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第4怪 きさらぎアバンチュール ―きさらぎ駅―

 イノリが消えた刹那、闇をつん裂くような笛の音が背後から聞こえてきた。思わず振り向くと、

「鬼……」

 真っ黒な顔に白字でそう書かれた車掌が、全速力で私たちの方に向かって来ている。
 これはあれだ。絵面が完全にあれっぽい。かつて大晦日にやっていた某笑ってはいけない奴に大量発生する……。
 
「――グレン。イノリちゃんさぁ、『鬼に手を出すな』とは言わなかったよね?」
「うん。言ってなかった……」

 この空間がイノリの魔術でいじられた以上、あいつが私たちより有利であることは覆せない。
 どうぞ勝手に優越感に浸ってろ。それがなに? 私はいつもどおり、イノリの裏をかきまくってやるだけだ。

「ハロウィンの呼吸、壱の型――」
「アシュ? どうした?」
「【ソウルケーキ】!!」

 目前に迫った鬼の顔面に、イノリへの恨み辛みも込めて、ついでに思いついたネタも口走ってソウルケーキを力いっぱい叩きつけた!
 
「あ、」

 確かな手応えを感じた刹那、顔面にソウルケーキを喰らった鬼はボフッと音を立てて消えた。

「よし。ソウルケーキは正義!」
「単に物理攻撃が効いただけじゃないかい?」
「……ソウルケーキ持ってきてたの?」
「そうだよ。なにが起きてもいいようにって大量生産してたんだから」

 ソウルケーキとは? 名前に反して、見た目はどちらかと言うとビスケット。施しトリートを求める者に差し出すハロウィンのお菓子……なんだけど、いまじゃあすっかりマイナーだ。その時代遅れと言われても仕方ないお菓子を、私はボストンバッグにこれでもかというぐらい詰めて持って来ている。

「グレンに話したことなかったよね? あたしが料理を作るようになったの、自分の身代わりに料理を差し出すためなんだ」

 天然バフ盛り体質こと触媒体質のせいで、いろんなモノにも狙われがちだった。でも、人間じゃないモノであればお菓子で誤魔化すことができる。季節やシーズンによって身代わりのお菓子を変えているから、ハロウィンの今日はたまたまソウルケーキだった。それだけだ。

「いまやすっかり趣味になっちゃったしさ、人生なにが起こるかわかんないね」
「アシュが常備してるキャラメルもそういうこと?」
「いや、キャラメルは単純に好きだからってのが半分」
「半分は身代わり用?」
「あげる前に食べ終わるけどね」

 ちなみに、今回のソウルケーキはグレンの分も持って来ている。多めに持って来て正解だったな。

「手分けしてセト先生を探そう。グレンはあっちをお願い。あたしは太鼓の音がするほうに行くよ」

 さっきからずっと聞こえてたんだよね。日本にいた頃に1回だけ連れて行ってもらった、祭囃子みたいな太鼓の音が……。

「鬼に対して槍を使うのはオッケーかな?」
「いいんじゃない? あたしもいざとなったら刀使うよ」
「少しくらい物騒でもいいサ。こっちは土地勘もなくて不利なんだし」

 私たち、鬼を倒すほうに重点を置き始めてない? よもや鬼殺隊か?

  ピーッ ピーッ ピピッ

 また笛の音がする。鬼が来るスパン早くない?

  ピーッ ピーッ ピピッ
  ピーッ ピーッ ピピッ
  ピーッ ピーッ ピピッ

「え⁈」

 笛の音が何重にも重なり、暗闇からにゅるりと姿を見せる鬼、鬼、鬼……!

「何人いるんだ――」
「ヤバいヤバいヤバい‼︎」

 数の多さに危機感を覚えた私たちは、踵を返してプラットホームを走り出した。当然、無数の鬼たちが追いかけてくる。
 いやさすがに怖いって! この鬼の群れはまずいって!

