨ましいとか言わないよね?
「いい夢じゃないし、しょうがねーな。私も1回で満足したし」
「シャオも見たの?」
「1回きりな。お前は毎日見てたんだろ? その体質も楽じゃねーな」
シャ、シャオが優しい⁈ なんの前触れ? まさか呪物を集めるためにとんでもない金額を借金してるとか言い出さないよね?
「今回は、アンブローズ探偵局に来た奴か住んでる奴にしか影響がなかったんだな」
「たぶんね。なに、ジンが悪夢を見ること期待してたの?」
「そりゃあな。どんな反応するか期待してたし」
鬼か? そんなんだから、ヤシャはジンに距離を置かれるんだよ。
「この破片はどうする? 捨てる?」
「呪物だし、セトたちに頼んで回収してもらおうぜ」
「コレクションとして取っておかなくていいの?」
これまたシャオから意外な反応が返ってきた。呪物蒐集家なのに、呪物の欠片でさえも手元に置かないだなんて。
「地獄は興味ねーもん」
……だってさ。拍子抜けしてしまった。
この後、ヒノリが運良く探偵局に寄ってくれたので、リンフォン(の欠片)を小瓶に詰めて預かってもらった。
「アシュ。ついでで悪いが、お菓子かなにかを作ってないか? セトさんが食べたいってぼやいてて」
「えっ⁈ マドレーヌならあるよ!」
「私のリクエストだろそれ! 全部渡そうとすんなっ‼︎」
†
その日の夜、私はエムリスに求められるがままに悪夢のことを話した。自分が夢を見ない分、他人の見る夢が気になるんだろうね。覚えてる限りで話してくれとしょっちゅう言われるよ。
「――キミの夢、リンフォンは無関係じゃないかい?」
そう言われて、私は戸惑った。そんなことある? タイミングだって被ってるのに。
「リンフォンの悪夢には、暗い谷底から亡者に足を掴まれるって描写がある。シャオも同じ内容だと言っていたヨ。キミ、掴まれたかい?」
「全然……。そもそも谷底にもいなかった」
「目の前の人たちを追いかけてるようだけど、違う?」
あっ、そうか。そうと言われればすごくしっくりくる。火の中で人を追いかけるなんて、どういうシチュエーションなんだか。
ちらりと階段を見たが、シャオが上がってくる気配はない。
――実は、この夢に関しては誰にも言わなかったことがひとつだけある。
「……最後の『連れてって』が、あたしの声だったんだ」
本当は、なんとなく勘づいていた。私の悪夢はリンフォンが見せる地獄の夢じゃないって。
でも、なんとなく怖くてそれが言えなかった。真っ赤な炎が燃え盛るなかで、真っ黒な人影に向かって「連れて行って」って叫ぶだなんて、どう考えても尋常じゃない。目の前にいた黒い4人は……誰なんだ?
「夢は記憶の反芻だってジンは言ってた。じゃあ、あたしのこの夢は――」
「まだ起きてたか、お前ら」
げっ。なんでこのタイミングで上がってきた⁈ シャオには絶対茶化されるから聞かれたくないのに……!
「映画観ようぜ!」
だが、私の予想に反して、シャオは後ろ手に持っていたブルーレイを見せびらかしてきただけだった。
「……フレディ、まだ観終わってないもんね」
「あれは今度でいいだろ。気分転換に『インセプション』とかどうだ? 買ったの思い出して探してたんだよ」
「いいんじゃない? それも夢が出てくる映画だしネ」
「そうなんだ?」
存在は知っているけど観たことないな……。私もエムリスも「いいよ」と言っていないのに、シャオはさっさとブルーレイ・ディスクの読み込みを始めている。別にやることもないからいいんだけどさ。
「――アシュ」
「なに、エムリス?」
「ひとつだけ覚えておいて。どんな夢を見ようと、キミの帰る場所はここにある。そのためのアンブローズ探偵局だヨ」
「そんな大げさな、」
「本当だヨ。シャオが照れ臭いから言わないだけサ」
――なんだか今日はぐっすり眠れそう。そんな気がした。
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