「誰だよドリ●のBGM流してんの⁈」
「君たちの方から聞こえるヨ」
「イノリかぁぁ‼︎」


 †


「はーっ、はーっ、はーっ……」

 ハードル競争かって勢いで改札を飛び越えて、ひたすら走って――。
 ようやく鬼の姿が見えなくなったから足を止めて、肩で息をする。酸素が肺に入っていく感じが全然しない……。

「エムリス〜? グレンとはぐれた、」

 あれ? 電話が切れてる。かけ直そうにも電波は圏外、しかもディスプレイが文字化けしてる。こんな感じでセト先生も連絡手段を断たれたんだろうか?
 はぐれたグレンが心配だけど、元々別ルートを進むつもりだったし、セト先生を探すほうが早いかな。

「鬼は撒けて――」

 なかった。待ってましたと言わんばかりに一寸先の暗闇から出て来やがったから、ソウルケーキを投げつけた。

「うわっ、沸いてきた」

 太鼓の音が聞こえなくないのは、反対方向に来たせいか、はたまた止んだのか? プラットホームと打って変わって静かな場所だ。松明の火が爆ぜる音しか聞こえない。鬼も、出てくるならなんか効果音とかつけてほしい。
 いやだなぁ、独りになるのは嫌なのに――

「ひゃっ!」

 立っていられない程の暴風が吹き、身体がよろけた。イノリの地味な嫌がらせかと思いきや、いまさっき沸いて出た鬼が2〜3人吹っ飛んでいくのが見えた。この暴風、イノリの仕業じゃないな?

「趣味悪りぃなァ、あのクソガキ」

 もふもふがすぐ傍にいる。大きな黒い毛玉――ツノが生えた巨躯の黒豹が、私の身体を支えていた。

「ありがと〜ネーベル!」
「抱き着くより撫でられるほうが嬉しいンだが。まァいっか」

 うちのキャス・パ・リーグ有能すぎない⁈ 心細い時にふらっとやって来て、しかも鬼を吹き飛ばしてくれるなんて!

「お嬢がぼっちになったンで来てやったぜ。チュ●ル3本な」
「ネーベルは本当にチ●ール好きだね……」

 そんな会話をしながら、今度は黒い尻尾で鬼を薙ぎ払ってくれた。全長3メートルの黒豹の尻尾はもはや凶器だ。

「こいつら、蛆みたいに沸いて出てきやがるなァ」
「もしかして、あたしを足止めしようとしてる?」

 私の触媒体質が目当てだとしたら死角から来るはずだ。ところが、鬼は、私の視界――つまり私が行こうとしている方角からわらわらと出てくる。そうなると、足止め説は的を射ているのでは?
 それに、ヤツらには私を足止めする理由がある。

「セトチャンが近くにいるってことか」
「そう考えるのが無難だよね。鬼を処理しきれずにあたしが捕まったら、イノリちゃんとしてはラッキーだろうし」
「お嬢、あのクソガキになにしたんだよ? すげェ嫌われてンじゃん」
「知らない。あたしが嫌いになる理由なら山ほどあるけどね⁈」

 逆恨みだとしたら、イノリ本人がますますヤシャやヒノリから嫌われるだけなのにね。
 さて、もう1回あいつの裏をかいてやるか。

「よっと」

 ボストンバッグから抜いた(エムリスが魔術でいじったおかげで4次元ポケットと化している)刀の切っ先を、いままさに襲いかかろうとしてきた鬼の首筋に突き立てた。コンマの差で私の勝ち。手首を軽く捻れば、確実に鬼の頸動脈を切れる。
 鬼はガクガク震えながら両手を上げた。降参ってことか? 幽霊オニとして、この刀の破魔の力を痛感しているのかもしれない。

「いますぐそのジャケットと帽子を脱げ。早くしろ!」
「おいおい。主人公ヒロインがやっていい奴じゃねェだろそれ」
「いいんだよ。今回のヒロインはセト先生だから」
「ヒロインの意味知ってっか、お嬢?」

 目にも止まらぬ速さで車掌の帽子とジャケットを脱ぎ捨てた鬼は、一目散に闇の中へ逃げていった。

「なんかあたしが悪いことしたみたいじゃない?」

 着ていたブルゾンをバッグに仕舞い、ジャケットの袖に腕を通して、最後に帽子を被る。これで少しは車掌オニっぽくなったかな?

「帽子をもうちょい下に傾けると顔が見えにくくなるぜ」
「こう?」
「おう。完璧だ」

 鬼のフリ作戦、吉と出るか凶と出るか⁈


 †


 一方その頃、グレンはと言うと、無事に鬼から逃げ切り、マイペースに線路沿いを歩いていた。

「あ、太鼓の音」

 アシュが心配していた反面、グレンは「アシュなら大丈夫だろう」と全く心配していなかった。信じて切っているからだろう。

「エムリスに聞こえる? 太鼓の音が近い、」
「聞こえるヨ。プラットホームにいた時はさっぱりだったけれど」
「エムリスにも聞こえなかったんだ?」
「そういうキミもかい?」

 先程は、ふたりとも「アシュが受信してるな〜」ぐらいにしか思わなかったのだが、実際に暗闇から聞こえてくる音はゾッと背筋が凍るような心地がする。

「さっきの屋台村とちがって楽しそうだけど……」
故郷にほんの夏祭りをオマージュしたんだろうけど、悪趣味満載だったネ〜。気をつけて進み給えヨ、グレンクン。罠かもしれないから」

 話しているうちに突然線路が途絶え、拓けた場所に辿り着いた。
 そこは、何十本もの松明に煌々と照らされた大きな広場だった。中央には櫓が建ち、最上階には太鼓が見える。聞こえていたのはこの太鼓の音頭だったらしい。軽快なリズムに合わせて、櫓を囲むように輪を作った色とりどりの火の玉がトントンと跳ねて揺れていた。盆踊りの再現かもしれない、とエムリスが言う。なんでも知っているなこのひと……。
 グレンは初めて見る櫓をまじまじと見上げた。なんとなく、櫓の最上階に誰かがいるような……?

「あの太鼓、叩いてる人がいないんだネ?」
「え、」

 けっしてエムリスへの反応ではない。櫓の一番上、太鼓の近くでなにかが動いたように見えたのだ。叩いている人がいないはずなのに?
 息を呑んで、グレンはもう一度よく目を凝らす。

「グレン?」

 エムリスがなんと言ったのかはわからない。それどころではなかったから。
 太鼓の裏に人がいる。暗闇でも眩い金色の髪の人物が――

「オビー……?」

 その後ろ姿は、グレンがずっと探し続けている養父にそっくりだった。

「グレン? ちょっと待つんだ――」
「オビー!」

 聞く耳持たず、グレンは櫓へ一直線、階段を息つく間もなく駆け上がった。
 オビーことオーベロンは、妖精の王にしてグレンの育て親である。気高い妖精王がなぜ人間のグレンを育てることになったのかはわからない。彼はけっして語らず、グレンも知ろうとはしなかったから。
 11歳を迎えたグレンがひょんなことで竜動ロンドンで保護され、人間社会で暮らすことになって以来、妖精王はグレンの前に現れることもなく行方知れずとなっている。

――むしろ、グレンが一緒に過ごしていたことが奇跡と言わざるを得ないよ。君が生まれるずっと前から、オーベロンは僕ら人間の声に答えなくなったから

 保護をきっかけにグレンの生活のサポート係を務めるセト曰く、人間側から見た妖精王は長いこと行方不明だったという。そんな矢先に、妖精王に育てられたと言うグレンが現れたのだから、魔導省としても衝撃だっただろう。
 考えられるのは、妖精王に“なにか”があったのではないかということ。協力関係にある魔術師たちにも話せないような“なにか”が――

「オビー!」

 突然離れ離れになり、声さえ聞こえなくなってしまったオーベロンにもう一度会って理由を問いたい。それが、グレンがアンブローズ探偵局に身を置く理由でもある。ただ闇雲に【あいだ】をうろつくよりも、怪奇や魔術が絡む事件へ飛び込んだほうが再会できる確率が高いのではないかと思ったから。


「グレン‼︎」


 鋭いエムリスの声に、グレンはようやく我に帰った。
 だが、時すでに遅し。太鼓の影に隠れていた金髪が、逃がさんと言わんばかりにグレンの手首を掴んでいた。

「あ……」

 金髪頭の顔は真っ黒で目鼻口がなく、ただ白い字で「鬼」とある。
 妖精王ではなく、捕まってはいけない鬼だったのだ。


  ブーーーッ!


 広場にブザーが鳴り響き、広場に赤い光が点滅し始める。

「少年、アウト~」

 楽しげな雰囲気が瞬く間に消えた。

「残念だったなぁ。いい感じに逃げてたのに」
「騙したのか⁈」
「被害者意識は止せよ。金髪頭にお前が勝手に勘違いしただけだろ」

 そうやって嗤うイノリは、一体どこから見ているのだろう? 姿が見えない。

「罰ゲームに人間スナップ・ドラゴンとかどうだ? やってみたかったんだよな」

 たしか、ハロウィンの火遊びではなかったか? ブランデーが燃える皿のなかから干しブドウを素早く摘むゲーム。それを人間でやる……?
 イノリの声を合図に、広場で煌々と燃えていた松明がドミノのように次々と倒れていく。伏した松明の火が大きな形を成して櫓に絡みつき、あっという間に火が燃え移った。
 グレンの視界がぐらっと揺れた。燃える櫓が倒壊していく音が広場で反響している。
 
「うわッ⁉︎」

 足場の崩れた櫓から落ちるグレンを呑み込もうと、目の前に大口を開けた火が迫っていた――


 †


「グレン! おい、グレン!」
「……んえ?」

 目を開けてすぐ、ヤシャの顔が見えた。

「なんで倒れてんだよ。大丈夫か?」
「ここは……」
「パディントン駅」
「うそ、」

 信じられなかった。だが、見上げた看板には間違いなく「パディントン駅」と書かれている。
 その隣の時計は、午後5時26分――。

「は⁉︎」

 午後4時44分に乗車して異界駅に着くまでが1時間、そこから絶対に捕まってはいけない鬼ごっこが始まり、櫓でオーベロンの偽物に騙されて……。少なく見積もったとしても時間の計算が合わない。
 それに、アンブローズ探偵局でも会わなかったヤシャがなぜ駅にいるのだろう?

「目が覚めたか、ミスター・キャロル」

 予想だにしなかった人物の声に、グレンはキョトンとなった。

「ゼン先生?」
「倒れていたから驚いたぞ」

 学校にいる時となんら変わらない雰囲気で、≪魔術学≫の教師ゼン・キンバリーがしれっとヤシャの後ろにいた。

「一緒にスコットランドのシロクマを観に行ってたんだよ」
「え、仲良し」
「ミスター・キャロル。なにがあった? 君の周りを妖精王の魔力が包んでいるが」
「オーベロンの⁈」

 グレンにはわからないが、ゼン先生にははっきりと妖精王の魔力がベールのようにグレンを覆っているのが見えるらしい。しばらく会ってもいない妖精王の魔力が、なぜ自分に……?

「あーアレか。セトが言ってた【加護】って奴」
「なにそれ?」
「なんで本人が知らねえんだよ」
「本人にはあえて言わないこともあるぞ。ガードナー審査官の憶測だが、ミスター・キャロルが妖精郷ティル・ナ・ノグを離れざるを得なかった時、妖精王が君に加護の祈りを込めたのだろう。こちらに来てからいままでにも何度か、死ぬかもしれない状況で奇跡的に助かったようなことがあったのでは?」
「言われてみれば……」

 よく助かったな、ということはままあった。なんならこの竜動に迷い込んだ時が一番危なかったかもしれない。

「加護が発動したのは、妖精王がいまでも君を愛しているという証でもある。――少しは安心したか?」

 ゼン先生はグレンの学校生活のサポート役として、担当審査官のセト・ガードナーと情報を共有しているそうだ。きっと、妖精王と連絡がつかず不安がっているグレンの心境も聞いていたのだろう。

「グレン! 生きてるな⁈」

 余韻を破るかのようにシャオの声が割り込んできた。スマホはヤシャが拾って持っていてくれたようだ。

「アシュは⁈ アシュはどうなった⁈」
「ごめん。はぐれたからわかんない」
「くそっ!」

 シャオがいくら焦っても、異界駅に乗り込めない以上どうにもできない。アシュのスマホはイノリに妨害されているせいか、一向に繋がらないと言う。
 異界駅が死者に纏わる場所だという仮説があっていれば、脱出できたグレンも異界駅には死なないと行けなくなってしまった……。
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